第594話 2021/5/30 カナダとか

 本日は5時半起き。外は快晴。体も軽い。次の週末まではそこそこの天候が続くようなので少し気楽な感じ。

 それにしても、明日で5月も終わりか。毎月終わり頃に言ってるかも知れないが、時間の経つのが早過ぎて困る。そもそも何もせずボーッとしている時間が長いヤツだからな、ただでさえ時間は速めに流れているのだが、体調が悪くなるとそれが加速する。自分だけ時間の流れから取り残されているような気分になるのだ。でも体だけはしっかり老化するのだよなあ。何ともかんとも。


 たまに「日本はアメリカの51番目の州」と言われる事がある。あまり良い意味では使われないが、確かにそういう傾向はあるだろう。自由主義経済圏であり、大規模な駐留米軍が存在し、政治的にもアメリカへの依存度が極めて高い。アメリカの州と言うよりは自治領に近いと言えるのではないか。

 ここまでアメリカ依存が高いのであれば、確かに――虫けらがそれを望むのかどうかを別とすれば――日本という国家を解体してアメリカの領土となるのも1つの選択肢としてあるだろう。もっともアメリカにとっては「ありがた迷惑」な話だろうが。

 日本ほどの経済規模をもった州がアメリカに誕生すれば、国力の増加という意味でメリットは大きいと思える。国内市場は一気に拡大するだろう。よって日本さえその気であればアメリカの州となれる可能性は高い、と思う人もいるやも知れない。だが実際にはそうではなかろう。何故か。それは日本人の数が多すぎるからである。

 現在アメリカの人口は3億超。対する日本は1億ちょっとである。これが合流し1つの国家となれば、人口は4億となり、その25%が日系人となる。現状ただでさえ黒人やヒスパニックなど有色人種の総数が白人を上回るアメリカが日本を受け入れたりしたら、白人は一気にマイノリティへと転落してしまう。白人の保守層(大金持ちが多い)がそれを認めるとは思えない。

 まして、25%も日系人がいる社会となってしまえば、大統領選挙も日系人の支持を無視して行えない。それどころか、いずれ日系人の大統領候補を立てねばならなくなるだろう。だが白人でもクリスチャンでもない大統領など、果たしてアメリカ人が容認するだろうか。そういった諸々をプラスマイナスで考えれば、日本を51番目の州とする意味や価値はアメリカ側にはほとんどないのである。

 それに、51番目の州候補は日本以外にもある。アメリカの経済圏に取り込まれ、アメリカに近い文化を持ち、アメリカの国防システムの一部を担う国が。そう、アメリカの隣国、カナダである。

 カナダは不思議な国だ。経済規模で言えば世界のベスト10に入れるかどうかギリギリのところで、豊かな国ではあるが経済大国ではない。でもG7にはずっといる。軍事力では世界の上位20カ国に入れるかどうかギリギリのところ。他のNATO加盟国と比べて決して軍事大国とは言えず、日本の自衛隊と比較しても3分の1程度の規模しかない。でも何かにつけ顔を出す。世界における発言権の強さが国力に見合っているかどうかを考えると、不相応に強すぎる気がする。

 結局、アメリカの隣国であり歩調を揃える同盟国であり、経済的にも結びつきの強い国である事がカナダの国際的地位を高めているのではないか。アメリカが多国籍軍とか組んだときに真っ先に参加するのがカナダだからな。つまりは国際関係も信用商売なのだ。アメリカの信用を勝ち得ているという事実がカナダの信用を支えている。

 現在カナダは中国との間に緊張関係があるが、単純に国力だけを見る限り、中国にとってカナダなど吹けば飛ぶような存在だ。しかし現実にはカナダは中国の前に立ちはだかり、吹き飛ばされてはいない。それはアメリカという重しが存在しているからである。あえて嫌味な言い方をすれば「虎の威を借る狐」であるが、この狐、非常に立ち回りが上手い。中国も簡単に吹き飛ばす事はできないだろう。

 さてそんな世界的に印象の良いカナダではあるが、実際のところ闇のない国など存在しない。この国にもそれなりの闇はあるのだ。

 カナダではかつて、先住民の子供や混血児を白人社会に同化させるために寄宿学校を各地に建てた。学校という建前を取っているものの、その目的は子供達から先祖伝来の言葉と文化を奪う事。いま中国がウイグルで多くの人々を強制収容所に送り込んで「中国化」しているが、本質的に同様の事が19世紀から20世紀のカナダでも行われていたのである。

 そんな学校の1つ、「カムループス・インディアン・レジデンシャル・スクール」の跡地を先住民のコミュニティーが調査したところ、地中から215人分の子供の骨が見つかったという。3歳くらいと見られる小さな子供の骨もあった模様。どういう経緯で死亡したのかまではまだ判明していないが、この手の寄宿学校では残虐な虐待が日常茶飯事であったらしい。

 書いているだけで気分が重くなる話である。人間の本質というのは本当に洋の東西を問わず変わらないものなのだな。ただ救いは、現代はこういった事実が明るみに出る時代なのだという事だろうか。死んだ子供たちが帰ってくる訳ではないが、それでも、だ。


 カナダでもう一つ。虫けらは創作をする際、頭に映像を思い浮かべながら文章を書く。また、文章を読む際にも頭の中に映像が浮かんでいる。逆を言えば映像が思い浮かばない、状況の明確ではない情報は理解する事が困難である。たとえばこんな話。

 26日、カナダの連邦下院議員がビデオ会議に参加していた。しかしその会議の最中、彼はカメラに映っているにも関わらず、そこで排尿したという。議員が27日にTwitterでした説明曰く、

「昨夜、下院のバーチャル会議に出席中、カメラで撮影されていると気づかずに排尿した」

「自分の行為と、それを見た人におそらく与えた苦痛について、深く恥じている」(以上BBC)

 との事だが、状況が全然理解できない。

 普通に考えて、ビデオ会議はPCのカメラで自らを撮影しながら行われたはずだ。おそらくは自室で。まさかトイレにPCを持ち込んだ訳ではなかろう。まあ海外の大きな家なら自室にトイレや風呂がある場合もあるのだろうが、その中が映るような位置にわざわざカメラを設置するだろうか。もししたのであれば、それは故意以外の何物でもあるまい。その状況でションベンをして、気付かなかったもクソもない。と思いながらBBCの記事を読んでいたら、こんな事が書いてあった。

「複数報道によると、エイモス議員は今回、ビデオ会議中にコーヒーカップに排尿したという」

 ちなみにこの下院議員、先月にもビデオ会議中に自分の裸の映像を流すなどしていた模様。もうこれ完全に疑いようもなく故意であろう。ちょっと変則的な露出狂である。変態趣味を押さえられないのだ。Twitterへの書き込みには「支援を求める」ともあったそうだ。押さえが効かなくなっている自覚はあるのだろうな。まあとりあえず医者にかかった方が良いだろうとは思う次第。


 ことわざに「十で神童十五で才子、二十過ぎればただの人」とあるが、虫けらだって子供の頃はかなり優秀だった。いまではただの虫けらであるが。

 アメリカのカリフォルニア州ロサンゼルスに暮らす2歳の女の子がIQ146と診断され、高知能者の交流を目的とした国際団体「メンサ」の会員として迎え入れられた。アメリカでは史上最年少であるという。

 IQは模試などでおなじみの「偏差値」とある意味で似ている。偏差値が「平均的学力(50)」よりどの程度上か下かを見るのに対し、IQは「その年齢の平均的知能(100)」よりどれだけ上か下かを見るのだ。この少女はIQ146であるから、同年代の子供と比較すれば極めて頭が良いと言える。ただし、年齢の離れた大人より頭が良い訳ではない。IQ146の2歳児が理解できない難しい事でも、IQ120の大人は理解できるのが普通なのだ。

 とは言え、土台が優れているのは事実。これから頑張って、末は博士か大臣にでもなってもらいたいところ。


 本日はこんなところで。昨日も書けていない。ああ書けない書けない。どうしたものやら。まあ、無理矢理にでも書く以外の方法などないのだけれどな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る