第503話 2021/2/28 本日休業

 本日は11時半起き。ここ数日の反動が一気に来た感じ。頭が死んでいる。なーんにも思い浮かばないぞ。まあ今日は『よつばと!』の新刊が届くので、それ読んで寝てようと思う。そんな訳で本日は休業。


 文章というのは無限大の世界を手のひらに乗せるのは得意とする事なのだが、手のひらにある物を無限大に拡大するのはあまり得意ではない気がする。虫けらがやり方を知らないだけだろうか。


 いや、たった1秒の世界を延々と詳細に描写し続けるとか、そういうのは文章の得意とする事であるのは理解している。だがそれは短い時間の中に無限大の世界を「見ている」から書けるのだ。でもそれを「見ずに」書けと言われたら、どうしていいかわからない。


『よつばと!』の世界に無限はない。父ちゃんにとってもジャンボにとってもやんだにとっても、無限の物も無限の時間もない。すべてが我々の知る有限である。ただ、よつばにとっては違う。何故ならよつばは幼く無知であるから。幼く無知な普通の子供が、有限の世界に見るありもしない無限に心躍らせる。それが『よつばと!』の作品世界である。この作品世界に似た物を文章で構成するというのは、決して不可能ではないのだろう。だが、受ける印象を同じにはできない。


 幼い子供が世界に触れて得た感動を、世界が有限であると理解しているはずの大人の心の奥底にある記憶を振動させる事で、この手の中にあるかの如く見せる。これは漫画という表現手段でしか作り得ない文学なのかも知れない。比較的近い表現手法として絵本というモノはあるが、やはり同じ印象を与える事はできないだろう。


 作者のあずまきよひこ氏はアニメ化の話を断っているという噂もあるが、事実なら賢明な判断であろうと思う。ただ絵を動かしただけではこの世界は伝わらない。漫画というメディアに最適化された表現を、アニメーションに変換するのは非常に難しいはずだ。


 ただそれでも、漫画ではない表現手段を選択した者の一人としては、可能性の道標となる。虫けらにもいつかこういう世界が、あるいはまったく違う世界なのに、どことなく同じような印象を受けるような作品が、小説という形式で作れるかも知れない。そういう一つの理想的完成形として『よつばと!』はある。創作者の末端の端くれの片隅に転がっている者の一人として、夢を見たいと思う。


 昨日は200文字くらいしか書いていない。今日はどれだけ書けるだろうか。まあ、何とか頑張ってみよう。

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