第472話 2021/1/28 画餅とか

 本日は3時半起き。今日はちょっと忙しい日だ。バタバタしている。役所に行かねばならんのだよなあ。ああ面倒臭い。面倒臭いが仕方ない。お役所がなければ生きて行けない立場だからな。感謝しながら行ってくるか。


 そこに存在する物事は、理由もなしに存在している訳ではない。誰かが必ず何らかの目的や理由や志などを持って置いたものである。しかし様々な理由で存在意義が薄れてしまう事がある。存在するのに使えない、あっても役に立たない状態になるのだ。この状態を指して「画餅がべい」と言う。ただしこの画餅という単語自体に画餅的なところがあって、我々がこの意味の言葉を使うときにはもっと平たく「絵に描いた餅」と言う方が多いのではないか。

 画餅の語源は古く中国の三国志、『魏書(魏志倭人伝のあるアレである)』にある曹叡そうえい(曹操の孫、魏の二代皇帝明帝)の言葉とされる。

「選びぐるに名有るを取るなかれ。名は地に描きて餅を作るがごとく、くらふべからずなり」(人を登用するのに名声で選んではいけない。名声とは地面に餅の絵を描いたようなもので、食べる事はできないのだ)

 ここから「画餅」という言葉が生まれたのだが、これは人員の登用に際し、名声で決めてしまう事のないよう家臣の諸葛誕を諌めたときの言葉であるとされる。当時における「名声」とは現在一般にイメージされる名声とはかなり別物であったという話もあるのだが、とりあえず言葉としてみた場合、民主主義選挙の有権者たる我々にはグサリと刺さる言葉である。

 しかしグサリと刺さる事にも意味がある。刺さったままで続きを読んで頂きたい。

 菅首相は27日午前の参議院予算委員会において、国民への定額給付金の再給付について、立憲民主党の石橋通宏参議院議員の質問に答え、

「雇用を守り、暮らしをしっかり支えていく。できる限り対応したい」

「いろいろな見方がある。政府には最終的に生活保護があり、セーフティーネットを作っていくのが大事」(以上ロイター)

 と答弁した。

 うん、あるよ。確かに生活保護という制度はある。だがあるから何だと言うのだ。まさに「画餅」、ものの見事に「絵に描いた餅」そのものである。国民が使えもしない制度に何の意味がある。どんなに立派でも竹光で人は斬れないのだ。

 生活保護を受給するのにどれだけのハードルがあるか、いまさら書くまでもない。生活保護を必要とする人の中で実際に受給できた人の割合は、2割程度だという話も聞こえてくる。

 生活保護受給者を揶揄して「生保貴族」なんて事を言うヤツもいるが、確かに受給にまでこぎ着けられた者は、ある意味貴族なのかも知れない。選りすぐられた人なのだから。言い換えれば大多数の普通の人は選ばれない。だが新型コロナの蔓延でいま実際に苦しんでいるのは、普通の人々である。

 ローンの残った家に住み、子供の送り迎えや高齢者の介護施設への送迎など日々の生活の移動にクルマが欠かせない、そんな人々がどうやって生活保護を受けられるというのか。これは極めて単純にシンプルに考えれば、「そんなん知らん。勝手に死ねばいい」と言われているのと同義ではないか。

 管首相にそこまでの悪意がないのは事実だろう。何せそこまで頭が回っていないのだから。前にも書いたが、虫けらは給付金にこだわっている訳ではない。だが時間にはこだわっている。時間がないのだ。給付金を出したくないのなら出さなくていいから、給付金に代わる施策を大至急出してもらいたい。それを出さないから批判されているのだという事を理解していただけないだろうか。

 今回の管首相の発言を受けて Twitter には「#もういらないだろ自民党」がトレンド入りした模様。客観的に見て自民党がいらない事はないと思うが、管政権でなくてはならない理由はもはやない。もうちょっと頭の回る、目端の利く人間を首相に据えた方がいいのではないか。あと獅子身中の虫を追い出す事だな。それも大至急。


 論戦の続く国会であるが、昨日の参議院予算委員会では、立憲民主党の蓮舫氏の「口撃」に、管首相が色をなして反撃する場面があったのだそうな。

 産経新聞の記事によれば、蓮舫氏は昨年12月1日から1月25日までの間に12の都府県で、合計29人の新型コロナ感染者が自宅や宿泊療養中に死亡している事に触れ、

「この29人の命、どれだけ無念だったでしょうか。その重みが分かりますか」

 と管首相に見解を問うた。これに対して首相はこう答えた。

「そこは大変申し訳ない思いであります」

「もう少し言葉はありませんか」

 蓮舫氏は納得しない。これに重ねて首相は答えた。

「心から大変申し訳ない思いであります」

 しかしこの首相の答弁に対し、蓮舫氏はこうまくし立てた。

「そんな答弁だから言葉が伝わらないんですよ。そんなメッセージだから国民に危機感が伝わらないんですよ。あなたには首相としての自覚や責任感、それを言葉で伝えようとする、そういう思いはあるんですか!」

「少々失礼じゃないでしょうか」

 首相はたまりかねたように言葉を並べ立てる。

「昨年9月16日に首相に就任してから、一日も早く安心を取り戻したい、そういう思いで全力で取り組んできました。緊急事態宣言も悩んで悩んで判断した。言葉が通じる、通じないとか私に要因があるかもしれませんが、精いっぱい取り組んでいるところです」

「その精いっぱいは否定しません」

 と、ここで蓮舫氏は矛を収めた。

「ただ、伝える努力が足りないと言っているんです」

 そう付け加えて。

 何だかなあ、という感じである。茶番劇を見せられているかのような。

 失礼かどうかで言えば、年齢もキャリアも立場も上の首相に対して蓮舫氏の言葉は失礼に当たるだろう。とは言え、言われる方に問題がない訳ではない。威厳も迫力も余裕もないのでは、そりゃあいい的になるわな。野党は叩けばいいだけの楽な立場であるから、こんなやりやすい首相はいないかも知れない。これを是とするか否とするか、近々有権者は判断を迫られるのではないか。その心づもりは必要である。


 革命的共産主義者同盟全国委員会、いわゆる「中核派」の清水丈夫たけお議長が昨年9月、51年ぶりに姿を現わした。そして昨日27日、東京都内で記者会見を開き、活動を再開したことについて、

「コロナ禍で社会もめちゃくちゃになっている。声を上げて闘わないといけない」(NHK)

「資本主義をぶっ倒すため、自分の経験も含め全力で訴えようということで踏み切った」(産経新聞)

「全労働者階級人民に全力で訴えるため」(毎日新聞)

 と述べた。また、1971年に警察官が死亡した渋谷暴動について、

「当時、抗議行動に対して猛烈な弾圧があった。そういう中で闘っていたので、仕方ないのではないか」

「安保・沖縄闘争の発展という中で、どうしても必要な闘争だった」(以上時事通信)

 と答え、正当化した。1980年~90年代、天皇制反対運動などを率いた事については、

「(指導部にあたる)政治局として指示したかと言えばしたんでしょう。僕が『やれ』と言ったかは答えない」(毎日新聞)

 と明言を避けた。

 83歳だという。50年以上警察から逃げ回っていたそうだが、まあ何と言うか、簡単に言ってしまえばボケたのではないか。テロリストも老いるのだ。時代について行けなくなるし、判断力も低下する。世界の理からは誰も逃れられないのである。


 本日はこんなところで。まいった。昨日は本当になーんもできなかった。まああの状態では仕方ない。とりあえず今日は、何とか今日こそは頑張りたい。

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