イデオロギーは悪なのか〈3〉
一般に、人間の現実的な生活においてイデオロギーがどのようにして影響を及ぼしているかを考えてみよう。
社会的な生活を営むそれぞれの人たちは、彼らのそれぞれの現実生活において、自分がその社会のなかのどこにいるのか、また自分は社会のなかで誰と何をしているのか、そしてそのような自分はその社会において何者なのか等々というようなことを、その社会の「支配的なイデオロギー」の現実化でもある、さまざまなイデオロギーの重層的な現実化を通して具体的に知ることになる。
彼らを取り巻く生活環境と、それと彼ら自身との関係、また彼ら諸個人の間での社会的な関係、つまり社会的な人間関係、さらにそのような関係と環境のなかで形成される、彼ら諸個人各々の個性・パーソナリティ・アイデンティティーなどが、その社会的なイデオロギーを通じて彼ら自身に確認される。
さらに各個人の個々の「精神」において思い描かれた、意識や観念といった「精神的な表象」は、その社会集団において共同化された精神として、言い換えるとその社会集団の「支配的な」イデオロギーにおいて共同化された精神として、つまり集団的・社会的に共同化されたイデオロギー的精神として表象された、「諸個人の個々の精神」として、その社会集団の共同性の中で、他の人々と共有し理解されうる精神という表象としての正当性を得る。
ゆえに彼らが個々に思い描いた意識・観念などの精神的な表象は、単に彼ら個々の思い込みなどではなく、社会的に共同化された正当な認識として、たとえば「常識」として、または「モラル」として、あるいは「正義」として、そのような「社会的に承認された精神」として社会的な正当性を得るものとなる。
そのように、社会的なイデオロギーによって確認され承認されている、諸個人の意識・観念などの個々の精神的な表象、および諸個人の間の社会的な諸関係の表象は、その社会集団の社会的イデオロギーにおいて共同化され、それを社会的に共有することにおいて、その共同性にもとづいた一定の社会的に共通の行動様式として、諸個人の個々の社会的な行動・行為に関係づけられ、それを条件づけるものとなる。
そのような、一定の人間集団における共同化された行動様式は、その集団において共同化され共有されるイデオロギーによって、その集団において共同化された行動様式であることが、その集団の人々の共通した認識として確認され承認される。
イデオロギーは、ある社会集団の共通性や、その体系化の結果として見出されているものではなく、むしろそれに先行するものとして、すでにあるところの観念として、あるいはその観念を表象するものとして見出されているのだと言える。それを見出しているということにおいて、人や社会集団は互いにそれを「共通して見出している」という、共通した認識を持つことになる。
諸々の観念や様々な表象が人や社会集団の精神を支配しているというのは、そのような諸々の観念や様々な表象が、人や社会集団の共通した・共有された観念に先行して見出されている、ということである。そのような、すでにある考えにもとづいて考える限りにおいて、そのことを考えている人たちはすでに、共通した考えを持つことができ、それにもとづいて共通した行動をとることができる。またそのように、共通した考えを持って共通した行動をとる人たちは、それによって「同一の人々」と互いを見なすことができ、そのように自分自身を表現することができるところとなる。
(つづく)
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