第100話 怪物、月の子

 


 あまりにも突然の出来事。

 ソイツは何の前触れもなく現れた。


「ス、テ、ナイ……デ……」


「ッ、なんだコイツ!」

「きゅぅぅう!」


 鼻先に出現した異形の姿を認め、反射的に後方へ飛び退いて距離を取る。


 全く気配を感じなかった。

 俺の剣知覚に触れずに背後に来たとでもいうのだろうか。


 嫌な汗が一瞬で額に馴染むのを感じる。

 練度の高い圧によって自身の周囲の気配を常に把握している者にとって、こういった知覚外の急接近は非常に心臓に悪い。


「きゅきゅぅ!」

「シゲマツ、落ち着け!」


 汗を拭いながら、ひどく混乱するシゲマツを落ち着かせようと首を撫でまくる。


 先ほどまでは怯えて動けなくなっていたのに、今ではまるで張り詰めていた緊張の糸が切れてしまったかのようにシゲマツは錯乱してしまっている。


 これはーー間違いなさそうだ。


「ステ、ナイ、デ……」

「お前か。シゲマツが怯えていた存在は」


 シゲマツの動揺の仕方を見るにはぼ確定だろう。

 ともすれば、目の前に現れたこの存在こそ王都に入り込んだ怪物ということになる。


「ステ、ナイ、デ」

「ふぅ」


 数メートル先に捉えた謎の存在の姿を観察する。


 眼前に佇むソイツはひどく痩せているように見えた。

 体躯は小さく、骨と皮だけでガリガリに痩せた貧相な体付きの人間のようだ。


 肋骨が浮き上がり、手足は小枝のように細い。

 頬はこけ、目玉があるべき場所にはぽっかりと空虚な穴が空いている。


 服は着ておらず、生殖器は男性方の物だ。

 だが、体毛もなく皮膚も乾燥しているかのようにひび割れているため、かろうじで股の間に何かある、と判断できる程度の大きさ。


 あまりにも弱々しい見た目なのにひどく不気味で、恐怖の根源が現れたかのような嫌な感じがする。


「ステ、ナイ、デ」

「言葉を喋れる怪物は別に珍しくない。圧の類は身につけておらず、また目が無い、イコール魔眼は発動していない。

 皮膚の状態から長らく地下遺跡で眠っていた古代の怪物である可能性有り。また同様の理由で、この生物は現状のコンディションは良くないと考えられる」


 存在から目を離さず注意して、特徴あるいは推測できる能力、脅威度などを確認していく。

 対象から出来るだけ情報を抜き出す事が未知の「怪物」と戦う際には必要なことなのだ。


「ステナイ、デ」

「ふむ。以上の結果から時間を置いたら現状以上に強力な力を取り戻す可能性……大、か」


 俺は後には引けない事を自分に言い聞かせて、拳を握り締める。


 現状、剣は持っていない。

 杖が2本、ポーション小瓶が1本。

 本来学校に行くための装備であるせいだ。

 未知の怪物相手に剣を振れなくなったは痛い。


「よし、それじゃ名前をやろう。お前が協会に認知されてない怪物だったら、俺が第一発見者だからな」

「ステ……ナイ、デ」


 ペラペラと饒舌に言葉を並べ立てていく。

 口を動かして自分へ余裕を持たせようと必死になるが、それでも冷や汗が止まらない。


 俺の本能、あるあはもっと深い部分の何かがこの生物に恐怖心を抱かせてくる。

 認めよう、ビジュアルがめちゃめちゃ怖い事を。


 だが、だからどうしたって言うんだ?

 余裕ならあるぜ。俺は狩人助手のアーカム・アルドレアなんだ。

 学校じゃ天下無双のアーカムなんて呼ばれてるんだ。

 余裕ならあるさ。

 むしろ余裕しかない。


 弱気になりそうな自分の心を奮い立たせる。


「ス、テ、ナイ……デ」

「そうだな。お前はツチノコ。『怪物』ツチノコだ」


 干からびたミイラのような男を指差して、ソイツの名前を「ツチノコ」と命名する。

 特に何か意味があるわけではない。

 ただ第一発見者だった時にすんなりとインパクトのある名前を付けたいと思っただけだ。


「きゅきゅぅう!」


 可愛らしい声が通路内に響いた。


「シゲマツ!?」


 空気が押しのけられて、大きな物体が高速移動したのを感じる。


「待て! 落ち着くんだシゲマツ!!」


 怪物の名前を命名した途端、背後にいたシゲマツが猛ダッシュでツチノコに突っ込みはじめたのである。

 シゲマツは目にも止まらぬ速さで、巨体を器用に使って一瞬で枯れ枝のような怪物へ肉薄した。


「きゅきゅぅん!」

「シゲマッーー」


 迂闊にも攻撃を仕掛けようとするシゲマツを制止する。

 フィジカル的にシゲマツが劣ることはまず無いだろうが、それでも未知の怪物である以上、慎重に行動しなければ何をされるかわかったもんじゃない。


 この世には発狂魔眼なんて、文字通り目じゃないような恐ろしい能力の存在だって確認されているのだから。


 ーーギュルル


 必死に思考する頭の中へ不可解な奇音が流れ込んできた。


「……は?」


 視界から入る情報の意味がよくわからない。

 ただ、ひとつわかるとすれば。

 理解の度合いを超えた出来事が起こった、という事だけ。


 5メートルを超えるでかウサギは高速で地下通路を駆け巡り、刹那の後にツチノコへ接近ーー。


 本来ならその肉体の質量の全てを乗せたタックルによって、小枝のようなツチノコは粉砕されるーー


「シゲ、マツ……?」

「き……ゅ、ゅ……ぅ……」


 弱々しい、もはや鳴き声とも取れない鳴き声が聞こえてくる。


 にわかには信じられないことだ。

 これは現実。

 眼前に躍り出たシゲマツがツチノコに触れた瞬間、

 巨大なウサギは一瞬でてしまったのは現実なんだ。


 超常の後、それはまるで水に浸した雑巾を絞ったかのようだった。

 5メートルを超える肉体から大量の血を噴出させ、指の間から水が染み出すが如く、押しつぶされた脂肪と筋肉がぐちゃぐちゃに通路内に飛散している。


 強靭な骨格すらも粉々に砕かれて、シゲマツは巨大な肉塊へと変えられてしまったのだ。


「ステ、ナイ、ステナイ」

「ぁ、ぁ、ぅ」


 血と肉と内容物によって赤色とりどりに装飾された通路から痩せこけた人間へ目を向ける。

 視線の先の生物は指先でつまむようにして「シゲマツだった物」を持ち上げていた。


「ステナイ、デ?」


 コイツ、やばい。


「″逃げてぇ!″」

「ッ!」


 傍らで切羽詰まった少女の声が聞こえて我に帰る。

 俺はすぐさま枯れ枝の男から距離を取るため、全身に剣気圧の強化を施した。


 そして、そのまま一気に離脱すべく踵を返しーー。


「ステナイデ?」

「ッ!?」


 振り返った瞬間、目の前にソイツは現れた。

 またしてもだ。

 全然、知覚することが出来なかった。


 まったくもってさっきと同じだ。


 ツチノコのその細くミイラのような指先を目にも留まらぬ速さで突き出して来てる事以外はーー。


「クッ!」


 首をひねって致死の指先をかろうじでかわす。

 コイツの指先は危険すぎる。


 何らかの能力を持っているのは確定。

 それもロクでもない即死攻撃だ。


 先ほどのシゲマツの犠牲が無ければその脅威の大きさを知ることは出来なかった。


「ツァッ!」


 謎の怪物にカウンターとして深く腰の入った全力の「精研突き」をぶち当てる。


 ーーバゴォンッ!


 拳撃の衝撃波によって押し出された空気が、地下通路を駆け抜け遺跡の壁にヒビを入れる。


 完璧に鳩尾みぞおちを捉えた。

 人型である以上、人体の構造的に急所は変わらないはず。

 悪いが、今の俺の拳は枯れ木のような体格の人間が耐えられる程やわじゃない。


「ステ、ナイ、デ」

「あ……」


 ーーギュルル


 あまりにも不快な奇音が綻びる遺跡に響き渡る。


「どぅ、あァ……ア、ぁぁアア!」


 怪物へ打ち込んだ右拳がーーいや、右腕一本丸々持っていかれた。


「クソぉ! ぁ、ぐぅ!」

「ステ、ナイ、デ」


 強烈な痛み。

 ぐちゃぐちゃに破壊された傷口から焼けつくす刺激が全身に広がって気力がガリガリ削られる。


 昔、俺が小学生だった頃に雑巾絞りという技があった。

 友達の前腕を掴んで雑巾を絞る要領で思っ切り捻る技だ。

 もちろん痛みもその結果の程度には大きな違いがあるが、威力の伝わり方があの時の感覚に似ていた。


 地面を蹴ってツチノコから距離を取る。

 すぐには追ってこないようだ。


「″アーカムぅ、無理だよ、逃げないとだよッッ!?″」


 銀髪少女が頭だけ出して涙目で訴えかけてくる。


「引っ込んでろ」


 飛び出したアーカムの頭を体に押し戻す。

 今は彼女に構っている余裕は無い。


「ステナイ、デ」


 ツチノコは枯れ木の体を仰け反らせた奇怪な体勢を維持したまま歩き出した。

 ゆっくりと散歩でもしようかと言うほどの呑気な足取りだ。


「指だけじゃねぇ、体に触れたらダメか」


 自身に言い聞かせるようにして情報を整理する。


 これまでの観察からこの怪物は肉体に触れた箇所から対象を雑巾のように絞って、致命的なダメージを与える能力を待っていると思われる。


 怪物の能力は接触時間が極端に短くても発動可能。

 その証拠に一瞬の接触で右手指先から右肩までグシャグシャにぶっ壊された。


「ス、テナイ、デッ」

「ッ!」


 怪物が遺跡の床を爆発させて踏み切り、一瞬で距離を詰めてくる。


「可愛がってやるよッ!」


 まだ生きている左手ですぐさまラビッテの杖を抜き打ち。魔法で迎え撃つ。


 ーーハグルッ


「ステッ!?」


 枯れ枝の怪物は元来た道を戻って数メートル吹っ飛んでいった。

 熟練度の上がった今の俺の≪喪神そうしん≫にはレンガくらいならヒビを入れられる物理的な威力もある。


 人間台のサイズなら魔法の命中させて衝撃で吹っ飛ばすくらいはお手の物だ。


「眠ってくれる、かな?」


 倒れ伏す怪物から視線を離さない。


「ダメか」

「ステ、ナイ、デ……」


 怪物はむくりと起き上がり、何事もなかったかのように立ち上がった。


 最善は今の一撃で気絶してもらう事ーー。

 だったが、失神の効果が働かないのなら仕方ない。


 予想していた事だし別に絶望する程の事じゃない。

 ただ、次を考えるだけだ。


 魔法に吹っ飛ばされた位置で立ち上がった怪物は骨と皮だけの足で、人知を超えた超高速で動き出す。

 そして遺跡内の壁や床、天井が爆ぜさせながら立体的な動きで迫って来た。


「キィエエェ」

「くぅ!」


 怪物の振り抜かれる拳を前髪を持っていかれながら回避する。

 即死能力が無くても単純にワンパンされそうな強烈なパンチだ。


 見た目の割にかなりフィジカルも強い。

 筋肉の密度が人間とは桁違いなのか。


「フルァ!」


 枯れ木男から放たれる乱雑な高速のラッシュを身をひねってかわしていく。

 回避しながら、死んだ右肩を前に出して左腕を高速で打ち出し全力で


 相手に当てる気のないこの寸止めの様なパンチには名前があるーーレザー流拳術「空的拳打くうてきけんだ」だ。


「ギィ、ェェ!?」


 拳から空気を伝って放たれた衝撃は、怪物の胸部をえぐり風穴を開けた。


「空的拳打」は斬撃飛ばしを拳で行う技だ。


 斬撃飛ばしが剣に纏った鎧圧を飛ばすのに対し、こちらの「空的拳打」は拳に纏った鎧圧をそのまま打ち出す技である。


 この技ならば触れてはいけない怪物相手にも十分な効果を得られるはず。

 そしてーー。


「精研突きでふっと飛ばないのに、空的拳打で飛ぶか。なるほど。お前の能力わかってきたぞ」

「ステ、ナイ、ナイ、デェ……ッ」


 段々とこの怪物の能力が判明し出して安心感を得る。

 そうして倒れ伏す怪物から目を離さずに、ポーチからポーション小瓶を取り出して、ねじれて使い物にならない右肩へぶっかけておく。気休めの処置だがやらないよりはマシなはずだ。


 ーージュゥゥウ


 この怪物の能力はおよそ個人で発動できるものではないと俺は推測を打ち立てていた。


「お前の能力は自身への衝撃を接触した対象へ捻って返す、とかか?」


 声に出して語りかけるように怪物に聞く。


 だいたいこんな所で合ってるはずだ。

 シゲマツの質量タックルに微動だにしなかったのはきっと全ての衝撃を接触と同時に返されたから。


 俺の拳に対して何のリアクションも示さなかったのも、おそらく同様の能力に違いない。

 さらに言えば≪喪神そうしん≫であっけなく吹き飛んだのもそうだ。


 でなければシゲマツの質量に耐えられて気絶魔法のノックバックに耐えられない説明がつかない。


 こいつの能力は自身への物理攻撃をしてくれる相手がいなければ成立しないに違いない。

 ゆえに、遠隔攻撃を仕掛ければ安全に立ち回る事ができるはすだ。


「って思ったけど、見た目通りの紙耐久力だな。拳打一撃で十分だったか」

「キ、ェ、エ……」


 胸部に穴を開けて内容物を垂れ流す怪物へ油断なく歩み寄る。

 元から明らかに骨と皮しかなく、耐久力無さそうな見た目だった。


「ビビらせやがって。仕組みがわかれば大した能力じゃねぇな。ただの初見殺しだ」


 横たわった怪物の傍に佇み、右手を開いたら閉じたりして、かろうじて動くようにはなった右腕に満足する。

 吸血鬼の超再生能力は受け継がなかったが、回復ポーションを使えば常人より遥かに回復量が多い、という特典はしっかり受け継いでいる。

 通常じゃ治らない傷もポーション掛けておけば6割くらいはオッケーだ。

 常識レベルで考えたら便利な回復力である。


 若干の違和感は残りつつも動くようになった右手で手刀をつくり、怪物ツチノコの首に狙いを定める。


「フラァ!」


 ーーシパァ


 レザー流拳術「空剣からけん

 斬撃飛ばしや「空的拳打」と同様の理論で放たれる手刀版斬撃飛ばしだ。切断力は刀剣類のそれに大きく劣るが刃こぼれを気にせず使える便利な刃物だ。


「ス、テ……ナ……ィ……」

「骨は拾ってやる。しっかり協会に連れて行ってもらって調べてもらうんだぞ」


 空虚な瞳から血の涙を流す怪物へ引導を渡し終えた。


 この怪物には高速再生能力の類は無さそうなので、首と胴体を切り離して仕舞えば、そこでおしまいだ。

 怪物の核となる場合の多い心臓も、穴が空いているため壊れているだろう。


「まぁ油断はしてやらないけど」


 切り離された首から大量に出血する怪物を見やる。

 怪物は人間の予想を超えてくるから怪物なんだ。


 首を切り離したくらいで油断なんてしてやらない。

 これはアヴォンの教えだ。


 ーー数分後。


「″もう、流石に死んだんじゃ......″」

「…………そうだな、よし。討伐完了」


 怪物の傍に数分立ち尽くした。

 ずっと目線を外さずに見ていた。

 だが、やはり動き出す気配が無い。

 アーカムの言う通りこれは死んだ、流石に。


 安心して出てきたアーカムの頭を撫でる。


「″はぁ〜! よかったぁあ! 最初は本当にどうなるかと思ったぁ″」

「確かにな。かなり危険な怪物だった事は間違いない」


 シゲマツの犠牲のお陰で接触に対して敏感になれた。

 もし俺が単騎で、何の情報もなしに戦っていたら間違いなく全身絞られて、内臓を撒き散らしながら殺されていた事だろう。


「ごめんな、シゲマツ、お前はこの怪物の存在をいち早く知らせようとしてくれてたんだな」

「″シゲマツ……安らかにおやすみ……″」


 地下通路の中央に堂々と置かれた肉塊へ目をやる。


 シゲマツはきっとこの脅威を察知して地下通路へやって来たんだ。

 普段は優しい穏やかな白ウサギ。

 そんなシゲマツは怯えながらも勇敢に戦ったのだ。

 シゲマツはただ殺されたのではない。

 奴がいたから今の俺があるんだ。


「″どうするの?″」

「そうだな……とりあえずは、アビゲイルにこの事を報告しよう。怪物が出てきてしまった以上レトレシアより先に『上層ギルド』に何とかしてもらう」


 アヴォンに教えられた「都市内での怪物関連の厄介ごとは、全部ギルドへ丸投げしろ」という教えを思い出す。

 怪物なんていう脅威が現れたのだから、本来なら早急に公に情報公開してみんなで対策をした方がいいと思うだろう。


 だが、それではいけない。

 それでは怪物の情報からかならずアーカム・アルドレアという存在に辿り着いてしまう。

 工作員として正体を隠す必要がある以上、単騎で聖獣を瞬殺した怪物を倒した事実は隠した方がいい。


 現場はギルドエージェントたちに引き継いでもらうことにしよう。

 ギルドには情報隠蔽のプロ集団がいるのだから。


「ん? あれ、あの『怪物』の死体どこ行った?」

「″え、あそこにあったじゃ、あれれ……″」


 今後の身の振り方に頭を働かせていると、素っ頓狂な声が出てしまった。

 特に意識したわけもなく、怪物の倒れていた場所に視線を戻そうとした時、そこにはもう怪物の姿が無かったからだーー。


 ーーグチャぐちゃぐちゃ

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