第39話 少年よ、魔術師になれ

 


 温かい暖炉の前で小さめの柴犬ソファに腰掛け魔法の教科書をペラペラめくっていく。


 傍には読破予定の本が積み重なって置いてある。

 どの本もすべて読んだことのあるものばかりだ。

 ただ、それももう何年も前の話。


 魔法の詠唱文などはだいたい覚えているが、

 それでもこの5年間で抜け落ちてしまった知識の量は計り知れない。

 だから、俺は今日も知識の再収集に努めるのだ。


「トル、ネル、ェナ、ヴェヌ、タ、サァハーー」


 詠唱を暗記したり、魔術言語を復習したり、魔法陣の作成法則を読み直したり……。


 が、もちろんそれだけではない。

 かつての俺とは違うのだ。


「ふふ、さてと♪」


 俺は読んでいた本をパタッと閉じて、傍の読み終わった本群へとまたひとつ積み重ねる。

 そして「火属性式魔術 入門編」書かれた本を手に取りと犬ソファから腰を上げた。


「行こうか、シヴァ」

「わふわふッ!」


 特に理由もなくシヴァを引き連れて、アルドレア邸の雪積もる庭へといざ舞い降りる。


「にぃにぃー!」

「にぃにぃ!!

「おっ、来たなー!」


 背後から元気な声が聞こえてきた。


「エラ、アレク、走っちゃダメだぞ」

「はーいっ! にぃにぃ!」

「はーい!」


 快活なにぃにぃコールは元気な双子ちゃんたちの証だ。


「にぃにぃ! またおべんきょうしてる!」

「にぃにぃ! まほうみせて!」


 にぃにぃ! にぃにぃ! だって。


 まったく本当に可愛いやつらだ。

 元の世界にも弟がいたが、これほど可愛くはなかった。


 そうだ……あいつは決して俺のことをこんな「にぃにぃ!」なんて呼びはしなかったっけな。

 誰が天カスだよ。

 クソ生意気な弟だったぜ。


凛練りんね……どうしてんだろなぁ……」

「にぃにぃ? どうしたの?」

「にぃにぃ!」

「ううん、なんでもないよ。さーて! にぃにぃが魔法の……深淵のなんたるかを教えてやろう!」

「わふわふっ!」

「わぁい! にぃにぃかっこいい!」

「わーい!」


 ここ数日の間に始まった、俺の魔法練習の風景をエラもアレクは毎日欠かさず見学してくれる。


 お昼過ぎになるとシヴァと一緒に、兄弟揃って庭へ降りるのがここ最近のルーティーンとなっているのだ。


「よし、じゃシヴァより前に出ちゃダメだからな」

「うん! わかったー!」

「はい! わかりました!」

「わふわふっ!」


 双子はシヴァを横たえて、その上に2人とも両膝をついてうつ伏せに乗り上げた。


 俺は先ほど持ってきた魔術書を開き中身をチラ見。

 そして本を窓辺に置き杖を抜く。


 若干赤らんだ味わい深い木目のある杖だ。


吸血鬼の嫁クォータブラッド」ーー両親の結婚祝いにアディの血硝石けっしょうせきを用いて作られたエヴァの杖だ。


 杖を貸りる時にエヴァに魔法が使えるようになったと伝えたところ、泣き崩れてしまったくらい俺の魔術師デビューを喜んでくれた。


 現在、俺が魔法勉強に打ち込んでいる理由は、魔法が使えるようになった事が嬉しいのもあるが……もう1つの理由として、やはりエヴァの事を裏切りたくはないという気持ちのウェイトも大きい。


 こっそり師匠に会いたい気持ちはもちろんある。

 今後のこと、俺は狩人候補クビの可能性、本当に魔法使えるようになりましたとかとか……いろいろ話したい気持ちだってある。


 だが、それはエヴァを裏切る行為に該当する。

 そうならないよう今日まで自宅謹慎していたのだ。


 もう少し、もう少し、ゆっくり時間をかけて物事を進めていこうと思う。

 エヴァとも師匠とも上手く付き合っていきたい。


 まぁ実はこの後出かける予定があるので、中立ポジションも今日までなのだがーー。


「すぅーはぁー」


 魔法の発動に大切なのはとにかくイメージだ。


 この数日間の実践練習で、魔法の発動においてイメージがどれほど大切なのかを嫌というとほど思い知った。


 俺に言わせれば、魔法とは100パーセント……は言い過ぎだから80パーセントくらいはイメージによって決まるものだと言っても良い。


「よし、いいぞ」


 使う魔法はとりあえず≪≫を選択だ。


≫の魔法を発動するにはいくつか方法がある。

「エル、オル、ドゥ、ダ、ター」の魔術言語での詠唱か「源の力 生命いのちの温もり 我らの発展の起源を今、具象化ぐしょうかせん」とエーデル語での詠唱、あるいは暗唱、もしくは合わせて短縮詠唱を行う方法だ。


 俺は魔術言語を使えるのでとりあえず魔術言語での詠唱を練習している。


 後々練習する二式や三式の魔法はエーデル語だと物によってとても長い詠唱をしなくちゃいけないので、将来を見据えて魔術言語での詠唱を練習してるのだ。


 ただ……まぁ、実際にはどちらの言語でも暗唱が出来てしまえば変わりはないので、魔法を使うだけなら魔術言語はぶっちゃけ必要は無いと思う。


 ただね、諸君。

 魔術言語を使える奴って少ないってうわさだし、珍しいことやった方がカッコ良いだろう。


 俺は少数派になりたいのだ。


「あーあー、ゔっゔんん! よし、エル、オル、ドゥ、ダ、ター……≪≫!」


 魔術言語で魔力の流れを誘導。

 最後に発動トリガーを発音することによって誘導され形作られた魔力を「現象」へと変換していく。


 ーーボワッ


 杖先に100円ライター程の火が灯った。


「あぁ! あひ、あひひ! イィぞ、素晴らしい!」


 あぁ俺が2年間追い求めた生命の息吹よ。

 杖先の火の熱に嬉しすぎて涙が出てくる。


「よし、よし、ここで魔力を追加してとッ!」


 ちょっとした裏技。

 魔力が「現象」へと変わる時、魔術式通りに誘導された魔力の量を一気に増加させてみる。


 するとどうなるかーー。


 ーーホワァァァ


 杖先から視界いっぱいに炎が広がるのだ。


「カッコいいっ!」

「うわぁぁ! すごーい!」

「はぁーはっはっはァア!」


 魔力をたくさん注げば、それだけ威力が増加する。

 とても単純で簡単な話であろう。


 今のは杖先に一瞬灯った火種に魔力を大量に流し込むことによって、火種という可愛いものから数メートル先まで届く火炎放射へ変化させた事によって可能になる芸当。

 この俺にかかればこの程度造作もないことよ。


 ーーホワァァァ


「うん、よし、とりあえずこんなもんで」


 火炎放射への魔力供給をブチッと区切り「現象」を霧散させて魔法を終わらせる。


 本当はこのあり余る魔力量にものを言わせて何時間でも魔法の練習しまくりたいところだが……そうはしない。


 何故練習しないのか?

 理由は単純、不毛だからだ。


 一体何が不毛なのかって?

 それは詠唱しても「現象」を起こせないから。


 違うか、現象を起こせないだと少し語弊があるかもしれない。

 俺は魔法が使えるようにはなった。

 魔力も腐るほどにたくさんある。

 ただ魔法のセンスがゼロなのは変わらなかった。


 俺は単純に魔法が下手くそなのである。

 溢れる魔法知識を動員しても俺が習得できた魔法は先ほどの≪≫……だけだ。


 それも魔術式を満たすのに全詠唱を行なってようやく発動できるという非常に程度の低い領域のお話。


 俺は年齢の割には魔術に関しての知識は豊富だという自負を持っている。


 一式の魔法なら基本4大属性全てのエーデル語に翻訳されている魔法を魔術言語での詠唱で暗記しているし、二式もほとんどの魔法の詠唱は暗記している。


 だがね、出せないんだよ。悲しいことに。


 詠唱を全部読み上げれば、とりあえず誰でも使えると言われている魔法でさえ俺は使えない。


 本当に嫌になってしまう。

 せっかく魔法の感覚が目覚めたというのに、

 結局、俺には元からゴミみたいな魔法センスしかなかったのかと少し前まで絶望をしていたくらいだ。


 だってそうだろう?


 せっかく魔術師になれたと思っても、使える魔法は初歩の初歩ーーどんな人間でも扱える≪≫の魔法のだけなんだなんて……そんなの恥ずかしくて魔術師を名乗れないじゃないか。


 それに俺は実際には8日間しか勉強してないのではなく2年と8日間も勉強しているのだ。


 さらにこれまで剣を振っていた時でも、未練たらしくちょこちょこ魔術の本を読んでいたので実際はもっと勉強してるだろう。


 2年かけて使えた魔法が≪≫だけだなんて、普通なら首を吊るレベルで才能が無い。


 でも俺は諦めないのさ。


 なぜなら魔術師としてカスな俺には、たった1つだけ魔術師として「レアなんじゃね?」と思えることがあったからだ。


 魔力量の話ではない。

 俺には実はもう1つーーまぁ実際2つだがーー使える魔法があるのだ。


 俺が≪≫以外で使える魔法。


 その魔法の名は……まだ無い。


 別にカッコつける意味で言ってるのではなく、本当に無名の魔法なのである。

 エヴァやアディに確認したから間違いない。


 2人とも俺の無名魔法を見てめちゃ驚いていた。

 特にエヴァはすごく嬉しそうに驚いてくれた。


 なんか接待プレイされてるくらい驚かれた。

 不思議に思うだろう。


 なぜこんなカス魔術師が名前もない魔法を唱えることができるだと。


 答えを教えよう。


「よっしゃ行くぜッ!」


 ボール投げの要領で肩上から空へ杖を振る。


 ーーハグロォ


 ブサイクな音をたててが杖の先から森の中へ高速で飛んでいき……消えていった。


「にぃにぃカッコいい!」

「うぉー! すごーい!」


 森の奥を見据え、困惑気味な声が出る。

 というか事実俺は困惑している。


 この謎に飛び出した魔法こそが俺の使えるもう1つの魔法ーー名前はまだ無い。


 ある日≪≫魔法以外にろくに魔法が使えないことに気がついた時、ヤケクソ気味に杖を振ったところ、この謎の魔法が使えることを知った。


 それがこの無名魔法との出会いだ。

 故になんの魔法なのかも分からない。


 無意識……というわけじゃないが感覚的に出しているので詠唱も魔術言語の式もわからない。


 魔術大学を出ているエヴァによれば、この魔法は魔力属性の魔法に分類でき、対象を気絶させたり、眠らせたりする、意識を奪う系統の効果があるという事が分かっている。


 アディに撃ちまくって試したからたぶん効果自体は間違いない。


「はっ!」


 ーーハグロォ


「すごーい!」

「わぁあ!」

「わふわふっ!」

「うん、やっぱ間違いないかも」


 この数日間、何度も撃ってきた無名魔法だが恐らく俺がこの魔法を最初に使ったのは遥か昔だ。


 1歳の誕生日の時に、魔法があった。


 この無名魔法を撃つ感覚は、あの時の魔力の流れに似ている気がする。

 魔法の見た目も半透明で認識しにくい点なんてまるっきり同じである。


 きっと無名魔法と1歳の誕生日で偶発的に発動してしまった魔法は同一のものだ。

 あの時も、たしか杖をスナップさせたら魔法が勝手に出てしまったんだ。


 となると俺は1歳の時点で魔法を使えたことになる。

 しかし実際はこの7年間、魔法という魔法を一切使うことが出来なかった。


 なぜ、今更になって再び使えるようになったんだ?


「にぃにぃっ!」

「にぃにぃー!」

「んー? なんだー?」


 寝転んでいるエラとアレクへ視線を落とす。


「だっこしてー!」

「だっこだっこ!」

「あー飽きちゃったかぁー」


 兄弟たちは俺の魔法鑑賞は好きだが、同時に飽きるのも早い。


 そのためしばらく魔法の発動を見た後は決まって遊んでくれとねだってくるのだ。


 魔法の練習がしたい俺はこうしたことを少々面倒に感じるのと同時に、可愛いうちの双子と遊んであげることを楽しめている。


 もちろんエラとアレクだけだ。

 他のちびっこは言うこと聞かないし話が通じなし、そもそも可愛くないからダメだ。


「よいしょー!」

「わー!」

「にぃにぃ! ちからもちー!」


 2人同時に抱えてくるくると回る。


「はっはは! どうだー!」

「わぁぁ!」

「たかいー!」

「わふわふっ!」


 2人とも満足してくれているようで何よりだ。


 回転する俺の周りをシヴァもぐるぐると興奮して駆け回って遊んでいる。

 みんなパッピーな気持ちになっているようである。


「はは!」

「わぁー!」

「ははは!」

「わふわふ!」


 こちらの目が回って来た。

 転びそうになりながら2人を降ろす。


「あぶねぇ……」

「にぃにぃもう1回!」

「ぇ、はや。ちょっと休憩な」


 降ろしたばかりだと言うのにアレクはすぐに、もう1回やらせようしてくる。


 なかなかにぃにぃに厳しい弟だ。

 お仕置きにアレクの頭を優しく撫でる刑に処そう。


 アレクは気持ちよさそうにして、柔らかい銀髪を自由に触らせてくれる。

 されるがままになっているのがたまらなく可愛い。


「にぃにぃ! わたしも!」

「あぁいいぞ」

「んふふ!」


 もう一方の空いている手でエラのきめ細かい銀髪を撫でる。

 素晴らしい。

 両手の平に幸せが収まっているのがわかる。


「よーしよしよし!」

「きゃはは!」

「はははっ! ふは!」


 兄弟たちの微笑ましい時間を満喫した。


 ー


 時刻は正午過ぎ。


「わふわふっ!」


 柔らかな雪の上に大きめな肉球で足跡を残し、タクシーシヴァはロールベルズ二番地へ到着した。


 特に貧しいでもなく金持ちでもない平凡で特徴のない住宅街……すごく懐かしいような気がする。


 これといった特徴のない通りを眺める。

 ゲンゼとサティと別れる際「明日も絶対来るよ」的な事を言ったんだったな。


 なぜだろうか。もう家に帰りたくなって来た。

 2人に会うのがすごく憂鬱だ。


「うぅ……許してくれるかな」

「わふわふ!」


 シヴァは視線で「許してくれるんじゃね?」と言ってくれているが実際のほどは怪しいものだ。


「本当かなぁ、ゲンゼは優しいからいいとして、絶対サティあたり怒ると思うんだよなぁ……『この天才魔術師たる私のことを忘れるなんていい度胸じゃないっ!? あんたなんて≪風打ふうだ≫撃ち放題のサンドバックにしかならないのに生意気よ!』ってな」

「わふわふ!」

「はは、シヴァもそう思うか。『許して欲しければ、その畜生に芸でもさせて私をたのしませなさい!』とか。へへ、どうだシヴァ、似てるかな?」

「そうかそうか、ちょっとクオリティ高すぎたかぁ」


 絶対言うな、間違いない。

 サティは自分が天才であることを謙遜するタイプではないからな。


「本当に帰ろっかなぁ……どうする、シヴァ。今なら天才魔術師に怒られずに済むぞ?」


 ちなみにシヴァと普通に会話しているが、これは何年も一緒にいるからこそ出来る芸当である。

 普通の人間にはマネできないので注意してほしい。


「わふぅぅ、くぅーん」

「ん? どうしたシヴァ?」


 シヴァが怯えているような気がする。

 一体どうしたんだろうか?

 シヴァがこんなことになるなんて異常事態だ。


「様子が変だな、やっぱ帰るか。シヴァも調子が優れないならーー」

「ちょっとちょっと! 何帰ろうとしてんのよ! この! ていっ!」

「あ痛ッ!?」


 唐突に怒気を含んだ声が聞こえたかと思うと、脳天を叩かれた。痛ぇ……。


 この声間違いない、奴だ。

 恐る恐る、後ろを振り返る。


「そーと……」

「ふん!」

「ヒィッ!」


 視界に入るのは焦げ茶色のキリッとした瞳。

 そしてポニテールを振り乱す活発そうな女子だ。


「……久しぶりだな、サティ」

「えぇ! もう本当久しぶりよ! アーク!」


 不遜なる天才サテライン・エルトレットのご降臨だ。

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