第21話 ゴキブリと吸血鬼

 


 アディは本当で吸血鬼きゅうけつきだった。

 その事実だけはとりあえず確実なものとして扱って良さそうだ。


「アーク、本当にすまない。お父さんが吸血鬼の血を引いている以上、お前にも確実に吸血鬼の血が流れている」

「ほうほう」

「ショックを受ける気持ちは十分に理解できる。お父さんを許してくれとはいわない! 殴りたいなら好きなだけ殴ってくれてもかまわない!

 ぁ、でも……ただ、あんますごい力で殴られると痛いから……程々にしてくれると助かるっていうか、いや別に殴ってくれてもいいけどね! これからの生活のこと考えると、お父さんいないと困るだろ? な? だからごめんなさい! 顔だけは勘弁してください!」


 アディが急に謝罪を始めたと思ったら、いつの間にか命乞いを始めていた。

 な…何を言ってるかわからねーと思うが、俺も何をされたわからなかった。


「とりあえずショックとか、許す許さないとか置いておいて、どういうことか説明してもらえませんか?」

「あれ? あんまショック受けてない感じか?」

「ええ、全く」

「……本当に?」

「本当にです」


 アディは訝しげな表情で見上げるように視線を送ってくる……可愛こぶってるのだろうか?

 自分の父親に上目遣いされたところで、ただぶち殺したくなるだけなのでやめてほしい。


「……アーク」

「なんですか?」

「あのさ……」

「はい」

「……怒ってる?」

「怒こりましょうか?」


 アディの訳の分からない態度に逆にキレそうだ。

 話が見えないったらありゃしない。


「本当になんともないのか?」

「はい、だからなんでもないですよ。怒ってもないし、ショックも受けてないです。どちらかっていうと父さんの今の態度の方が憤りを覚えます」

「そっかぁ〜! よかったぁ!」

「……はぁこりゃダメだ。狂ってやがる」


 アディが俺になじられて露骨に安心した顔をする。この時点で親子の縁を切ろうか迷うところ。だが、さらにアディは全身から力を抜いてイスにもたれかかると、液体になってとろけていきそうな程の脱力した。


「そっかぁ。そっかぉ! ならよかったぁ!」


 アディは嬉しそうにしているが、それよりはやくどういうことなのか教えていただきたい。

 吸血鬼の子供だと何なのか、何で隠していたのか、師匠はなぜ知っていたのか。


 聞きたいことは山積みだ。

 多分この質問量ならイナ◯物置ものおきでも耐えられない。


「父さん、さぁ早く話してーー」

「ちょっと! 何騒いでるのよ! エラとアレクが起きちゃうでしょ!」


 家族で一番騒がしいエヴァがドタバタ音を立てて階段を降りてきた。

 だが、その勢いも液体化するアディを見てしゅんと鎮静化されたようだ。


「うわぁ……な、何があったの?」


 エヴァがこちらを見て状況説明を求めてくる。


「僕にもさっぱりわかりません」

「よかたよかったぁ〜!」


 イスでとろけているアディを見て、エヴァと俺はそろって首をかしげた。


 しばらくしてアディを殴って正気に戻した後、エヴァには何があったのかを事細かにアディの口から説明させた。

 アディは嬉しそうに、時折残念そうに情緒の不安定さを発揮しながら身振り手振り語った。


「ーーっというわけです、エヴァさんや」

「ははーん、ついに、ねっ!」


 事の経緯を聞き終えたエヴァは嬉しそうに、アディの顔を覗き込んでいる。


「ふふ! ついにアークに全部知られちゃったってわけかー! おとぉーさん!」


 ニヤニヤといやらしい笑みでアディのことを見つめるエヴァへ、アディは気の抜けた顔で肩をすくめて見せた。


「それで、父さんが吸血鬼って事は僕は半吸血鬼ってことでいいんですか? 母さんは人間ですよね?」

「ええ、私は人間よ」

「ああ、お母さんは人間だ。それと父さんも吸血鬼とは言ったが……どちらかというと人間の血のほうがずっと濃い。だから半吸血鬼で違いないんだが……ほぼほぼ人間といっていいだろう」

「んぅ?」


 父さんは吸血鬼なのに人間の血が濃いとはどういうことだろうか。


「あ、もしかして父さんも半吸血鬼なんですか?」


「便宜上はそうなるが……実際はさらにその半分だ。父さんの吸血鬼成分は父方の祖父、つまりおじいちゃんから来ている。彼は純粋な吸血鬼だった。だから俺は4分の1吸血鬼の血が入った、半吸血鬼ということなる」

「ぇ……じゃあ、僕は父さんのそのまた半分で……8分の1ってことですか?」

「そうなるな」


 いやいや、薄っすッ!?

 全然「半吸血鬼」じゃねぇ!

 これ吸血鬼要素ほとんど残ってないだろ!


「もう人間じゃないですか。そんな薄いんじゃ半吸血鬼プランドに使えないですよ。それ本当に半吸血鬼っていえるんですか?」

「ふふ、やっぱりアークも言ってるわ。私も全く同じように思ってたのよ。別に秘密にしなくてもいいんじゃないかって」


 エヴァはくすりと笑い俺の頭をナデナデしながらそう言った。


「そういうわけにはいかないよ……この事だけはね」


 アディはとても真面目な顔で呟く。

 その表情にはもはや先ほどの喜色はなかった。

 あるのはただ静かな男の覚悟のみ。

 話さなかった理由が何かあるのだと流石の俺にも察することができる。


「お母さん、今回は仕方なく話したが、エラやアレックスにはやっぱり話さない方向でいこうと思う」

「うーん、アークだけに言って双子ちゃんだけ言わないの?」

「あぁ特徴が現れてないのなら、知る必要はないよ。吸血鬼との血縁なんて事実がどうであれ無い方がいいに決まってる」


 アディは神妙な表情でエヴァの手の上に厚い手のひらを重ねた。

 当たり前のことだが、俺が半吸血鬼であれば同じ親を持つ兄弟の双子の妹と弟も半吸血鬼なのだ。


 吸血鬼が恐ろしい存在なのはなんとなく想像がつくが、どうしてアディはこれほどまでに自分の子供たちにその血の継承を秘密にしたがるんだろうか?


 吸血鬼が人間の敵として認知されているのはもちろん知っている。

 きっと吸血鬼の血を引く事で、発生する他人とのトラブルを無くそうとかいう考えなのだろうが、それなら本人たちも知っておいた方が対応しやすいんじゃないのだろうか?

 疑問に思い俺はアディへ尋ねることにした。


「どうして、そんな吸血鬼のことを秘密にしたがるんです?」

「アークはいまいちピンとこないかもしれないが、吸血鬼というものは人間にとっての先天的な天敵なんだ。人間は本能的に吸血鬼に対して強烈な嫌悪感を抱いてしまうんだよ。それがたとえ自分自身だとしてもな……。中には気にしない奴もいるが、人間の社会じゃ吸血鬼の血を引く者なんて、無条件で虐待、抹殺対象だ。だからみんな隠れるし、隠す」

「私は特に気にならないタイプの人間だったから、別にアディやアークの事をなんとも思わないわよ? あ! もちろん愛してはいるけどね!」

「ふむ……」


 アディの言い草を聞いていると、まるで吸血鬼である事はそれ自体が呪いであるかのように思えてくる。


 自分自身がある日、吸血鬼の血を引く者と分かると、途端に自分のことが怖くなって、恐ろしくなってどうしようもなくなるんだとか。


 それは本能が吸血鬼に拒絶反応を起こしているため仕方のないことらしい。


 例えるなら、人間がゴキブリに対して抱く嫌悪感に似ているだろうか?


 ゴキブリを好きなやつなんて基本的にはいないとされているが、たまに大丈夫な奴がいるみたいな感じだ。


 アディが安心していたのは、俺がそのゴキブリを全然触れるタイプの人間……つまり吸血鬼に本能的な嫌悪感を抱かないタイプの人間だったからなんだろう。


 アディが苦悩して隠していたのも理解できるというものだ。


 自分の子供がゴキブリを触れるタイプかどうかなんて調べようがない。

 もしゴキブリがダメなタイプの人間で、自分自身がゴキブリの仲間だったなんて知ってしまった日には……もうそれこそ自殺ものだ。


 本来交わるはずのない種が時を経て交わったことによって生まれた生物的欠陥、それと上手く付き合って行く事が本来半吸血鬼として生きていくという事なのかもしれないな。

 まぁ俺は吸血鬼免疫があったわけだが。


「……父さんって苦労してますね」

「わかってくれるか、アーク」


 俺はアディと力強く抱き合い背中を叩き合った。


 これからは家族であると同時に人間の社会でお互いに、吸血鬼の血縁者である事を隠して生きる仲間だ。

 ある意味今回の出来事のおかげでアディとの絆が深まったと言えるかもしれない。


「アーク、賢いお前ならもう気づいているかもしれないが、もしお前に吸血鬼の血が入っていることを周りに知られたら……きっと周りの人間のお前を見る目が変わる。本人達にその意思がなくても、本能的にお前という存在を避けてしまうんだ」

「はい、わかっています」


 俺はこれから8分の1だけ吸血鬼の血が入っている事を知られないように生きろということだな。

 秘密を抱える主人公みたいでちょっとカッコいいじゃないか、へへ。


「まだ、お前は子供だ。人々に避けられることの恐ろしさがわからないのも無理はない。ただ、俺は知ってるんだ。お前にあんな思いはして欲しくない、だから……上手くやるんだぞ?」

「はい! 任せてください!」


 アディの言葉の重みを噛み締め決意を固める。


「それとな、もう一つ伝えておかなくちゃいけない事がある。本当に厄介なのことは人々から避けられることじゃないって事だ」

「デメリット編、まだ他にも何かあるんですか?」

「あぁ、本当に申し訳ないがまだあるんだ」


 謝り冗談めかした風に語るアディはひとつ息を整えると、わずかに前かがみになり姿勢を低くした。

 顔から血の気が引き、具合が悪そうにさえ見える。


「いきなりどうしたんですか……?」


 あまりの出来事に驚きを隠せない。

 よく見ると、アディの指先が小刻みに震えているのに気がついた。明らかな異常。

 エヴァへ視線を向ければ、なんとも言えない悲痛そうな顔でただアディを見つめている。


 俺は事態を悟り、黙って耳を傾け、聴く姿勢をつくり、アディが言葉を続けるのを待つことにした。


「アーク、いいかよく覚えておけよ。吸血鬼にとって本当に恐ろしいものは『狩人かりうど』なんだ」

「……狩人、ですか」


 俺は顎をぽりぽり書きながら記憶の棚を引っ掻き回した。どこかで聞いたことのある単語だ。

 昔何かの本でそんな言葉が出てきたような気もするが、果たしてなんだったか......。

 あまり鮮明には覚えていないが、たしか吸血鬼から世界を守る秘密結社って感じだったか?

 いや……別に吸血鬼限定じゃなかったか?

 記憶が曖昧だ。


「もし狩人に自分が吸血鬼だとバレたら、まず命はない。彼らは吸血鬼を滅ぼすことのできる強力な存在たちだ。お前は8分の1しか入っていないし、吸血鬼の特徴もあまりは発現していないが、それでも彼らは決して容赦しない。俺だって殺されかけたことがある」

「ぅぅ、なんてこった……」


 狩人とは相当やばい連中のようだ。


 俺の覚えている限り、吸血鬼というのは「怪物」という人類が決して届かない厄災と考えられるくらい、恐ろしい存在ーーと昔読んだ本に書いてあった気がする。


 ではその厄災たる吸血鬼を殺すことのできる「狩人」とはいかほどのものか。


 恐ろしく強いのは間違いないだろう。


 転生の女神からなんの祝福も受けられず、そんなやばい奴ら狙われているなんて、相変わらず俺はずいぶんハードモードな転生をしてしまったものだな。

 もっと前世で徳を積んでおくべきだったか。トホホ。


「でも……秘密結社に狙われてる、か。ちょっとカッコいい、かな?」


 命を狙われる運命ってのに、ちょっとワクワクしてる自分が能天気すぎてマジで嫌いになりそうだ。


「あれ、でも父さん……」


 命ないとか言ってたけど、アディって普通に生きてね?

 もしや逆に倒したとかだろうか?

 それだったら凄いカッコいいのだが。


 俺は悪気もなんもなくアディへ尋ねる。


「死にかけたってことは、逆に父さん狩人にぶっ飛ばしたんですか?」

「ッ! コラコラ! そんな物騒なこというんじゃない! どこかで聞かれてたらどうすんだ!」


 アディはキョロキョロと辺りを見渡しながら、口に指を立てて大慌てで静かにするようジェスチャーを送ってくる。凄まじい焦りようだ。


「俺は見逃してもらったんだ」


 アディはかすれ声でそう言い、ひどく怯えた様子で、まだ窓や玄関のほうを確認している。

 そんなどこにでもいるような存在でもないだろうに。


「へぇ、なんだ、優しい狩人さんもいるんですね。でっきり血も涙もない暗殺ーー」

「優しい狩人なんていないわよ」

「へ?」


 差し込まれる冷たい声。


「アーク。彼らはクズなの。吸血鬼がみんな悪い奴だって決め付けて、女でも子供でも根絶やしにするような最低のゴミクズ野郎どもなのよ、自分たちが力を持っているからって人の命を裁く権利を持ってると勘違いしてる、自惚れクソカス野郎どもなのよ!」

「ぇ、ぁ、そう、なん、すね……」


 エヴァは押しとどめていた怨嗟えんさを、吐き出すようにとめどなく狩人の悪態をつき始めた。


 勢いに押されてイスから転げ落ちそうになる。

 エヴァにとって狩人とは、よほど憎い存在らしい。

 ただ、なんでこんなに憎んでるのかわからない。

 エヴァは人間だろうに。


「こらこらッ! エヴァ! やめろ! 彼らはやってくださったんだ! 俺も納得してる!」


 すかさずアディはエヴァの言葉を止めに入る。

 狩人の悪口を阻止しようと必死なようだ。

 慌てっぷりがちょっと面白い。


「あ、あの……どういうことです?」


 恐る恐る聞いてみる。


 今のアディとエヴァの大声に本能で、怯えているらしく体が震えてしまっている。

 精神は24歳でも、両親の怒鳴り声というのはいくつになっても恐ろしいものなのだ。

 こわやこわや……。


「ぷるぷる」

「あーごめんな、アーク。実は俺の親父や祖父は狩人に滅ぼされてるんだ。だけど彼らは控えめに言ってもクズだったからーー」

「だからって、今まで1人も人間を殺してないアディをあのジジイは殺そうとしたのよ!」

「ヒィィッ!」


 エヴァは俺に向かってすごい剣幕で怒鳴ってくる。


 だから怖いって!

 何で俺にどなるんだよ!

 そのジジイ、俺と関係ねぇから!


「それなのに今度はアークを疑うなんて! あのクソハゲ老害ジジイ! さっさとくたばらないかしら!」

「こらこら! あの人は別にハゲではないだろ!」

「…….ん?」


 エヴァの怒りの対象が俺と関係の人物?

 あ、なんか誰のこと言ってんのかわかってしまったかもしれない。


 エヴァの怒っている対象がジジイであること。

 そしてかつてのその人物に向けていた態度。

 てか、俺の異世界での知り合いが少な過ぎる事実。


 総合して考えればその条件に当てはまる、とある人物が浮かび上がってくるのは当然のこと。


「あの、そのじいさんって……」

「アークはまだ言ってなかったな。俺を見逃してくれた狩人っていうのは実はテニールさんなんだ」

「……でしょうね」


 おい、師匠あんたかよ。

 予想通りの人物ですぎるわ。

 大したリアクションは出来なかったよ、もう。


 ん、待てよ、それよりやばくね? ぇ、やばくね?

 これ、やばくね? やばくね?


 あれ? ってことは、命狙われてるの、師匠に?

 嘘だろ? まじで、頼むから。嘘って言ってよ。


 人間不信になるよ?

 たぶん今俺、絶望的な顔してるわ。


「大丈夫だって、アーク! そんな顔するな! あの人は、優しいおじいちゃん狩人なんだ。俺だって、四肢を切り落とされて殺されそうになったけど、心臓までは破壊されなかった! 話したらわかってくれた!」

「え、切り落とされたんですか?」

「そうよ! あのジジイはね、アディと私を一瞬でぼろ雑巾みたいにして! いやらしい顔で体を舐め回すように見る最低な奴なのよ! あの時、あのまま放っておいたら、私に卑劣なことをしたに違いないわ!」


 父親の衝撃発言に戦慄しながらも、エヴァのヒステリックな主張も無視できない。

 どうやら、うちの両親はかつて2人で師匠と戦ったらしい……そして、一瞬でぼろ雑巾にされたと。


「あの破廉恥ハゲジジイ! 私にあんなガルぅぅぅ!」

「こら、エヴァ! ハゲてないだろ! 根も葉もない悪口はよせって!」

「わふわふっ!」


 居間はもはやカオスな状況だ。

 ほら、もうシヴァまで興奮しだしたし。


「よしよし」

「わふぅぅ」


 エヴァとアディが騒がしい中、デカ犬だけは鎮めておく。

 両親の話を聞いていると、どうもエヴァはアディを殺されかけた事よりも、自身が軽くあしらわれたことを根に持っているように思える。


 相当、ぼろ雑巾にされたことが悔しかったんだろうか。

 アディとの言い合いの激しさは苛烈さを増し、ついにはエヴァがペチペチアディの頭を叩き出した。

 アディは若干嬉しそうにしながら俺の方へ向き直り告げ口気味に口を開く。


「アーク、お母さんの言うことを聞いちゃダメだぞ? 魔術大学なんか出るとプライドがこんな風に高くなっちゃうんだ」

「アディ! レトレシアは今関係ないでしょ!」

「いいや、あるね。君はなんにでも魔術大学を卒業した話を持ち出してくるじゃないか」

「してないわよ! 適当言ってると酷いんだから!」


 加速するエヴァの癇癪に荒ぶる犬を抑えつける。


「よしよし、鎮まれ〜鎮まれ〜」

「わふぅ、わふわふ」


 いつの間にか夫婦喧嘩に発展してるが、まぁこの際そのことは置いておこう。どうにかなるんだ。


 それにしても自分を殺そうとした相手を許せるなんてアディはえらく肝要な心を持っている。

 それとも見逃してくれた師匠が優しいのだろうか。


 もう少し話を聞きたかったが、会話の流れが完全にそれてしまってカオスな状況になっている手前……ここからの話題転換は難しそうだ。

 残りは、また別の日だな。


 俺が思考を巡らせている間も、エヴァとアディのは終わらない。


「大体俺だって二式の火属性ならほとんど唱えられます〜」

「それで自慢のつもり? どうせエーデル語だけでしょ! それに火属性式なんて一番簡単なんだから使えてあたりまえよ! 誰でも唱えることはできるわ!」


 火属性一式魔術の≪≫すら唱えられない俺にダメージ入るから、その話題やめてください。


「アークは唱えられないだろう! 自分ができるからってみんなできると思うなよ!」

「アークはこれから才能が開花するのよ! このエセヴァンパイア!」


 おい、アディ、てめぇは俺を怒らせた。

 あとで裏きな。


「わふわふ」


 シヴァを撫でくり回しながら、心の中に黒いものが溜まっていく。

 ふむふむ……アディはエーデル語に翻訳された火属性二式魔術を全部「詠唱」できるのか。

 ということはやはりエヴァもアディも魔法に関してかなり優秀な両親ということになる。

 それなのに、2人の息子である俺は……。


「わふわふっ!」

「……シヴァ」


 シヴァが俺の手のひらに鼻ドリルをしてくる。

 何かメッセージがあるとは思えないがきっと元気づけようとしてくれているんだろう。


「はは、可愛い奴め」

「わふわふっ!」


 ここで落ち込んでいては4年前と同じだ。

 前を向き切り替えていこうじゃないか。


 それに、人知れず思い悩む息子を置いて、はクライマックスを迎えているようだし。


「結局、アディは私のことが好きなんでしょ?」

「いいや、もう愛想尽かしたね、こんな強情な女だなんて」


 どういう会話からここまで発展したのかとても気になるところだが、ぶり返しても面倒そうなのでこのまま見守る。


「って、言って好きなんでしょ?」

「……嫌いだね」

「あっそ、じゃ離婚しましょう。アークもエラもアレックスも私が連れて行くから。さようなら」

「え、え、ちょ、離婚……?」

「アークいくわよ、アディにお別れを言ってちょうだい。愛がない夫なんかと一緒にーー」

「ごめん、ごめん、ごめん、ごめんなさい! 大好きだよー! 世界で一番好き、ちゅき、ちゅき、愛してる、ぺろぺろ愛してるよ! エヴァほど可愛い嫁はいないです!」


 エヴァの頬に顔をこすりつけアディが甘えだした。

 満更でもないエヴァがどうでもいい演技をやめて惚気出す。


「もううちのだーりんは頑固さんなんだから! 私も大好きよ! 愛してるわ、アディ!」

「くぅーん」


 抱きしめ合い、おでこ同士を擦りつけあって、キスするかしないかを楽しんでいる。


 初々しい恋愛を楽しんでるなぁ……うちの両親。

 もう3人も子供がいるというのにね。


 心が若く輝いていやがる。

 というか、なんやねん、この出来レースは。


 シヴァがイスに座る俺のひざの上に頭を乗せてきた。


「わふっわふっ」


 甘ったるいものを見て胃もたれでも起こしてるんだろう。


「シヴァ、俺もだよ」


 全く、仲が良すぎるのも困りものである。


 ー


 翌日。


 今日のアディは仕事が休みらしくのんびり朝食を食べていた。


 しかし、俺に休みはない。


 正確には毎日休みなのだが、自分で忙しくしていると言った方が良いかもしれない。


 俺は異世界に転生してから勤勉の使徒なったのだ。

 今日も元気にテニールハウスへ向かおうと靴紐を結びはじめて……俺は気がついた。


「今日から休みじゃねーか」


 そう、今日からしばらくは師匠との稽古は休みとなるのだった。


「いけね、いけね」


 今までも、定期的に休みはあった。


 基本的には師匠の用事や、師匠の趣味のゲートボール大会が近くなると、コンディションを調整するために臨時の休暇がやってくるのだ。


 なんでも師匠はかつて、ゲートボールのローレシア代表コリンピック選手だったこともあるらしい。


 話が逸れた。


 この休暇は不定期に訪れるもので、今まではせいぜい1週間かそこいらだったのだが、今回は数ヶ月と随分長く休暇を貰ってしまった。


 つまり、しばらくは自己鍛錬のメニューを考えなければいけない。


「って言ってもなぁ」


 正直、なにをすれば良いかわからない。

 今までつきっきりで診てもらっていたのだ。

 とりあえず、靴を脱いで居間に戻ることにする。


「ん? アーク、今日は行かなくていいのか?」


 居間でティーを片手に、ソファに座るアディが話しかけてきた。


「えぇ今日からら3ヶ月ほど稽古は休みだって言われたんですよ」


 イスに座り、俺もティーを飲むことにする。


「そうかぁ、長いな。3ヶ月もなぁ……」


 アディは何か考えるように天を仰いだ。


「まったくですよね。いきなり3ヶ月休みなんて言われても何すれば良いのやら」


 師匠も気まぐれな人だから困る。


 いきなり休暇にするんじゃなくて、「3ヶ月の間これに励みなさい」ってものを用意してくれてもいいのに。


 ティーをすすりながら窓から庭を見つめる。

 さて、なにをしたものか。


 暇ができたし、町に繰り出してもいいな。

 ガキどもでもイジメに行くか?

 いや、これはやめておいた方が良いな。

 悪い噂が立ってしまう。


「うーん」


 何をするか迷っていると、ふとアディが思いついたような顔こちらに向けてきた。

 何か良い案が浮かんだのかもしれない。


「アーク、ちょっと組手くみてしてみないか?」


「組手ですか。興味深い」


 前触れのない挑戦状。

 どうやら我が父は俺にボコされたいらしい。

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