第33話 お泊り会
「ここ、ですか?」
私はホテルのような外観と雰囲気のある高層マンションを見上げながら、驚きの声を上げた。伊礼さんは、大したことはないという風に変わらず普通の態度だった。
「そうそう。さぁ、ついてきて」
彼女の後ろについて中に入ってみるとマンションとは思えない、ホテルにあるようなフロントがあって、そこを通り抜けて私達はエレベーターに乗り込んだ。ちょっと凄すぎて、しばらく慣れるまで時間が掛かりそうだ。まだ落ち着けそうにない。
「なんというか、凄いですね」
「凄く見える? まぁでも生活するだけじゃなくて、仕事部屋としても使っている所だから家賃を経費で落とせるんだよね」
私は素直な感想を伝えるが伊礼さんは自慢する様子もなくて、やっぱり普通な態度だった。そして、少し引っかかりを感じる言葉が聞こえた。
「仕事部屋ですか?」
「あれ? 言ってなかったっけ、アタシ漫画家をしているの」
突然の告白に一瞬、時が止まったような気がした。
「え、そうだったんですか!? 凄いじゃないですか」
まだ知らなかった衝撃の事実を聞いて、マンションを見上げた先ほどよりも大きなビックリが待っていた。漫画家をしている人に初めて出会った。色々あって驚きすぎた私は言葉を失っている間にエレベータが目的の階に到着していた。
「ほら、この部屋。部屋の半分は作業場として使ってる」
「あ、本当だ」
家の中に入れてもらう。入ってすぐ横の部屋にはテーブルが並べてあって、道具が乱雑に置かれていた。テレビか何かで見たことがあるような漫画家という感じのある部屋があった。
「今は連載とかしていないからアシスタントの人も雇ってないの。だから、部屋も広々と使える」
「へぇ、そうなんですね」
確かに、部屋は広々としているのに何だか冷たい印象を受ける。誰も使っていないからだろうか。こんなに広いのに使っていないなんて、もったいないな。
「あ、VRデバイスもありますね」
「これで、リフゼロをプレイしているわ」
一部屋をまるまる独占してVR用の装置が置かれている。ここで彼女はリフゼロをプレイしているのかと知った。その後、リビングに案内してもらってから私達は一息ついた。
「ちょっと時間は早いけど、出前でも取ろうか」
「え? 出前を頼むんですか?」
「ダメ?」
お昼に外食してきたので、できれば夕食には手料理を食べておきたいなと思った。そこで、あるアイデアをひらめいた。
「それなら、私が料理を作ってもいいですか?」
「え? 料理出来るの?」
「ママに教えてもらって、少しなら出来ますよ」
家主の伊礼さんに了解を得てから、キッチンの中をチェックしていった。冷蔵庫にはビールとおつまみ、栄養ドリンクと糖分を摂取できるお菓子ぐらいしか入っていなかった。食材は当然のように無い。
幸いにもフライパンと鍋等の調理器具は置いてあった。ほとんど使った形跡がないみたいだ。普段から料理をしていない事がハッキリと判明した。コレは伊礼さんに、なんとしても健康に良さそうな料理を食べてもらわないと。
「食材の買い出しに行きましょう」
「たしか近くにスーパーがあるから、そこに」
普段からスーパーにも買い物に行かないらしい伊礼さん。曖昧な記憶を頼りに案内してもらったお店へ、2人で一緒に買い物に行く。
伊礼さんに苦手な食べ物、アレルギーがないかを注意しながら手早く食材を選んで買い物カゴに放り込んでいく。
「じゃあ、カレーにしましょうか」
「カレー大好き!」
女性二人分だと食材が余るかもしれない、と思ったけれど昼間の伊礼さんの食欲から考えると大丈夫かな。カレーが好きって言っているので、ちょっと多めに作ってみても大丈夫かも。頭の中で予定を組み立てながら買い物を済ませる。
「じゃあ、支払いはアタシが」
「ダメです伊礼さん。さすがに食材の料金は払わせて下さい」
ここの支払いも請け負おうとする伊礼さんに、今度は私は折れなかった。今日一日の遊ぶお金を支払ってもらったので、少しでも恩を返すためにと思って支払いは断固として私がする。
「わかった。それじゃあ、お願いね」
払ってもらってばかりの一日だったが、ようやく今日初めて支払うことが出来た。一日の金額を考えれば私のほうが圧倒的に奢ってもらっているけれど。貰ってばかりではなく、少しでも恩返しになるように。
買い物を終えて、家に帰ってきて調理を始める。
「多分、45分ぐらいで出来るので伊礼さんは休んでいて下さい」
「何か手伝えることは無い?」
「えっと、そうですね」
休んでいてもらおうと思っていたけれど、手伝ってくれると言われたのでせっかくだから何かやってもらって一緒に料理するのが良いかもと考え直す。キッチンが広いので、二人が並んでも一緒に何かできるスペースが有るから。
「じゃあ、野菜切るのを手伝って下さい」
「わかった」
2人で楽しく料理をする。今日のメニューはカレーとサラダ。普段料理をしないと言っていた伊礼さんは、意外と慣れた手付きで野菜を切る手伝いをしてくれた。
「いやいや。私なんか比べ物にならないくらい、志穗ちゃんは上手いじゃない」
「家事だけは出来るようにって、ママに教えてもらっているんです」
家事だけは出来るようにと、母親から色々と教わっていた。誰かに披露する予定は無さそうだと思っていたが、学んでおいてよかったと思った。
先に肉に火を通して、野菜を炒めてから水を加えて煮込む。ルゥを投入してから、カレーを更に煮込んで、成まで少し待つ。その間にサラダを調味料で味付けしてから綺麗に盛り付けておいた。
部屋の中にカレーのスパイシーな香りが漂う。食欲が促進される匂いだ。伊礼さんのお腹から、ぐぅぅと鳴る音が聞こえた。
「いい匂いがしてきたなぁ」
「もう少しで完成ですよ」
ちょうど狙ったタイミングでご飯も炊きあがったので、ご飯とカレーを盛り付けて夕食の出来上がり。ダイニングにあるテーブルの上に料理を運んで並べる。テーブルを挟んで私達は向かい合って座る。
「いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
手を合わせて、いただきますと言ってから食事を始める。出来上がったカレーを、スプーンですくって食べる。うん、上出来だった。サラダもシャキシャキとしていて美味しい。
向かいに座って食べている伊礼さんは感想を聞くまでもなくスプーンを止めることもなく、黙々と美味しそうに食べてくれていた。
「おかわり」
「はい、どうぞ」
あっという間にカレーを一皿、食べてしまった伊礼さん。ちょっと量を多めに作っておいて正解だったな。
「サラダも、ちゃんと食べて下さいね」
「う、うん。タベルヨ……」
伊礼さんは野菜を食べるのが苦手そうだったが、普段から野菜が不足していそうなので積極的に食べてもらうために厳しく言う。私が食べてと言うと、ちゃんと食べてくれたので安心だ。
「ごちそうさま。あぁ、美味しかった」
「お粗末様です」
伊礼さんは、カレー二皿とサラダを完食してくれた。嘘偽りのない本心からの称賛だと分かって嬉しく思った。家族以外に振る舞うのは初めての手料理。喜んでくれてよかった。
「後片付けは任せて」
「いや、大丈夫ですよ。お皿は一緒に洗いましょう」
伊礼さんがテーブルから立ち上がってキッチンにお皿を運ぶ。私も一緒に立ち上がって、同じように食べ終わった後のお皿を運んだ。
甘えると、いつまでも甘やかされてしまいそう。だから少し強引に出来る事はやるという気持ちで、伊礼さんに対しては強めに対応したほうが良さそうだと私は今回で学んだ。
食事が終わってから一緒に夕食の後片付けも済ませた。ゆったりとした時間が流れる。会話したり一緒にテレビゲームを楽しんだり、伊礼さんが描いているという漫画も見せてもらったりした。
驚いたことに、見せてもらった作品は私もよく知っている漫画だった。というか、伊礼さんの作品はアニメ化もされた事のある、有名な漫画家だったので更に驚いた。
そんなこんながありながら、時間が過ぎていった。時刻も遅くなってきた頃、自然な感じで伊礼さんは口にした。
「そろそろ、お風呂入ろっか」
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