第3話 落胆
「はあっ……はあっ!」
逃げる。全力疾走だ。ちらりと見ただけだが校舎の見取り図も確認できた。
今いる位置と場所は分かる。
ちらりと後ろに目を見やる。
『……』
のそりのそりと、彼女がこちらに迫ってきているのが見えた。
その動きは一見のろまに見える。
しかし。
『……ポ』
彼女が一歩前に進むだけで俺との距離を半分ほど縮められた。
そして二歩進むと更に半分。
更に進むと──。
「……ッ」
気づけば、すぐそこまで彼女が迫ってきている。
不味い。ただ逃げているだけでは捕まる。
クソッ! 思わずそう吐き捨てたくなるがグッとそれをこらえる。
アレが誰なのかは皆目見当もつかないが……少なくとも俺に取って不都合な存在であることは確かだ。
ならばこのままただ捕まっていいものか? 彼女が俺を捕まえた後、俺をどうするのか。現状いい未来が待っているとは全く思えなかった。
なら──。
「……やるしかねえっ!」
俺だって『魔法召喚師』の卵だ。
使える魔法は戦闘に向かない固有魔法と屋内での使用を厳罰化されてる火系統の魔法のみだが……ここはやらねば命に係わるッ!
全身に魔力を回し、叫ぶ。
「──【世界に晒せ】!」
魔法召喚術式。世界に魔法を呼び出す、極限まで簡略化された召喚術式。
俺の平均的な魔力量で召喚できる魔法で、かつ攻撃にも転用できる魔法は少ない。
だが選択肢が少ないという事はつまり、逡巡する事も無いという事だ。
召喚の準備が整った。その証拠とばかりに、指の先に小さな魔方陣が浮かんでいる。
意を決して振り向く。
『ポポポポポポポポポ』
恐るべきかな、彼女はもう俺に手が届く距離まで迫っていた。
『──』
彼女の動きは非常に遅く見えるが、実のところ俊敏で、素早い。
彼女はその長い腕をしならせ、恐るべき速度で打ち出してきた。
──だが。
俺は努めて冷静に指先を彼女へと向け。
「【レイズ】」
魔法を発動させる。
『──!?』
指の先から夥しい程の火炎が渦巻き、彼女を飲み込んだ。
彼女としても予想外の攻撃だったのか、驚くような声が彼女から零れ落ちた。
「……」
俺も予想外だった。
こんなに火がでるとは思わなかった。
レイズ。火系統攻撃魔法でも初級に位置する魔法。
初級と侮ることなかれ。意外と火力が有るので取扱注意と以前読んだ教本に書いてあったが……。
「火力強すぎだろッ!?」
やべぇよ。火遊びじゃ済まないレベルだよ。確かにこれは屋内で使っちゃだめだわ。そりゃ規制されるわ。
「……逃げよう」
俺は火だるまと化した彼女と廊下から目を背けるように回れ右をすると、そのまま駆けだした。
ごめんなさい。校舎燃やしてごめんなさい。
謝罪の念を籠めながら全力であの場から離れた。
◇
「……」
そして暫く走り、気付けば当初の目的であった職員室にたどり着いていた。
俺はちらりと壁にかかっていた時計に目を見やる。丁度五時になる前だ。
何が起こっているのかは分からないが……まだギリギリ五時前。今の職員室ならば先生が居る筈だ。
先生の帰宅時間はだいたい五時を回ってからだからな。パンフで見た。
そして運が良い事に、中からがさごそと音が聞こえる。誰かがいるのだ。
人がいる。その事実に生きようようとドアに手を掛けた所で……ぞわりとした気分を味わう。
「……ッ」
このドアにも、埃が被っていた。
「……」
嫌な予感がする。
そして最悪の予測だが……ここに人はいない気がする。
思えば、本来ここに居る先生たちは一流の『魔法召喚師』だ。
そして一流の『魔法召喚師』が、先ほどの攻撃魔法の魔力の流れを感じ取れない筈がない。すぐに現場に駆けつけている筈なのだ。
だと言うのに。
「……」
ドアが一切動いた形跡がない。どころか、職員室のドアにも埃が被っている。
先ほどまでは人の足音のように聞こえていた音が、ずるりずるりと何かを引きずるような音に変わっていく。
このドアは、開けてはいけない。
「……くそ」
俺は逃げ出すように駆けだした。淡い希望を抱いてしまっただけにダメージがデカい。
ああ、くそ。本当に最悪だ。本当に最悪の入学式だ。
◇
人生で攻撃魔法を使うのは初めてだ。攻撃魔法がこんなに危険なものだったとは思わなかった。
喧嘩好きの不良が、誰それにあれこれな攻撃魔法をぶっ放してやったという話はよく聞いたことが有る。
話を聞くだけだったその時は……人に魔法を向けるという行為が信じられなかった。人を殴った事もない俺には到底受け付ける事が出来ない話だった。
何せ拳ですらなく……魔法だ。一昔前であればそれこそ戦争の道具だ。
そう、戦争だ。
我らが王、ラインハルト様率いるシガ軍が、隣国であるギフ国の正規軍を『魔法召喚師』の部隊で県境にある山もろとも吹き飛ばしたことは記憶に新しい。
魔法は容易に人を殺しうる。故に人に向けて魔法を向けてはいけないのだ。それこそが、『魔法召喚師』が最初に学ぶべき重要な道徳なのである。
『ポポポポポポポポポポポポポポ』
まぁもっともそれは、人の範疇に収まる相手に対してという注釈がつくのだが。
「【レイズ】!」
結構燃やしたはずだし相当離れた筈だったというのに追いかけてくる彼女に向け、もう何度目とも知れない炎を叩きつける。
彼女は全身を更に黒く焦げさせながらも、こちらにそのどす黒いまなざしを向けるのをやめない。
なんだよこいつ何なんだよ。
俺は持ちうるすべての知識を総動員してこいつが何なのかを推察する。
しかし、思い浮かばない。
「……」
まさか……音に聞こえしモンスターという奴なのか?
ちらりと、グンマ国に多数生息すると言われる怪異の存在を思い浮かべる。
だがそれはあり得ない。まずグンマとシガの間にはギフ国とナガノ国が挟まれている。
グンマからモンスターが出て来たとして、どれだけ進めても精々ギフ辺りで討伐されるのがオチだ。
そうでなくても、奇跡的にシガまでたどり着いたとしてこの高校に侵入するのは難易度が非常に高い。
よってグンマからのモンスターではないと言えるだろう。
「ぐっ……【レイズ】」
大して魔力量のない俺には、初級魔法すら連発するのが難しい。
もうすでにヘロヘロだ。いつ魔力が底をついてもおかしくない。
『ポポポポポ』
だというのに彼女は元気そうだ。
ダメージそのものは食らってるみたいだが、まだまだ全然動きそう。
こいつが何なのかは──分からない。
いや、思い当たるものが全くないわけではない。
というか、この状況からして一つしかないと思っている。
だが、俺の予想が合っていればそれこそ絶望だ。
一体どうすれば……。
「っ、そうだ!」
俺は進路を変え、空中廊下の方へと進む。
『ポポポポポポポ……』
彼女もまた、その長い足でするするとこちらに向かって来る。
レイズを当てる事で多少の足止めは出来るが、本格的な足止めには至らない。
しかし。
「【世界に晒せ】」
ここならば足止めが出来る。
俺は残りの魔力を総動員させ、使える中で最高位の魔法を発動させる。すると今度は指先ではなく掌に魔方陣が浮かび上がった。それに伴い魔方陣のサイズも大きくなっている。
これが外れれば、俺は死ぬだろう。そんな確信と共に、俺は手を向ける。
「──【ブレイズ】!」
魔法が発動される。今までとは比べ物にならない程の火力が巻き起こり、彼女事空中廊下を燃やし尽くす。
『──!!』
今までとは比にならないレベルの炎に、彼女も驚愕の声を上げる。
ブレイズ。中級クラスの火炎魔法だ。
レイズよりも火力と範囲が強化されている。
「やったか!?」
空気が急激に熱されたことで蒸気が発生し、煙が立ち込める。
彼女がどうなったのかが分からない。
「……」
沈黙がこの場を支配する。
『ポポ……』
「……」
そして、その沈黙を破るように彼女の声が聞こえてきた。
そして煙が晴れると、全身を黒く焦がし、彼女が着ていた白いワンピースと麦わら帽子は既にぼろきれと化していた。
『ポポポポ……』
全然やってない。
服焦がしただけだわ。
なんなら無駄に怒らせたまでありそう。
「……話し合おう」
事ここに至って俺が出来ることはもうない。
交渉を試みる。
『ポポポ……?』
急に話しかけられたからか、彼女が首を傾げるようなポーズをとる。
「……確かに、俺と君の間には大きな壁がある」
『……?』
「そう……俺たちの間にはフジ山よりも大きく巨大な言語の違いという壁が存在する」
彼女、ポしか語彙がないからな。
まともな会話ができるとは思えない。
……だが。
「しかし、だからと言って話し合う事を放棄することはおろかじゃないか? 人類が発明した偉大なる言葉は、互いに分かり合うために作り出されたものだ。話せばわかる、理解しあえる。話し合おう。俺たちならそれが出来るはずだ」
『……』
……どうだッ!?
『愚かなりや……人間』
「!?」
!?
『私に……攻撃してきた分際で……甚だおこがましい……』
「……喋れたんすね」
『人の子の……言の葉なぞ……他愛もない……』
やべえよ。普通に語彙力あるよ。
じゃあ最初からそうしてくれよ。
そして俺の嫌な予測がさらに濃厚となる。
本当にマズイ。こいつが俺の思う通りの存在であれば、この距離で魔法の使えぬ俺など次の瞬間にも一ひねりだ。
「……そちらも俺に攻撃してきた気がしたが?」
『……人の子なぞ……玩具……戯れの道具に過ぎない……』
「……」
やばいな……何言ってるのかわかんねぇ……。
なんか、言葉は通じているんだが話は通じていない気がする。
『……おこがましい……おこがましい……玩具の分際で……おこがましい……』
腹の底から震えあがるようなしわがれたおぞましい声を延々とこぼしながら、彼女は焦げた体を揺らす。
言い分から考察するに……彼女は俺を本気で玩具だと思ってるようだ。
犬と遊ぼうとしたら噛みつかれた的な。そんな生やさしい感じはしないけど、彼女の言い分を俺なりに解釈するとそうなる。
「……見逃してくれたりとかは……」
『……』
いらだちを隠せない様子の彼女に、おずおずと聞いてみる。
すると彼女はぴたりと体の動きを止めると、ぐるんと頭を回してこちらに濁った黒目を向けた。
『ポポポポポ』
そして笑うように鳴き声をこぼすと、焼き焦げた髪の毛の向こうでにんまりと笑った。
彼女が笑った時、俺は初めて彼女の顔を見れた。
顔の上半分を占める巨大で黒く濁った目。そして意外と小ぶりな鼻に、耳の下まで裂けた口。
これを異形と言わずに何というだろうか。
「……」
『ポポポ…』
「……」
『ポ……ポポ?」
嘲笑うようにポポポ言い出すポポポ女に向けて、冷めた目線をやる。
……なんか……魔力量が少なそうな顔だな。
「……」
『……」
こいつ……肉体強化の固有魔法を持った魔法召喚師じゃないのか?
先ほど考えていた俺の最悪の予測が薄れていく。
『……恐ろしいのか……人の子よ……言ってみよ……』
なんか感想求められてるんだけど。
「……魔力量に乏しそうな特徴的なお顔ですね……」
一気に恐怖が薄れていく。思わず本音が出てしまったよ。
はぁー……。あんなに勿体ぶっておいてそれかよ。
びびって損した。
『……?』
どこか怪訝な表情を浮かべるポポポ女。
俺は今まで、彼女の力の秘訣は魔法だと思っていた。
いわゆる固有魔法だ。
固有魔法。
火系統魔法などの汎用魔法とは違い、個人個人が持つ特別でオンリーワンな魔法。
一切の魔法の才がない者であろうと皆持っているような魔法だ。
その種類は枚挙に暇がない。それこそ肉体強化であったり、体を変化させる魔法だって当然存在するだろう。
「……はぁ」
だから、彼女は潤沢な魔力を使い、強力な固有魔法を使い俺に襲い掛かってきたものだと思っていたのだが……。
「……」
やれやれとかぶりを振る。
とんだ見掛け倒しじゃないか。こいつの見た目だともう魔力も尽きるころだろう。今まで、その髪の向こうには恐ろしいほどの威圧感と膂力に直結した美形が広がっているものだと思っていた。
とんだ思い違いだったぜ。
『……』
ポポポ女も俺の予想外の反応に若干動揺しているようだった。
だが……よくよく思い返してみれば要所要所で休憩していたなこいつ。
「……」
そして人というのは不思議なもので、畏怖していた対象への恐怖が薄れると次に湧いてくるのは怒りなのだ。
怒り。
そう、俺は既にキレそうだった。
入学早々置き引きにあい。
素寒貧にされ。
不審者魔法召喚師に謎の気配はびこる校舎を走りまわされたという地獄のような事実に。
「このクズが……。何が玩具だ? ええ? お前……よくもまぁ俺に対してそんな口をきけたものだな? さっさと消えろ。ぶっ飛ばされんうちにな……」
俺は今までのしおらしい態度から一転。怒気を込めた言葉を吐き捨てる。
『……何を』
「おっと。消えろと言ってもお前はもう動けないがな……足元を見てみろ」
そう言って、顎でポポポ女に視線を促す。
促す先はポポポ女の足元だ。
『……!?』
足元が融解し、空中廊下が今にも崩れそうになっている。
当初の作戦では、ここから地面に落として時間稼ぎをするつもりだったのだが……魔力切れ寸前であろうこいつにはそれすら必要ない。
「お喋りに夢中で気づいてなかったようだなぁ〜マヌケめ……。……既に! お前の足場は崩壊寸前だぜ……? 一歩でも歩いてみろ。すぐに足場が崩れて地上まで真っ逆さまだ……」
『……きさ』
奴が言葉を発するが早いか、俺は一目散にその場から退散する。
「バーカ! バーカ! そこで惨めに一晩を過ごすんだなぁ〜! 最も! すぐに通報するから一晩待つまでもなく豚箱行きだが! 精々優秀なシガ県警の魔法を楽しむこった! がはは!」
可能な限りポポポ女を馬鹿にして、俺は黄昏時の校舎をかけて行った。
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