主人公、少しだけ胸の内を明かす 2
「――俺の言葉を信じられるというのなら、聞きたいことを聞いてみればいいさ」
そう言って彼はこちらから視線を外すと、空けた杯に自ら酒を注ぎ直して食事を再開した。
こちらの反応などどうでもいい、なんて、そう言っているかのような態度を見てしまうと少し苛立ってしまう自分もいたけれど。
その気持ちが自分の中にあったのは一瞬だけだった。
なぜならば、
……彼の言葉は、まぁいつも真っ当なことが多くて対応に困るったらないわね。
次の瞬間には、そんな言葉を思って出た吐息と一緒に、胸中の思いも外に出ていったからだ。
「…………」
彼の態度に苛立ちを覚えたのは、自分が軽く見られていると、そう感じてしまったせいだった。
――だって、私が一日中歩き回ってまでここに来る羽目になったのは、あんたのせいじゃない。
だと言うのに、原因である彼の態度がこちらを歓迎していないように見えれば、苦労をして辿り着いた身としては、かけた労力全てを否定されたようで気分も悪くなるというものだ。
……でも別に、彼がそれを強制したわけじゃない。
私はこの場に来ても来なくてもよかったのだ。
彼は朝の別れ際にこう言ったのだ。
――答えて欲しい疑問があるのなら来るといい、と。
そう言われてしまえば――彼の言うところの疑問というのが具体的に何についてのものであるのかはわからないものの――答えて欲しいことが山ほどある私としては、やっと訪れたその機会に飛びつく以外の選択肢はなかったわけだけれど。
彼からしてみれば、その言葉を信用して本当に来る可能性は低い、なんて考えていたのかもしれなかった。
自分が彼と同じ状況に居たのなら、きっとそう考えていたはずだった。
それは、よく考えればわかることだった。
――彼は、常に他人を騙しながら生きている。
今でこそ私は彼を彼として認識できているが、それは今この瞬間だけの話である。
彼がそう認識させているから分かるだけであって、ここから一歩でも外に出れば、再び誰かが彼であると判断することは難しいはずだった。
――そしてこれは、おそらく私に限った話ではない。
彼は、彼が関わる他人全てに対して同じようなことをしているはずだった。
そこに加えて、自分を自分と同定させていないという事実をこちら側に認識させているということは、彼の方から自らを信頼するべきではないと言っているに等しかった。
……そんな人間がこちらの問いかけに応じたとして。
仮にその口から出た答えが客観的に見て本当のことであったとしても、受け取る側がその言葉を信じることができるのだろうか。
……難しいでしょうね。
大半の人間はまともに受け取りはしないだろう。
よしんば、その答えが正しいかどうかは後で確かめればいいと考える人間が居たとしても、その場での判断ができずに保留されるようであれば、結局のところは変わらない。
だからこそ、彼は自らこう言ってくれているわけだ。
俺の言葉が信じられるのなら好きにしろ、と。
――そこまで考えたところで、思わず口から大きな溜息が漏れた。
つまり、これらの事実を前にして出せる結論が何かと言えば。
……意気込み見せてここに乗り込んできた私が、これ以上ないほど間抜けで場違いってそれだけの話だわ。
ホントにもうなんでここまで醜態を晒す羽目になるのかしらねーと思わなくもなかったけれど。
こればっかりは自業自得なので彼にあたるわけにもいかなかった。
自分で飲み込まなければならない事実だからだった。
しんどいしつらいけど仕方ないね。
……考え方を変えましょう。
状況を考えれば。
私が何かをしでかした時に、彼の言葉を根拠にしましたと言えば嘲笑された上で首が飛ぶ。
そのことはよおく理解できた。できました。
――だけどそれは、私が彼の言葉を信じるかどうか、とは別の話だ。
確かにまぁ、彼が普通に考えたら信用を得られないような方法でここまでやってきたことは事実だろう。
ただ、方法は別として結果だけを見れば――彼がやってきたことを近くで見続けていた私からすれば、彼が信頼できない人間だと思えないことも事実だった。
……だって、やってることはものすごくあまいじゃない。
確かに、彼を彼と同定させないように工夫をしているという事実を前にして、疑いの目を向けないのは難しいけれど。
――そもそも、そこを私が認識できている時点でおかしいのだ。
そこまで出来るのならその事実さえ認識させなくすることも可能なはずだろうに、それをしていない。
しない理由などないと言うのに、なぜそんなことになっているのか。
それはきっと単純な話なのだ。
……基本的にクソ真面目だもんねぇ、この人。
釣り合いが取れる状況を好む、という表現の方が正確なのかもしれないが。
相手が一方的に損をしないように、彼はかなり気を回している節があった。
誰かを負かす時でさえ、負かす相手がどこかに少しでも得を見出せる余地を残すあたりからして、その性分は筋金入りだと言っていいだろう。
その性分がここに現われているとすれば、どう解釈するのが適当なのだろうか。
……そこに彼なりの誠実さが見出せると思ってしまうのは、私もあまくなったということなのかな。
そう解釈する可能性があると考えて、彼があえてそう振舞っている可能性だって否定はできないけれど。
……もし本当にそうだった時は、私に見る目が無かったというだけの話でしかない。
少なくとも、彼が私を一方的に切り捨てて何かをする気は一切無いと、そう思えるだけの自信があればそれでいい。
――ああ、すっきりした。
結論が出れば、あとは行動に移すだけだった。
……彼の言葉を、私は信用できる。
次にどう動くかの指標にできると、そう判断できた。
そうなれば、あとは彼の言葉通りに行動するだけだった。
「それじゃあお言葉に甘えるとしましょうか。
聞きたいことは山ほどあるからいくらでも聞いてあげる。 覚悟なさい」
そして私が彼を見ながら、にやりと笑ってそう言うと。
「……ああ、そうかい。
そう判断したのなら、付き合えるだけ付き合うとしよう」
彼はこちらの言葉に一瞬だけ驚いたような表情を見せた後で、本当に楽しそうに見える小さな笑みを浮かべながらそう応じたのだった。
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