幕間:ある魔王の呻吟 2


 さぁやるぞとやる気を出したところで大きな音が聞こえてくれば、誰だって驚くものである。


 すわ何事か、と驚いて視線を書類から音源の方向、すなわち部屋の中央に視線を移すと、そこには今までなかったはずの人影が出来ていた。


 ――突如現われたその人影は、二人分あった。


 一方の人影が、ぐったりしているもう一方の人影の襟首を掴んで立っており――残念ながらと言うべきか、そのどちらにも見覚えがあった。


 人影のひとつは自分が各地に派遣している者の一人だった。


 彼は異世界からの来訪者について、その所在確認と周囲の状況を調査して報告する仕事を任せていた自分の部下であった。


 そしてもうひとつの人影は数少ない知り合いの一人であり。


 この世界においてただ一人、魔女と呼ばれ、あるいは名乗ることもある、すこぶるつきのトラブルメーカーだった。


 ――ちなみに諜報員がぐったりしている方で、彼の襟首を掴んで立っているのが彼女である。


 まぁ二人の実力差を考えれば、天地がひっくり返ろうともこの構図が逆転することは有り得ないので、驚くとすればそこではなかった。


 ――彼女がわざわざ自分の前に姿を見せたこと。


 それこそが驚くべきポイントだった。


 確かに彼女と自分は知り合いではあるが、親しい仲というわけではなかった。


 互いに互いのことを知っているし、それなりに付き合いもあるから決して敵同士ではないが、友人まではいかない、そういう関係だった。


 そして、基本的に彼女は誰かとつるむことを好まないようなので、用事が無ければ数十年単位で会うこともない場合が多いくらいだった。


 そんな彼女が自分が派遣した諜報員を捕まえて現れたということは――


「……何があったんだ?」


 覚えている限りの過去における彼女の言動と、襟首掴まれて気絶しているっぽい――あ、今放り投げられた――部下に任せていた仕事の内容、そして今まさに目の前にしている構図から考えればあり得る答えはひとつしかなかったのだが、そうでなければいいなという一抹の期待を込めて彼女に聞いてみた。


 すると。


「馬鹿なことを聞かないでくれない?

 見ればわかるでしょうが」


 彼女はお手本と言ってもいいくらいの見事な蔑みの表情でこちらを見やると、苛立っていることがはっきりとわかる声音でそう言いきった。


 ――すごい機嫌悪いんですけどこの人! 怖い!


「……なんでそんなに怒ってるんですか」


 彼女の語気に圧されてつい丁寧語で話しかけってしまったが、こちらの言葉を聞いて、彼女は更に機嫌が悪そうに目を細めてから口を開き、


「……せっかく人が穏便に済ませてやろうとしたところを、隙だと勘違いしたのか向かって来やがったのよそいつ」


 彼女の口から出てきた言葉に、思わず彼女の視線の先で転がっている部下を見てしまった。


 ……何やってんだこいつは! 馬鹿か!?


「お陰で、こうして直接出向くハメになったってわけ。ホント、散々よ」


 彼女は身の程知らずを殊の外嫌う性質だった。


 ……そりゃあ機嫌も悪くなるというものだ。


 それにしても、今の言葉で不思議に思ったことがあった。


「それでも殺さなかったなんて、あんたにしては珍しいな」


 疑問に思ったことを素直に言ってみると、彼女は不機嫌そうに舌打ちをしてからこう言った。


「それはあんたの部下でしょう?

 経緯の説明もなしに処分したら、話がこじれるし、そういうのが面倒事の種になることはわかりきってるからね。

 私は別に、あんたと敵対したいわけじゃないからさ」

「……本当にそう思ってるんだったら、もうちょっと訪問の仕方とか考えてくれると嬉しいなぁ俺」

「あはは。

 ――よく聞こえなかったから、もう一回同じこと言ってみ?」

「何にも言ってません、はい」


 ――目が笑ってない笑顔はなんでこんなに怖いんだろうね。


 彼女の笑顔を見てそう考えた後で、溜め息を吐いてから言う。


「まぁおふざけはこの辺にしておくとして。

 ――そろそろ、あんたがわざわざ出向いた理由を聞きたいんだがね」

「わかってるんでしょう?」

「言葉にしてもらうことが重要なんだよ」

「……相変わらず面倒な男ね」


 彼女はこちらの無言の視線に耐えられなかったのか、舌打ちを追加してから、そうぼやくように呟いた後で言葉を続けた。


「今回の勇者について、報告は受けているの?」

「……所在が確認できたところまでは」

「そう。じゃあ――私が止めなければ所在が確認できたところで終わっていたわね」


 彼女のその言葉を聞いて、やっぱりかと納得した。


 つまりそれは、自分の部下が勇者に手を出そうとしたところを彼女が止めたという予想が正しかったということであり、


「今回現れた彼の動向については、私も興味があって観察しているのよ。

 楽しくね。久しくなかったことだわ。だから――」


 彼女の言葉通り、本当に珍しいことに、彼女の琴線に触れる何かを今回の勇者は持ち合わせているということが確かめられたということでもあった。


 更に加えて言うならば、


「――余計な手出しをして楽しみを邪魔されては困るの。

 わかってもらえるかしら?」


 これから先、こちらの対応次第で彼女が敵に回る可能性があることも意味していた。


 ……もうホント、忙しくなってきた時に限って面倒事が積み重なるのは勘弁して欲しいんだけどなぁ。


 正直なところを言えば、彼女と敵対してしまう可能性のある行動は極力避けたいところではあった。


 ……なにせ彼女は、文字通りの意味で計り知れない化け物だ。


 その気になれば神や悪魔を含めた世界全てを敵に回しても勝てるとさえ言われ、実際にそれが嘘でも誇張でもないと誰もがわかるほどの実績があった。


 そんな相手を敵に回したいと思う人間は稀だろう。


 ――とは言え、こちらもこちらの思惑があって行動している。


「ああ、あんたの言い分を理解はした。

 こちらが出来る限り、最大限の配慮もしよう。

 ――でもな、こっちにはこっちの考えがあって動いているんだ。

 全ておまえの思い通りに動くわけにもいかないんだよ」


 そしてそうであれば、自分はこう言うしかなかった。


 たとえ彼女がどんなに強くとも、ここで引くわけにはいかない立場に居るのだから仕方がなかった。


「…………」


 こちらの言葉を聞いて彼女は不機嫌そうな表情を消したが――無表情になったかというとそうでもなく、自然な表情で、ただ観察するような視線だけを向けて来た。


 そのまま数秒、圧し負けないようにと内心で必死に自分を宥めながら過ごす非常に辛い時間が過ぎて。


「……そちらにも事情がある。当たり前のことよね。

 今回はその言葉を引き出せたところで、手打ちにしましょう。

 なかなか面白かったわ」


 彼女は自分の中で納得できる何かが得られたのか、そう呟くように言うと、吐息を吐き、こちらに背を向けて、


「ただ、ひとつだけ忠告をしておいてあげる」

「……何だ?」

「彼は今までとものが違うわよ。

 勇者の対処は慣れたものだと、あまり油断しないように注意しなさい」


 笑みを含んだ楽しそうな声音でそう言い残すと、次の瞬間にはその場から姿を消していた。


 ――彼女が立ち去った事実にほっと安堵して、自然と身体から力が抜ける。


 そうやって脱力する勢いに任せて天井を仰ぎ、目を閉じた。


「……あー、くっそ。相変わらず怖い人だよ、本当に」


 そうぼやくと、タイミング良くというかなんというか、室外がにわかに騒がしくなってきた。


 おそらく、今になってここに誰かが侵入した事実に気がついて、慌てている人間が多いのだろう。


 仮にもここは王様の居る部屋なのだから、侵入者が発生した時点で大問題だし、周囲のこの反応は正しいものだと言ってよかった。


 ……ちょっと遅いけどな。


 そう思って、思わず大きな溜め息が口から漏れた。


 ……まぁあの相手が魔女なら致し方なしか。


 そういうこともある。処罰をするつもりもない。


 ……そこに転がってるバカは別だけどな!


 ただでさえ忙しいというのに、とびきり厄介なネタを持って来てくれやがったものだと、うんざりする。


 しかし、抜き差しならない状況になって衝突不可避とわかる場合に比べれば、まだマシだったとも言えるのは確かだった。


 不幸中の幸いというやつだった。


 ……不幸には違いないので気休めだがな。


 わかった事実をまとめると――今回の勇者に関わろうとする場合は、彼女の興味が尽きるのが先か、こちらの対応が彼女の逆鱗に触れるのが先かを試すチキンレースになるということだった。


 ……さて、どうしたもんかね。


 先のことを考えれば不安しかないし、衝突必至なので対応方法については熟考しなければならないが。


 ……とりあえずは、目先の騒動を解決することから始めないとな。


 と、近づいてくる足音を聞いてそう判断してから、思考の方向を切り替えることにした。



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