11時間め:ベビードラゴンとイチゴのダンス

「マリアさん、ほら! あいつ、出てきましたよ!」

 隣でヨシュアが興奮気味に囁く。

 新しいベビードラゴンの住処の前。背の低い木の後ろに隠れながら、ベビードラゴンがイチゴを見つけるのを辛抱強く待っていた。

 洞穴から目をシパシパさせながら、とてとてと歩いてくる姿が愛らしい。

 少しはこの森に慣れたのか、泣き出す様子も今のところはない。

「少し寒そうね」

 パタパタとはばたかせている翼に満たない羽が、風が吹くたびにぶるりと震える。

「普段は、母親ドラゴンの温かい背中にいるんですもんね」

 パタリパタリと羽を動かしながら、空を見上げる、その姿にどこか哀愁が漂う。

「……マリアさん」

「なに?」

「あいつにいっぱい、イチゴ食べさせましょうね」

 眼帯のチューリップとともに、ヨシュアが真剣な表情でこちらを向く。

「たくさん食べさせると、お腹壊すわよ」

「……ほどほどに食べさせます」

 ヨシュアが、しょんぼりと握り締めたこぶしを下げる。その姿に笑っている間に、ベビードラゴンはイチゴを見つけたようだ。

 空に透かしたり、匂いを嗅いだり、指でつついてみたりと忙しい。

 とうとう、パクリと口に入れた。

「食べた!」

 まるまる1つ口の中に放り込む。

 顔を真っ赤にさせながら、小さな手に力を入れながら、イチゴを潰そうとしている。

「やっぱり、まだ固かったかしら?」

「ちょっと、マリアさん! 大丈夫ですか!? また、雷とかが落ちてきたら……」

 ビリビリビリと、ベビードラゴンの周囲に電気が走る。

「や、やばいですよ、マリアさん!」

 上から下というよりも、ベビードラゴンを中心に、その雷が放出されている。木々の枝の先が焦げ、地面の一部が黒く炭化する。

 イチゴを潰すことに夢中になっているベビードラゴンは、そのことに気づかない。

 力を入れるたびに、羽がパタパタと動く。歯のない顎の力で噛み潰そうと次第に力が入り、体が宙に浮き上がり、

「伏せて!」

 キシャアアア!

 ビリッと、一際大きな光がベビードラゴンから発せられる寸前。

 大きな鳴き声とともに、ピタリと雷が止まった。驚きに目を見開いたベビードラゴンの羽の動きが止まり、地面へと落下していく──。

 すんでのところで、アンデスがベビードラゴンの首根っこをくちばしで捕まえた。

「わ! アンデス!」

 追いかけられたのがトラウマになっているのか、ヨシュアがますます身を低くする。

 首根っこを掴まれたベビードラゴンは、目をパチクリさせながら、やがて、リュクリュークと笑い声をあげた。

 落としたイチゴをアンデスがくちばしで潰して、ベビードラゴンに渡す。

 果汁を舐めながら小さくなった果実を頬張り、ベビードラゴンはアンデスにもっともっとと言うように両手を上げた。

 首を振るアンデスは、あとは自分でやれ、とばかりに、辺りにあったイチゴを一つつかむと、飛び去っていってしまった。

 ベビードラゴンが、今度こそ本当にしょんぼりとした背中で、アンデスを見送る。

 その姿に、マリアも胸が痛くなる。母親も仲間もいないベビードラゴンは、この森でひとりだ。

「ちょっとだけ。ちょっとだけだから」

 そう言いつつ、マリアは簡単な浮遊魔法で、イチゴを浮かせると、ベビードラゴンの頭にコツンと落とした。

 俯いていたベビードラゴンが、辺りをきょろきょろと伺う。

「ほら、イチゴのダンスよ」

 頭を上げたベビードラゴンの前で、3つのイチゴが縦横無尽に跳んだり回ったり重なったりする。イチゴのヘタの緑の葉っぱが、動きに合わせて躍動する。

「リュークリューク!」

 一緒にジャンプするベビードラゴンは、楽しそうな声を上げながら、目を輝かせていた。

「元気、出たみたいですね」

 ヨシュアと一緒に笑い合う。



「それはマリアのせいじゃない」

 昨日の夜、マリアの過去について話すと、ジンはきっぱりとそう言った。

「そのクソジジイのせいだろ? 俺、探し出して殺してこようか?」

 相変わらず、マリアのことになると、発言が過激だ。

「ううん。いまさら、どこにいるかなんて知りたくないし」

 あの後、ルルと共に立ち去った後、マタギは二度と戻ってこなかった。

「昔は、探したこともあったんだけどね」

 研究所まで出向いたこともあったが、体よく追い返された。もう、生きていないとも思っていた。

 思わず俯くと、ジンがマリアの頭をよしよしと撫でてくれる。

「そんなことがあったから、コントラクターやってたんだな」

「今まで、話せなくてごめんね」

 ジンが首をふる。

「過去について話しにくいのはお互いさまだ。俺は、マリアとリリアがいればそれでいい」

 ふっとジンが忍び笑いを漏らす。

「なに?」

「いや、昔は手負いの猫みたいだったなって、思い出してな」

 モンスターが凶暴化するといえば調べに行き、人間を襲わない場所と聞けば、モンスターたちが食育されていないか観察した。

 そうやって、モンスターに詳しくなり、コントラクターとしても特異な存在になりつつあったころ、ジンに出会った。

「それは、もう忘れてよ!」

 羞恥に顔が赤くなる。人が信じられなくなりそうなときもあった。ジンに食ってかかっていた、あの頃を思い出す。

 ジンが首をふる。

「俺たちの出会いだ。忘れるわけないだろう」

 どこか楽しげだ。ジンは、ホットココアを飲み干すと、仕事着の準備をする。

「え、これから仕事?」

「このままだと、お前が気になって仕方ないだろう? 調べてくる」

 ヒメギリスがさらに高い声で鳴く。

「でも、もう遅いよ?」

「なに言ってるんだ」

 黒い仕事着に身を包んだジンは、さらに深紅のマントを羽織った。

「ファントム・シーフは眠らないんだよ」

 


 今朝起きた時には、ジンはベッドにいた。いつ帰ってきたのかはわからないが、朝はいつも通りに起きて、リリアを見ていてくれている。

 イチゴの件でご立腹だったリリアは、一晩寝て、朝思い出して泣いた後は、イチゴを食べて落ち着いた。リリアを泣き止ませたのもジンだ。

 何かわかったのだろうか。リリアの前では聞けず、いつもと同じようなジンの表情からは、何かをつかんだかどうかさえも読み取れなかった。

「マリアさん、あいつ、寝ちゃいましたよ」

 ヨシュアに肩をたたかれる。はっと正気づくと、ひとしきりイチゴと遊んだからか、ベビードラゴンがすやすやとお日様の当たる場所で眠っていた。

「まだ、赤ちゃんだから、寝る回数が多いのね」

「あんまり緊張感なくて、ハラハラしますけどね」

 ちょっと待ってて、とヨシュアに声をかけると、大量の落ち葉にステルスをかけた。そのまま、魔法で移動させてベビードラゴンの体の上に毛布のように載せる。

「即席のベッドですね」

「寝心地がいいか、保証できないけどね」

 ベビードラゴンが、もぞもぞと体を動かすと、そのまま落ち葉から這い出て、頭から突っ込みなおした。

 尻尾が振り子のようにゆっくりと揺れて、パタリと動かなくなった。

「〜〜!」

 その寝ぼけた仕草とキュルンとしたお尻のあまりの可愛らしさに、ヨシュアの肩をバシバシ叩いてしまう。

「みて、ヨシュア! あの尻尾と足! ヨシュア、絵描いて! あの姿、額に飾りたい!」

「マリアさん、落ち着いて! 絵なんて描いたら、マオ様たちにバレちゃいますよ!」

 そうとはわかっていても、この可愛らしさを全世界に広めたい。

「こんなの見たら、絶対傷つけられなくなるのに」

 凶暴さだけが独り歩きしているせいか、モンスターの普段の仕草を気にする者は少ない。

「確かに、モンスターのこういう姿を見ると、普通に俺たちと一緒だなって思います」

 食べたり、笑ったり、眠ったり。

「そういうふうに、みんなが思ってくれるといいんだけどね」

 ベビードラゴンがもう一度起きるまでは、残っていることにした。草食系モンスターたちに食べられる心配はないだろうが、昨日のようにベビードラゴン自身がパニックになってしまう可能性もある。

「ヨシュア、戻る?」

「まさか。ジンさんにひとりでは絶対に行かせないようにって、キツく言われてるんですから!」

 確かに昨日のようなことがあると、ひとりでは対応しきれない。

「でも、駐在のお仕事あるでしょう?」

「大丈夫ですよ。ガイ様も帰ってきましたしね」

 ガイはマオの右腕で副村長的な存在だ。ガード、つまりヨシュアと一緒に村の治安を守っている。つい最近まで、マオ婆の代わりに周囲の村長との会合に行っていたはずだ。

「ガイ、帰ってきちゃったのかあ」

 村で一番信頼されていると言ってもいい男は、村で一番マリアのことをよく思っていない。

「マリアさん、ガイ様と相性悪いですよね」

「あっちが突っかかってくるのよ」

 意識していないと、眉間にシワがよりそうだ。渋い顔になってしまう。

「まあまあ。大丈夫ですよ。ガイ様はこの森には絶対に近づかないですから。バレようがないです」

 ヨシュアに慰められながら、昼過ぎまで観察したその日。ベビードラゴンは2個のイチゴを自力で食べた。

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