第10話.管理人


「……落ち着いたか?」


「……うん」


「……ならいい」


「……ぐすっ」


 静かに泣きじゃくっていたアリシアを宥め、落ち着いてきたところで彼女の背中を軽く叩いて起こす……俺としてもいつまでも彼女と触れ合っていたいが、そうもいかない。

 体感時間的にさすがにそろそろ朝が来るだろうし、これ以上水や食料の調達手段もないままにこの船に閉じ込められるのは限界だろう。


「……そろそろ管理人を探すぞ」


「……管理人?」


「あぁ、こういう『魔境』では必ず〝偉大なる大地〟の代理人が居るはずだ」


 彼らは大地の瘡蓋とも言える『魔境』に於いて、〝欲深き大地〟の思念が漏れ出さないように〝偉大なる大地〟に命じられた者たちだ。

 彼らは自分たちの領域を荒らされるのを酷く嫌う……なぜそんな『魔境』に魔物が存在しているのかは分からないが、迷い込んだ者や侵入者たちを排除するのが管理人たちの仕事だ。


「彼らにお願いをすれば大抵はここから出して貰える……まぁその代わり『対価』を要求されるがな」


「……どんな『対価』を要求されるのかしら?」


「彼らによって様々だな」


 その管理人たちの趣味嗜好によって求められる『対価』は違うだろう。

 彼らは〝偉大なる大地〟の代理人であって、大地そのものじゃない……その者にとって価値がある物を求める訳じゃない。


「居場所に目処はついてた……だが行き方が分からなかった」


「? クレル? 何処を向いているの?」


 ほぼほぼ一本道しかなく、そのまま道なりに進めばまず間違いなくこの船の栄養分にされてしまうだろうという事が分かっていたから焦燥感しか無かったが……あの魔物の存在のお陰で光が見えた。

 この部分だけは感謝しても良い……そのまま俺は壁に向かって・・・・・・拳を構える。


「このまま管理部屋まで真っ直ぐ進む​──『我が願いの対価は思慮深き薔薇 望むは未来へと道を切り拓く力』」


「な、なるほど……」


 あの鰐野郎は道なんて関係なく天井から降ってきた……なら俺たちだってショートカットが出来るはずだ。

 いつの間にか供物が二つ程無くなっていたが、仕方ない……最後のⅢ号供物を使用し、魔法で拳を強化して壁を殴り壊す。


「……行くか」


 破壊すると同時に一気に噴き出る大量の血液……恐らくこの船のものと思われるそれを避けつつ、アリシアと一緒に壁を掘削しながら螺旋階段の様に上へと登っていく​──と、その途中で声が降ってくる。


『​──ちょっと、部屋に入ってくるならちゃんと扉からノックして入って来てよね』


「「っ?!」」


 その声に驚き、上を見上げた時にはもう既に掘削していた壁の中ではなく、一際に威圧感を放つ扉の前に出ていた……ご丁寧に『船長室』と書かれた札があるところを見るに管理室なのだろう。

 どうやら目前まで来ていたようだが、壁をぶち抜かずに直接来いという事らしい。


「……い、行くぞ? 準備は良いか?」


「え、えぇ、大丈夫よ……どんな人物でもクレルと一緒なら何とかなるわ……」


 アリシアの無意識のうちに出たのであろう恥ずかしい発言を気付かないフリをしつつ、三回ほどノックをしてからゆっくりと扉を開け​​​──


 ​──パァン!


「ようこそ! この私が管理する『魔境・哀哭の船』へ!」


「「​──」」


 ​──鼻眼鏡を装着した不審人物が鳴らすクラッカーの音に、アリシアと二人で完全に固まってしまう。


「……あり? 反応薄くね? もうちょっと喜んでも良いのよ?」


「「……」」


 ……えぇ? どうしろと言うのだ……これはさすがに想定外だぞ?

 使用済みのクラッカーを放り投げながら『おっかしぃな〜? うむむ…………堕天使のポーズ!』などと叫びながら両腕を胸の前で交差させながら神妙な顔を作るこの不審人物を前にして、どんな反応を取るのが正解なんだ? ……あと神妙な顔をするなら鼻眼鏡を外せ。


「ま、いっか! 明日には明日の風が吹く! ならば今失敗したとしても次の風に身を任せれば良いのさ!」


「「……」」


 クルクルと回り、華麗なステップとターンを決めながら沐浴を覗かれた貴婦人のポーズを取り、どうだと言わんばかりの改心のドヤ顔を晒した目の前の不審人物は流れる様に執務机に座る。


「それで? 君たちの用件は?」


「「えぇ……」」


 そのまま何事もなかったかのように話を進める彼女に俺とアリシアは揃って呻き声を上げてしまう……なんの意図があるのかさっぱり分からないが、コイツ自由すぎる。


「早く! 私は忙しいんだ!」


「「え、えぇ……」」


 納得いかない……納得いかないが仕方ない……力関係弟子に絶対に逆らってはいけない相手なのだから、ここは言う通りにするしかない。


「ん、んん! ……どうか俺たちをこの船から出して貰えないだろうか?」


 なるべく丁寧に彼女に対してお願いをする……どのみち彼女の力なくしてはこの船から脱出など出来ないのだから。


「……なるほど、私に願い事をする意味はわかっているのかい?」


「「……っ?!」」


 その途端目の前の彼女から強烈な圧力を伴った殺気と魔力が叩きつけられる……立っているのも辛く、気を抜けば気絶してしまいうそうになるほどのそれを受けながら、なるべく魔力に対して耐性のないアリシアの盾となるように前へと出る。


「あぁ、理解できている!」


「……そっか」


 十中八九、あの魔物を倒せと言われるのだろう……どう考えても『魔境』を荒らすあの鰐野郎は管理人が放置するには邪魔すぎる。

 その為にアリシアに魔力譲渡もして貰ったし、彼女にも既に話してある……覚悟はできている。


「じゃあ​──今ここでキスしてよ」


「「……………………は?」」


「いやだからキスだよ、キス」


「「……」」


 キス? キスをしろと言ったのかコイツは? 誰と誰がするんだ? 認識が追い付かなくて固まる俺たちの前で木の板を用意し、それに『はい! ここでクレル君とアリシアちゃんのキス!』と書いてコチラに見せながら親指を立てて見せる。

 ……ぶ、ぶち殺したい。


「ぐっ……ぬぅ……」


「キース! キース! キース!」


 俺と接する時、度々赤面していたアリシアの事だ……大丈夫なのかと横目で確認してみれば、真っ赤な顔で涙目にならながら彼女もコチラをチラチラと窺っている。……彼女は貴族らしいし、なおさら人前でキスなど耐え難いだろう。


「​けー!」

「​あい!」

「​えす!」

「​えす!」


「​──キッス!」


 ボンボンを持ち、身体を使って文字を表現しながら囃し立てる管理人に殺意を覚えながらも、ここから脱出する為だと自分に言い聞かせる。

 覚悟を決めてアリシアの肩に両手を乗せる……驚きで持ち上がる彼女の肩に乗せる手に力を込め、怯えるように後ずさるアリシアを制する。


「……こ、これも生存戦略だ!」


「……そ、そうね!」


「ええぞええぞー! おっちゃんご飯が進むわー!」


 殺意を湧き上がらせる声を務めて無視しながら、彼女の美しい顔に自分の顔を近付ける。


「〜〜〜っ! ……んっ! …………んっ! んっ!」


「​──くふぅっ!」


 真っ赤な顔で食いしばる様に目を瞑り、拙いキスをするアリシア……そんな状態できちんと出来るはずもなく、狙いは外れて彼女の唇は俺の頬へと当たる。

 そんな彼女の様子が可愛らしくて堪らなくて……俺は変な声を出しながら胸を抑えて蹲ってしまう。


「……く、クレル……?」


「うっひょー! 初々し過ぎておっちゃん死んじゃうー! ……………………死ぬか」


 アリシアに片手を挙げる事で大丈夫だと意思表示しながら、執務机の上で首を吊り始めた管理人の女を怨嗟の目で睨み付けながら声を掛ける。


「ね、狙いはズレたがキスはキスだ……これで良いだろう?」


「うん、十分に尊死できたから良いよ」


 よし、これでこの船から脱出が​──


「​──で、君たちをここから脱出させる『対価』についてなんだけど」


「……待て、さっきのキスはなんだ?」


 もうこちらは対価を払ったはずだが? なんだ? 首を吊って酸欠で頭が朦朧としているのか、このクソ女は?


「うん? あれはただ私が見たかっただけ」


「​──ぶっ殺す」


「待って! クレル待って! 早まっちゃダメよ!」


 アリシアが必死に俺の腰に抱き着いて止める様を指差しながらゲラゲラ笑う奴にさらに殺意が湧いて出てくる……ここまで特定の人物を憎悪した事は産まれて初めてかも知れない。


「……アリシアに免じて許してやる」


「ひぃっー! ひぃっー! めっちゃ笑ってお腹痛い!」


 奴を視界に入れない様にして深く深呼吸……よし! 大丈夫だ! ……多分。


「それで俺たちは何をすれば良い?」


「あぁ、うん……だいたい想像ついてると思うけど、あの鰐の姿を取っている魔物を倒して貰いたいんだよね」


 ……やはりそうか……だが、あの魔物を倒さねばならないという当初の予定通りにはなったが、疑問が残る。


「あの魔物くらいなら管理人であるお前が倒せば良いだろう」


「あぁ、彼はこの『哀哭の船』の産みの親で持ち主だからね……私と彼の魔力は全く同じだからお互いに手が出せないんだ」


「……なんだと? 『魔境』の産みの親で、少なくともそれと同じ年月を過ごしているなど……もっと強力な魔人になっていてもおかしくないが?」


「あぁ、うん……魔物に堕ちる過程でよっぽど辛い事があったんだろうねぇ……確かな理性を以て理性を放棄しているみたいだよ」


 ……そんな事がありえるのか? 『魔境』と同じ年月を過ごした古の魔物が自ら理性を放棄し、魔人と成ることさえ拒むなど……それを大地が承認するなど……聞いた事がない。


「で? 倒せる算段はあるの?」


「……分からない。一応見た目からあの魔物の属性は『生命』か『水』だと思うが」


「どれも不正解だね、彼の魔力は『夢』だよ」


「何とも希少で厄介な魔力持ちだ」


 あまり記録に残っていないほどの希少な魔力じゃないか……『夢』の魔力持ちには超火力によるゴリ押しか、『夢』から醒めさせてくれる所縁のある人物の魔力が無ければ核に響かない。

 核に俺たちの魔力を響かせる事が出来なければゴリ押しでの討伐しかないが、いくら魔人になっていないといっても古の魔物だ……卵ではあるし、あの短時間の戦闘で奴の強さは嫌というほど理解している。


「まぁ、無理なら無理で​──おや? おやおやおや?」


「え、な、何かしら?」


 唐突に立ち上がり、不審な動きでアリシアの回りをグルグルと回りながら観察し始める奴に彼女は挙動不審になりながら俺に困った目線を向ける。


「……やめろ、いったいなんだ」


「独占欲の強い男は嫌われるぞー?」


「貴様っ!」


「待って! クレル待って! 私は独占されても構わないから早まっちゃダメよ!」


 アリシアの発言にピシリと固まりつつ、コチラをニヤニヤとして見ている奴に殺意を覚えながらも立ち止まる……というかアリシアのこれは素か?

 本人には自覚が無さそうだが……そこが危うくて心配になるな? もしも他で勘違いさせている男が居たら大事だ。


「……それでなんだ? アリシアがどうしたと言うんだ?」


「ん? いや別に? 彼女なら彼の核に魔力を届けられそうだなって思っただけ」


「……なぜだ?」


 アリシアも頭に疑問符を浮かべている様な怪訝な顔で管理人を見つめる……答えを寄越す様に目線で訴えかけるが、彼女は取り合わずに手を振る。


「はいはい、これ以上は私も仕事があるからねー? じゃっ、頼んだよ!」


「ちょっ、おまっ! 待て!」


「……本当に自由ね」


 そのまま光に包まれ、気が付いたら部屋どころか屋外に追い出されていた……恐らくここは船の甲板だろう、どんよりと曇った空が見える。

 ……まぁだからといってこの船から飛び降りようにも魔力の渦があるから出られないし、外は荒れ狂う外海しかない……今ここで無理に脱出しようとするのは自殺行為だろう。


「……にしても、ずっとあの鼻眼鏡を付けてたわね」


「……あぁ、ふざけた野郎だ」


 最初から最後まで間抜けな鼻眼鏡を付けたまま話ひ、人をおちょくっていた奴の顔を思い出して殺意が沸く……が、そんな暇もなさそうだ。


「……ご丁寧に魔物まで転移してくれたようだ」


「……アフターケアが万全すぎて涙が出そう」


 目の前に聳え立つ船長服を着た鰐を見上げながら​──またアイツに会ったら顔面を思いっ切りぶん殴る事を心に誓う。


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