王子と王女、対峙する

 ニコルとの間には、もろくなったとはいえ、背の高い柵がしっかりと立ちはだかっている。

 姉の隣に居る男はガリア帝国の王子だ。二コルはすぐに認識した。コンラッドは噂に聞く通りの豊かな金髪であったし、ガリア皇族特有の緑色のマントをなびかせていたからだ。ニコルは柵の前に突っ立ったまま、一歩も進むことが出来なかった。これ以上歩みを進めることは領土侵犯となる。しかも王族自らだ。

「お、お前・・・お前・・・」

 ニコルはコンラッドを直視したまま言葉にならない言葉を発した。

 コンラッドはニコルがそれ以上口を開かぬよう、手のひらを向けて合図する。そして、目の悪いミズカが状況に気付く前に、一芝居打つことにした。

「ニコル様、私はヘルゼンと申します。ミズカ様が国境付近で迷っておられたため、保護させて頂きました。」声色は柔和だが表情は硬いままだ。

「・・・礼を言うぞ忠実な市民よ。」コンラッドの意図を察し、ニコルも話を合わせる。

 ニコルはミズカの乗った馬に合図をし、リューデン領土側に呼び寄せた。馬はニコルに再会出来た喜びで高らかに跳躍し、柵を超えてニコルの隣に降り立った。

「ニコル、ヘルゼンが私を助けてくれたの。」ミズカはニコルを見上げる。

「姉上、ご無事で何よりです。」ニコルはにっこりとほほ笑んだ。「私はこの者と話があります。先に城へお帰りください。狼はほとんど倒しました。この馬は帰り道が分かっているので心配ありません。落ちないようにしっかりとつかまっていてください。」

「待って、ニコル・・・」

 ミズカが何かを言い掛けたのを気にも留めず、ニコルは馬の尻を叩き走らせた。馬はミズカを乗せ、リューデン城に向かって駆け出して行った。

 

 ミズカの乗った馬は、激しく風を切って進む。ミズカはしっかりと馬につかまっていた。風がひんやりと冷たく感じられた。

「ヘルゼン・・・」名前をつぶやくとミズカは自然と高揚する。『ヘルゼン』の顔は殆ど見ることが出来なかったが、薄ぼんやりとした彼の影が脳裏から離れない。

「とても優しい市民だったわ。」

 

 コンラッドとニコルはにらみ合っている。西日が二人の頬を照らしている。

「私はガリア帝国の第一王子コンラッド。」

「私はリューデン王国の第二王女ニコル。」ニコルはミズカのことが心配でたまらない。「姉上に何をした?」敵意たっぷりに言った。

「急に、不躾ですね。」コンラッドはむっとする。「何をしているのか聞きたいのはこちらです。見つけたのが私でなければどうなっていたことか。ミズカ様は目が不自由でいらっしゃるのに、このような危険な場所にお1人で放置するとは。」

「助けてもらったこと心より感謝する。ではなぜこの場所が危険なのか分かるか、コンラッド殿? ガリアが獰猛な狼を解き放っているからだ。」

「何事にも事情がある。致し方無いことですよ。」

「その通り。何事にも事情がある。そういうことだ。」

 コンラッドとニコルは再びにらみ合う。コンラッドは、可能なら剣を取ることも厭わないのにと思った。ガリアと周辺国全ての中で最も最強と言われるニコル。気付けば、彼女と剣を交えることは、コンラッドの悲願となっていたのだ。

 永遠とも思える時間が過ぎる。

「私も領土侵犯したリューデン王女を見逃したとあっては、親族に何を言われるか分かりませんから・・・」先に口を開いたのはコンラッドだ。「このことは我々二人のみが知っているということで、よろしいですね、ニコル様。」

「この借りの返し方は、しばらく時間を頂きたい。」ニコルは後ろめたそうに目をそらす。

「私が好んでやったことですニコル様。礼には及びませんよ。」

「失礼する。」

 そうしてコンラッドとニコルは互いに背中を向け、各々の城へと戻って行った。


 馬に乗った兵二人がコンラッドの元へ走って来た。

「殿下! ご指示頂いた方角に異変はありませんでした!」

「指示? 俺が?」

「・・・先ほど、北東の方を調査するようにと」兵士たちは戸惑う。

 コンラッドは兵に出した指示をすっかり忘れていた。

「ああ、そうだったな。何もなければ良いんだ、問題無い。そろそろ帰ろう。」

 コンラッドの頭はミズカとニコルのことでいっぱいだ。馬に乗る頃には日が沈みかけていた。温かく大きな夕日と、ミズカの眼差しが、重なって感じられるのであった。

コンラッドが城に着いた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。しかし中庭ではまだエルザがダンスのレッスンを受けている。大きなガス灯がいくつも灯されている。その明かりの中でエルザは一心不乱に踊っている。相手役の男性講師もついていくのがやっとのようだ。コンラッドの到着には気付かない。

「殿下がお戻りになりました!」門番が叫ぶ。

 仕事をしていた召使や兵隊が一斉に手を止めて頭を垂れた。エルザも踊りをやめ、汗を拭きながら歩いて来た。息が上がっている。

 体の線が如実に表れるぴったりとした水色の練習服を着ていた。豊満な胸の谷間がさらけ出されている。汗の粒が光っていた。金髪も濡れて茶色くなっている。

「お帰りなさいコンラッド。国境はどうだった?」エルザが尋ねる。

「特に変わったことは無かったよ。あの辺りは田舎だし、木が生い茂っているだけだ。」

「そう。」エルザはコンラッドをじっと見つめた。

 コンラッドはたじろいだ。エルザの目は何もかも見透かしそうな鋭い目だ。

「何か隠してる。」

「そうかな?」

「・・・まあいいわ。」

 コンラッドは自分の心臓が激しく鳴るのを感じた。エルザにまで聞こえてしまいそうな程だ。ところで、とエルザは言った。

「社交界ってのは面倒くさいわね。私は踊るのはそんなに好きじゃないってますます思ったわ。ダンスなんてのは見る方が楽しいでしょう。ゲルグ人の踊り子に踊らせるのが一番よ。」

「ゲルグ人の踊り子?」コンラッドは驚いて聞く。「エルザはゲルグ人を見たことがあるのか?」

 エルザはふんと鼻を鳴らす。「もちろんよ。シン国に居た時にね。あなたも古いしきたりに囚われていないで視野を広げるべきだわ。」

「うん」コンラッドは頷く。意外だ。エルザは汚れを避ける性格だと思っていた。

「それにしても」エルザは腕組みする。「貴族女ってのは自分がいかに暇を持て余しているかが自慢らしいわ。踊りなんてゲルグ人に任せておけば良いのに。冗談じゃないでしょう。私は忙しいのよ。」

「エルザはやることが沢山あるからな。」

「でも馬鹿にされるのはもっと我慢ならないわ。もう少しだけ練習を続けるわね。今日の夕食はお魚ですってよ。お先にどうぞ。」エルザは再び定位置に戻り、踊りを続けた。あまりに激しく踊るので、大きな花々が風圧で揺れるほど程であった。

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