第1章 ガール・ミーツ・×××
第1話 ガール・ミーツ・おじさん
「そこで何をしている」
背後から咎めるような声を投げかけられ、彼女は肩を竦めた。
ついさっきまで、彼女は神社の境内にいたはずだった。
拝殿に背を向けて、石で舗装された参道を歩いていき、鳥居を三つ潜ったら神社の外に出る――はずだったのだ。
参道はこんなに長かっただろうか。
確かに、都会にあるにしては緑豊かでちょっと薄暗い神社だったけれど、こんなに鬱蒼と茂った森みたいなところだっただろうか?
おかしい。
あの神社がこんなに広いはずはない。
歩けど歩けど森が続くばかりで終わりが見えない。変わらない景色に不安が膨れ上がっていく。心細さのあまり、だんだん早足になっていく。
気づいたら、もうほとんど全速力で走っていた。
「え?」
遠くに何かが見える。朱色っぽい建物のようだ。
とりあえず、森は抜けられそうだ、と思うと少し気が緩みそうになる。
そのまま駆けていくと、木々の向こうに朱色の壁と、濃い茶色か黒か判然としない色合いの屋根が見えてきた。
「あ」
森を抜けた!
「池だ」
朱色の壁の建物は、屋根のない部分が池に張り出している。
何だっけ、これ。社会の資料集に載ってた、平安時代の寝殿造みたい。って言っても今は令和時代だから、そういう趣味のお金持ちのお屋敷だろうか?
あの神社の近くにこんな大きなお屋敷があったのか。神社には何回も行っているけど、今まで気づかなかったな、と不思議に思う。
いや、そんなことより、誰かのお屋敷だったら不法侵入じゃないか!
門はどこにあるんだろう、もしくは塀を乗り越えるか……でもこんなデカいお屋敷だったら絶対セコムしてるよなあ……。
薄暗い森を歩いていたからよくわからなかったけど、どうやらもう日が暮れているようだった。それにしても、灯りがなさすぎるお屋敷だ。暗くて近くしか見えない。
とりあえず建物に近づいてみる。
池に張り出した先は、橋が架かっていて、向こうに渡れるようになっている。
行ってみようか。
いや、橋を通るとますますお屋敷の中心部に侵入してしまうことになりそうだ。多分、橋の向こうの建物が母屋っぽいし。
彼女は踵を返し、池に沿って歩いてみることにした――のだったが。
誰かわからないけど、見つかってしまった。
やたら低くてイイ声だったが、どうも穏やかな口調じゃなかったような。
あーあ。やっぱりここ、入っちゃいけなかったんだ。でも、神社を出ようとしたら、隣のお屋敷に迷い込んでしまっただけだ。そう説明すればきっとわかってくれる。ちゃんと順序立てて説明しよう。
覚悟を決めて勢いよく振り返ると、朱色の壁を背に立っていたのは――
「え、」
――顔つきを見る限り、三十代半ばくらいの“おじさん”である。
おじさんといっても全然くたびれたおっさんじゃない。うちの大学にごろごろいる金髪チャラ男共が束になっても敵わないくらいのイケメンだ。通った鼻筋に、堅く引き結ばれた、凛とした口許。それに何より印象的な目。くっきりした目の下の線すら、老けて見えるというより色気を漂わせている。これが噂のイケオジってやつか。
でも、奇妙な服と被り物を身につけている。それこそ社会の資料集に載ってた……平安時代の貴族のような。まあ、こういう屋敷を造っちゃうような人だ、そういうコスも好きだよなあ……、と思い直す。
男は彼女の問いには答えず、つっけんどんに言う。
「そこで何をしている、と訊いているのだが」
「な、何もしてない、です」
男は無言で眉を上げた。そんな訝しげな顔しなくても。
「ほんとです、神社にお参りして、走ってたら、森から出てここに着いたんです、信じてください」
「走っていたら、だと……? 追われているのか」
「いや、そういうわけじゃ」
「お前、一体どこから来た。その衣は何だ?」
その衣は何だ、はこっちのセリフだ。
「中納言さま?」
唐突に、大きな呼び声が響き渡った。
男が声の方を振り返る。彼女も男の肩越しにそちらを見てみたが、姿は見えない。
中納言さま、なのか? このおじさんが。
舌打ちをして男は大声で応える。
「今参る!」
中納言さま? はい? いつの時代だよ。
いや待って、使用人にもそう呼ばせてるってだけかもしれない。
「ここにいてはいずれ見つかって牢にぶち込まれる」
「ここ、どこなんですか? あなたのお屋敷じゃないんですか」
「私の? ここは東宮だ、帝所有の庭園だぞ」
帝、って。
「裏手に
「中納言さま!」
また大きい声が辺りに響いた。
「とにかく、塀を乗り越えてでも東宮を出ろ。暗いうちならば大丈夫だ」
「え」
いやいやいや、それしか手段はないんですかっ!?
「東宮を出たら建物が集まっているところが見えるが、そこには近づくな。門から堂々と出るんだ。
エジが何者なのか全くわからなかったが、門番的な何かであろう、と彼女は推測をする。
「わかったら行け」
「……は、はい!」
全然何もわからないまま、少女はおじさんに背を向けた。
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