第820話 その22

 イクゥアの街にある石作りの家で、ミランダは歓待を受けていた。

 木の皮を編み込んで作ったテーブルに料理が並ぶ。そのどれもが冷たい料理だ。氷で鮮度を保った生の魚料理。ベアルド王国で、客をもてなす料理でもっとも良いものだ。


「ありがとうございます。ありがとうございます」


 ミランダの手をとって、若い女性がお礼を言う。

 それは何度も繰り返された光景だった。

 彼女はシェラの母親だった。そして、ミランダがいるのはシェラの家だった。


「私はもともとイクゥアに行く用事があったし、ついでよ。それに私は途中から。本当に良くやったのは、そこのジムニよ」


 ミランダはシェラの母親の手をそっと外して言った。

 当のジムニは、褐色肌の老人に食事を勧められている。彼はシェラの祖父だという。


「俺は……」


 ジムニはシェラを助けた理由を説明できないようだった。

 ただただ恐縮していた。


「まぁ、いずれにせよ。シェラが無事でよかった」


 彼の父親が言った。

 ミランダは、シェラが父親似だと気がついて笑みを浮かべた。目つきと、緑の瞳がそっくりだった。赤い髪は祖父にそっくりだとも思った。


「ところでヘレンニア様達はこれからどうされるので?」


 シェラの祖父と目があったとき、その問いはあった。

 ジムニもミランダを凝視する。


「そうね……しばらくは滞在するつもりかしら。シェラの事以外にも、私にはイクゥアに用があるのでね」

「では、うちに泊まっていかれるのはどうでしょう? 外部キャラバン用の家が空いていますし、あそこはヘタな宿よりもよほど良い場所です」


 良い話だとミランダは思う。

 自分一人であれば宿に泊まっただろうけれど、今はジムニが一緒だ。シェラと別れることになるとしても、別れるのを惜しむ時間くらいは必要だろう。

 特にシェラは帰宅した安堵からか、すぐに寝てしまった。起きたときジムニがいないとさみしがる。


「そうね。せっかくだからお受けしましょうかしら」


 ミランダが答えると同時、ジムニがパァッと笑顔になった。

 そして、しばらくはシェラの家に滞在することになった。正確にはシェラの家の隣。

 巨石をくりぬいて作った家だ。半分が地下に埋まっていて、中は涼しい。

 大人数が滞在する場所のようで、ジムニとミランダの二人だけでは広すぎるが、とても良い場所だった。


「シェラは……ここに残るんだよな」


 夜に、ベッドに横になったままジムニが言った。

 明かりを消して真っ暗の部屋で、彼の声はとても悲しそうな声だった。


「そうね。あの子は家族の元に戻るのが望みだった。それが叶ったから……あの子の旅はここで終わり」

「うん……」

「永遠のお別れでは無いわ……それに、きっと、とても長い期間、私達もベアルド王国に滞在することになるし、なかなか会えないということも無いでしょうね」


 これからの事は考えていなかった。

 だけれどミランダはそう言って取り繕った。予定が無いなら、ベアルドに滞在するという予定を作れば良い。それでジムニが元気になるのなら……。

 それは良い考えだと、ミランダは心の底から考えた。


「では、私は少し用事があるから出かけてくるわ。ジムニはシェラのご機嫌とり、お願いね」


 翌日の早朝、ミランダはそう言って一人になった。

 彼女は自分の目的を果たすことにした。魔神復活の日に思いついた予定、それをこなすことにした。

 イクゥアは彼女が幼少期過ごした場所だった。

 だからオアシスの中央の島に生えている巨大なヤシの木も知っている。それは彼女が子供の頃からかわらずそこにあった。


「時間が止まったようね」


 あまりにも変化の無い風景にミランダは笑う。オアシスの街特有の雨の匂いがする風も変わらない。


「まってー」


 ミランダの側を幼い姉妹が走り抜ける。

 おいかけっこに夢中な姉妹をみて、ミランダは目を細めた。

 口は笑みをうかべ、彼女の足取りは軽くなる。まるで姉妹のかけっこに参加するように。

 楽しげな彼女の歩みはずっと続いた。

 それはある館の前にたどりつくまで続いた。

 だけれど足が止まったのと合わせて楽しい気持ちも終わった。横に長い平屋の建物。年季の入った建物の前で。


「そう。覚悟はしていたけれど……無くなったのね」


 ミランダは寂しそうにつぶやいて、館の屋根を見つめた。

 彼女の記憶では、視線の先に看板があるはずだった。青い石を磨いて作った看板。

 氷山をもした三角形と、氷を表現する四角、その二つでなりたつ看板があるはずだった。

 記憶にあった看板が無い事実にショックを受けた彼女は、呆然と館の屋根を見つめた。


「何かご用で?」


 館の住人がミランダに近づいて尋ねた。呆然と館を見つめる彼女が気になったのだろう。彼の態度はどこか警戒する様子だった。


「ごめんなさい。ここは氷室シーシィでは無いのね」

「えぇ、昔はそうだったのですが……氷室がどうにも駄目になってしまいまして」

「では住人は変わらないのかしら? 例えば……ニーニャという人はいるのかしら?」


 希望を見いだしたミランダの声が軽くなる。


「えぇえぇ、はい、はい、おりますとも。えっと、私の母のことをご存知で?」

「知っているわ。とても良くね。きっとあの子も知っているわ。ミラが尋ねてきていると……取り次いで貰えるかしら?」


 ミランダの申し出に、館の住人は寂しそうに笑った。

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