第513話 閑話 満月の休日(ハロルド視点)

 ギリアに戻り、慌ただしい日々。また明後日には、この町を立つ。

 ゆっくりは出来ぬが、仕方が無い。

 だが、そんな慌ただしい中にも救いはあるもので、今宵は満月。

 ギリアにある馴染みの酒場に行く。

 満月の夜のささやかな楽しみの為に。

 ひとり静かな環境でうまい飯を食い、香り豊かな酒をたしなむ為に。


『カララン』


 扉の端に吊り下げられた陶器の破片がぶつかり合い、澄んだ音が響く。

 この店は、ちいさな工夫から楽しめる。

 ここに来るのも、およそ一年ぶりか……。

 思えば、ギリアで過ごした日々はあまりないな。

 だが、この町は気に入っている。


「いらっしゃいませ。ハロルド様」

「久しぶりだ。魚の煮付けを中心に」

「かしこまりました」


 若いが強面で貫禄のある主人がニコリと笑う。


「それにしても繁盛しておるな」

「はい。ギリアも人が増えましたので、忙しいばかりでございます」

「それは上々」


 静かな環境が望みだったのだが、店の繁盛には代えられない。

 少々慌ただしい環境も、まぁ……悪くはない。

 リーダ達の騒々しさに慣れてしまったのかもしれぬ。


「どうぞ」


 早速、拙者が要望した煮付けがコトリと目の前に置かれた。

 茶色い細く長い魚に、これまた茶色いソース。

 白い皿に盛られた煮付け、そして赤いワイン。白と赤の2色が美しい。

 ギリアの湖でとれた魚の煮付け……たしかクラペーリエという料理だったか。

 甘辛いソースがかけてあり、ほろりとほどける身は濃いめのワインに合う。あぁ、ギリアではワインは薄めず飲めるのだったな。

 フワリと果物の風味が漂うワインの香りを堪能しつつ、魚の味を楽しむ。


「ふむ。店主、腕を上げたようだな」


 次の料理を運んできた主人に、感想を伝える。

 忙しい身、あまり長々と話すものではない。美味い料理を楽しむ……それが目的なのだ。


「ありがとうございます。では、こちらを」


 ふむ。エビか。大きなエビ。

 赤い大ぶりなエビに、やや薄い赤色のソースがかかっている。


「いただこう」


 ん?

 これは。

 ナイフを入れた瞬間、雷に撃たれたような衝撃があった。

 皮にナイフを立てた感触がなかったのだ。

 スルリとナイフは身を分けたのだ。


「これは……もしや、皮ごと?」

「左様です」


 バッと振り返った拙者に、主人はニコリと笑った。


「この大ぶりなエビを皮ごと食らうとは。どれほどに、煮込めば、これほど柔らかくなるのだ? しかも、このソース。先ほどとは大きく違う」


 なんだ、これは? 舌の上で踊るエビの風味。その鮮やかな味わい。

 も……もう一口、もう一口食べねば。


「やはり! 甘さの中にある酸味。そして鮮やかな風味。荒々しい中にも、清廉さを主張するソレ。真夏の深い森で、唐突に氷を見つけたような感覚。エビとソースの激しいダンス。それは、自然が作り出した草原での、いや、花園での意図せず出会った平穏のように。心に染み入り……そうか! グラプゥか! 加えて煮込んだだけでは無い。さらに仕上げに、グラプゥを細かく刻み、混ぜた。つまり、火を加えないグラプゥで、濃いめのソースを薄めたな? 主人」

「左様でございます。エビは一月煮込み、ソースは皮を剥いだグラプゥをすりつぶし加えております」


 唖然とする。


「エビの皮が柔らかくなるまで一月も煮込むとは」


 店主の努力に頭が上がらない。火を絶やさず、エビの風味を損なわず、絶妙な火加減で一月も続けて煮込むとは。

 そして、風味豊かなソース。風味だけに頼らず微細な味付けも完璧だ。

 あぁ、この地に来ることが出来て良かった。

 素晴らしい素材。たゆまぬ努力。それらが相まって作り出される味わい。


『ドスン』


 拙者が素晴らしい料理を堪能し、至福の時を過ごしていたとき、唐突に私の前に男が座った。

 無粋。

 賑わっているとはいえ、席は空いている。

 店の者も困惑の色を隠せない視線を、この席に送る。

 何故に、拙者の前に?

 こやつ……。

 目の前に座る男、それは拙者の知らぬ者では無かった。

 イオタイト。

 得体の知れぬ人物。今まさに、こうして目の前に座るやつを見て思う。

 ただ者では無い。


「あぁ、店主。私の知り合いだ。驚かせてすまぬ」

「左様でございましたか」


 そう言うと、店主はにこやかに立ち去った。


「何の用だ?」


 店主が離れた事を確認し、イオタイトに問いかける。


「別に、戦うってつもりじゃないよ」

「それはそうであろうな」


 イオタイトは、にこやかな表情で、拙者が食べていたエビを一切れ手に取ると、パクリと口に入れた。


「あー。店主すまないが、酒を用意してくれないかな?」


 そして、なんでもないかのように店主に酒を注文した。


「さて、ハロルド・オーク・ベアルド。今日は、君に礼を言いに来た」


 それから、イオタイトはにこやかな笑顔のまま、そう言った。


「礼?」


 この者に、礼をされるようなことは何もしていない。

 逆に姫様を助けるため、こやつを戦いに巻き込んだ憶えしかないのだ。

 そういった拙者の怪訝な雰囲気を感じ取ったのか、イオタイトが両手をあげ、降参と言ったポーズをとる。


「そうだね。おれっちが礼をすべきなのは、ノアサリーナ様、いやリーダ様かな」

「して、何に対しての礼でござるか?」

「おれっちの、仲間がね、ナセルディオに術をかけられていた。ノアサリーナ様の活躍で、その術は破壊され、おれっち達は、かけがえのない仲間を殺さずに済んだってわけだ」

「ふむ」


 言っていることに不審な点はない。確かに姫様とリーダめは、ナセルディオの術を破壊した。その結果、こやつの仲間が魅了の術から逃れたというのは、特段おかしな話ではない。


「そこで、おれっちの出来る範囲でお礼をしようと考えてね」

「そうであれば、姫様に直接礼をすべきではないのか?」


 イオタイトの言い分が正しければ屋敷に行き、礼を言えば良い。

 拙者が一人のところに、わざわざやってくる必要はない。

 しかも、満月の晩。拙者を目的に近づいてきたことは明白。まだ理由の全てをこやつは言っていない。


「それができれば一番いい。でもね、おれっちには、ノアサリーナ様に対してできる礼っていうのがないんだ」

「拙者に対してであれば、あると?」

「そう言うこと。おっ、美味そう」


 そう言いながら店主が出してきたお酒と、それから追加の食べ物を見て、イオタイトが楽しげな声を上げる。

 酒はともかく、こやつは料理を頼んでいないではないか。それは拙者の焼き魚だ。

 すぐに焼き魚が載った皿を引き寄せる。フワリと、香ばしい魚の香りが漂い食欲が増す。


「しまっ……」


 だが、イオタイトは拙者の動きなど知らぬとばかりに、流れるように動いた。スッと手を動かすと、付け合わせの揚げ物をひとつまみして、ポイと口に入れた。

 このような些細な動きからも、底を見せない武力と、簡単には見破ることができない擬態が、うかがい知れる。

 口調は、おどけているが油断はできない。


「そう警戒しなくてもいいさ」


 イオタイトは酒を飲み、目の前の食べ物を、次々と口に運びながら笑う。

 拙者の事などお構いなしに。


「それで、そのお礼とやらを持ってきたというのでござるか?」

「いや違う。おれっちの礼とは知識だ」


 イオタイトが、ぐいっと拙者の方に身を乗り出し、口を開く。


「いいか。お前の呪い。子犬になる呪いだが、お前は、何らかの力で一時的に解除する方法を手に入れている。そういう状況だ。間違いないよな?」


 満月の日に現れたことからも、薄々気付いていたが、拙者にかけられた呪いの事も知っていたか。


「それで?」

「呪いが一時解除された時、お前の身にまとわりついていた呪いの破片は、遠く弾けるように離れる」


 イオタイトは、拙者の状態を、まるで見てきたかのように語る。

 呪いの破片は、リーダ達にすら見えなかったものだ。

 それをイオタイトは、的確に言い表す。

 その言葉は、ある種の強い説得力を持って続く。


「ぬめりとした霧は、やがて再びまとまり固まり、そしてお前の身を取り囲み、まとわりつく。逃れることはできない」

「確かに」


 イオタイトの言う通りだ。

 拙者も、姫様に魔法を解除してもらう度に、何とかしようとした。

 再び舞い戻ってくる霧から逃れようと頑張った。

 だがそれらは無駄だった。

 逃げることはできず、再び拙者は呪いの力によって子犬の姿に戻る。


「それを、逆に飲み込むのだ」


 右手を広げ、左手で握りこぶしつくり、そしてそれを包み込むように手を動かす。

 拙者がその姿を見ていると、イオタイトはさらに言葉を続ける。


「全てではなくても、一欠片でも。それを繰り返していけば、呪いがお前を支配するのではない。お前が呪いを支配することができるようになる」

「つまり……」

「好きな時に、人の姿に戻れるということだよ。オークの戦士ハロルドよ」


 言うことは言ったと言ったばかりに、イオタイトは席を立ち、残った酒をあおった後、店から姿を消した。


「呪いを支配……か」


 試してみる価値はある。

 ふむ。

 拙者は思考しつつ料理を味わった。

 奴の言う通りならば、感謝もしよう。

 心根は、悪くもないか。

 フッと笑みがこぼれる。

 美味い料理、有益な情報。温かい気持ちで、その夜を過ごした。


「先ほどの方のお勘定は……」


 苦笑する店主の、その言葉を聞くまで。

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