第493話 閑話 舞踏会場の前で(ノア視点)

 音もなく馬車は進む。

 帝都の中心、ひときわ大きな建物にたどり着いた後も、馬車から降りることがなかった。


「少しだけ揺れますので、ご注意を」


 案内をしてくれるハマンドフ様が、私に断りを入れた後、一度止まった馬車が再び進む。

 四角い塔の中には、さらに塔が建っていた。

 それを取り囲むように作られたスロープを馬車は駆け上る。


「すぐに、舞踏会場のあるフロア近くまでたどり着きます。しばらくのご辛抱を」


 ハマンドフ様の声が静かに響く。


「お嬢様?」


 返事をしなかった私を、心配する、隣に座るリーダの声が聞こえた。


「少し驚いただけです」

「そうですね。近くでみると、本当に迫力がありますね」


 私は心配させたくなくて、カガミお姉ちゃんの姿をしたリーダに、驚いただけだと答えた。

 リーダは、私の言葉を、外を飛んでいる炎に包まれた大きな鳥の事だと思ったようだ。


「あれは聖獣レイライブでございます。帝国建国の時より我らに寄り添い、そして帝都の全てを見守る聖獣でございます」

「そうなのですね」

「それに多くの飛竜が、飛んでいます」


 カガミお姉ちゃんの声なのに、のんびりとした声。

 リーダの話を聞いたら、私は少しだけ気が楽になった。

 今日の私は無敵なのだ。リーダが一緒なのだから。無敵なのだ。

 そう自分に言い聞かせ、ニコリと無理矢理に笑う。

 ふと横を見ると、窓ごしに巨大な瞳が見えた。空を飛ぶ、大きく燃え盛る鳥の黒い瞳。とっても大きな鳥だ。

 帝都の白く高くそびえる塔のような宮殿。その宮殿を取り巻く長い長い坂道を馬車は進む。馬車から見える外の風景は、不思議な景色だ。

 炎に包まれている鳥だけではない。

 加えて沢山の飛竜に乗った騎士様達は、規則正しく並んで飛んでいた。


「飛竜に乗った騎士の皆様は、いつも飛んでいるのですか?」

「はい。ノアサリーナ様。いつ、いかなる時も、この帝都を、皇帝をお守りするために、皆が昼も夜もなく、飛んでおります」

「警戒厳重ねぇ」


 ずっと震えていたロンロが、元気を取り戻して、のんびり呟く。

 この場所に来てわかった。

 私は、ナセルディオが怖いのだ。

 何度も、何度も、帝国になんて来なければ良かったと思った。

 カガミお姉ちゃんが酷い目に遭うこともなかったし、ロンロだってあんなに怯えることはなかった。ハロルドだって大怪我しなかった。

 私があの手紙を見て、帝国に行きたいと言い出さなければ、ずっとギリアで楽しく過ごしていたはずなんだ。

 私は、お金が欲しかったし、ママの事も聞きたかった。

 手紙にないお母さんの名前。どうして、お母さんが助けを求めたのに、返事が無かったのか。知りたい事は多かった。

 お金があれば、ずっとリーダ達と一緒にいられるかもしれないと思った。

 リーダが使いたがらなかった筒に入ったお金。

 あのお金を帝国に行けば使っていいと思った。

 お金は大事だ。

 ピッキー達が言っていたのだ。お金がなかったから、売られてしまったと。両親と別れることになったのだと。トッキーが言っていた。借金が返せないと売られてしまうと。

 だから、お金は大事だと思った。

 でも、全部、失敗した。

 また、失敗したらどうしよう。

 少し悲しくなって私は俯く、そしてチラリと横を見た。

 リーダを……そっと横に座るカガミお姉ちゃんに変装したリーダを見た。

 いつものように、のんびりと外を見ていた。

 いつものように、優しそうに。

 私の視線に気がつくと、ニッコリと笑う。

 そうだ。大丈夫だ。リーダと一緒なのだ。

 いつだって、どんな時だって、リーダはすごいんだ。

 私の呪いだって……。

 さっきも小さな動物は、私の呪いによって殺されてしまうと言われた時。

 呪い子であることを、忘れていた自分を恥ずかしく思った。

 私が気をつけていなかったばかりに、殺してしまうところだったと。

 だが、その後すぐに、リーダが大丈夫ですと言った。

 大丈夫なんだ。

 私の心には勇気が湧いてきた。

 そうだ、大丈夫。

 ナセルディオに言ってやるんだ。お前なんかパパじゃないと。

 お前なんか嫌いだと。

 グッと私が手を握りしめた時、馬車が止まった。


「これよりあと少しは歩いていただくことになります」


 ハマンドフ様は、そう伝えると扉をサッと開けて、ひと足先に降りた。

 カガミお姉ちゃんの姿をしたリーダが、次に降りて私の手を取って降ろしてくれる。

 小さい音だったが、厳かで立派な音楽が聞こえた。

 ずっと先に、そびえるように大きな扉が見えて、まるで襲いかかってきそうだ。

 道は、ひときわ明るくなり、赤い絨毯が伸びる、その扉の先で、舞踏会が行われているのだろう。


「では、こちらにございます」


 扉の前で、ハマンドフ様が側に立つ人に合図をする。


『ガタン』


 扉が音をたて、ゆっくりと開いた。


「ハハッ。ハハハ」


 扉が少し開いた時、一際大きく奏でられる音楽と、笑い声が聞こえた。

 ナセルディオの笑い声。

 その声は酷く残酷に聞こえる。

 途端に私は身体が震えだした。

 どうしよう。

 ここまで来て、私は動けなくなってしまった。

 あと1歩。

 あと1歩、踏み入れることができなくなってしまった。


「ノアサリーナ様?」


 ピクリとも動かない私に、ハマンドフ様が声をかけてきた。


「ノアサリーナ様」


 カガミお姉ちゃんの……いや、リーダの声が聞こえた。

 フッと横を見ると、しゃがみこみ、私に視線を合わせていたカガミお姉ちゃんの姿をしたリーダがいた。


「大丈夫?」


 とても小さな声でリーダが言った。

 私は小さく頷く。

 リーダは、私の手を取って、静かにもう一方の手を、私の手の上に置いた。


「どうする? 気分が悪くなったと言って少し休む? その間にさっさと要件済ませるけど」


 リーダはそう囁いた。

 その言葉を聞いて、首を振る。

 少しだけ目を閉じて、大丈夫と自分に言い聞かせる。

 私が行きたいって言ったのだ。

 それに大丈夫。リーダがいる。


「私も行く」


 目を開いて大きく頷く。

 思いっきり頷いたせいで、リーダの額に私の額がコツンと当たってしまった。


「よし、じゃあ行こうか」


 リーダはニコリと笑って、すっと立ち上がる。

 私もリーダに続き、立ち上がる。胸を張って、立ち上がる。

 横に立つリーダの手を握り、ゆっくりと1歩を踏み出す。

 リーダは私の後に立とうしたが、手を離そうとしない私に微笑むと、小さく頷き横に立ってくれた。

 そして私は舞踏会場に入った。

 リーダと手を繋いで、舞踏会場に入った。

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