第420話 閑話 クレベレメーアにて

 クレベレメーアは北方カジャカとヨラン王国、そしてイフェメト帝国、この3地域を分かつカルマハーラ巨壁と呼ばれる切り立った山脈の東側に位置する。

 30数軒の家々が建つのみの、人が暮らすには暮らしにくい場所にある町。

 象徴的なものは、巨大な望遠鏡。

 空にある極光魔方陣を見るためのそれは、城壁に囲まれた敷地のおよそ半分以上を占める大きさだ。

 大きいだけではない、細かく装飾された白い望遠鏡は、青い光が走り、それそのものが魔法の品であることが見て取れる。

 芸術品ともいえる望遠鏡が目立つ町、それが皇帝直轄領クレベレメーア。

 今、望遠鏡は1人の男の住み処になっている。

 天へと向けられた望遠鏡の先に座り込んでいる男は、手に持った大弓を使い、町に入ろうとするアンデッドと戦っていた。

 延々と。


「やぁ」


 弓を構え外を見つめながらも、男は穏やかな声をあげた。

 男が見ることもなく声をあげた相手は、クレベレメーアの領主だった。


「シャフサーフ様。食事をお持ちしました」


 お伴も連れず静かに近づいた領主は、小さな籠を掲げ言葉を返した。


「あぁ。領主様」

「領主様は少し気恥ずかしいですね」

「そうですか」

「私はそんなに偉くないし、というよりも、シャフサーフ様のような八葉に領主様と言われると少しばかり気恥ずかしいですね」

「何をおっしゃる。陛下より重要な土地を任されている。そこに住まう人が少なくても、ここは皇帝直轄領。貴方は皇帝により認められた領主だ」

「……と、この話は何度もしましたね」

「ははは。まるで挨拶のように」


 二人は笑い合う。

 それから、シャフサーフは大弓から手を離すことなく領主を見やる。

 領主は、パンや肉、その他もろもろの食べ物が入った籠を持っていた。


「どうぞ」


 そして領主はシャフサーフの側に籠を置き、声をかけた。


「差し入れですか?」

「それもありますが、朗報です」

「では、連絡がついに?」

「はい、あと10日ほどでたどり着くということです」

「それはいい知らせだ。だが、ギリギリか」

「物資はもう既に底をつきました。後は気力のみということになりましょうか」

「……では、これを町の人へ」


 そう言ってシャフサーフは、籠を手で押し返した。


「いえ、こちらに来られてから、何時もそうやって辞退なされるではないですか。食糧がつきたいまだからこそ、最後の食料は貴方に食べていただきたいと思うのです」


 領主は苦笑しつつ押し戻された籠をシャフサーフの足下へと押し戻す。


「大丈夫。援軍が来るまで10日でしょう? たいしたことはありません。食事の必要も、寝る必要もありません。戦うことは十分可能です」

「そう……ですか。さすがは、八葉ですね。飛竜から飛び降り辺り一面のアンデッドをなぎ払った時も驚きましたが……、世の中広いものだと感心することしきりです」

「取り柄がコレだけですから」


 こんな会話の間もシャフサーフは大弓を放つ動作をゆるめない。

 弦を弾き、放つだけ。

 それだけで、矢は放たれ、あるときはまっすぐに敵を貫き、あるときは大きく弧を描いて敵を吹き飛ばした。

 弓を構え手を離すと中空に矢が出現し、それが敵に放たれ敵を打ち倒すのだ。

 シャフサーフの持つ魔法の大弓。

 その大弓は帝国にあっても数少ない国宝級ともいえる魔法の武器だった。

 皇帝から直々に、それほどの武具を預けられるほど、シャフサーフには実力があった。

 八葉はちよう

 それは帝国において実力ある8人の武人が受ける称号だった。

 そして八葉の称号をもつ者は、皇帝直属の兵として戦う。

 それぞれの武力は圧倒的であり、なおかつ帝国が技術の粋を集め作り出した武具、もしくはあらゆるツテを使って手に入れた強力な装備に身を包む帝国最高の精鋭だった。

 それほどの実力者である八葉シャフサーフが救援として、この地に遣わされたのはクレベレメーアが重大な任務を背負っているという証しでもあった。


「さて、希望が見えてきた。あとひと踏ん張りです」


 そう言ってシャフサーフが笑う。


「えぇ、ゴーレムが破壊されたときは、後がないと絶望しましたが、後一息がんばりましょう」


 笑顔のシャフサーフに、領主は笑顔で応じ、深々と礼をして食事を持って下がろうとした時だ。

 それは起こった。


「何が起こった?」


 さきほどまで、アンデッドに囲まれていても余裕だった領主の顔が驚愕に歪む。

 シャフサーフは立ち上がり、辺りを見回す。

 それは一瞬だった。

 取り囲んでいたアンデッドが、まるでその存在そのものが無かったかのように消え去った。

 音もなく。


「終わったのでしょうか」

「まだだ。まだ、油断はできない」


 シャフサーフは先程とは打って変わり、厳しい表情で辺りをずっと見渡していた。


「はるか先に何かいるな」


 そして呟く。

 だが、その呟きは領主には聞こえない。

 歓声が上がったのだ。

 はじめは城壁を守る兵士達の声、それから町中で歓声があがった。


「何せよ、助かりました」


 いまだ険しい顔のシャフサーフに、領主は笑う。


「何が起こったのか、調べるべきでしょう」

「えぇ。ただ皆を責める訳にはいきません」

「……せめて、私と貴方だけは警戒すべきです」


 そして、シャフサーフは弓を引いた。

 遙か先に目標を定めて、こらした目がするどい光を帯びる。

 ギリギリと音をたて弓は大きく引かれ、手元に魔法の矢が出現する。

 その矢尻は、一羽の鳥を捕らえていた。

 鳥はふわりと2人の頭上をひと回りし、そしてゆっくりと降り立った。

 そして、柔らかな女性の声で囁く。


「イレクーメ神殿のユテレシアでございます」

「神鳥使いか」

「聖女ノアサリーナ様の力によって、アンデッドは消滅いたしました。元凶たる存在も既に討ち滅ぼされております。これ以上、アンデッドの脅威は無いでしょう」

「ほぅ」


 鳥が語る言葉に、領主はほっと息を吐いた。


「なんということだ。聖なる力とはね」


 そして、皮肉っぽくシャフサーフに対して言った。


「ノアサリーナ……」

「吟遊詩人の歌に出てくる呪い子ですね」

「あの……なるほど、あのずいぶん先に見える、一団か」

「アンデッドに夢中で気付かなかったよ。ノアサリーナ様に、最大級の感謝を、ありがとう。このお礼は必ず」

「かしこまりました。ときに犠牲のほどは?」

「改めて確認はしますが、ゴーレムが倒され、城壁が壊れただけです。クレベレメーアにて最も大事な臣民はみな無事です」

「それはよかった。ノアサリーナ様はひどく心配されていました。お喜びになるでしょう」


 鳥はおだやかな口調とは別に、話ながらもキョロキョロと辺りを見回し、飛び去っていった。

 笑顔の領主とは違い、シャフサーフは険しい顔だった。

 鳥が高く飛び上がった後、シャフサーフは大弓を再度引く。

 今度は先ほどよりも大きく。

 それにともない大弓は赤く輝き小さな音を鳴らす。


「何をされるつもりで?」


 その様子を見て、領主は慌てた様子で声をかけた。


「ノアサリーナは、確か……ヨラン王国の者」

「それで?」

「他国の民が英雄として名をあげ臣民を扇動している。それは、帝国にとって良いと事とは思えない」

「穿った見方では?」

「だが、危険の芽であれば、早めに摘み取るべきだ」


 そう言ってシャフサーフは、遙か先に小さく見える隊列の先頭に矢を向ける。


『キィン……キィィン……』


 光は強くなり、音の響きも大きくなる。


「考え直しては?」


 領主はそれを諌めるように声をかけた。

 穏やかながらも、声には焦りがあった。

 その後しばらくふたりは無言だった。

 そのまま動かなかったシャフサーフだったが、ゆっくりと引き絞った弦を元に戻す。


「やめよう」

「そうですか」


 領主はほっとした様子で笑顔にもどる。

 その様子を一瞥し、シャフサーフが小さく呟く。


「当たらないことがわかりました」

「やはりあれだけの距離、厳しいでしょう」

「距離は問題ではありません。ただ、もしも私が矢を放てば、矢は当たらず、私は反撃により命を落とす。その感覚があった……だけです」

「確かノアサリーナには、5人の大魔法使いがついてると謳われていますね」

「そうかもしれないが、おそらく違います。いや、……なんだ、あの集団? 得体の知れない者が何人も……警戒すべき存在か。忙しくなってすまないが、すぐに立つ」


 シャフサーフは早口でまくし立てると、足下に小瓶をたたき付けた。

 白い煙が立ちこめ、一匹の飛竜が出現する。


「祝賀会にでも出ていただければ。食べるものはありませんが」


 シャフサーフは、領主の言葉を無視し、現れた飛竜の頭を蹴り飛ばした。

 そして、暴れる飛竜に飛び乗り去っていった。

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