第240話 閑話 笑顔の意味(シューヌピア視点)

 なんでこんなことに……。

 ハイエルフの里で目が覚めた私は、身体の痛みを無視してそばにある飛行島へと乗り込んだ。制止する周りの声などおかまいなしに、兄を、兄のいる飛行島を追いかける。


 なんでこんなことに……。


 私はずっと自問する。

 この先にある不穏な気配を感じたのか、ふと私は昔のことを思い出す。

 私と兄とはたったの14歳しか違わない。

 たった、それだけの違いなのに兄はしっかり者だった。

 おっちょこちょいだった私は、いつもそんな兄に助けられてばっかりだった。

 私とファシーア、それにフラケーテアとはたった7歳しか違わない。

 ハイエルフである私達にとって、瞬きするような短い年の差。

 そんな双子の2人は私にとって妹分だった。いつだって私の後をついて歩いていた。

 でも、それは最初だけ……双子はそのうちすぐにしっかり者になった。

 私はといえば、双子がしっかり者になってもなお、ぼんやりさんで、変わらず兄の後ろをトコトコと歩くのみだった。

 このハイエルフの里での長い歴史で、一時に4人も子供がいたのは私達の時が初めてらしい。ハイエルフは里の全員で、子供の世話をする。4人同時は大変だったそうだ。あの時は大変だったと今でも言われる。

 勉強もそうだ。

 地上を旅した皆が色々なことを教えてくれた。文字や言葉、地上の生活に食べ物。

 そんなことばかり聞いていたのだから、私は当然のように、地上に憧れを持った。

 それを目標に弓の練習に励み、勉学に励んだ。


「シューヌピアのお守りをしなくちゃいけないし、大変だ」


 兄はそんなことを言って私に付き合ってくれた。双子も同じように、私の憧れに付き合ってくれた。

 私は夢が叶い、地上に降りることになった。

 地上に降りたらかねてより、海を見てみたいと思っていたので、南に行くことにした。

 双子は東と北に、そして兄は西だ。

 みんなでバラバラに旅をして、再会した後でそれぞれの旅の話をするという予定だ。

 だが、地上に降りて、果てなく続く大平原を前にして不安になった。


「みんなで行かない?」


 そう主張する私に、双子は笑った。


「シューヌピアの意気地無し、しょうがないから一緒に行ってやるか」


 2人が声を揃えて笑った。

 私は「いいもん」と久しぶりに子供っぽい口調で反論し、私1人で行くからと南へと歩いたことを思い出す。

 その光景を思い出した瞬間、涙がこぼれた。

 私は泣いていたことに気がつく。

 あの頃は戻ってこない。

 選択を間違えた。私の、ほんのちょっとの意地のせいだ。意地を張ったせいで……。

 だけど、あの頃の私はまだほんの少しだけ自信があった。

 私はもう1人前なのだと。

 1人で進むこともできるとそう思って、あとはほんのちょっとした意地で大平原を南へと進む。

 だけど、そんな意地もすぐに消えて無くなった。

 巨大な生き物たち。世界樹の葉を食べて途方もなく大きくなった生き物たちが、大きく地団駄を踏み。地響きを起こす。そのような世界樹の上では見ることが叶わない巨大な生き物に度肝を抜かれ。私は急に不安になった。

 戻ろうか、どうしようか、不安には駆られた私がウロウロとしていると馬に乗った兄が近づいてきた。


「ほら、泣くなシューヌピア。やっぱり4人で一緒にいくかい?」


 意地になった私は首を振り、苦笑した兄と2人で旅することになった。

 地上に降りてからは、失敗続きだった。

 すぐに人に騙され、お金がなくなってしまった。

 兄は冒険者となった。ならず者を倒したり、獣を狩ったりしてお金を稼いでくれた。ケンネンヘイムの氷剣使いカスピタータといえば、それなりに名の知れた冒険者だ。私はというと大抵の場合は足を引っ張ってばかりだった。悪者に捕まり、奴隷として売られかけてしまったこともある。その時は、兄が必死になって助けてくれた。

 私達には馴染みのないもの、知識だけしかなかったものもたくさんある。

 見たこともない巨大な聖獣。不思議な音楽、地響きのように辺りを揺らし奏でられる音楽。

 それらは旅の楽しみだ。

 地上に降りれば、常識もかわる。

 世界には身分があるということを身をもって知った。私が奴隷として売られかけたこともそうだし、貴族に対して礼を尽くさないということで町を追われることもあった。

 そんな地上の生活に慣れたのは、旅をして30年を過ぎたあたりだ。

 その頃には、ようやく何とか騙されずに買い物ができるようになった。


「まったく、シューヌピアは懲りないな」

「だって、こんなに不思議がつまった旅なのよ。少しくらい大変な目にあっても、旅は楽しいわ」


 口癖のように、同じ事をいう兄に反論さえできるようになった。


「まったく、敵わないな」

「もう、兄さんったら……。ねぇ、ヌトト、貴方もそう思うでしょ?」

「私は、地上のあれこれよりも、右往左往してもなお楽しいと言い張るシューヌピアの方がよっぽど不思議がつまっていると思うのです」


 世界樹から私を心配し追いかけてきたシルフのヌトトと一緒になっての旅。3人旅。

 本当にあの頃は楽しかった。

 だが、そう思っていたのは私だけだったのかもしれない。

 兄は私のお守りをしていただけだったのかもしれない。

 そこまで思い出し、涙を拭いた。


「助けられてばかりで、私では……兄を助けられないの?」


 遠く先を行く飛行島を追いかけながら、私は再度自問自答する。

 短慮に動いた私とは違い、先を進むノアサリーナ達を思い、自問自答する。

 旅から戻っての日々を思い出す。

 80年以上の旅が終わり、私たちは世界樹へと戻った。

 それから数年後、ほんの少しの差で双子が戻った。

 旅をしていく中で変わらなかったのは私だけだと皆に笑われた。

 兄は凛々しく立派に、そしてちょっとだけ頑固になり、双子はとても美しくなっていた。

 4人が揃って、さらに少しだけ時がたったときのことだ。

 私を助け、今なお、兄のために頑張ってくれている優しいノアサリーナ達と出会ったのは。


「ごめんなさい」


 彼女達を思うと、謝罪の言葉しか出てこない。

 世界樹に飛行島が飛び込んできた。そんなことは初めてだった。

 さらに飛行島から人が出てきたということも初めてだった。

 それがノアサリーナ達との出会いだ。

 印象深いのはノアサリーナの笑顔。

 そして、彼女達の笑顔。

 彼女達は地上で出会った、誰とも全く違っていた。

 どちらかといえば、私たちハイエルフのようだった。

 身分などお構い無し。皆が好き勝手にしているところは、とても好ましかった。

 そして、呪い子としてのノアサリーナ。

 地上では幾たびも呪い子と出会うことがあった。

 最初にあった呪い子に私は全財産を奪われ、それからは警戒して近づくことがなかった。

 私の知る呪い子は、ギラギラと光る恐ろしい顔をした年相応以上に狡猾な者か、もしくは死人に似た瞳をした生きながら死んでいるような者、そのいずれかだった。

 呪い子たちの境遇は酷いものだ。

 それが彼らにあのような顔を、そして人を騙しても当然というような振る舞いをさせていたのかもしれない。


「呪い子の持つ雰囲気は独特のものだ。ハイエルフと違い、人は魔力の揺らぎに脆弱だ。故にあの呪い子の持つ魔力的な威圧に対し簡単に心砕けてしまうのだろう」


 首に縄をかけられ、処刑場に放置された呪い子を見て、兄はそう評していた。

 呪い子を殺せば呪いが降りかかるが、痛めつける分には呪いが降りかからないと言われている。


「世の中には、呪い子をうまく始末してくれる冒険者もいるんだってさ」


 酒場で会った女が言っていたのを聞いたことがある。

 そんな呪い子達。

 ノアサリーナは、そのような呪い子とは全く違う存在だった。

 楽しそうに、そう楽しそうに過ごす呪い子。そして彼らに仕える者達も皆一緒にいてとても心楽しい人達だった。

 彼女達に想いを寄せると、少しだけ希望が湧いてきた。

 無理矢理に笑みを作り、奮い立たせる。

 そう、ノアサリーナが言っていたリーダの教えを実践する。


「リーダがね、一緒にいると皆が優しくなるの。お部屋を貸してくれたり、前なんてね、お菓子までくれたんだよ」


 ノアサリーナと話をするとリーダの話が多い。

 彼女にとって、リーダは世の中で最も頼りになる英雄らしい。どんな事態でも、彼女が思いもしなかった答えを出して皆を幸せにするそうだ。

 そんな彼女がリーダから聞いた教え。

 苦しい時は、笑顔になって、何ができるのか考える。

 ノアサリーナを呪い子と知っても、なお普通の子供として彼女に接したリーダが彼女に伝えた最初の教えらしい。

 魔法でもなく、交渉術でもなく、いかなる学問とも違う、ちょっとしたおまじないのような仕草の話。続くノアサリーナの言葉で、それは感情が行動を変えるのではなく、逆に行動が感情を変えると言う考え。リーダなりの教えだと知った。

 悠久の時を生き、魔法については人とは違う次元にある知識を持つ我々ハイエルフを超え、人の身でありながら魔法陣を編める叡智の持ち主。数多くの精霊と共に生き、それでいて欲を持たない不思議な者達。

 数々の飛行島が魔導具により浮遊し、稼働は魔法陣を通じてする。そんな飛行島の動かし方。このハイエルフの里が、世代を超えた時間を投じて辿り着いた答えを、彼らはほんのひと月足らずで追い抜いてしまった。

 あの夕食時に交わされる何気ない会話で、そのことを知った時、息をすることすら忘れるほどの衝撃を受けたものだ。

 兄は最初、ノアサリーナ達を信用していなかった。ただ利用するつもりだった。かつて私達が地上の誰かにそうされたように。

 だけれど、ニコニコと笑い、着実に仕事をこなす彼らを、兄は信用し始めていた。

 笑顔の力。


「彼らは人というより、我々に近いのかもしれないな」


 ふと漏らした兄の一言。

 私は心底驚いた。驚いた顔を見られたのであろう。


「今のは忘れてくれ」


 苦笑して、照れながら付け加えた一言が忘れられない。


「ウフフ」


 こんな状況なのに笑みが漏れた。

 ノアサリーナ達との夕食を思い出す。

 3人の獣人の仲の良さは、かつての私達を彷彿とさせた。

 兄はたまにぼやくように言う。


「4人で……昔のように、仲良く何かを、くだらない事をしたいものだ」


 それは数少ない兄の望み。

 そして遂に見つける。

 遠くから見える緑のともし火。

 巨大な飛行島。それを目指し落下していく飛行島。

 随分と時間かかったが、私は二つの飛行島を見つけることができた。

 ノアサリーナ達が無事であることにホッとする。

 だが、もう一つの飛行島は、大きく横倒しになっていた。

 何が起こっている? 兄は無事?

 私は焦った。焦りから、外へと飛び出す。

 本当は追わなくてはいけなかったが、私は焦りから飛行島を動かすことを忘れ、自らの目で顛末を見たいという衝動に負けていた。


「大事になっておるようだの」

「守り主様?」


 小屋の外には、守り主であるリスティネル様がいた。

 私を見て、ニヤリと笑う。


「うん。其方が一番のりか」


 守り主様は、興味深そうに言った。

 その笑みに私は苛つく。兄が大変なのだ。

 いや、遅かった。

 守り主様の向こう側、遙か先に見える飛行島。

 私の目に飛び込んできたのは、かろうじて見える飛行島から、兄が今にも落ちようとしているところだった。

 恐ろしいほどゆっくりと落ちていく兄の姿を見て、すぐ側の守り主様に顔を向け、口をパクパクと動かした。

 思いに口がついていかず声が出なかった。

 助けてください、守り主様! その一言が出なかった。

 そんな私を見て守り主様は笑った。


「私は助けぬ。元々、ハイエルフ達、そしてカスピタータが自らの責任をもって行ったことだ」


 まるで、大した事のないように発せられた拒絶の言葉。


「そんな……」


 それに対し、ようやく出せた一言は、私の失望の言葉だった。

 守り主様はそんな私を見て、再びニヤリと笑う。


「そう、私は助けぬ」


 ゆっくり言葉を噛み締めるように呟く。

 そして、ゆっくりと視線を横倒しになった飛行島へと向ける。


「うまくやったようだな」


 続けて満足そうに呟いた。


「え?」

「見事なものよ。全員助けおったわ」


 見ると、日の光をうけて輝く竜が足で兄をしっかりと捉えていた。


「あれは?」

「うん? あれは、ノアサリーナの友人。そう。ほんの少しだけ内緒で家出した。友人よ」

「あ……」


 言葉が出ず、私はへたり込む。


「やれやれ。泣いたり、笑ったり、怒ったり……シューヌピアはせわしないな。だが、やはり今の顔が一番良い」


 私を見て、小さく微笑んで守り主様は言った。


「今……ですか?」

「気付いてないか。其方は今、笑っておる。安堵して、希望をみて、笑っておる。まぁ、しばらくそうしておれ。この島は、私が兄の元まで運んでやろうぞ」


 言われて気がつく。

 どうしてこうなったのかはわからない。

 でも、私は希望を見て、笑っているのだ。

 ノアサリーナが、リーダ達が、繋いでくれた望み。

 兄の望み、私の望み。

 昔のように4人で遊び笑う、そんな望みの叶う未来。

 それが叶う希望を見て笑っていたのだ、と。

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