第224話 閑話 ロウス法国の姫君(後編)

「先程はありがとう」

「いえいえ。あの程度、私が出るまでもなかったでしょう」

「いんや、あれらは死に忘れだった。苦労はしただろうさね」

「そうですか。宝槍を持っていて幸運でした。死に忘れ……増えましたね。神官による浄化以外に決定的な方法がないのが困りものです」


 2人の会話は始まる言葉を書き写すのみだ。

 やや小さめの声でかわされる言葉は集中して聞き取らねばならない。


「死に忘れについては、リーダという者がとんでもない方法で始末した話を聞いたよ」

「魔導具や、神官による浄化……以外でしょうか?」

「死に忘れが、死を思い出すまで攻撃を続けるんだとさ」

「そのような方法が。よく思いつかれたものです。やはり、ただ者ではなかったのですね」


 そう言って、静かにサジタリアス様はカップを手に取り口をつける。

 ロウス法国が誇る茶だ。

 柑橘系の果物を彷彿とさせる爽やかな匂いが立ちこめる。

 ふと見ると、トロラベリア様を始めとする従者へのお茶が側まで運ばれてきていた。

 もちろん、奴隷たる私の分はないのだが、その爽やかな匂いは、ただよう香りだけで私の疲労を拭いとっていく。


「それも含めて、テストゥネル相談役に、話をしたくてね」

「えぇ。あとしばらくすればお見えになります」

「最近、テストゥネル様はご機嫌いかがかね」

「すこぶる良いですよ。特にクローヴィス様がとても積極的になられたことに、喜ばれてるご様子」

「それは。それは。ひょっとしてかの者達による影響なのかね?」


 ここからでは分からないが、スターリオ様が指で何かをテーブルに描く様子が見て取れた。

 それをみて、サジタリアス様はしばらく黙っていたがフッと笑う。


「やはり、ご存じでしたか。テストゥネル様もかの者達を信頼してるようです。クローヴィス様を預けられるくらいですもの」

「確かに……ところでだよ、かの者達はなぜ、あれほどまでにテストゥネル相談役の信頼を得られたのかねぇ?」

「さぁ。スターリオ様はかの者達にお会いしたことがおありで?」

「ほんの少しさね。私には、かの者達が悪人には見えなかった。だが、何かを隠しているのは確かだ。さすがにね、素直に信用する気にはなれないよ」

「おっしゃられる通りです。私も、かの者達に対して警戒を緩めるつもりはありません。ただし、かの者達と一緒に居た別の奴隷の子は素直で、一生懸命で、愛らしかったですのよ」


 何かを思い出したかのようにサジタリアス様がフフッと笑う。

 その笑みは、先ほど槍を降らせ飛竜をなぎ倒した人物とは思えない。


「獣人の子供かい?」

「そうです。テストゥネル様に茶を用意するために、少しだけ手を汚しましたが、その時にお話をした子は少し舌っ足らずなところがあって、とても愛らしかったのです」


 ロウス法国の姫君ともあろうお方が、自らお茶を用意する光景を想像できない。

 テストゥネル相談役。建国の頃よりロウス法国を守る超常の存在。

 王族ですら傅く存在とは聞いていたが、身の回りの世話までしているとは思わなかった。王よりもはるかに格上の存在。私には想像できない。


「へぇ」

「遙か超常なる存在にお仕えするという点においては、立場は違えど共感するところも多くありましたの」

「共感ねぇ」

「そこで彼女に貴方は何が望みなのと、尋ねてみましたの。何か手伝えることがないかと、思いましてね」

「それで?」

「その子ったら、主達のためにお茶を欲しいと言うのです。そこで、手持ちの茶は全て差し上げて、なお後で十分な量を送るとお約束しましたの」


 そう言いながら、再びお茶に口をつける。ロース法国のお茶は高価なものだ。王都では、安いお茶は庶民でも飲むが、ロウス法国のお茶ともなれば、ある程度家格のある貴族でしか飲むことはないだろう。

 私も勉学のためということで口をつけたことがあるが、そのぐらいだ。


「あとで送る……?」

「えぇ。どれぐらい送っていいのかわからなかったので……とりあえず三隻ほど用意しましたの」


 言われるまま書きとどめていたが、三隻というところで手が止まる。

 聞き間違い?

 焦りと、混乱で、思わず横にいるトロラベリア様の方に目を向ける。


「三隻?」


 トロラベリア様も同じように聞こえたらしい。三隻と呟く。


「まさか……あの港で見た、茶の木を満載したロウス法国の船は……」

「えぇ。お茶をプレゼントしようかと思いまして用意した船です。ただ、二隻目は、少し時間が掛かり冬を越しそうなのでどうしましょうかと思っていたところなのですよ」


 再び柔らかな笑顔で、サジタリアス様はおっしゃられた。

 かの者たちとどのような立場の人達なのだろうか。三隻もの船が一杯になるほどのロウス法国のお茶を贈る……。それに見合う立場。

 王族にとっては大したことがないものだろうが、一般の庶民では想像できない量だ。

 心の片隅に、先程奴隷と言っていなかったか……そんな疑問はあったが、あえて考えず、次の言葉を待つ。

 だが、スターリオ様は違った。


「いや、ちょっと待った。バカお言いでないよ。奴隷の子供に、三隻ものガレオン船に満載したお茶を送る? ジタリア、あんた、その子に農園でも作らせる気かい?」


 穏やかな口調とは打って変わり、取り繕いのない、スターリオ様の声が響く。


「えっ」


 サジタリアス様は両手で口を押さえて驚いた様相を見せる。

 そして、サジタリアス様の従者も驚きを隠せなかったようだ。


「いや、かの者は、たったの5人じゃないかね。箱いっぱいのお茶でも1年はもつだろうに、ガレオン三隻とは」

「まぁ、どうしましょう。多すぎたのですね。二隻目と三隻目は止めることができても、一隻目は動き出してますわ。今更止めるわけにも参りませんし……」


 頬に手をあててサジタリアス様は、溜め息をつく。


「たったの5人? テストゥネル様を迎えることができる屋敷ではないのか?」


 記述奴隷だからこそ、聞き取れるくらい小さな声での話が、サジタリアス様の従者達から聞こえる。

 サジタリアス様の従者たちもそこまで詳しく聞かされていなかったようだ。まさか5人だとは思っていなかったらしい。スターリオ様の言葉で初めて、状況を把握できたようだ。


「まぁいい。ここは私が何とかしよう。幸いギリアには知り合いがいる」


 既にロウス法国を出た船については、スターリオが何とかすると請け負って話を終わる。

 テストゥネル様に面会するのはまた翌日ということになった。

 ロウス法国が、用意した館に馬車を走らせる。


「さて、まぁ何とかなるだろう。ヘイネルに投げとけば大丈夫だろう」


 そう呟きスターリオ様は、私の額へと手を伸ばす。

 私はトロラベリア様に紙の束を渡し、されるがままにする。

 スターリオ様のしわがれた指が私の額をこすったかと思うと、ぐらりと頭にゆさぶられたような衝撃が走った。

 記憶が消されたのだ。

 だが、満足な仕事はできたという実感はある。

 私の書いた一日の記録を見るスターリオ様の満足した顔をみればわかる。

 ご期待に添えた仕事をしたのだと。

 それは、今日一日で得た、数少ない私の思い出だった。

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