第92話 俺達の胸の内
俺はプラカードを持ち、声を張り上げてコスプレ喫茶の宣伝をする。
校舎内の混雑した廊下の人混みを掻き分けて、穂波さんのシュルエットを見逃さないよう、辺りを慎重に見渡して探し回る。
目星をつけて向かったのは、穂波さんのデスクがある職員室。入り口のドアノブを回すと、施錠されていて、中に立ち入ることすらできない。
文化祭中は、先生方も様々な場所に監視係として
となると、この混みあった学校内で穂波さんを探し出すのは
放送室に行って呼び出してもらうか?
いや、わざわざ放送で呼び出してもらうような用件でもないしな……。
ひとまず俺は、手あたり次第、先生の人手が必要そうな場所へと当たりをつけて向かうことにする。イベントステージが行われている体育館。昇降口前に設置されたパンフレットなどを配るテント。あとは……
手作りプラカードを片手に持ち、コスプレ衣装で自分のクラスの宣伝を行いつつ、穂波さんを探し回る。
しかし、穂波さんの姿は一向に見当たらない。
もしかしたら、向こうも向こうで動き回っているのかもしれない。
となれば、下手に動かず、どこか一点に止まっていた方が、穂波さんと出会える可能性も高まるのではないだろうか?
考えた結果、穂波さんがクラスの様子を見に来るだろうと見越して、俺は教室へと戻り、顔を出すまで待つことにした。
けれど、教室に戻った後も、穂波さんは教室へ姿を現すことなく、時間だけが刻一刻と過ぎていく。
コスプレ喫茶は、昨日のクラス票獲得数の影響もあったのか、反響が大きく、今日予定していた食材とドリンクをすべて出し切ってしまい、午後三時前にやむなく閉店打ち切りとなってしまった。
残り時間、クラス賞獲得に向けて票を得ることが難しくなり、皆が知恵を働かせて何かできないかと考える。
だが、代替案は思いつかず、天命を待つという結論に至った。
気が付けば、文化祭はあっという間に終了の時間を迎えようとしていた。
スピーカーから文化祭終了を告げる音楽が流れ始めている。
日中来客でごった返していた廊下も閑散としていて、今はクラス企画を終えた生徒たちが、暇を持て余して立ち話している姿しか見えない。
既に陽は傾き、教室の窓からオレンジ色の光が差し込む中。俺達のクラスでも、この青春の新たな一ページを名残惜しみ、心に刻み込むように自分たちの衣装を身に着けて、わーきゃー騒いで写真を撮ったりしている。
俺はその中で一人、貧乏ゆすりをして、落ち着かない様子で椅子に座り、穂波さんが教室に現れるのを教室でずっと待っていた。
「恭太……他の人にも聞いたんだけど、ほなてぃー午後から見かけた人誰もいないらしい。どうしちゃったんだろう……」
「わからない……」
俺と瑠香が不安げな表情で視線を合わせていると、またもや校内放送が流れ、閉会式と後夜祭イベントを行うため、在校生は体育館へ向かってくださいという放送が流れた。
「……悪い、俺ちょっと穂波さん探してきていいか?」
「うん……行ってきな」
瑠香からの許可を貰い、俺は教室に現れない彼女の姿を見つけるべく、椅子から立ち上がって教室を飛び出した。
皆が体育館へと通じる連絡通路へと向かう中、俺はその生徒たちの波に逆らい、縫うように廊下を進んでいく。
目的地に着き、ふぅっと一つ深呼吸してから、コンコンとノックする。
「はい」
扉の締まった明かりのついていない部屋の中から、凛とした聞き覚えのある声が耳に届いた。
俺は固唾を呑んで、先ほどまで施錠されていたドアノブをつかんで、ゆっくりと開ける。
「失礼します」
職員室の中へ入ると、何やら自身のデスクでガサゴソ作業している穂波さんの姿があった。
「はーい、どちらさまっ……」
顔を上げて俺の姿を見ると、穂波さんは
職員室内に、わずかな沈黙が流れた後、その空気を
「何かしら、富士見くん」
穂波さんの声音は、どこか他人行儀染みていて素っ気ない。氷の穂波モード全開だった。
「あっ……えっと……そのぉ……」
菅沢先生の冷たい態度に、俺は何から話せばいいのか分からなくなってしまい、頭をガシガシと掻き、しどろもどろになりながら口を開いた。
「きょ、今日の後夜祭の後、先生のお別れ会も兼ねて、みんなで打ち上げやろうってことになってるんですけど……先生もどうですか?」
「遠慮しておくわ。 それに、後夜祭が終わった後は、寄り道せずに家へ帰宅するのが、本校の規則よ」
「あっ……そ、そうですよね……」
下野谷高校の規定では、文化祭後の打ち上げは暗黙の了解で許されているものの、原則としては禁止。そんなところに、教師を呼ぶなんてお門違いにも程がある。
菅沢先生は、はぁっと呆れ交じりのため息を吐いた。
「まっ、今のは聞かなかったことにしておいてあげるわ」
「あ、ありがとうございます……」
会話は、そこで一度途切れてしまう。
皆に後押しされて、穂波さんに自分の胸の内を打ち明けなければならないのに、喉の奥底まで出かかっている言葉が、つっかえて出てこない。
「要件はそれだけかしら?」
冷淡な声で聞いてくる菅沢先生に対して、俺はびくっと身体を震わせてコクリと頷いてしまう。
あぁ……違う。打ち上げの話なんか本当はどうでも良くて、もっと別のことを話さなければならないのに……。
すると、菅沢先生が目を細めながら俺を射すくめるようにして言ってくる。
「なら、入り口のドアの鍵を閉めなさい、富士見くん」
「……え?」
「だから、そこの内鍵を閉めて頂戴と言っているの」
「あっ、はい。わかりました!」
俺は慌ててドアノブにある内鍵をガチャっと回して施錠した。
再び先生の方へ向き直ると、菅沢先生は何も言わずに何やら片付けのような作業を続けている。
「あの……先生……」
「恭太」
「は、はい……」
「こっちに来て」
先生はようやく作業の手を止めて、俺の方へ視線を向けた。
相変わらず冷たい口調のままだが、名前呼びに変わったことから、何か個人的な話をしようとしているのは間違いない。
俺はゆっくりと先生のデスクの方へ歩いて行く。
俯きがちにデスクの目の前で立ち止まる。
その時、突然穂波さんが、ガシっと俺の肩をつかんできた。
思わず視線を上げると、穂波さんは鋭い目つきで俺を射すくめる。
「ばかっ! なんで帰ってこないのよ! 恭太に話さなきゃならないこと……いっぱいあるのに!」
目を赤くしながらうるんだ瞳で訴えてくる今の先生は、氷の穂波ではなく、俺だけが知っている穂波さんに切り替わっていた。
唇をぐっと噛むようにして俯く穂波さんを見て、俺はようやく気が付いた。
そうか――穂波さんだって、俺と
今にも泣きだしてしまいそうなほど、顔を歪ませている穂波さんを見て、俺はどこか安心感のようなものを覚えて、頬を緩ませてしまう。
緊張感が解けたおかげで、自然と言いたかったことも口から出て来てくれる。
「ごめんなさい……俺、気持ちの整理が追いつかなくて、穂波さんを避けてました。俺も話さなきゃいけないこと、たくさんあります」
「うん……私も、このまま恭太とお別れなんて嫌よ」
穂波さんは鼻を啜りながら、声を震わせて俺に抱きついてきた。
まるで子供のように喚く穂波さんは、俺しか知らない、穂波さんそのものだった。
俺は穂波さんの肩に両手を当てて、穂波さんの正面に向き直って、微笑んだ。
「俺も嫌です。だから、ちゃんと現実と向き合うためにここに来ました。二人で話しましょう、心の内から本当に思ってることを」
「うん……」
頷く穂波さんの目から、ポロリと夕日に照らされて光る水滴が、頬を伝って床へと滴り落ちる。
ここまで来たら、もう嘘や言い訳なんて必要ない。
全て心の内から、思っていることを穂波さんに打ち明けよう。
俺はそう心に決めて、穂波さんの頭をポンポンと撫でながら、泣き止むのを待った。
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