第28話 記憶の欠片
目に映るのはアリッサがシルフィール王女を崖から突き落としたというもの。
アリッサの目は狂気に彩られている。
リュシュランはすぐにでも駆け出したかったが、ワイバーンの事もありすぐには向かえない。
苛立った気持ちはリュシュランの体から立ち上る闘気にも反映される。
ぎゅるりと視界がクリアになる。
まるで猛禽類のような瞳へと変化したリュシュランの目はワイバーンを一瞬怯ませた。
「光よ…。」
手を前に突き出してリュシュランは魔力を集める。
高濃度の魔力が練り合わさって強力な光が手に集まった。
「…貫け!」
荒ぶる力の本流をワイバーンに向けて放つ。
光の筋は2頭のワイバーンを貫いてその命を奪った。
リュシュランはワイバーンが死んだ事を確かめる間もなく駆け出した。
「殿下!いけません。」
遠くで護衛をしていたナイルズの声が聞こえるがそれを無視して崖から飛び降りる。
アリッサが驚愕の瞳でこちらを見たのが分かったが、リュシュランは風の魔力で加速して落ちていくシルフィールの下へと急いだ。
下には川が流れている。
川の勢いは強くそのまま落ちれば命は無い。
気を失っているシルフィールの元へ辿り着いたリュシュランは川に叩き落される間際でかなり危なかった。
着水する寸前に風の魔力で自分とシルフィールを守る結界を作り出した。
だが結界はあっても川に叩きつけられる衝撃がすべて消えるわけではない。
まるで全身を打ったかのような衝撃がリュシュランとシルフィールを襲った。
「うぐっ…。」
それでもしっかりとシルフィールを抱きかかえ支える。
川の勢いは激しく二人を呑み込んだ。
流れのままにリュシュランとシルフィールはただじっと耐えるしかなかった。
どれほど流されてきたのか、リュシュランはゆっくりとした流れに変わったのを見計らってシルフィールを抱えて岸へと辿り着く。
ずっと気が張っていたのかリュシュランは自分が濡れている事に気が付いた。
ぬるりとした温かなそれはリュシュランの血だ。
ワイバーンに切り裂かれてそのまま止め処なく血が流れ出ている。
くらりと眩暈が起きる。
それと同時にくる全身を巡る悪寒にリュシュランは膝を付いた。
少しでも川辺から離れなくては………。
リュシュランはシルフィールを引っ張りあげそのまま意識を失った。
じわりと滲む血の温かさとは裏腹にリュシュランの体は冷たく震える。
ワイバーンには毒がある。
その毒はリュシュランの体を痺れさせ自由を次第に奪っていく。
ゆっくりとしかし確実にリュシュランの命を削っていた。
――――…
シルフィールはなにか温かなものが自分を濡らしていくのを感じて目を覚ました。
目の前には川がある。
シルフィールは自身が血にまみれている事に気が付いて慌てた。
傍には一人の青年が倒れている。
血にまみれた彼はシルフィールの知る人物だ。
震える体がまだ彼が生きている事を示している。
「リュシュラン!」
シルフィールはリュシュランに駆け寄った。
体を上に向けてみれば服は無残に切り裂かれて体には鋭い爪跡が残されている。
止め処なく流れる血を見て慌てるが、シルフィールにできる事は少ない。
治癒の力を持たないシルフィールは血を止めようとリュシュランの傷を炎で焼いた。
玉のような汗を張り付かせてリュシュランは呻いた。
呼吸は荒く顔色もかなり悪い。
シルフィールは震えるリュシュランを抱きしめるしかなかった。
「いや、リュシュラン。このままじゃ…。」
大切な番を失うかもしれない恐怖がシルフィールを襲う。
人を呼んで来なければとシルフィールはそっとリュシュランを大地に横たえると走り出した。
ドレスが足に絡んで何度も躓く。
近くに人がいる事を祈ってシルフィールは真っ直ぐ駆けた。
自分達が流れ着いた場所が何処であるかなど分からない。
それが偶然にもフレイン王国であったのは幸運であったのかそれとも…。
シルフィールはただ愛しい番のために形振りさえ構わずに走った。
「お願い。彼を助けて!」
駆けた先に村があった。
懇願するシルフィールの願いに応えてくれた親切な村人の助けも合ってリュシュランは一命を取り止めた。
そしてシルフィールはこの場所がフレイン王国の領土であることを知り連絡を取る事になった。仮にも疎まれているとはいえ一国の王女だ。
シルフィールの願いを受けすぐに城から迎えがくる。
シルフィールとまだ目覚めぬリュシュランはフレイン王国の城へと連れられた。
――――…
リュシュランはずっと眠ったまま目覚めなかった。
毒の所為なのか血を大量に失った所為なのか命の危機に瀕しているリュシュランは一命を取り止めたものの目覚める様子もない。
シルフィールとリュシュランはフレイン王国の城へ連れられてすぐに分断された。
シルフィールはかつて閉じ込められていた離れへと押し込められて、リュシュランは他国の王族であるとはいえ密入国者として牢へと繋がれていた。
最低限の世話は行われていたがリュシュランの扱いはかなり悪い。
敵国の王子など捕虜以外の何者でもない。
劣悪な環境でリュシュランはずっと命の危機に瀕していたのだ。
「ここは何だ。」
リュシュランは真っ暗な闇の中に居た。
前も後ろも右も左も何処を向いても闇しかない。
思わず呟いた声は闇に飲まれて消えていったがそれに応える者がいた。
「ここは君の中だよ。」
ふいに返ってきた返事に驚いて声の元を探す。
「君は…。」
目の前に現れた人物。
それはまるで鏡を見ているかのようだ。
だがその彼は僅かに幼い感じがした。
「そうだよ。俺は君自身だ。」
「私自身?」
「とは言っても俺自身は消えかけの欠片みたいなものだけど。」
「消えかけ…。」
それを聞いたリュシュランは目の前の自分が記憶を失う前の自分である事を悟った。
「全く最悪な方法を取ってくれたよ父上は。」
「父上が?」
「俺自身を見事に消し去ってくれたな。まぁ、今のお前も風前の灯だけどな。」
「私が…。」
そういえばと気を失う前の事を思い出す。
血を流しすぎた上に毒も受けていた。
どう考えても死なない保証なんてない。
「そ。だからこうして俺と君はこうしてここにいる。」
「ここは私の中だと言ったな。」
「そうだよ。でもそれは正確じゃない。」
「どういうことだ?」
「父上は俺を消し去った事で俺が無意識に抑えていた物さえも取り去ってしまった。」
「抑えて…?」
「ごらん。あれを。」
上空に手を上げたもう一人の自分。
その指す方向を見ると丸い球体が沢山浮かんでいた。
「あれは?」
「あれは竜の記憶。」
「竜?」
「そう。俺たちの始祖である竜とそこから蓄積された子供たちの記憶。」
「始祖が竜だとは聞いていたが、本当だったのか。」
「そうだよ。王族が幼いうちに死んでしまう理由もここにある。」
「どういうことだ?」
「竜の記憶に呑まれるのさ。自我が消失して廃人同然になって命を失う。そして人の血が濃くなって竜の血を抑えきれなくなっているのも一つだね。竜の血は人には過ぎたものだから。」
「そんな理由があったんだな。」
「父上は俺を消した。その時に俺だけじゃなくて俺が守っていた記憶の境さえも消してしまった。そして今、お前自身が死にかけている。記憶の境があやふやになっている今、記憶の渦に巻き込まれて自我が消えるのも時間の問題かもね。」
「君はどうしてそれを私に教えてくれるんだい?」
「俺が残っているのは竜の記憶の一つとしてすでに記録されているからだ。人としての記憶は消せても竜の記憶は消せない。そして俺が君に告げる理由は単純だよ。俺自身でもある君に生き延びて欲しいから。」
「どうして…。」
「俺を育ててくれた母との約束を反故にはしたくない。生きると誓ったんだ。だからお前に力を貸す。」
「どうすればいい。」
リュシュランはかつての自分と真正面から向き合った。
失った物を互いに取り戻すために。
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