第5話 王子の想い
クライン王国の五番目の王子として誕生した私は婚約者を決めるための顔合わせの場で、生涯忘れる事の出来ない少女と出会った。
彼女は決して癒えることのない傷跡を私の心に残して去ってしまった。
いや、去ったなんて言葉は正しくない。追い出されたのだ。私の軽率な発言によって彼女の人生は狂わされてしまったのだ。
彼女の去る間際に見た表情は今でも鮮明に思い出す。
似たような色彩の髪を持つ女性を見るたびに、彼女と似た瞳を持つ者を見るたびに私は彼女らを通して記憶の中の彼女を想う。
まるで記憶の彼女に……
いや、これ以上の事は考えてはいけない。
私は王族であり、追放された彼女を求めることは許されない立場の人間なのだ。
彼女がお茶を冷ますために魔法で氷を生み出したのを見て、驚きのあまりに時間を忘れて固まった。それは今までの常識を覆す驚きの発見だったのだ。
魔法で生み出す氷は決して口にしてはならない。これは水と同様で口にすれば体調を崩してしまうからだ。
そう教わったはずなのに、目の前の少女は当たり前のように氷を生み出してお茶を冷ました。
あの時の衝撃は忘れられない。
それを見た周りの者たちも同様で全員が彼女の行動にくぎ付けになっていた。時間だと彼女が口にするまで誰も動けなかったくらいだ。
優雅に立ち去った彼女の名はエストリア・ブランシュケット。
栗毛色の髪に青の瞳の少女。
その後の事はほとんど上の空で覚えていない。父にその日の結果を報告したのだが、彼女の事しか印象に残っていなかった。エストリア譲の事を話せば父は魔法の氷に興味を持った様子だった。
それからはあっという間だ。
魔法で生み出した氷ができるのであれば、水も当然可能だろう。
彼女の見せた魔法はこれまでの魔法の常識を覆すものだ。
すぐに彼女を招集するための手紙が届けられて、その場に多くの重鎮たちが集められた。王族の立つ場所で私は上からずっと彼女の様子を見ていた。
その時の私は浮かれていて、彼女の魔法が国に認められるのだと自分の事のように喜んでいた。だから彼女の悲しげな表情を見て首を傾げたものだ。なぜそんな表情を浮かべているのだろうと。
しかし、私の喜びは彼女の言葉で覆されてしまった。あれは氷を生み出したのではなく、ドロウの魔法だと。
ドロウという魔法は物を引き寄せるときに使う初歩的な魔法だ。
「そんな!」
彼女の言葉に、周りの雰囲気に呑まれて私は愕然とした。
見間違えだったのだろうか。
言葉が違った為に勘違いをしたのか?
彼女に確認もせずに事を大きくしてしまった私はその場に立ち尽くす。大変なことを仕出かしてしまったと思う反面、なぜか裏切られたような気がした。
彼女の言葉に周囲は騒然となり罵倒さえ飛び出す。多くの者たちが彼女を責め、そして意気消沈した。
画期的な魔法だと信じたものは間違いだったと結論付けられて、彼女は彼女の父によって追放された。
彼女は悪くない。勘違いした私が悪いのに、どうして彼女が追放されねばならない!
去り際の彼女の瞳は絶望と悲しみに染まり、涙を堪えたままこの場から立ち去ってしまった。私はすぐに彼女を追いかけようと思ったが、周りがそれを許さなかった。
彼女は私のせいで追い出されてしまった。それを償う事さえできないのか!ずきりと心に傷が付き、痛み出す。
それはじくじくと私の心を蝕んでいった。
彼女の兄がその後を追いかけていったのが見えたが、それだけだった。彼女の両親は怒り心頭のまま謝罪を繰り返して去った。だが、きっと彼女を追いかけたのではないだろう。
あの日の出来事は幼い私に深く刻み込まれ、あれから何年も経った今になっても忘れたことなどない。紅茶を飲むたびに、女性と話しているだけでも思い出す。
どこを見ていても私の心の底に在るのはいつも彼女だった。
「殿下、そのようにつれなくしないでくださいませ。」
しな垂れるように私に凭れかかろうとする女性。
これまでも多くの女性がこうしてあからさまなアプローチをしてきた。彼女と同じ髪色と同じような瞳の色を持つ女性。
私の中の黒い想いがざわつく。
彼女はもっと柔らかな髪色だった。それに彼女の青い瞳はもっと静謐で、あの深い悲しみに囚われた瞳は私の心を掴んで離さない。
目の前の女性は彼女と同じ状況になったなら、同じような瞳を見せるのだろうか。そんな私の考えが表情に浮かんでいたのだろうか。女性はひっと息を呑んで慌てて私の傍から離れていった。
あのような者が彼女と同じなどとても思えない。私は小さく嘆息して歩き出した。
父は私がエストリア譲の事を忘れることが出来ずにいることに気が付いている。兄たちも同様だ。だから敢えて婚約者を強要したりはしてこなかった。十分すぎるほどに多くの兄弟がいるから一人くらいは良いだろうと見守ってくれているのだ。
エストリアが追放されてから8年の月日がった。
クライン王国は隣国であるパレス王国との戦争状態にあった。
王族であるシリウスは軍の作戦に参加し指揮を執っていた。王太子である第一王子とその参謀として右腕の第二王子がおり第三王子は魔法師として支えている。第四王子は医療に従事しており五番目の王子であるシリウスが軍に入ることになったのだ。
パレス王国の軍はクライン王国の予想を大きく外れた道を行軍して一気に攻め入って来た。
「どういう事だ。なぜパレス王国の軍はこのような道を進めるのだ。」
「それが、パレス王国が飲料に使える水を生み出す魔法の開発に成功したようです。」
「なんだと?」
シリウスの脳裏に一瞬8年前の少女の姿が浮かぶ。
悲しげな表情を浮かべて去っていったエストリア嬢。あれからずっと彼女の瞳を忘れる事ができない。あの懺悔の籠ったような深い悲しみの瞳。
「だが、わが国では結局それはあの娘が言ったように【ドロウ】の魔法であったと話は決着して飲料に使える水の開発は実現しなかったはずではないか。」
「それが上手くいったようです。かのパレス王国は水を生み出す魔法師がいる限り水場を気にせず行軍が出来ています。」
「つまり彼らは水を運んでいないのか。」
「そのようです。」
軍としてどのような手段を取ればいいのか。シリウスは考える。水を運んでいない。魔法師に頼った水。魔力量。それが繋がったとき、一つの作戦が浮かぶ。
「遠距離からの攻撃を交代制で行う。敵の魔法師を疲弊させる。魔法師の魔力が尽きたとき、奴等に生きる道はない。水が無ければ人は生きられぬ。」
「かしこまりました。そのように手配いたします。」
パレス王国の軍は遠距離から絶えず与えられる攻撃にじわじわと疲弊していった。
普通の戦闘であれば剣や騎馬を使った戦いが出来るのだが、何処からともなく降り注ぐ矢と魔法に対抗できるのは魔法師しか居ない。
その為、多くの魔法師が駆り出されるが、防ぐには攻撃を受けている間ずっと結界を維持しなければならない。魔法薬も尽きて追い込まれたパレス王国だったが、撤退しようにも彼らの軍はクライン王国に入り込みすぎていた。
消耗戦となり、魔法師が役に立たなくなった頃、水を失ったパレス王国の軍はあっという間に蹂躙された。飲み水さえなく行き場を失った彼らは投降する以外に道はなかった。
画期的だと思われた飲み水を生み出す魔法。
その欠点を突いたクライン王国の圧勝となったのだ。
勝利に喜ぶクライン王国の城の一室でシリウスは戦後処理を終えて一息ついた。
そして終わった時点で思い出すのは一人の娘。
「彼女はこうなる事を予測して、自らが犠牲となることを選んだのではないか?」
「殿下……。」
傍に控えていた侍従は顔合わせの時にもいた男。当然王子の考えている事は一番に理解していた。
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