第5話 衝突
かつかつと土を踏みしめる自分の足音と、ざわざわと騒がしく声であるはずなのに数が多い為それは明瞭に聞き取ることも出来ずただ、音として認識できる。
大通りからまっすぐに歩いて矢守の宿に辿りついた時、燈火は気が付くと守るべき対象であるはずの姫巫女が傍にいないことにやっと気が付いた。
「しまった!姫巫女殿は…。」
慌てて辺りを見渡すが、その傍にも周囲にも彼女の姿はない。
大通りには未だ人が多く歩き回っており、この中から探すのは大変そうに見える。
そもそも、燈火がこんなになるほど思考に耽ってしまったのは、報告の時にはなかった鬼の特徴を聞いたからだ。
「人型の鬼と聞いていたなら数を揃えて来たものを。」
燈火が強いと言っても通常の餓鬼を対峙するのとそれ以外の鬼と対峙するのでは勝手が違う。
赤鬼・青鬼ならまだしも、人型の鬼が相手ではどう考えても一人で対峙するのは得策ではない。
人型の鬼は一匹で厄災を振りまくと言われるほど強大な力を持っている。
封術師一人で相手が出来るならとっくにこの国から鬼は居なくなっているだろう。
「姫巫女もいないし…とにかく、探さなければ。」
燈火は雑多な音を排除するように意識を集中させる。
巫女姫と呼ばれる少女の気配を探すのだ。
少しずつ調べる範囲を広げていく。
それは、自分自身の意識を外に向ける方法。
そうすることで、目的の物や人を探すのだ。
これは、失せ物探しの基本である。
大通りから外れた場所まで意識を広げてやっとそれらしい気配を見つける。
動かないところからして何か問題が起きたのは明白だ。
燈火は人が行き来する大通りをするりと走り抜けながら目的も場所へ駆けて行った。
「あれは…。」
巫女姫が居ると思われる場所で三人の男たちがこちらに向かって逃げてきた。
一体何事があったのか血相を変えて逃げ去った男たち。
しかし、燈火はその男たちよりも優先させる相手がいる。
そのまま進んでいくと納屋のような建物に二人の姿を見つけた。
一人は当然護衛対象である巫女姫だ。
そして、もう一人の姿を遠くから見て違和感をもつ。
明らかに毛色の違う銀の髪。
女ものの着物を着ているが、その大きさは明らかに合っていない。
そして何よりその者の持つ雰囲気が明らかに異様だと感じて思わず首に下げた数珠を手に取った。
あれは人ではない。
しかし、鬼と断ずるにはその気配は神聖すぎる。
今まで出会ったことのない異様な存在に燈火はごくりと息をのんだ。
しかし、護衛であり封術師である燈火は二人をそのままにしておくことは出来ない。
せめて、相手が何者なのかを知らなければと首にかけた数珠を外して勢いよく二人の元へと駆けた。
「巫女殿!」
燈火の声に小夜はぱっと顔を上げた。
しかし、その姿を見ることは出来なかった。
ばさりと羽織を翻した銀月は突然の襲撃者に眉を顰める。
パラパラと数珠が銀月の周囲に広がり散らばる。
羽織を投げ捨てて銀月は敵に向かって駆けた。
「燈火様、お待ちください!」
小夜の叫びは虚しく燈火には届かなかった。
いや、聞いていて敢えて無視しているのかもしれない。
銀月の瞳は金だ。
異形の証を持つ彼を封術師である燈火が放っておくわけがないのだ。
パシャリと音がして銀月に清められた水が降りかかる。
ぽたぽたと滴り落ちる水。
それを向けた相手を煩わしいと睨み付けた銀月だったが、そんな悠長な事をしていられる相手ではない。
あっという間に間合いを詰められて錫杖で胴を払われた。
「うぐっ。」
はっきり言って鍛えられた封術師を相手取る対人戦闘など経験のない銀月は突然の痛みに呻き声をあげる。
その体は軽々と吹き飛ばされて地面に転がされた。
その瞬間に、一片の符が飛んできて銀月に触れるかどうかのところで爆発をする。
起爆符と呼ばれる札だ。
立ち上がろうとしていた体は体勢を崩して再び地面へ叩き付けられた。
爆発の力で肌は焼けじくじくとした痛みが走る。
「大丈夫ですか姫巫女殿。」
「燈火様、彼は私を助けてくれたのですよ!なぜ攻撃するのです。」
「異形の者を放ってはおけません。」
ちらりと未だに煙を上げている場所意識を向けて燈火は答えたが、内心ではかなり焦っていた。
最初に投げつけた数珠は神聖文字が刻まれておりそれを撒けば鬼はその場から動くこともできないはずだった。
しかし、問題なく動けた上に清められた水さえ効果がない。
水をかけられれば鬼は焼けて逃げ出すはずだったが、どうみても彼の反応は水を懸けられて鬱陶しいという普通の人間と変わらない反応だ。
仕方がないので直接錫杖で攻撃したのだが、これでは普通の対人戦と変わりない。
「銀月!」
巫女姫が彼の元へと向かおうとするのを腕で掴んで止める。
煙が晴れて見た姿に燈火は唖然と固まった。
肌蹴てボロボロになった着物と焼けただれた素肌が外気に晒されており、ぺたりと座り込んだまま動かない銀色の異形はぽたりぽたりと涙を流して泣いていた。
痛みに震え声を我慢して泣く様は幼い子供と変わりない。
しかし、驚くところはそこではない。
涙が流れそれが伝って焼けただれた肌に染みていく。
その涙が落ちた場所は徐々に赤みが引いて怪我がみるみる治っていくのだ。
あっという間に傷が修復され、怪我があったことなどまるで嘘のように消え去った。
「治癒の力だと?」
「よくも…。」
銀月の瞳がまっすぐに燈火に向けられる。
その眼には怒りが宿っており先ほどとはまるで違う強力な力の気配に燈火は慄いた。
ざわりと周囲の音が消え去ったように濃厚な圧力が辺りを支配する。
純然たる怒りの矛先を一心に受けて燈火は動くことが出来なかった。
ゆらりと立ち上がる銀月はゆっくりと燈火の目の前まで歩いてくる。
そうして気が付くと燈火は吹き飛ばされていた。
単純に殴り飛ばされたと言い換えてもいいだろう。
地面に転がされて燈火は慌ててその身を起こす。
追撃を受ける可能性を思えば賢明な判断だと言える。
だが、今回に限って言えばそんな必要もなかった。
一回殴り飛ばして気がすんだのか銀月の気配はすでに収まっており、地面に落ちた羽織を拾っているところだった。
「あの、銀月…ごめんなさい。せっかく助けてもらったのに。」
「別に、縄を解いただけ。」
そう言って羽織を持って立ち去ろうとした銀月だったが、ふと何かに気が付いたように小夜に視線を向ける。
くんと匂いを嗅ぐような仕草を見せて首を傾げた。
「鏡…。」
「え?」
「まぁ、いいか。」
小夜の頭をなぜかぐりぐりと撫でて銀月は微笑んだ。
唐突すぎて何が何だか分からないままの小夜だったが、鏡という単語で思い出したように懐からそれを取り出す。
売られた先代の品である鏡だ。
「これ、知っているの?」
「その鏡は覚えている。匂いが同じだから。」
「に、匂い?」
「そう。あの女の匂い。」
銀月は先代の巫女の腹から生まれたが、彼女自身を母として扱ってはいない。
銀月が生まれた時にはすでに死んでいたからだ。
それでもどこかで母として本能が認めているのか言葉にはしていないが、着物を大切に身につけているところからそれが伺える。
燈火は勘違いをしていたが、銀月が先ほど涙したのは決して自身が傷つけられたからではない。
肉体の損傷であれば癒すことが出来る銀月は失われた着物を思って泣いていたのだ。
「銀月はこの鏡の持ち主の事を知っているの?」
「…知っているけど知らない。」
「先代姫巫女様は生きていらっしゃるの?」
銀月は即座に首を横に振った。そして切なそうに言葉を紡ぐ。
「女は死んで、俺が生まれた。だからもうこの世にはいない。」
「そんな…って貴方が生まれた?どういう意味なの?」
「言葉通り。それ以上に答えはない。」
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