Dream of a Cradle外伝
叶 望
導きの牛
むかしむかし、あるところに牛飼いの少年が、小高い丘に住んでおりました。
少年はひょろりとした体型で、髪は栗色、瞳も至って普通の茶色。
遠くから見ればかかしにそっくりな体形でありました。
年は十二歳頃のようで、まだ幼い顔つきをしております。
牛飼いの少年が住んでいるその丘の名前は、鈴の丘といいます。
なぜそう呼ばれていたのかというと太古の神々の時代に話は遡ります。
かつて邪悪なる存在が人々の持つ闇から生まれ世界を滅ぼさんと蠢いていた時の事です。人々を襲う闇を払うべく、神々と闇との壮絶な戦いがあったといいます。
しかし、その闇は神々にも完全に滅ぼすことができないものでした。神々は邪悪な存在を封じるために神器を作り、闇と戦って様々な形を持ってそれを封じたのでした。
その内の一つは巨大な鈴で小さな丘と同じくらいの大きさがありました。神々はそれを地上に留め置くことで封じとしたのです。
その鈴が時を経て、小高い丘となって今に至ります。
さて、その鈴の丘の麓に鈴の丘村という小さな村がありました。この地は海から遠くはなれ、山に囲まれた人口は数百人の本当に小さな村です。この村では、見知らぬ顔はおらず、よそ者は見れば分かるという程でした。
その小さな村で最近、それも鈴の丘に稲妻が響き渡り、巨大な落雷があってからというもの人がぽつり、ぽつりと行方不明になるという事件が起こり始めました。
それまで、普通に暮らしてきた人が突然、何の前触れもなく消える。
そして、誰一人として帰ってこない……。
人は、それを神隠しと言います。
鈴の丘に住む牛飼いの少年は、その日買い出しの為に、村に降りてきていました。
そうは言ってもこの時代、大抵が金銭でやり取りされる現代と違い物々交換が主流でした。
当然、牛飼いの少年も荷車に様々な畜産物を持って出かけてきました。買出しというと大抵が纏め買いなのです。
そこで村で異変が起こっていることを初めて知ったのでした。
それは、ジャガイモやニンジンなどの野菜と畜産物を交換していた時の事です。
話をしてくれたのは、岡本家に嫁いできたばかりの娘で名前は千代といいます。
髪を1つ括りにして束ねており、村娘とは思えないほど華奢で肌は白い。
見るからにおしとやかに見える風貌とは裏腹に、話好きで喋りだすと止まらないおしゃべり雀という言葉がぴったりと似合う若い女性でした。
【岡本の妻 千代】
「ねぇ、坊やの所は大丈夫なんかい?」
【牛飼いの少年】
「大丈夫って、何のこと?」
【岡本の妻 千代】
「まさか、知らないっていうのかい。まぁ、無理もないね。あんたは丘の上に住んでいるから話が伝わらなかったんだねぇ。」
【牛飼いの少年】
「???」
【岡本の妻 千代】
「あれがさ、起きているんだよ。あぁ、口に出すのも恐ろしい。」
【牛飼いの少年】
「あれ?」
【岡本の妻 千代】
「そうさ、あれだよ。…神隠しさ!!」
【牛飼いの少年】
「!!!」
千代さんの話はあっちやこっちへと右往左往していましたが、かいつまんで話すとこう言う事でした。
ある時は男。ある時は女や子供、そして老人。あらゆる年の者が消えていっている。
特に選ばれているという訳ではないようで、
消えていくのは大抵その人と関わりがあった者達らしいという事でした。
はじまりはどの家だったのか分からないほど、あちらこちらで人が消えていくのです。
ある時は突然と消え、またある時は、叫びながら消えていきました。
その人を追いかけて走って、角を曲がった時にはすでに遅くその姿は見えなくなってしまいます。
消えていく直前に見た彼らの顔は恍惚として笑っているそうです。
そして、人ではありえない速さで駆けていくという……。
恐ろしや。かどわかされし、その姿。
まるで怪談話のようで普通に暮らしているならば、関わりのなさそうな話でした。
話し終わると、千代さんはふっと顔を曇らして溜息を付き、悲しげな瞳で少年を見ました。
いつもの、楽しげに噂話をする千代さんの表情は今や何処にもありません。
牛飼いの少年はそんな千代さんの表情を見て当然だと感じました。
それほど多くの人が村から消えたのだから
中には、大切な人もいただろうと。
それにしても、やけに様子がおかしくそわそわとしています。
【岡本の妻 千代】
「実はうちの人も昨日から姿が見えないんだよ。」
【牛飼いの少年】
「!!!」
そうして、千代さんは目を伏せて言いました。
【岡本の妻 千代】
「坊やも気をつけるんだよ。」
牛飼いの少年が返事をしようとした時、千代さんは、はっと面をあげました。
【牛飼いの少年】
「千代さん?」
【岡本の妻 千代】
「今の、聞いたかい?」
【牛飼いの少年】
「???」
【岡本の妻 千代】
「声だ。あの人の声……。」
【牛飼いの少年】
「???」
【岡本の妻 千代】
「帰ってきたんだね!!あんた!」
【牛飼いの少年】
「!!!」
千代さんは、風のように駆けていきました。
そして、千代さんが帰った姿を見た人は誰もいませんでした。
そうしてまた一人、村人が消えていったのでした。
牛飼いの少年は、買い出しを終えて帰りました。
明くる日の朝、いつもと同じように日々の仕事をこなして同じように過ごしておりました。
日が沈みかけて、今日の仕事も無事に終えたと思い、牛たちを小屋に入れ家路に着こうとしたその時のことです。
遠く日の沈むところ、先日鈴の丘に雷が降り注ぎ形の崩れた辺りに奇妙なものを見ました。
ポツリと黒い影のようなモノです。
それは、人によっては大切な人にも見え、
また人によっては自ら欲しているモノに見えるでしょう。
その形は人によって様々な姿や形に映るのです。
牛飼いの少年には、その姿が大切な家族ともいえる牛の子供に見えたのでしょうか。
それとも……。
少年は思わず駆け出しました。彼は先程小屋に入れた牛の数を忘れてしまったのでしょうか。大切な家族ともいえる牛たちの顔を覚えていなかったのでしょうか。
いや、そんな事は思いもしていなかったでしょう。牛飼いの少年はそれを追いかけました。
しかし、どこまで走ってもそれに全く追いつくことができなかったのです。
少年はふと何かに気がついたかのように立ち止まりました。
辺りはすでに暗くなっていました。
そんなに走っていたのでしょうか?
時計があればそれがものの数分も経っていなかった事が分かったでしょうが、そんな気の効いたものは、この時代あまりに高価で持ち合わせていなかったのです。
夜の闇に塗りつぶされたような、歪に歪んだ森の中にいつの間にか牛飼いの少年は迷い込んでいました。
少年は立ち止まったまま辺りをぐるりと見回しました。
風の音もなく、ただ何かの気配だけはある。
そんなずっしりとした重い空気がそこにはありました。
それこそ素人でも、分かるほどの異変が周囲に漂って、少年の額に汗がにじみました。
時間の流れがいやに長くなってただ人なら逃げ出すところです。
そうでなければ、単純に身動きが取れなくなって動けなかっただけなのでしょう。
勇気があるものならば、きっと周囲を注意深く観察し考えたでしょう。
何が起こっているのかと把握しようとしたはずです。
しかし、牛飼いの少年は違いました。
しんとした重い空気が震えるほど高々として凛とした大きな声を発しました。
見えない相手に向かって問うたのです。
ただ人なら、畏れて声なんて震えていたでしょうが少年の声ははっきりとしていました。
普通であれば、理解できないものに恐れ、
慄くものなのです。
しかし驚くべきはその口調や声でした。
それまでの少年のものとは思えない声音です。
見知った人が聞けば、驚くほどでしょう。
少年の表情もまるであどけない少年とは別人のようです。
【牛飼いの少年】
「何者だ。」
暗い森に向かって問う少年は、真っすぐに何かを見ていました。
それは見えないのではなく、ただ人には見えないはずの何かを少年はしっかりとその瞳に捉えていました。
それは、黒い闇……。
ただ黒いのではありません。様々なモノが溜まった汚泥のようなどす黒い巨大な存在がそこにありました。
あるべき形をもたず、ただ蠢いている靄のようなモノ。今にも襲い掛かってきそうな程の狂気を孕んだ何かがそこには在りました。
その何かは、話す口を持たないのでしょうか。
問いに対する答えはただ無言。
かわりに、先程までの獲物を前にした獣のような気配が急に警戒に変わりました。
牛飼いの少年は続けます。
【牛飼いの少年】
「最近起こっている鈴の丘近辺での神隠し。主の仕業か?」
ざわりと闇が蠢きました。まるで、その通りだと肯定するかのように動いています。
【牛飼いの少年】
「…そこまで、肥大するのにどれほどの人を喰らった。」
少年の声に力が籠ります。
闇は牛飼いの少年をあざ笑うかのようにざわざわと更に大きく広がるだけでした。
【牛飼いの少年】
「………まだ喰い足りぬというのか。」
少年を包み込むように意思を持つ闇がどっと押しよせました。
今までやってきたことと同じように、闇は少年を飲み込んでいきます。
ただの少年なら叫び必死にもがくところでしょう。
そして、闇は更に大きくその甘美な声を聞きながら、成長するはずだったのですが……。
【黒い闇】
「!!!」
漆黒の闇の中、輝くものがひとつありました。少年の周囲を囲む光が襲い掛かる闇を阻んでいるのです。
結界とも言える壁がそこには在りました。
しかし、闇はそれでも引かずに更に力を加えます。今までに喰ったものの中に、多少抵抗できる力を持つ者がいたのでしょう。
力と力の拮抗が起こりました。
闇が少年を食らおうと力を込めている中、闇は無いはずの目で少年見ました。
【黒い闇】
「!!!」
少年は僅かに口元を緩めて笑っていました。
闇は驚きます。
この状況下で笑っている獲物に出会ったのは初めてだったのです。
そして驚いたのはそれだけではありませんでした。
少年の姿が今までとは何かが違っていました。瞳の色も髪も黄金に染まって光が洪水のように溢れ出していたのです。
そして…。
【黒い闇】
「!!!」
巨大な力と力が弾けました。突風が起こったかのような、強力な衝撃が周囲を走り闇は慄きました。
初めての経験に怯えた闇は一目散に逃げだしました。
【牛飼いの少年】
「………逃げたか。」
闇は去りました。
そして、闇が逃げたその先に暖かな光があったのです。闇が走り去った方へ牛飼いの少年は歩いていきました。
すると、辺りはまばゆく光に包まれ世界が反転しました。
牛飼いの少年は鈴の丘に立っておりました。
目の前には先日落雷があった場所があり、その跡に何か白いモノが見えていました。牛飼いの少年が、辺りを掘ってみると何かの骨が出てきました。
牝牛の骨です。
それも、身重の牝牛のものでした。
少年はその骨とそこにあった土を混ぜ、鈴のような声で言葉を唱えました。
【牛飼いの少年】
「我はこの地で、邪悪なる存在を封じる鈴の神。」
【鈴の神】
「邪念にとり憑かれしモノよ、鈴の音によりて払い清められたまえ。汝が子は、汝の骨と土をもって我が眷属として生命の息吹を与えん。」
鈴の神は祝詞を唱え終わるとその骨と土を混ぜ合わせたものにフッと息を吹きかけて、
鈴の丘の竈で丁寧に焼き上げました。
出来上がったのは、小さな鈴です。
それを鈴の神は晴れた日の朝にコロコロと鳴らしました。
すると、その鈴は光り輝やいて暖かな光を生み出しました。その光は次第に形を成して
白い身体と黒ぶちの牛の姿となったのです。
鈴の神は、その手に持っていた鈴を、生まれた牛の首にかけて名と役割を与えました。
【鈴の神】
「主の名は、導きの神。導きの牛となりて人々を光へ導け。」
こうして導きの神として、導き牛は今日も人々を光へと誘うのです。
-END-
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