第五話 恋敵との決着

「ただいま」

 僕は誰もいない家に向かって言った。一人暮らしなら誰でも思うこの物寂しい感じ。

 僕は楓のおかげで生まれ変わった。そう自分を信じて、帰ってきた。変わったと言っても外見だけで中身はあまり変わっていなかった。自分に足りないものは既にわかっている。

 心の強さだ――

 そればかりはまだ、未熟である。それさえ身に付けば、彩子さんに当たれるはずだった。

「そういえば、彩子さんは今日、自宅にいるのだろうか?」

 僕は床にしゃがみこみ耳を澄ました。なんの音かわからないが、何かの物音を聞こえた。おそらく彩子さんは在宅中かもしれない。レンタルはいつしようかと迷う。今のままでレンタルをしてもいいのかと脳内で混乱する。

 だが、一本の着信で判断が遮られることになる。

「もしもし」

 僕は電話に出る。

『よう。ニノ。久しぶりじゃないか』

 宇尾島康介からだった。

「康介……久しぶり」

 最後に会ったのは合コン以来だ。

『今日、夜少し会えないか?』

「うん。大丈夫」

 僕もちょうど康介と話したいと思っていた頃だ。

『じゃ、初めて呑んだバーに二十時に来てくれ』

「了解」

            ☆

カランカラン

 バーのドアベルが店内に鳴り響く。カウンターには既に康介の後ろ姿があった。

「康介」

「おう。ニノ、来たか」

 康介は既に何杯が呑んだのか、顔が少し赤かった。隣に着くと早速、康介は言った。

「ところで昨日のニュース……見たか?」

 康介が話題にしたニュースは昨日、天野がストーカーで捕まった事件の事を言った。天野は実名で報道されたが、被害者である楓は研修生アイドルとだけ報道された。なので、僕のことや楓のことはニュースには一切書かれていないことになっている。

「俺は天野さんのことは慕っていたが、ただの変態だった。そのことが辛くてな。今日は愚痴を聞いてもらおうと思って呼んだ」

「実は康介。その天野が狙っていたアイドルは僕の妹だった」

「え? どうゆうことだ?」

 康介は初めて聞いたような反応をした。少しは知っているかと思ったが、何も知らないようだ。なので、僕は昨日あった出来事を康介に説明した。

「なるほど。つまり、俺もニノも天野さんに騙されていたってことになるのか」

 康介は納得したように俯いた。

「まさか、あの時に妹の連絡先を入手していたとは……やられたって感じだよ」

「ん? ってか、ニノの妹ってアイドルなのかよ……誰?」

「二ノ宮楓って言う駆け出しのアイドルだよ」

 そう言うと、康介はスマートフォンを取り出し、何かを検索した。

「――二ノ宮楓。本当だ。ウィキペディアに乗っている。ニノとは似ても似つかないほどメチャクチャ可愛いじゃないか」

「…………」

 確かに僕と楓はあまり似ていない。むしろ似ていたら、アイドルにはなれなかっただろうが……。

「でも、彩子には敵わないだろうな」

 康介は付け足す。彩子さんと比べられたら勝負にもならない。

「ニノ!」

 康介は改まる。

「事件に巻き込むようなことさせて申し訳なかった」

 康介は頭を下げる。

「いや、気にしなくていいよ。康介が悪い訳ではないしさ」

 康介は右手を差し出す。

「お前、やっぱ、良い奴だ。これからも仲良くしようぜ」

「……ああ」

 僕は康介と握手を交わす。

「そういえば、彩子の件はまだだったな。何か秘策でもあるのか?」

「いや、ないけど、でも堂々とアタックしてみせるよ」

「そうか、俺も同じだ。そういえばニノ、なんか雰囲気変わったような……」

 照明が暗いバーなので気づくのが遅れたようだが、康介は僕を全体で見てなんとなく変わった事を口にした。

「ああ、楓にファッションや髪型を選んでくれたから……どう?」

「前よりかはマシだな」

 康介はあえて、良いとも悪いとも言ってくれなかった。

「思うことがあるんだけどさ……」

 僕は親密に言う。

「人を好きになるって、どうゆうことなのかな? 天野を見て思ったんだ。天野が思っている好きってものはただ、アイドルを自分の傍に置きたかった――女が傍にいればそれでよかったって感じだったけど、僕や康介の一途に好きって言う気持ちはどうなんだろうって。僕は恋愛したことがなかったからよくわからないけど、このまま、好きでいて何もしない方が誰も傷つかなくて済むとか思っていたりして……あれ? 僕なに言っているんだろう」

 途中、自分が言いたいことが頭の中でどのように表現したらいいのか分からずうやむやになってしまう。しかし、康介は何が言いたいのか、なんとなく察してくれた。

「好きなら相手に言えばいいんだよ。見ているだけだと、天野さんみたいに変なストーカーになりかねない。つまり、相手が嫌がる好きは迷惑をかけるだけで不愉快にするだけのもの。だから、不愉快にさせるまでの間はセーフってことだ」

「確かにそうだけど」

「何も心配いらないさ。好きって言われて嫌がる人はそんないないよ。まぁ、例外もあるかもしれないが、大体は嬉しいはずさ」

「例外って?」

「例えば、言われた相手が嫌いな人だったりとかだな。必要以上に言われたら嫌がる対象になるかもしれないし。彩子はさ、別にニノのこと本気で嫌いってことじゃないんだろ?」

「うん。そうだけど」

「なら、嫌いって言われる前までは可能性あるから大丈夫だな」

 康介の前向きな発言に悩みが薄れた気がした。

「彩子と決着をつけるなら、こうゆうのはどうだ? 同じ日、同じ時間、同じ場所で俺とニノが同時にレンタルする。脈アリな方に彩子がどちらかに来るってのは?」

「同じ日、同じ時間、同じ場所……」

 僕は康介の言葉を復唱した。

「そう、それではっきりするだろ。どっちが彩子にふさわしいのかが」

「確かにそれで来てくれたら嬉しいけど、もし、来なかったら……」

「その分、ショックもでかいってことになる。いいじゃないか、これで白黒ハッキリ付くことだし。もしかして怖気付いたか?」

 康介にニヤニヤ笑う。

「随分、自信あるね」

「もちろん。ニノと比べたら、レンタル歴長いし、付き合いも長い。おそらく勝てるかもな」

 康介は自信満々で言う。

「……わかった。それで彩子さんの気持ちがわかるならやろう」

 僕は挑戦を受けた。

「じゃ、場所はユニバーサルスタジオジャパンにしようか」

「え? そこって……」

「そうだ。彩子がもっともデートで喜ぶテーマパークさ。その場所で誰とデートをしたいのか、彩子自身が決める。悪くないだろ?」

「ユニバーサルか……」

「もし、待ち合わせに来て彩子が現れなかったら、ショック以前にここまで来て一人だけとか、そんな悲しい日はない。虚しく来た道を引き返すことになる。これはプライドをかけた勝負になる」

「なるほど」

「勝負前に一回デートしておくか?」

 康介は提案する。

「うん。二時間だけでもデートしておきたい……かな」

「なら、そのデートを終えてから勝負しよう」

 康介は余裕だった。僕に優しい一面と捉えるべきか。

カランカラン

 店内に鳴り響くドアベル。ひと組のカップルが入店する。カップルがカウンターの席についた時、僕の表情が固まる。

「彩子さん……」

 メガネでスーツを着た、いかにも真面目そうな誠実な男と一緒に彩子さんがバーに入店したのだ。その様子は康介も見ていて、僕と同じく固まっていた。

「ん? どちら様ですかな? あや、知り合い?」

 馴れ馴れしく、彩子さんの事を『あや』と呼ぶ男。それに対して彩子さんは

「うん。私のお客さんです」

 彩子さんは僕達と一切目線を合わせない。

「あぁ、そうですか。どうも、竹内純一です。いつもあやがお世話になっています」

 礼儀正しく、竹内と名乗る男は僕と康介に会釈をした。それにつられて僕と康介も軽く会釈をする。

「マスター! いつものやつ」

 竹内はそう言うと彩子さんに肩を回した。その様子を見ていた僕と康介は嫉妬に包まれた。

「あ、あの、失礼ですが、あなたは彩子のなんですか?」

 康介が竹内の前に行き、聞いた。

「ん? あぁ、私もあなた方と同じく、あやをレンタルさせてもらっているものです。なので、今は貴重なデート時間中なので邪魔をしないでいただけますかな?」

「……失礼」

 康介は席を離れ、僕の元に戻ってきた。

「どうやら、お客さんみたいだな」

 康介は僕に耳打ちをした。あの様子だと、予想通りだが、こうして彩子さんの生デートを見られるとは思いもしなかった。

「店……出ようか?」と、僕は提案する。

「何言っているんだよ。他人のデートを観察できるなんて良い機会じゃないか」

 康介は好奇心で居座るつもりだ。確かに僕も康介とのデートを目撃した時、好奇心で後を追っていた事を思い出し、康介の気持ちがよくわかった。

 竹内と彩子さんのテーブルには高そうなワインが並べられていた。

 あの竹内と言う男は見た目からして相当の金持ちのように見える。

 身に付いているアクセサリーからして、金で倒立されていた。

「あや、僕との出会いに乾杯!」

「乾杯!」

 竹内と彩子さんは高そうなワインで乾杯した。

「じゅん君、これ美味しい」

「当然さ、君の口に合うものを頼んだんだからね」

 彩子さんは恋人モード全開で、竹内はキザな事を言っている会話が聞こえてくる。

「……うっ」

「ニノ。堪えろ。これも試練だ」

 反対側で嫉妬の渦を巻いている僕に康介が制圧した。

 三十分が経った頃、彩子さん達は良い感じにお酒がまわっていた。

「あやちゃんは僕の彼女だよね~」

「そうですよ! あなただけの彼女です」

 彩子さんは人差し指を唇に当てて可愛いポーズをする。遠くから見ていてもその姿は可愛かった。

「じゃ、彼女ならキスするもんだよね。はい、チュー」

 竹内は彩子さんに迫ってくる。それに対し、彩子さんは椅子から降りて距離を取る。

「竹内様、それは禁止事項ですので、止めてください」

 彩子さんは恋人モードを解いて、ビジネスモードになった。

「あんだよ! 恋人ならキスくらいするだろうがよ~」

 竹内はアルコールがまわったのか、羅列がおかしくなる。

「私の嫌がることをしないでください。それがデートを始める前の約束です。これ以上迫ってきたら接近禁止にしますよ?」

 彩子さんは脅すように言った。遠くから見ていて彩子さんが怖い。

「所詮、レンタルってことか? 何なんだよ、どうせしてほしいと思っているくせに。仕方がないからキスしてやるよ。感謝するんだな」

 竹内は彩子さんの手を無理やり掴んだ。

「痛っ……」

「彩子さん!」

 僕は立ち上がった。

「さぁ、今夜はこのままホテルにでも行こうか」

 竹内は不適な笑みを浮かべる。

「……じゃ、ここを出ましょうか」

 彩子さんは諦めたように言った。

「え?」

 僕はその様子に困惑した。

「そーこなくちゃ! マスター! お勘定」

「あ、彩子さん! 本当にホ、ホテルに行くんですか?」

「…………」

 彩子さんは俯いたまま、答えない。

 支払いを終えた竹内は彩子さんを連れて、店を出ようとする。

「ちょっと! 彩子さんってば」

「部外者は黙っていろ! おとなしくしてな」

 竹内は紳士的な態度とはほど遠い発言をした。竹内は酒を呑むと性格が豹変する危ないやつなのかもしれない。彩子さんは何も言うことなく、竹内に引かれ、店の外に出て行ってしまった。

「康介!」

「おう。マスター、お勘定」

 僕と康介はそれぞれ自分が呑んだ分を支払った。店を出て、左右を確かめる。いない。

「二手に別れよう。俺は右。ニノは左を頼む」

「わかった」

 康介と僕は左右それぞれに向かって走り出した。

         ☆

「彩子さん、彩子さん」

 僕は夢中で彩子さんの行方を捜した。もし、このままホテルに行かれたら、竹内と性交をしてしまうことになる。それだけは許せなかった。途中で、彩子さんの気力がなくなったのが気がかりだ。何故、彩子さんは素直に竹内について行ってしまったのだろうか。前髪で表情が見えなかったので、何を思ってついていったのか、判断がつかない。彩子さんはもしかしたら、竹内のような男がタイプなのだとしたら僕はどうすることもできない。人の恋愛に踏み込む勇気はないからだ。彩子さんは受け入れたような感じがしてならない。今までの彩子さんを見てきて、どんな男でも倒してしまう実力がある。放火男を止めた発言力、負けず嫌い、男二人がかりで倒してしまう格闘技。どれをもってしても彩子さんは負けることはない。そんな強い彩子さんがついていってしまうということがイコール受け入れたと、判断してしまう。止める勇気がないけど、じっと、してられない。僕はとにかく状況を確かめたかった。もし、彩子さんが自らの意思で行ったのなら諦めて帰ろう。まずは確認が先だ。

 僕は歩道を走っていった。

「うわー!」

 近くで男の叫び声が聞こえた。僕は立ち止まって、声がした方に耳を澄ます。聞こえた方に辿って行くと、そこは建物と建物の間の狭い通路だった。確かにここから声がした。僕はゆっくりと通路に踏み込む。中間くらいにたどり着くと、人影が見えた。

「おや?」

 僕の気配に気づいたのか、人影は僕の方に視線を向ける。彩子さんだった。彩子さんの向かいに縦長の収集ゴミ所があり、そこに下半身だけ飛び出している竹内の姿があった。見事に半ケツ状態でゴミと一緒にぐったりしていた。

「彩子さん……これはもしかして彩子さんが?」

「さぁ? 突然この方がゴミに埋もれたいと申しまして、ゴミと一体化しているところですよ。変な趣味ですよね」

 そんな訳あるか! 僕は心の中で突っ込んだ。おそらく、彩子さんが竹内を成敗した結果だろう。若干、彩子さんは息を切らしている。女の子らしく手を口に当てて、それを隠しているのだろうが、僕の目は誤魔化せられない。これが彩子さんの仕業だとしたらとんでもない馬鹿力である。一部始終を見られなかったのが、惜しかった。

「彩子さんはその人がタイプで誘いに乗ったのではないのですか?」

「やだな~。何を言っているんですか、二ノ宮さん。そんな訳ないじゃないですか」

 意外とご機嫌に言う彩子さん。

「さすがに店内で問題を起こすようなことはしたくなかっただけですよ。私、目立ちたくないので! あえて、誘いに乗ったように見せかけて店を出るのが私の目的でした」

 そうゆうことか。僕は誘いに乗ってないと聞いて一安心した。

「無事で良かったです。怪我は……なさそうですね」

「はい。汗で少し、化粧が落ちたくらいですかね」

「そうですか」

 彩子さんはハンカチで汗を拭う。

「あ、そうだ! お金請求しないと」

 彩子さんは思い出したかのように両手を合わせて言う。

「二ノ宮さん! 手伝ってください」

 彩子さんは手招きをして僕を呼ぶ。

「そっちの足を持ってください。私は反対の足を持ちますので――では、引っ張りますよ。せーの! せ!」

 彩子さんの掛け声で竹内の両足を引っ張り、ゴミの中から引きずり出した。引きずられた竹内は気を失った状態だった。竹内を道路に寝かした。

「起きなさい!」

 彩子さんは頬をペチペチ叩く。

「ふぇ?」

 竹内はマヌケズラで目を覚ます。

「起きましたか」

「う、うわあぁぁぁー」

 竹内は目を覚ました早々、彩子さんの顔を見て、立ち上がり奇声をあげた。

「おっと! 逃がしませんよ?」

 彩子さんは竹内の襟を掴む。まるで彩子さんに怯えている竹内の様子にどのように仕留めたのか疑問であったが、それは知らない方が良さそうだ。

「では、本日の請求ですが……二時間のデートで一万二千円。指名料は初回なのでタダ、交通費三千円。そして、今回、ルールに違反しましたので、迷惑料として一万円を上乗せさせていただき、占めて二万五千円になります。こちらの口座に一週間以内にお振込みください。それと、竹内様は違反をしましたので、レンタル彼女のご利用は制限をかけさせていただきます」

 彩子さんは竹内に請求書を渡した。それを受け取った竹内は一目散に逃げ出した。まるで、幽霊を見たかのように、その足取りは速かった。一体どのような成敗をしたのだろうか。

「あの人はよくレンタル彼女を利用するのですか?」

「いえ、今回が初めてです。お金持ちでルックスはいいのですけど、二重人格のせいで女性にはモテないみたいですね。今回依頼したのはその二重人格を直したかったみたいですけど、どうやら当分先の話になりそうですね」

「そうですか。変な人もいるんですね」

 初回で彩子さんのことを『あや』と呼ぶとはなかなかの馴れ馴れしさだ。僕としては考えられない。

「二ノ宮さん、最近依頼なかったですけど、どうかなさいました? それとなんだが、以前と比べて雰囲気が変わっているような気もしますが……気のせいですかね」

「気のせいなんかではありませんよ。僕は彩子さんに認めてもらえるように努力していました――と、言っても外見だけですが、それなりに変わったと思います」

「ほほう。それは頼もしいですね。私はいつでもお待ちしていますよ――レンタル彼女として」

 またしてもレンタル彼女を尊重して言った。

「実は彩子さんにお話があります。近々、僕と康介のどちらかがいいのか、選んでほしいのです」

「と、いいますと?」

「同じ日、同じ時間、同じ場所で僕達は彩子さんをレンタルします。彩子さんはどちらとデートをしたいのか、レンタル彼女としてではなく、女として選んでください。これは僕達の決着でもあります」

「私を賭けて勝負……ということですか? 生憎、私はそんなことはしません。そんなもの早い者勝ちです。先に予約をした人を最優先でデートに向かいますので」

「もし、同じ日、同じ時間、全く同じタイミングで言われたらどうしますか?」

しばしの沈黙。彩子さんは腕組をして考えた。

「うーん。仮にそのようなことがありましたら迷いますね。どちらかを承諾して、どちらかをキャンセルする……と、いうことになりますからね。でも、そういうのは悪いので最善の選択としてはどちらもキャンセルしますかね。そうすれば、選ぶ必要はありませんから」

彩子さんは言い切った。彩子さんの選択はどちらも選ばないということだった。

「それは困ります。どちらか選んでもらわないと」

「……そう言われましてもね」

 彩子さんは少し困り果てていた。

「そうだ! 彩子さん」

 僕がそう言った矢先、康介の声が聞こえてきた。

「おーい!」

 歩道から康介の声が聞こえてきたので、僕は歩道に飛び出して康介を呼んだ。

「康介! こっちだ!」

「ニノ、彩子は?」

「うん。無事だよ。そこの路地にいる」

 康介と僕は彩子さんのいる路地に向かう。

「……彩子はどこにいるの?」

「……あれ?」

 ふと、目を離した隙に彩子さんの姿は消えていた。おそらく、反対側から抜けて、どこかに行ってしまったようだ。

「彩子さん……」

           ☆

 彩子さんがいなくなった路地に僕と康介はその後、ここであった出来事を話した。彩子さんが竹内を制圧したところはうまくごまかして、彩子さんとの会話を康介に言った。

「どちらも選ばない……か」

康介は僕の言ったことを復唱した。

「で、彩子は帰ったのか?」

「うん、多分。基本、彩子さんは用が済んだらすぐ帰ってしまう人だから……」

 まだ、話したかったことがあったのだが、それはまたの機会になりそうだ。

「じゃ、ニノ。後、一回、彩子とデートしてこい。そしたら次の日に同時に予約をしよう」

「同時って具体的にどうやってするつもり? 直接会うには予約がいるし、電話で言っても一人ずつでしか予約できないし……」

「そこは決まっている。彩子に直接言えば良い話だ」

「え?」

「つまり、ニノがこれからする通常のレンタルでデートが終了した時点で俺と合流して、同時に次回のレンタルを予約する。だが、その時点では返事をもらわない。返事は当日ってことになる。そこでどちらが彩子にふさわしい男か決まるということになる――どうだ?」

 康介は自分の提案が完璧と言わんばかりにドヤ顔してみせる。

「うん。わかった。じゃ、通常のデートは二時間の食事ってことにして終わったら康介と合流ってことにするよ」

「ふ、ふ、ふ、彩子との最後のデートになるかもしれないから精々楽しむことだな――ニノ」

 康介は何故か上から目線で言う。僕は小さく拳を握ってメラメラと火を燃やしていた。この売られた喧嘩、買わない訳にはいかない。 僕と康介の恋敵の決着の時は近い。

             ☆

 僕は自宅のアパートに帰宅したが、家には入らずに別の部屋に向かった。そう、僕は部屋の真下に住んでいる彩子さんの部屋の前でとどまっていた。部屋の明かりは付いていたのでまだ、起きている。

 僕は深呼吸して呼び鈴をゆっくり触れる。

 ピンポーン

「うわ!」

 自分で押しておいて、押した後に緊張が高まる。荒い息を吐きながら呼吸を整える。

『どちら様ですか?』

 インターホンから声が聞こえてきた。その声に違和感を覚えた。彩子さんの声にしては随分低い。いや、これは中年の男の声だ。

「あの、彩子さんの自宅ですよね?」

『…………』

「あ、すいません。二ノ宮です」

『あぁ。二ノ宮さんですか』

 声は彩子さんの声に戻っていた。さっきの声はなんだったのだろうか。

『すいません。ヘリウムガスで声を変えていました。何か御用ですか?』

 どうやら、以前言っていたように誰かと話す時はヘリウムガスを使って小細工をしていたようだ。自分が大家と言うことをバレたくない為の細工だ。

「実は先ほど言い忘れたことがありまして、今よろしいでしょうか?」

『申し訳ありませんが、玄関扉を開けることはできません。用があるのでしたらこのままお話ください』

 彩子さんは扉を開けることを拒否した。話すならこのインターホン越しで喋るしかなさそうだ。

「では、単刀直入に言わせてもらいます。僕とデートしてください」

『……それは、レンタル彼女としてということでしょうか?』

「そうです。依頼します」

『そうですか、わかりました。では、いつにしましょうか?』

「明日の十二時から一四時までというのはどうですか?」

『……少々お待ちください』

 彩子さんは一旦、インターホンから離れた。表情が読み取れないので、何を感じたのかこちらからはわからなかった。逆に彩子さんはカメラが付いているので、僕の表情は丸見えだ。

 彩子さんがインターホンから離れて、三分後に戻ってきた。

『お待たせしました。明日、十二時から一四時まで大丈夫です。場所はどうしましょうか?』

 OKの返事をもらえて僕はガッツポーズをした。電話と勘違いしていたので、僕の姿は彩子さんからみれば丸見えだったので、後から気づき、インターホンに目をやる。

「あの、ここに迎えに来ます。アパートの前で集合ということでいいですか?」

『わかりました。デートプランはどういった感じでしょうか?』

「あ、ランチです」

『二時間コースのランチですね。承知しました』

 まるで二時間コースの食べ放題のように聞こえてしまう。これは、二時間のデートという意味だと、自分に言い聞かせる。

「では、明日お願いします。おやすみなさい」

『はい。おやすみなさい』

 インターホンは切れて、まもなく彩子さんの部屋の明かりが消えたのだった。

              ☆

 翌日の正午、僕は支度を終えて、アパートの前に待機していた。家を出てすぐそこが集合場所だったので、気楽に出られた。

 すると、彩子さんの玄関扉が開いた。

「お待たせしました」

 本日の彩子さんの服装は黒のミニスカートにピンクのキャミソールのスタイルだった。たとえ、二時間のデートであろうと、服装に手抜きは一切なかった。最近の流行に乗っている。

 それに対して、僕も服装には気を使っていた。茶色と白のボーダーにジーパン。白のナイロンの上着の組み合わせだった。これも楓の推薦の服であった。

「……以前と比べてお洒落になりましたね。二ノ宮さん」

「はい。彩子さんとのデートなので気合を入れました」

「なるほど――悪くないです」

 彩子さんの評価は良いようだ。

「では、デートを始める前の注意事項です。私の嫌がることをしないでください――以上です」

 これを聞くのは何度目だろうか。そろそろ聞き飽きた頃合いだ。

「本日のデートは二時間でランチ、間違いないですか?」

「はい」

「では、始めましょうか! 彼女タイムスタートです」

 彩子さんは腕時計のスイッチを押した。

        ☆

「りっくんとデートって久しぶりだぁ。楽しみ。どこ連れてってくれるのかな?」

 早速、彩子さんは彼女モードに入り、身体を寄せてくる。

「えっと、彩子さん、和、中、洋どれがいいですか?」

「和食、中華、洋食ですね……そうですね、私の今の気分は洋食です」

「でしたら、ピザとパスタの美味しいお店があります。そこに行きませんか?」

「あ、行きたい!」

 彩子さんは目を輝かせながら言った。歩いて一五分ほどで、一件のパスタ専門店が見えてきた。

「ここです」

「お洒落なお店ですね。よく来るのですか?」

「最近来ました」

 お洒落な店に疎い僕は事前にいくつかの店を調べ尽くした。全ては彩子さんに喜んでもらう為である。

 入店し、窓際の席に誘導されて席につく。

「ここのクリームパスタは美味しいそうですよ」

「そうなんだ。それにしようかな」

「わかりました――すいません」

 僕は店員を呼んでクリームパスタを二つとレギュラーのピザを一つ注文する。一五分ほどで注文した品は全てテーブルに並んだ。

 店員が去った後、彩子さんは目を星にしながら輝く。

「すごく美味しそう」

「さ、彩子さん、食べてくださいよ」

「では、お先にいただきます」

 彩子さんはパスタをお上品にフォークとスプーンを使ってくるくるまとめて食べる。

「美味しい!」

 僕はその様子を観察してお腹を満たしていた。いや、ちゃんとパスタは食べているが、パスタより彩子さんに目がいってしまう。

「ちょっと! りっくん。そんなにまじまじと私を見ないでよ。恥ずかしいじゃん」

 彩子さんにそう言われ、気づいた。いつの間にか、僕は彩子さんをガン見していたようである。

「あ、ごめん。彩子さんの食べる姿があまりにも可愛いから」

「え?」

「あ……」

 しまった! 堂々と言いすぎてしまった。

「ふふ。りっくん。口がうまくなってきたね。普通の女の子なら確実に今ので、堕ちているわよ」

 彩子さんは左手を頬に当てて顔をしかめた。レンタル彼女にはまだ通じないのだろうか。この流れで僕は言った。

「僕は君がほしい……」

「え……?」

「いや、その……僕は彩子さんにふさわしい男になりたくて、努力してきました。まだまだ足りまいかもしれませんが、僕はあなたのことが好きで、好きで……」

「りっくん……あれ? 泣いているの?」

 彩子さんに言われて気づいた。僕は涙が溢れていた。

「場所……変えましょうか」

「……そうですね」

 僕と彩子さんはランチを終えて、料金を支払い、店を出た。

          ☆

 レンタル彼女終了まで残り一時間――。

 僕と彩子さんは近くの公園に来ていた。下手に移動で時間が過ぎて、彼女終了時間になるよりかはあまり移動せず、彩子さんと少しでも長く会話をしていた方が有効に使える。池がある広い公園で僕と彩子さんは並んで歩く。

「…………」

「…………」

 やばい。何を話せばいいのかわからなくなってきた。時間が勿体ない。この貴重な時間を何も話さないままではあまりにも惜しい。何か、何か話題を。話題。話題。話題……。いくら考えても咄嗟に思いつかない。

「りっくん」

 沈黙を破ったのは彩子さんだった。デートをリードすることばかり考えていたが、やはりここはデートを熟知した彩子さんがリードした。

「せっかくなのであれに乗って話したいな」

 彩子さんが指したのは、ボートだった。

「はい。乗りましょうか」

 僕は彩子さんの提案に乗った。ボートに乗ってデートなんていかにも恋人らしい定番のデートだが、僕は彩子さんと乗れるだけで嬉しかった。おそらくこれを乗ったら彩子さんと恋人が終わってしまうが、最後の時間はボートで過ごすことに心から楽しもう。

 ボートのレンタルをして、彩子さんを奥に乗るように誘導する。当然、ボートを漕ぐ役目は僕だ。

「きゃ! 結構揺れますね」

 彩子さんは可愛らしく、声を発しながら言う。

「彩子さん、大丈夫ですか?」

 僕は彩子さんの手を持ってあげながら心配する。

「はい。りっくんが支えてくれているので、問題ないです」

 彩子さんが乗ったことで水面が揺れる。僕もボートに足をかけてなんとか乗車する。

「では、行きます」

「はい。よろしくお願いします」

 僕は初めてのボートに焦りを生じた。受付の人に教えてもらった通りの手順で檜を引いた。

「お!」

 ゆっくりとボートは陸から離れていく。そして、徐々に水面の真ん中まで流れていく。

「りっくん。頑張ってください」

 彩子さんは僕がボートを漕ぐ様子を応援した。その様子に僕は彩子さんに応えるべく、懸命に檜を回した。

「ボートを漕ぐって案外難しいものですね」

「何言っているんですか。初めてにしては上出来ですよ」

 彩子さんは僕を見て微笑んだ。僕は目が合わせられなくて目線を逸らす。相手が見ていなければいくらでも見られるが、目が合ってしまったらすぐ目を逸らすのが僕の悪い癖だ。

「はは。すぐに目線を逸らす。ねぇ、私を十秒だけ見つめてくれませんか?」

「え?」

「見つめてほしいんです」

そう言って、彩子さんは僕をじっと見つめた。彩子さんに言われて僕も彩子さんの顔をじっと見る。目と目が合い、視線を逸らしそうになるが、我慢して逃げずに見つめた。

「…………あ、あ」

「…………」

 彩子さんは何も言わずに、僕の顔をガン見する。僕は心臓が弾きれそうになった。ただ、目を合わすだけがこんなに緊張するとは思いもしなかった。

「はい。十秒経ちました。やればできるじゃありませんか。目と目を見ることが恋愛には大事なんですよ」

「はい。……そう、ですね」

「後、三十分を切りました。時間もあまりありませんので、残りはボートの上で一問一答でもしませんか?」

「一問一答……ですか?」

「はい。もちろん答えられないことは答えられません。では、まず私から質問します。りっくんの休日の過ごし方は?」

「家でゲームですかね。では、次は僕の番ですね。彩子さんの好きな食べ物は?」

「ホットケーキです。では、私から……」

 僕と彩子さんの他愛のない一問一答は続いた。質問すればするほど、彩子さんの事がどんどん知れるような気がした。まさかの答えや予想外の答え、予想通りの答えと様々だった。質問している間は自然と笑みが溢れて楽しい気分になれた。そんな時、さりげなくした質問で笑いは消える。

「彩子さんの生きがいってなんなのでしょうか?」

「…………」

 彩子さんは黙ってしまう。地雷を踏んだ質問だったのだろうか。

 すると、彩子さんはボートを立ち上がり、先端をつま先だけで立った。まるでタイタニックのラストシーンのように両手を大きく広げた。

「彩子さん! 何しているんですか? 危ないですよ。戻ってください!」

「心配ですか?」

「当たり前じゃないですか」

「おそらく私の生きがいはそうゆうことなのだと思います。人に心配される……私のことをちゃんと見ていてくれる……私の存在を受け止めてくれる。多分そんな人がいてくれるのが私の生きがいなのかもしれませんね。私は親に捨てられ、身内や友達も離れていく人生を歩いていた……。だから、そんな人がいてくれたらいいなとは思いますね」

「いいから、早く戻ってくださいよ。危ないです」

「でも、たとえ、そんな人が現れても、私の元を離れていきます。おそらく」

「そんなことありません。僕が彩子さんの全てを受け止めます」

「私には一生返せない借金があります。私のことは忘れて、他の女の人と恋愛したほうがいいですよ」

「僕は彩子さんの全てを受け入れます。だから……」

 ピピ! ピピ! ピピ!

 お決まりの彼女終了のアラームが彩子さんの腕時計から鳴り響いた。

「どうやら時間ですね」

 彩子さんはボートに座った。

「ボートを戻してください。戻しながら、本日の請求書について話させていただきます」

 時間切れとなった彩子さんはビジネス口調に戻り、淡々とお金の話をした。    

          ☆

「よっと!」

 彩子さんはかっこよくボートを飛び降りた。

「では、金額は以下の通りですので、振込みをお願いしますね。では、私はこれで」

 仕事が終わり、すぐに帰ろうとする彩子さんに僕は呼び止めた。

「待ってください」

 僕の呼びかけに彩子さんは足を止めた。無言だった。振り返ることもなく。

「僕じゃ、ダメですか? 人として、男として、彼氏として……。確かに僕じゃ頼りないかもしれませんが、彩子さんを愛する気持ちは誰にも負けません。たとえ、どんなに彩子さんに不幸が訪れていても、僕も一緒に不幸を背負います。だから……」

「申し訳ありませんが、私は本気で付き合うことはありません。二ノ宮さんの気持ちは嬉しいですが、私はダメな女なのです。わかっているでしょ? レンタル彼女は心から喜んではいけない。お客様を喜ばせるデートをするのが、私の使命」

「なんでそこまでレンタル彼女にこだわるのですか? 彩子さん自身はどうなんですか?」

「私は……」

 僕は彩子さんの足元を見て気づく。水滴が足元に溢れていた。雨なんかではない。彩子さんの涙だった。

「それ以上、私に構わないでください。これ以上、構われると……好きになってしまうから」

「え?」

 聞き間違いではない。彩子さんは確かに好きになってしまうと言った。

「あなたもしつこい人ですね。二ノ宮さんは正真照明一途さんです。ある意味肝心します」

 彩子さんは振り返った。うっすらと涙を浮かべて。

「彩子さん。僕は、ずっとあなたを見ていました。キャストと客の関係を繰り返してきて思うんです。仕事の為だと言われればそれまでですけど、好きという気持ちはこうゆうものなんだなって……これが恋愛だと、感じました。なので、僕としてはこの関係にピリオドを打ちたいと思います。もし、彩子さんが僕のことを好きになれないのだとしたら、今度は依頼も会うこともしません。潔く、田舎に帰ります。でも、彩子さんが少しでも思ってくれるなら、まだまだ諦めません。だから、彩子さん、レンタル彼女としてではなく、一人の女として聞かせてください。僕と付き合ってください」

 僕は手を差し出した。

「ちょっと待った!!」

 僕と彩子さんの背後に新手が現れた。

         ☆

「抜けがけは許さないぜ。ニノ」

 僕達の前に現れたのは康介だった。

「宇尾島さん?」

 彩子さんは康介の登場に反応を示した。

「約束が違うじゃないか。ニノ」

 康介は少々不機嫌だった。康介にこの場所を知らせたのは僕だ。勢いで彩子さんに告白していたのを見て不機嫌な様子だ。

「彩子! 返事は待ってくれないか?」

「……これはどうゆうことですか?」

 彩子さんは僕と康介を交互に見て言った。

「彩子さん、これについては謝ります。でも、この場には康介も必要だと思い、呼びました。ご理解ください。すいません」

 僕は彩子さんに頭を下げた。

「彩子。実は気づいていると思うが、俺もニノと同じく……いや、ニノ以上に彩子が好きだ。たとえどんなことがあろうと、彩子を愛することを誓う。だから、レンタル彼女としてではなく普通の彼女になってほしい。一生幸せにしてみせる。だから付き合ってほしい」

 康介は手を差し出し、頭を下げた。

 二人同時の告白に彩子さんの顔は困り気味だ。

「えっと……」

「彩子さん、今は返事をしなくていいです。考える時間を作ります」

「え?」

 僕と康介は目で合図をして彩子さんに言った。

「「来週の日曜日にユニバーサルでデートしてください」」

 僕と康介は同時に言った。

「どうゆうことですか?」

「僕と康介が同じ日、同じ時間、同じ場所であなたを待ちます。デートしたい方に来てくれませんか」

「それって以前に仰っていたことですよね?」

「はい。彩子さんの答えはそれで聞かせてくれませんか? お願いします」

「お願いします」

 僕と康介は頭を下げる。

 彩子さんは頭を抱えて大きなため息をする。面倒なことに巻き揉まれたと感じたのだろう。だが、仕方がない。彩子さんを好きになってしまったのは僕だけじゃないのだから。

「彩子……さん」

 黙り込んでいる彩子さんに僕は問いかける。

「男のロマンと言うやつですか。こんな事に巻き込まれて私は不幸ですね」

「「すいません」」

 二人で謝った。

「しかし、そうゆう依頼なのでしたら引き受けます。でないと、お二人は諦めてくれませんものね」

「「はい」」

 二人同時に良い返事をする。

「わかりました。私がデートをしたいと思った方に行きます。レンタル彼女の依頼引き受けました」

 彩子さんは敬礼した。

「ユニバーサルは私の一番好きなデートポイントと言うのは調べ済みのようで関心です」

 それを聞いて康介は照れる。

 その後、詳しい打ち合わせを済まして彩子さんはやりきったと言わんばかりに安堵する。

「では、私はこれで失礼します。来週お願いします」

 彩子さんは誰に言ったのかわからないように言った。すでに答えは決まっているのであろうか?

 彩子さんが去った後、僕と康介は互いを見つめ合った。

「いよいよ、来週だ。どちらに来ようと恨みっこなしだからな」

「ああ、もちろん。康介には負けないから」

「言ってくれるぜ。じゃ、またな」

「うん」

 僕と康介は背中合わせになってその場を後にした。

              ☆

 デート当日――

 この日はいつもの日ではない。僕と彩子さんにとって大事な日だった。彩子さんと正式に付き合えるかもしれないと、僕の鼓動は高くなりつつある。ずっとずっと望んできた彩子さんとの恋も今日でピリオドが打たれることになる。

 一足先にユニバーサルに訪れた僕は地球儀の近くにいた。そこにもう一人、恋敵である康介の姿があった。

「康介」

「よう、来たか」

 康介は自信にありふれた顔をしていた。

「ニノ! 俺の左右対象に待機してくれよ。彩子がどっちに向かったかわかるように」

「わかった」

「今のうちに帰る用意しといた方がいいかもな。俺、勝つから」

「へ! そっちこそ、帰る準備しといた方がいいよ」

 僕は康介に負けをとらなかった。

待ち合わせの時間まで少しずつ迫っていく。時計の針が進むのが長く感じる瞬間だった。次第に緊張の汗が流れる。何度も腕時計を確認する自分がいた。その間、僕の心臓は暴れだす。何人も僕の前を通り過ぎていくカップルが羨ましかった。自分も早くああなりたいと強く思う。これで、帰るはめになったらどんな顔をして帰ればいいのやら。最悪の結末が頭に過ぎり焦り始める。

そして、時は来た。

前方に禍々しいオーラを放ちながら彩子さんがゆっくりと歩いてきた。その表情は迷いがない顔だった。

「……彩子さん来い」

 僕は声に出して願っていた。段々と僕と康介の元に近づいてくる。その距離は約五十メートルまで縮めていた。

 僕は見るのが怖くて目を閉じてしまった。その間も彩子さんは徐々に距離を詰めてくる。彩子さんの足音が耳に大きく響く。一歩、二歩、三歩と少しずつ彩子さんが迫ってくる。彩子さんが選んだ相手はどちらなのか、後、数歩で答えがわかる。僕は懸命に祈りを続けていた。数秒が長く感じられるというのはこうゆうことを言うのだろうか。手足が震えていた。知りたいけど知りたくない。知るのが怖くて仕方がない。常に最悪の結末を予想してしまう。

やがて、彩子さんの足音は消えていった――立ち止まったからだ。目を開けた先に答えがある。知るのが怖いけど、僕は勇気をふり絞って、ゆっくり目を開けた。そして、目線の先には――

「お待たせしました。二ノ宮様」

 彩子さんが僕の目の前にいてそう言ったのだった――

 僕の恋は新たに幕を開けた瞬間だった。

「お待ちしていました。彩子さん」

           ☆

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