冒険譚その1 ~冒険者の店『イフリートキッス』~

~冒険者の店『イフリートキッス』~ 1

「はぁはぁ……」


 ゴブリンの群れからかろうじて逃げ切った少女――リルナ・ファーレンスは城壁の内側でへたりこむ様にして息を整えていた。

 ちょうど城壁の影となっている場所で、彼女を撫でていく風は気持ちよく、ほどなくして体力を取り戻す。


「大丈夫かい、お嬢ちゃん」


 リルナが立ち上がったのを見て、兵士の一人が声をかけてきた。先程は甲冑の兜のせいで見えなかったが、白い髭をたっぷりと蓄えた老人だ。鎧姿でリルナを抱えて走ったところを鑑みるに、相当な実力者の様だ。


「はい~、大丈夫です。でも荷物が……」


 老兵は後ろを見る。そこにはもう一人の兵士がいて、彼は首を横に振った。あきらめてくれ、というジェスチャーだ。

ちなみに、そちらの兵士はかなり若く、新人兵士の様だ。ベテランとルーキーの門番コンビは、仕方がない、諦めてくれ、というニュアンスの表情をリルナに送るのだった。


「すまないな、お嬢ちゃん。だが、どうして一人で来たんじゃ。護衛でも雇えば……おっと、もしかして?」

「はい~。わたし、冒険者です」

「なるほど、ルーキーという訳か。一人ではあのゴブリンの群れは、厳しいのぅ」


 さすがのベテランお爺ちゃんも一人でゴブリンを相手するのは骨が折れるわい、と苦笑する。


「背中の武器は抜かなかったのかい?」


 若い兵士が、リルナの後ろ腰に吊るされた武器を指差す。それは黒い鞘に収められた一本の剣だった。


「いえ、実は使えないんですよ」


 リルナは剣を外し、老兵へと渡す。ズッシリとした思い手応えに、老人は思わず目を見開いた。


「こ、これは倭刀じゃないか。お嬢ちゃんがどうしてこれを?」

「とある洞窟で……売ろうと思っても値段が付けられないって断られて。譲るといった知り合いの戦士の人にも断られました。レベル0には荷が重すぎるって」


 たはは~、とリルナは苦笑する。

 そういう彼女もレベルは0。しかも前衛職でもないので、到底使いこなせる代物ではなかった。文字通り無用の長物だ。


「ワシにも無理じゃわい。謹んで、お返し申す」


 老人は丁寧に頭を下げて、倭刀と呼ばれる刀をリルナへと返した。


「そんな凄い武器なんですか?」

「うむ。それなりの実力を持つ者が使えば、鎧ごと真っ二つじゃ。剣の刃すら斬ってしまうという伝説もある」

「うへぇ」


 若者が少し興味深く見てきたので、リルナは遠慮なくルーキー兵士に倭刀を手渡した。


「正直、どうしようか困ってます。あはは……」


 リルナにしてみれば、倭刀よりもバックパックの方が大切だったらしく、背中の寂しさを憂いて大きなため息を吐いた。


「あ、そうだ」


 しかし、何かを思い出したのか姿勢を正し、息を整える。途端に彼女の体が硬直した。まるで世界に縫い合わされた彫像の様に、風になびくはずのマントや髪すらも停止する。


「おぉ、もしや」


 老兵が感嘆の声を漏らす。それは、驚きよりも懐かしさをこめた声。

 そんな彼の期待に応える様にして、リルナの腕が動き始める。その指先は白い光を伴い、その軌跡を空中へと記していった。

 宙に描かれるは三重の真円。その中には古代より伝わる旧文字、または神代文字と呼ばれる複雑怪奇な文字が模様の様に書き込まれていった。

 魔方陣。

 もしくは、召喚陣と呼ばれる魔法で描かれた陣だ。


「お嬢ちゃん、召喚士だったのかい?」

「はいっ」


 リルナは返事すると同時に光る指先で円の中心を叩く。その瞬間、魔方陣が内側から外側へキラリと輝き、世界が変化した。

 先程まで何もなかった空間に、バックパックが現れたのだ。


「す、すげぇ。なんだその魔法……」

「召喚じゃよ、若いの。昔はそれなりに冒険者として居たのじゃが、最近はめっきりと見なくなったもんじゃ。まさか嬢ちゃんが召喚士とはな。バックパックも返ってきたし、見事なもんじゃ……どうした?」


 かっかっか、と褒めるベテラン兵士だが、リルナはガックリと肩を首を落としていた。


「中身がない……」

「すでにゴブリン共に荒らされた後か」


 小さく丸まってしまいそうになっているリルナの肩を老人はガシっと叩いた。手甲を装備したままなので、それなりの衝撃があり、リルナは跳び上がる。


「痛いよ、お爺ちゃん」

「かっかっか。まぁそう気を落とすな、若人よ。こういう時は、冒険者の店を頼るといい。お前さんの力になってくれるじゃろうて」

「うぅ……そっか~。ちょっと行ってみるっ」

「うむ。ここから真っ直ぐに行けばサヤマ女王のおわすサヤマ城じゃ。冒険者の店がある商業区域は城の左手側じゃな。そうじゃのぅ、お前さんはまだ若い。荒れくれ男共に好き勝手にされるより、よっぽど良い場所がある」

「そうなの?」

「うむ。その冒険者の店の名前は『イフリートキッス』。老人には少し照れくさい名前じゃが、女性専門の冒険者の店じゃ。しかもルーキーには飛びっきり優良店ときた。間違いはないぞ」

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