第8章「屋水の巫女 月と水」_2

 本殿は屋水の水路に沿って進めば辿り着く。そこには綺麗な水が流れていた。はゆまの川まで続いている。争いがあったとは思えないほどに、穏やかな空間がそこにはあった。


 建物内部へ入っていくと、老婆が部屋から出てきた。老婆は何も言わず通り過ぎていく。


「リュウが人と会わなくなった理由は何だと思う」上井が唐突に問いかけた。


 ヒグルは言う。「三年前に、屋水が襲われた、から?」


 目黒は歩みをやめる。「姿を見せなくなった時期としては、その頃だな。だが、『それ』と、『会わない』になんの関係がある」


「また襲われるかもしれないと考えているなら、助け、求めてそうだけど」


「白鈴。お前はどう思う」上井はそう言って彼女を見ていた。


 自分自身がそうだ。白鈴は考えた。「鬼か?」


「会ってからのほうが、早いか。その目で」


 立ち話では伝わらない。上井は無駄を省いて、部屋へと案内し帰結させることにする。


 巫女がいるという部屋は広くはなかった。


 神様のいる部屋とは異なるようだ。


 部屋には、ひとりの女が布団の上で横たわっていた。歳は十三ほどだろうか。白鈴ぐらいの、あるいはもっと幼いかもしれない。少女に起きるようすはなく、目を閉じている。


「うん? 眠ってんのか?」目黒は見て、早々に言った。


「えっと、この子が?」ヒグルは戸惑っている。


「いいや、違うだろ。リュウは、お前よりももう少し、もうちょっと」


「いや。彼女が、屋水の巫女リュウだ」


「はあ?」


「静かにしろ。眠ってる」


「目黒」ヒグルは囁いた。声が大きい。


「でもよ。わるい」


「いいか? 外に出よう。ここでは話しづらい」


 白鈴はそのとき何も言わず、眺めるだけだった。リュウの顔から目を逸らさない。


 彼らは本殿を出ると、その建物が見える水路の近くで話の続きを始める。


「おい。どういうことだ。あれが、リュウだっつうのか」


「リュウについて、お前はどこまで知っている」


「そりゃあ。いつまでも若い。屋水姫。神様の力を貰って、まったく老いない体となった、巫女だ」


「それなら、どこもおかしくはないだろ」


 目黒は低い声を出す。いかにもといった感じで首を横に振った。納得できないようだ。


 白鈴は言う。「なにがそこまで気になる」


「あの本殿で、眠っていたのは、お前よりも幼いぐらいだったろ。俺が聞いた話ではな。屋水の巫女リュウは、そう、ヒグルと白鈴の間、そのぐらいの年頃の女のはずだ」


「私も会ってみて、思ったよりも『幼い』と思ってしまったかも。うんと、どう言ったらいいか、ほんとに女の子」


「ヒグル、なぜ私を見た」


「あれが、リュウが人前に出られない理由だ。三年間、眠り続けている。わけではないが、一日のほとんどがあの状態となっている」


『一日のほとんどがあの状態』。であれば、たしかに自由には動き回れない。静かに眠っている姿は、まるで病人のようでもあって健康とは思えなかった。


 人と会わなくなった原因として十分である。


「リュウは、シュリの姉だ」


「えっ? シュリの姉? お姉さん?」


「あああ?」目黒は変な声を出した。


 白鈴は驚くばかりで、言葉にはしない。姉? ということは。


「これで、シュリが庇った理由がわかったか。シュリが代わりに連れていかれた理由も」


「シュリの言ってたお姉さんって、屋水の巫女リュウのことで、長く眠っているお姉さんを鬼から守ろうとして、身代わりとなった? そういうこと?」


「そうだ」


「でもお、変じゃない? どう見てもシュリのほうが、お姉さんに見えるけど。シュリが私と同じぐらいで、それで、あれ?」


「『ツキビト』、という言葉に心当たりはあるか」


 目黒は言った。「それは屋水姫の話に出てくるな。とんでもねえ化け物を倒せるほどの不思議な力を持った女だ」


「二人とも、そのツキビトだ。魔法が使えてしまうのも、それが理由だ」


「まじか。んなの、初めて聞いたぞ」彼は独り言のように口にする。「デカ白蛇と同様で、巫女だ、てっきり屋水姫から力を貰ってんのかと。大湊はそれを利用しようと」


「ツキビトは、『月光浴』を必要とする」


「月光?」ヒグルはぼんやりと繰り返した。「日光浴?」


「月に向かって願うとか、そういうのだろ? お月さんから力を貰ってる」


「リュウは、今、うまく月光浴が行えていない。だから、あのように体が縮んでいる」


「はああ。ナルホド」


 沈黙のなか、白鈴は考えていた。「手はないのか」と彼女はそっと口にする。


「ないな。浴びればいいというわけではないようだ」


 上井は体の向きを変える。彼はアリの巣でも見つけたかのように俯くと、そのまま別の方向に視線を向けた状態で、彼ら三人を見ることなく話し始めた。


「お前たちは聞いたことがあるか。ここの水が涸れたというのを」


「ああ、知ってるぜ。三年前だな。だが、水はまた湧いてきたって話だ」


「水は確かに戻った。しかし、失ったものがある」


「それは、なに?」


「三年前、大湊城でリュウが倒れた。そしてしばらくして、屋水で水が涸れた。水は今では戻ってきてはいるが、シュリが言うには、『音が消えた』と。そう悲しんでいた」


「音?」白鈴は小首を傾ける。


「音が聞こえなくなった。神様が、どこかへと行ってしまったらしい。姉が倒れてから、シュリは屋水姫の存在を身近に感じられなくなったと言っていた。音と言われても、はじめはなんのことか、私にはわからなかったが。しかし、だからだろう。現在、屋水では、『大湊に鬼は減らない』と言われている。住人もシュリと似たことを言っていた」


「あのでけえ骸骨を見るようになったのも、たしかそのぐらいだ」


「じゃあ、その、シュリが、はゆま村にいた理由は」


「はゆま村には千年桜があるだろ。はゆま神風大桜。シュリは倒れた姉の指示に従い、そこで屋水姫の帰りを待っていた。そのようだ」


 


 


 上井から事情を教えてもらい、それから彼らは一日の疲労を回復するために休息を取る。これからどうするか。それを考えれば休むことも重要となる。


 シュリを助けに行く。揺れのない白鈴の思いだった。大湊に連れていかれたのであれば、彼女を救いたい。彼女が望んだわけでもないのだとしたら。このときも、助けを求めていたら。


 上井が言うには、屋水の巫女リュウは大湊への協力を拒んでいた。どんなことにリュウが力を貸さなかったのか、その詳細まではわからない。


 彼は屋水の巫女と大湊についてなんでも知っているわけではない。


 だがこの日、大湊が鬼を使うという手段を取り、屋水を襲った、横暴な振る舞いを取った理由がそこにある。表向きは鬼の仕業として。目的は、殺害ではないだろう。


 神を失えど、神に仕える巫女は『あること』を受け入れなかった。


 火門は『屋水の巫女の力』を必要としている。


 言うまでもない。『鬼』に関係することだろう。自ずと、一つの懸念が生じてくる。


 白鈴はなにも知らない人の前で(水の体となって)眠るわけにはいかず、故に本殿で休息を取った。もちろんリュウのいる建物内部ではない。外で彼女は休んだ。


 満月は近い。はゆま村。シュリの家での出来事が思い出される。


 シュリはあの夜、夜空を見ていた。彼女はツキビトだったと言われると、そうだったのだろうと思えてくる。魔法が使えた。姉に教えてもらったと言っていた。


 何をしていると問えば、明日のために力を貰っていると。


 彼女の服を駄目にしてしまった。


 


 翌日、白鈴は目黒とヒグルの三人で集まり、境内で上井を探した。上井は昨晩の話では、直ちにどこかへと行くつもりはないように見えた。テングが個人的な感情などで動いているとかではないのだとしたら、おそらく彼は――屋水の巫女リュウを守る――任務を与えられている。もしくは近い・・勤めがあって、ここへと訪れている。


 上井は本殿、リュウがいる部屋の前にいた。リュウは眠っている。場所を移動する。


「大湊に行くのか? シュリを助けに」


「そのつもりだ」白鈴に隠すつもりはなかった。


「いろいろとありがとな」目黒は深く感謝している。「おがげでよく眠れた。ジロテツにサモンについても、世話になった」


「私はたいしたことはやっていない」


 ジロテツとサモンは夜が明けようと、この三人ほど動ける状態ではなかった。


 手当てを受けて、この時間もよく眠っている。そんな二人を連れてはいけない。


 白鈴は念のため尋ねる。「お前は、ここにいるのか?」


「しばらくはそのつもりだ。屋水の被害は軽くない。リュウもいる。怪我人もいる」


 上井は本殿に目をやった。老婆の姿が見られた。ずっと世話をしているのは、彼女だ。


「これから大湊に行くというのなら。『柄木田』という女を知っているか」


「知っている。大湊の研究者だ」


 水槽の中でときおり見た女だ。監獄でも会った。白鈴はよく覚えていた。


「シュリはきっと、そこへと連れていかれている。柄木田の前に。助けるというなら、その女を目指すといいだろう」


「火門ではなく、どうしてそいつなんだ」目黒は判断の根拠を求めている。


「巫女に関心があるのは、火門殿だけではない。柄木田は、他所からやってきた研究者だ。五年前だったか、四年。大湊出身ではない。強く興味を持つのも頷ける」


「そう言われると、そうだな」目黒は同意するまでが早かった。


「柄木田がやっていた実験の一つを教えておこう。今回の件と、シュリが攫われたのと、何か関係があるかもしれない」


「実験。それはなに」ヒグルは冷静に問う。


「実は、屋水の水が涸れる前、大湊は屋水から『その成分を調査したい』と、大量の水を大湊に運んでいる。そうして水を調査した結果、おもしろい実験の記録を得たようだ」


 白鈴はヒグルと目があう。彼女は体の調子を気にしているのだろう。昨晩がそうだった。


「『やはり、ただの水ではなかった。』研究者の一人がそう言っていた。昔から、不思議な作用があるとは言われてはいたが、ようやくその実体を突き止めたとな」


「実体?」


「屋水姫の秘密」


「なんだ。なにが見つかった」


「詳細までは私も知らない。だが、その水を使って、いったいなんだろうな、十分な効果が得られるところまで濃度を高めたものを作ることに成功した、と聞いた。それで、その『濃縮液』とでも呼ぼうか、それを複数の人に飲用させたというのも聞いた。結果、その者たちは、呪われてしまったらしい」


「呪われた」ヒグルは発音よく言うと、それだけで口を閉じる。黙ってしまう。


「罪人だろうな。哀れなことだ。たちまち人ではなくなったそうだ」


「そいつらは、呪われたあとどうなった」


「そこまでは知らない。だが以降、その水は改良を重ねて、次に火門殿に飲んでもらおうとしたところ、些細な失敗で起きた事故で失ったと聞く」


 その者たちは罪人。実験が継続していれば。飲用させたというのは。目黒のことではないのか? 白鈴はどうしてもそれ以外考えられない。監獄の奥深く、人を閉じ込めるにしては随分と厳重な檻の中に彼はいた。


 彼もそのようだ。己の体。自身のことであると思っている。


「こりゃあ、休んでる暇はねえだろうな。何かあってからではおせえ」


「そうだね」


「ああ」


 



 私も、『その水を飲んだ』、ということなのか? あの日を境に。


 記憶を失い。たちまち人ではなくなった。


 死んで。私の体はとけて、『水となってしまった』、ということか?








 屋水から幸畑によって連れ去られたシュリを助けるため、大湊の城へと目指す白鈴たちは、その道すがら些か厳つい体の大きな一人の男と出会う。男は道の隅に座り込み、酒を飲んでいた。村が近いわけでもない。不思議に思えた白鈴は話を聞いてみると、男は「あの巨大な鬼『がしゃどくろ』を探している」と述べる。


 今度、彼は大湊の侍かと尋ねられると、「おう。そうだが」と答えた。


 鬼が現れるのを待っているようだ。


 ここでか? と、白鈴たちが思ったのはもちろんである。


 男は気分がいいのか、色々と話してくれた。


 鬼を斬る鬼がいると、噂になっているようだ。


 そして、身内の悩み、だろうか? しんき。腕はいいが。


 うまい酒らしいが、わけるつもりはないらしい。



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