第5話

十三の歳は念願の小校を修学した

これは何年にも及ぶ虐めを耐え抜いた勲章ともいえる

晴天の霹靂ともいえる求婚を受けた歳でもあった

リゼットはユーリが好きだと言ってくれた容姿をやっと受け入れられた

そして婚約を両親に報告しようとしたその日にユーリは姿を消した

いや正確に言えば本来あるべき場所へ帰っただけなのだ

新聞を華やかにに彩ったのはユーリがかの檸檬色のドレスの女性、クリスティーナとの婚約を発表した記事だ

出窓の縁に腰掛けたリゼットはぼんやりとただ外を眺めていた

ユーリが居なくなった日からリゼットの時間は止まったままだったもうすぐそこには新しい春が近づこうとしていたのにだ

食べても飲んでも読書をしても、両親やマリサと話をしてもそれらは容易くリゼットの身体をすり抜けていく

細かったからだはさらに窶れて、窪んだ眼孔はどんよりとしている

気を使わなくなった濁った色の髪はさらに艶をなくて後ろ姿は老婆のようだ

脱け殻になった妹を気遣い何度も家に帰ってきてくれるマリサはそのたびにリゼットの髪を手入れするが一時的には整えられてもマリサが居なくなればまたもとに戻ってしまう

リゼットの両親もマリサも唯一の友達のアリーもユーリに激昂しているがリゼットの前では決してユーリの話をださなかった

出せばリゼットがますます遠くに行ってしまうことを覚えたからだ

リゼットが只眺めているだけでもあの悪夢のような春は過ぎ、夏、秋、冬を過ぎた、また春が来ることにリゼットは吐き気を覚えた

ふと、きらりと光った物に目を細めると馬に跨がった甲冑姿の男が自宅前で馬をとめた

馬を降りた男がおもむろに兜を取ると鮮やかな赤銅の髪が見てとれた


リゼットの空洞になった心臓が次第に早まっていく


「レオンさん…!」


見間違いではないかと窓に顔を押し当ててその行方を追えばレオンは今まさにリゼットの玄関を叩こうとしている


やっぱり!ユーリは私を忘れたわけではないんだわ!きっと何か事情があって仕方なく…レオンさんはきっとその事を伝えに来てくれたんだわ!


リゼットの目に涙が溜まり溢れたそれは頬を伝った、それを拭うのも忘れて自分の部屋を飛び出し玄関へ向かう


一階への階段をもつれる足で降りきったリゼットに気づいた両親は悲痛な顔で振り向いた


「リゼット、部屋へ戻りなさい!」


そう言った父は客人からリゼットを守るように立ちはだかり母はリゼットを守るように抱き締めた


「どうして?だってレオンさんはユーリに頼まれてきたんでしょ?」


一年近く声を発していなかったためかリゼットが懸命に出した声はか細く掠れていた


「リゼットちゃん」


玄関で仁王立ちした父を軽くおしやりレオンはリゼットを除き混むと見る間に眉間にシワを作った


「あんた!今さら何しに来た!!リゼットがどんなに苦しんだか…!」


語尾を嗚咽混じりにした父の言葉にレオンは腕をだらりと卸した、ふとその右手に握られていた包みにリゼットは表情を明るくした


「あぁレオンさん、それはひょっとしてユーリからの手紙か何かですか」

「…リゼットちゃん…確かにユーリ殿下からですが、おれの手違いで…」


リゼットの窶れた表情がさらに明るさを取り戻したのを見てレオンは更に表情を硬くした


「ずっと信じていました、あれは何か事情があってのことだと…!」


ぼろぼろと涙を流すリゼットにギクリとしたレオンは思わず包みを落としてしまった


硬質な音とともに木製の床に散らばる

庶民の床にはそぐわない金貨が幾つも散らばり最後の一枚がくるくると回転しながらやっとその動きを止めた時、リゼットはこれが何を意味するのか初めて悟った


慌てて床に這いつくばったレオンは金貨を広い集め包みに戻していく、それをリゼットは呆然と見下ろしながら


「……手切れ金ですか…ユーリからの…」


硬直したレオンは項垂れたまま


「……申し訳ありません…!」


リゼットを抱く母は屈辱に身体を震わせていたし父は怒りで真っ赤になりながら床を蹴りあげた


「…どうぞお帰りください。わたしには婚約を約束した人も…隣人もおりませんでしたから人違いでしょう…」


リゼットの言葉にはっと顔を上げたレオンの顔には明らかに安堵の表情があらわれていた

その事にリゼットの心は抉られ血を流した


「帰ってくれ…二度とわたしの家族に関わらないでくれ!」


父は叩き出すようにレオンを閉め出すとリゼットを母ごと抱き締める

やがて馬の蹄の音が遠退いていく


「リゼットもう大丈夫、忘れましょう、ね?」


母の優しい声でリゼットはその日泥のように眠った、真っ黒な夢を見たが目が覚めた次の夕方にはリゼットは自分で身支度をして促されずとも夕食を食べた


両親は1日以上を眠っていたリゼットを心配したが食欲を取り戻したリゼットに大変喜んだ


翌日、朝から自宅に帰ってきたマリサはことの次第を両親からひっそりと打ち明けられ目を白黒させたが庭で洗濯を干すリゼットを見てそっと安堵した

日の下で動くリゼットを見るのは本当に久しぶりでマリサは涙目になりながらも陽気を纏ってリゼットに近づいていく


「リゼット!ただいま」

「…お姉ちゃん、お帰りなさい」


手伝うために洗濯された衣類が入れられたバスケットから一枚を取りだしロープにかけていく、目の前に差し出された留め具で衣類が風邪に飛ばされないようにとめる

もくもくと二人で作業していくとやがて空になったバスケットを抱えたリゼットが対面に立ったマリサをじっと見据えて


「お姉ちゃん、わたしに綺麗になる方法を教えて?」

「え?」

「わたし…考えたの、このままじゃわたし幸せになれない。あの人に復讐したい」

「リゼット…!」

「…心に刻んでやりたいの、おふざけでした事の重大さを、ただそれだけ」


干した衣類が風でばさりと揺れるその向こうでリゼットは力強くそう言うとじっとマリサを見つめていた


「綺麗になったら復讐できるの…?あの人はもう遠くの人なのよ…?」


その瞬間リゼットの顔に苦悩がにじんだか


「綺麗になってマラビスバ劇団へ入るわ、そしたらきっとあの人に会うときもあるはず…そしたら言ってやりたい、あなだが悪戯に弄んだ女は立派でみんなが羨む女優になったわよって」


マラビスバ劇団は諸国を勇断しながも国政に囚われることなく自由な演目を披露する

長時間における演劇では台詞を覚えらる賢さや美を追求し歌、踊り、演技それら全てを兼ね備えていなければいけない

稀代の女優や男優は恵まれた地位の人々に望まれて結婚することも多々ある


「あの人が望むほどの女優になれた、その時わたしの復讐がなされるわ」


マリサにはリゼットがどんな覚悟でいっているのかよくわかった


「リゼットは小さい頃から賢いから、この道を選んだってことはそれがとてつもなく大変だってことはわかっているのよね…?」

「うん…」


ふうっと一息はくと俯いた顔を上げてマリサは


「じゃぁ!まずは食べて体力をつけないとね!後は毎日の美容よ!」

「お姉ちゃん…ありがとう…!」

「泣いちゃダメ!目が腫れてしまうわ」

「…うん!」


空が高くなった青空の下でリゼットの復讐劇が開幕のベルを鳴らした



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