Quest3:冒険者ギルドに登録せよ【前編】

◆◇◆◇◆◇◆◇


「ここが地上?」


 優はダンジョンから出て、周囲を見回した。

 周囲は円筒状の壁に囲まれ、その一部は格子になっている。

 夕方なのか、空は茜色に染まっている。


「付いてきな」

「あ、はい」


 フランが歩き出し、優は慌てて後を追った。

 向かった先は格子だ。

 フランは格子の前で立ち止まり、声を張り上げた。


「戻ったよ! 開けとくれ!」


 しばらくすると、ガコンという音が響き、格子がゆっくりと上がり始めた。

 どうやら、門になっていたようだ。

 フランは格子が上がりきる前に潜り抜け、手招きをする。


「中は薄暗いから注意するんだよ」

「分かりました」


 確かに格子の内側は薄暗かった。

 窓がなく、照明の数が少ないからだ。


「しっかり付いてきな。見つけるのは骨だからね」

「ええ、分かってます」


 内部は道幅が狭い上、入り組んでいる。

 流石に遭難することはないだろうが、かなり厄介なことになることは間違いない。


「どうして、こんなに入り組んでいるんですか?」

「モンスターが街に出ないようにしてるのさ」

「街の中にダンジョンがあるんですか?」


 優は思わず声を上げた。


「ま、あたしも初めて街の中にダンジョンがあると聞いた時は驚いたもんさ」

「どうして――」

「出口が見えてきたよ」


 さらに疑問を口にしようとしたが、フランによって遮られた。

 正面を見ると、光が見えた。

 光の中に槍を手にした男が立っている。

 フランは男に近づいていく。


「あたしは探索終了の手続きをするから先に外に出てな。ただし、あんまり遠くに行くんじゃないよ」

「分かりました」


 優は外に出て、ポカンと口を開けた。

 目の前にはテレビや映画で見た古いヨーロッパのような街並みが広がっていた。

 建物は石や煉瓦で造られ、道は敷石で舗装されている。

 そこを行き交うのは人間だけではない。

 耳の尖ったエルフ、樽のような体型のドワーフ、耳と尻尾を持つ獣、牛のような角を生やした者までいる。

 映画のセットに迷い込んだのではないかと思ったが、現実感がそれを否定する。

 たとえば街に漂う臭いだ。

 汗、香水、獣臭、ドブの臭い――それらが入り混じった臭いは映画のセットでは有り得ない。


「ボーッとしてると馬車に轢かれるよ」

「フランさん、僕の家族は?」

「衛兵に聞いた限りじゃ、それらしいヤツは通らなかったみたいだね」

「そうですか。じゃあ、僕は洞窟に戻ります」

「結論を急ぐんじゃないよ」


 フランは踵を返した優の肩を掴み、向き直らせた。


「いいかい? 衛兵ってのはいい加減なもんなんだ。ちゃんとした情報を知りたけりゃ冒険者ギルドで話を聞くのが一番なんだ」


 フランは必死だった。

 必死に優を説得しようとしている。

 その必死さが優の心を繋ぎ止めてくれた。


「冒険者ギルドに行くから付いてきな」


 そう言って、フランは優の手を引き、歩き始めた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 十数分後――フランは大通りから奥まった所にある建物の前で足を止めた。

 建物は木造だが、敷地面積は広そうだ。


「ここが冒険者ギルドだよ」

「ジュースを飲んでいる人がいるんですけど?」

「一階は食堂を兼ねているからね」


 道に面した窓の向こうには美味しそうにジュースを飲んだり、ステーキを食べたりしている人の姿がある。

 それを指摘すると、フランはバツが悪そうに頭を掻きながら言った。


「とにかく、ここが冒険者ギルドだ。行くよ?」

「……はい」


 優は小さく頷いたが、フランが手を握っているので拒否権はない。

 冒険者ギルドの扉を潜ると、カランカランという音が響いた。

 人々の視線が集中するが、それも一瞬のことだ。

 すぐに興味を失い、食事や会話を再開する。

 フランが言った通り、冒険者ギルドの入口付近は食堂になっていた。

 通りに面した席はテーブル席になっていて、カウンター席やパブにあるような背の高いテーブル席まである。

 フランは席に着いている面々を一顧だにせず、奥にある受付カウンターに向かった。

 そこには制服を着た女性がいた。

 柔らかそうなブラウンの髪を丁寧に結い上げている。


「冒険者ギルドに――」

「エリー、挨拶はいらないよ」

「一応、マニュアルで決まっているんですけど……」


 受付嬢――エリーは苦笑いを浮かべた。


「質問があるんだ」

「どんな質問ですか?」

「この子の家族がダンジョンで行方不明になっているらしいんだ。情報はないかい?」

「家族? ダンジョンで行方不明?」


 エリーは優に視線を向け、怪訝そうに呟いた。


「ご存じかと思いますが、ダンジョンを探索する際はその旨を冒険者ギルドに申請するルールになっています」

「そんなことは分かってんだよ」


 エリーが説明すると、フランは苛立ったように言った。


「この子は異世界人だ。家族と一緒だったらしいんだけど、何か情報はないかい?」

「そういうことですか」


 エリーは呻くように言った。


「現在、不審人物に関する情報は寄せられていません。残念ですが――」

「探してもらうことはできないんですか!」


 優はフランの手を振り解き、エリーに詰め寄った。


「ダンジョンはこの街の、いえ、人類の生命線ですから冒険者には不審人物を発見したら真っ先に報告する義務があるんです。それがないと言うことは……」

「妹はまだ10歳なんですよ?」

「申し訳ありません」


 エリーは痛ましそうな表情を浮かべて俯いた。

 ダンジョンに戻るために踵を返すと、フランが行く手を遮った。


「退いて下さい!」

「死ぬって分かってて止めないヤツが何処にいるってんだい!」

 優は力尽くで突破しようとしたが、フランに突き飛ばされて尻餅をついた。

「あたしにさえ勝てないんじゃ犬死にだよ」

「……でも、僕は」


 家族を探なきゃいけない。

 妹を助けなければいけない。

 それなのに――。


「大体、アンタだって分かってるだろ?」

「……」


 優はフランを睨み付けることしかできなかった。


「いいかい? あたしは今から酷いことを言うよ」

「止め、止めて下さい」


 優は懇願した。

 聞けば認めざるを得なくなる。


「アンタの家族はもう死んでる」

「止めて下さいッ!」


 優は大声で叫んだ。


「僕の家族は……父さんも、母さんも、優美も生きてます!」


 そうだ。生きている。

 生きて、再会するのだ。

 もう一度、家族団欒を――。

 不意に涙が零れ落ちた。

 分かっている。

 分かっているのだ。

 優はダンジョンで目を覚まして10分と経たない内に死にかけた。

 第2階層で死にかけたのだ。

 そんな目に遭って、どうして家族が生きていると言えるのだろう。

 家族はすでに死んでいる。

 そう感じていたからフランの言葉に従ってダンジョンを脱出したのではないか。

 本当に家族が生きていると信じているのなら残るべきだったのだ。


「……僕は」


 死ぬのが怖かった。

 どうしようもないクズになっても死にたくなかった。

 どうしようもなくても生きていたかった。

 だから、逃げた。

 フランの言葉を免罪符にして逃げ出したのだ。

 それで本当に家族が生きている可能性は失われた。

 何のことはない。

 望みは叶った。

 家族を見捨てるようなクズになって生き延びた。

 フランは跪き、優しく優の肩に触れた。


「アンタは生きてるんだ。自棄にならないで自分にできることするんだ」

「……僕にできること」


 優は必死に考えた。

 何が自分にできるのか。

 何が家族にできるのか。

 どうすれば家族に報いることができるのか。

 自問が思考を埋め尽くし、不意に結実した。


「僕は……僕は冒険者になります」

「なんだって?」


 よほど驚いたのか、フランは大きく目を見開いた。

 それは優も同じだ。

 喧嘩さえしたことがないのにモンスターと戦う冒険者になろうとしているのだから。


「決意に水を差すようで悪いけどね。冒険者は危険な仕事だよ。とてもじゃないけど、アンタに務まるとは思えないよ」

「せめて、骨だけは拾ってあげたいんです」


 優はフランを見据えて言った。

 酷い息子だと思う。

 酷い兄貴だと思う。

 遺体を探し、供養することしかできないのだから。

 それすらも自己満足の領域を出ていない。


「分かったよ。ここで登録すりゃ冒険者になれるよ」


 フランは立ち上がり、手の平で受付を指し示した。


「ちょっと、フランさん!」

「この子が自分でやるって決めたんだ。他人に止められるもんじゃないよ」


 エリーが非難するように言い、フランは諦念を滲む口調で答えた。

 優は立ち上がり、エリーの前に移動した。


「考え直す気はありませんか? 私が見た所、あまり冒険者に向いているようには……もちろん、一番大事なのは貴方の気持ちなんですけど」


 エリーは気遣うような表情を浮かべた。

 もう少しビジネスライクな対応をされるかと思ったのだが、すごく親切だ。


「あたしの時と対応が違うね」

「この子には未来があります!」

「あたしにだって未来くらいあるさ!」


 フランは声を荒らげて言った。


「どうですか?」

「ありがとうございます。でも、もう決めたんです」

「分かりました。では、登録料は100ルラになります」

「え? お金が必要なんですか?」

「当たり前――ってアンタは分からないか」


 フランは溜息を吐き、受付カウンターに100と刻印された硬貨を置いた。

 やや黒ずんでいるので銀貨だからだろうか。


「フランさん?」


 エリーが訝しげな視線を向ける。


「なんだい?」

「いえ、フランさんがお金を出すなんて信じられないと思いまして」

「アンタがどんな目であたしを見ているのかよ~く分かったよ」

「私の知るフランさんは猜疑心が強く、金に汚い、ダンジョンで子どもを見つけたら奴隷商人に売り飛ばそうとするような女性です」


 エリーは言葉を句切り――。


「おかしなものを拾って食べたんですか?」

「そこまで言うことはないだろ!」


 フランは声を荒らげたが、その声は何処か弱々しい。


「……言われてみりゃちょいと変だね?」

「拾い食いはしてないですよね?」

「あたしは犬か!」


 フランは叫び、唐突に押し黙った。


「確かに変だね。どういう訳か、この子を見てると親切にしなきゃって気になるんだ」

「それが良心の目覚めならいいんですけど」


 エリーは小さく溜息を吐き、カウンターの下から書類を取り出した。


「必要事項の記入をお願いします」

「分かりました」


 優はエリーからペンを受け取り、そのまま動きを止めた。

 書類に書かれている文字を読めなかったからだ。

 事実を打ち明けて代筆してもらうべきか悩んでいると、書類に書かれている文字がじわりと滲んだ。

 優は目を擦り、目を見開いた。

 文字が読めるようになっていたのだ。

 さらに異変は続いた。

 何かに取り憑かれたように腕が勝手に動き始め、書類の空欄を埋めていったのだ。

 あまりに不可解な出来事だったが――。


「うん、でも、異世界だしね」


 優はさらっと流した。

 そもそも異世界人であるフラン達と会話できることがすでにおかしいのだ。

 異世界の文字を理解し、書けるようになって何処に不都合があるのか。

 ここは不幸中の幸いと受け入れるべきだろう。


「書き終わりました」

「はい、確認します」


 優が書類を渡すと、エリーは記入漏れがないかをチェックしていく。


「問題ありませんね」


 そう言って、エリーはカウンターの下からある物を取り出した。

 似ている物を挙げるとすれば顕微鏡だろうか。

 古い顕微鏡の反射鏡を外し、鏡台の下に鉄板を敷き、さらに大きくすれば目の前にある物のようになるだろう。

 エリーは書類と金属のプレートをセットした。


「板に手を置いて下さい」

「こうですか?」


 優が促されるままに鉄板に手を置くと、接眼レンズが光を放ち、金属のプレートに書類の文字を転写していく。

 文字の転写が完了し、エリーは金属のプレートを取り外した。

 そして、プレートに鎖を通した。

 認識票ドッグタグにそっくりだった。


「お疲れ様です。これで登録は完了しました」

「ありがとうございます」


 優はエリーから受け取ったプレートをしげしげと眺めた。



 タカナシ ユウ

 Lv:1 体力:** 筋力:2 敏捷:3 魔力:**

 魔法:なし

 スキル:ヒモ、意思疎通【人間種限定】、言語理解【共通語】

 称号:なし



「……なるほど」


 スキルの欄を見て、思わず呟く。

 どうやら、会話や読み書きができるのは意思疎通と言語理解のお陰だったようだ。

 だが、気になる点もある。


「体力と魔力が文字化けしてるんですけど?」

「どれ、見せてご覧」


 フランがプレートを覗き込んだ。


「確かに数字じゃないね。壊れてるんじゃないのかい?」

「きちんとメンテナンスしています。文字が表示されていないのは表示限界を超えているからです。レベル1で限界を超えるのは珍しいですが、有り得ないことではありません」


 エリーはムッとしたように言った。


「上限って何ですか?」

「この装置は対象の能力を読み取って数値化し、プレートと同期させるためのものなんです」

「体力、筋力、敏捷が10あれば一人前さ。アンタは半人前未満って所かね」

「ちゃんと努力すればステータスは上がりますよ」

「レベルアップすれば、の間違いだろ」


 エリーはフォローするように言ったが、フランはにべもない。

 実際、筋トレをするよりもレベルアップの方が効率的なのだろう。


「お? スキルまで持って――ッ!」


 フランは熱い物に触れたかのように優から離れた。


「どうしたんですか?」

「あたしに近づくんじゃない!」


 優が足を踏み出すと、フランは大声で叫んだ。

 ほんの数秒まで仲よくしていたのにえらい変わり様だ。

 一体、フランの身に何が起きたのだろうか。


「道理であたしらしくない行動を取ってたはずだよ」

「フランさん、どうしたんですか?」

「あたしに近づくなと言っただろ!」


 フランは優を睨み付けてきた。その瞳は憎悪か、それに類する感情に彩られている。

 優は唇を噛み締めることしかできなかった。

 少なからず好意を持っていた人に嫌われることほど辛いものはない。


「フランさん、どうして?」

「こ、ここ、このクソガキ……あたしを騙しやがって!」


 フランは顔を真っ赤にして飛び掛かってきた。

 そのまま優の首を掴むとぐいぐいと絞め上げる。


「誰かッ!」


 エリーの悲鳴が冒険者ギルドに響き渡った。

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