Quest1:オーガから逃げ切れ
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――神を殺せ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「うわぁぁぁぁッ!」
優は声を上げて飛び起きた。
「……なんだ、夢か」
優は胸を撫で下ろした。
夢を見た。
内容は忘れてしまったが、酷い悪夢だったことだけは覚えている。
全身をぐっしょりと濡らす汗がその証拠だ。
こんなんじゃ笑われちゃうな、と優は汗を拭った。
両親は笑うだろうし、妹の優美は呆れるだろう。
「……男らしくなりたいのにな」
家族が聞いたら一笑に付すだろうが、優にとっては切実な問題だ。
男らしくないことはイジメの要因にすらなる。
男子中学生にとって臆病であることは美徳ではないのだ。
「あれ?」
優は顔を上げ、間の抜けた声を漏らした。
ごしごしと目を擦るが、目の前の光景は変わらない。
そこは洞窟の中だった。
ごつごつした岩が剥き出しになっている。
「夢じゃないよね?」
地面に触れると、ざらざらした感触が伝わってきた。
あまりにリアルな感触だ。
これが夢だとは思えない。
「いや、でも、なんで、こんな所に? えっと、確か、車に乗ってて……」
優は必死に記憶を漁った。
家族4人で祖父母の所に遊びに行く途中だった。
「トンネルを通っている時に黄色の光が……」
その後、意識を失ってしまった。
声を聞いたような気もするが、現実なのか夢なのか分からない。
「父さん、母さん! 優美ッ! 何処なの!? いるんなら返事をしてよ!!」
優は立ち上がり、声を張り上げた。
だが、返事は返ってこない。
「……探さなきゃ」
優がここにいるということは近くにいるはずだ。
何の根拠もなかったが、そう信じなければどうにかなってしまいそうだった。
足を踏み出し、壁から水晶が突き出していることに気付いた。
どういう理屈なのか、水晶が青白い光を放っている。
目の前の光景が俄には信じられなかった。
だが、信じられないと言うのならこの洞窟そのものが信じられない。
水晶以外に光源がないにもかかわらず、この洞窟は明るいのだ。
まるで洞窟自体が光を放っているかのように。
優は踵を返しかけ、動きを止めた。
これから洞窟内を歩くのだから照明が必要になると思ったのだ。
今は周囲の様子が見えているが、他の場所もそうだとは限らない。
それどころか、いきなり闇に閉ざされることもありうる。
優は水晶を握り、力を込めた。
「あ、あれ?」
もう一度力を込めるが、水晶はびくともしなかった。
当然と言えば当然か。
体を鍛えていない中学生が素手で水晶を破壊できる訳がない。
「石は落ちていないかな?」
視線を巡らせるが、足下には何も落ちていない。
これだけの洞窟なのだから石が落ちていても不思議ではないのだが――。
「……駄目だ。何も落ちてないや」
地面には不自然なほど何も落ちていなかった。
諦めようとも思ったが、暗闇を歩くかも知れないという恐怖が勝った。
もう一度力を込めると――。
「うわッ!」
突然、抵抗がなくなり、優は尻餅をついた。
「どうして、こんな急に……」
ぼやきながら水晶の断面を見ると、鏡のように滑らかだった。
多分、特定の方向に力を加えると壊れる性質なのだろう。
「それにしてもどういう理屈で光ってるんだろ?」
優は水晶を翳した。
全体が青白く光っている。
だが、気にしても仕方がないとポケットに水晶を押し込んで立ち上がった。
その時だ。
「水音?」
優は水音を聞いたような気がして足を止めた。
「臭ッ!」
風が吹き寄せ、優は口元を覆った。
風は極限まで汗を圧縮したような臭いと生ゴミの腐ったような臭いを孕んでいたのだ。
臭いのせいか、風が熱を帯びているように感じられた。
ゆっくりと風の吹いてきた方を見ると、そこに鬼がいた。
身長は2メートルを優に超える。
肌の色はどす黒い緑、はち切れんばかりの筋肉が全身を覆っている。
髪はボサボサで、目は赤く輝いている。
鬼は片手で棍棒を、もう片方の手で人間の頭を掴んでいた。
その人物は血塗れで手足が曲がってはいけない方向に曲がっている。
ピク、ピクッと指先が動いているが、助けようという発想は出てこなかった。
何も考えられなかった。
「Goooooooooooooo!」
鬼が吠え、優は一目散に逃げ出した。
だが、すぐに横向きの衝撃に襲われ、壁に叩き付けられた。
地面に倒れた後で棍棒で殴られたと理解する。
生きているのが奇跡に思えるほど強烈な衝撃だった。
体が痛い。
呼吸ができない。
吐き気がする。
「……にげ、逃げないと」
優は地面を這った。
「逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げるんだ!」
地面がズシン、ズシンと震動する。
鬼が近づいてきているのだ。
確認しなくてもそれが分かった。
衝撃が降ってきた。
棍棒だ。
またしても棍棒で殴られたのだ。
痛い。
死にたくなるくらい痛い。
血の味がする。
血の臭いがする。
きっと、骨が砕けた。
内臓もぐちゃぐちゃになっているに違いない。
「逃げ、逃げ、逃げ、にげ、にげぇぇぇッ!」
それでも、優は必死に手足を動かした。
爪が割れ、血が溢れる。
だが、そんなことに構っている余裕なんてない。
逃げるのだ。
1センチメートルでも遠く、1ミリメートルでも遠くに。
そうすれば鬼が諦めるかも知れない。
無様に這いずっている子どもなど無視して仕留めたばかりの獲物を食べようとするかも知れない。
「だ、誰か、たす、助けてッ!」
這いずりながら助けを求める。
自分は助けようともしなかったのに助けを求める。
どうしようもないクズだ。
救いようがない。
でも、生きたい。
どうしようもないクズになってもいいから生きていたい。
救いようがなくてもいいから生きたい。
生きて、家族に会いたい。
その時、力強い声が洞窟内に響いた。
「目を閉じて口と鼻を押さえな!」
小さな爆発音が響き、煙が背後から流れてきた。
優は咳き込みながら手で口と鼻を押さえ、目を閉じた。
目を閉じているのに視界が一瞬だけ白く染まった。
状況を理解しきれない内に浮遊感に襲われた。
誰かが優を担いで逃げている。
それが分かっても助かったという気持ちはこれぽっちも湧いてこなかった。
震動が近づいてきていた。
まだ、鬼は諦めていないのだ。
恐怖に耐えかねて目を開くと、棍棒が鼻先を掠めた。
「ひっ、ひぃぃぃぃッ!」
「暴れるんじゃないよ! この馬鹿たれ!」
優を担いでいる人物――声から察するに女性だろう――が声を荒らげた。
「で、でも、鬼が!」
「そんなこた分かってるんだよ!」
鬼が手を伸ばすと同時に女性はビー玉のような物を放った。
次の瞬間、鬼の手が轟音と共に弾け飛んだ。
「Gu、ooooooo!」
鬼は絶叫し、滅茶苦茶に棍棒を振り回した。
「こうなりゃ大盤振る舞いだ!」
女性は優を投げ捨て、腰のポーチからビー玉のような物を取り出した。
数は3つ、色は赤、青、緑の3種類だ。
女性はそれらを鬼に投げつける。
赤、青、緑の光が洞窟を照らす。
炎が鬼の体を焦がし、氷が凍結させ、雷が内外から焼き尽くす。
あとに残ったのは凍りついた焼死体だ。
「手間掛けさせやがって!」
女性が蹴飛ばすと、鬼の死体は地面に倒れた。
衝撃で鬼の死体が砕け、白煙が上がる。
異変はさらに続く。
色が抜け落ち、末端からぼろぼろと崩れ始めたのだ。
1分と経たない内に塵と化し、その塵も空気に溶けるように消えてしまった。
残ったのは手の平に収まる大きさの結晶だけだ。
ゲームみたいだ、と優は殺されかけた直後だというのにそんな感想を抱いた。
「あれだけマジックアイテムを使ったのにこれっぽっちじゃ大赤字だよ」
女性は吐き捨てるように言って、結晶を拾い上げるとポーチにしまった。
優は改めて女性を見つめた。
目をゴーグルで、口元をマフラーで覆っている。
スマートな体を包んでいるのはくたびれた革鎧だ。
手にはオープンフィンガーグローブ、左腕には小さな円形の盾、腰には剣とポーチを提げている。
その姿はゲームか、ライトノベルに登場するトレジャーハンターのようだった。
「大丈夫だったかい?」
女性は優に向き直ると、マフラーを押し下げ、乱暴にゴーグルを外した。
女性の顔が露わになる。
眼差しは鋭く、鼻梁はすらりと通っている。
薄い唇は不機嫌そうに結ばれ、何処となく拗ねた雰囲気を漂わせている。
「あたしの名はフラン。冒険者さ」
「あの、危ない所を助けて頂き、ありがとうございます」
女性――フランは不機嫌そうに目を細めた。
「あたしが名乗ったんだから、アンタも名乗るのが筋だろ?」
「あ、すみません。僕は小鳥遊優と言います」
「タカナシ、ユウ?」
「名字が小鳥遊で、名前が優です」
「ユウね」
フランは胡散臭そうに優を見ている。
「色々と聞きたいことはあるけど、ここじゃなんだから付いてきな」
「……」
フランは優に背を向けて歩き出し、すぐに振り返った。
「どうして付いてこないんだい?」
「あの、その、家族を探さないと」
「はぁ~、アンタね」
フランは深々と溜息を吐いた。
「探すも何もオーガに殺されかけたばかりじゃないか。ここにゃモンスターがゴロゴロしてるんだ。次は死んじまうよ」
オーガ――どうやら先程の鬼のことらしい――思い出して身震いする。
今回はフランのお陰で九死に一生を得たが、1人で出会えば殺されてしまうだろう。
それでも、と思う。
ふと脳裏を過ぎるのは家族との思い出だ。
家族で遊びに行った時のこと。
妹が生まれた日のこと。
ありふれた日常を――。
「それでも、それでも、家族を探さなきゃならないんです!」
優が決意を込めて叫ぶと、フランは軽く目を見開いた。
「助けて頂き、ありがとうございます」
「まあ、待ちなよ」
優が踵を返すと、フランは目の前に回り込んだ。
「家族が地上に戻ってたらアンタは無駄死にだよ。どうせ、死ぬんなら、地上に戻って家族の安否を確認してからでも遅かない。そうだろ?」
「……そ、それは」
優は咄嗟に反論できなかった。
フランの言葉にも一理あると思ってしまったのだ。
「命は大事にするもんだよ」
「分かり、ました」
家族の無事を確認するためだ、と優は自分に言い聞かせながら頷いた。
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