第47話 臨床心理士のカウンセリング

 十一月一日、カウンセラーに、妻は完全に悪化していることを伝えた。

「私にできることはないですか」と聞くカウンセラーに呆れながら、「もう、ないです」と素直に答えた。

 これまでの私に対するカウンセラーの応答から、私自身が妻を受け入れられるようにしていく必要があるのかとも考えていた。

 その結果、妻の激昂がエスカレートしていると感じながら娘を会わせて、結果的に娘を泣かせることになった。このカウンセラーの目的もカウンセリングの手法もさっぱり分からないまま、思っていることを素直に伝えた。

「子供が手元にいない女性は焦って何をするかわからないという心配があって、実は私自身が焦っていたので、こんなカウンセリングになったんです。すみません」

 カウンセラーが謝罪した。

 臨床心理士に期待した自分が馬鹿だった。

「親を切りなさいという奥さんの話は無茶です」

「奥さんは発達障害の可能性があり、シナプスがうまくつながっていない部分についてカウンセリングで別の回路をつないでいくことができるし、激昂が激しい部分については精神科に受診するように話して薬をもらえば抑えられます」

 何ら説得力はないけど、この時点では他に方法がなかった。

 これ以降はただ、理不尽極まりない地獄の家事審判へ突入していくだけでしかなかった。

「夫のように深い関係にある者に対してキレるのは普通で、子供のように弱い者に対して当たるのは当然です」

 二回目に会った日、このカウンセラーが言った言葉だ。まったく納得できず、ずっと思いはくすぶったままだった。

「もしそれで、子供に何かあったらどう責任を取るのですか? 虐待があったら児童相談所で、死んだら警察に行ってくださいという話ですか?」

 思いのままをカウンセラーに伝えた。

「いえ、怒り方がひどい部分については抑えるようにしなければいけませんし、他で自分で何か腹が立つことがあって、それを子供に当たることについては当たらないようにしていく必要があります」

 残念だけど、この臨床心理士に、それだけの能力はなかった。


 ずっと何が不審だったかと言うと、以前、このカウンセラーが話していた「引きこもりの子が、カウンセリングを受けて、引きこもりを決心した」という話だ。

 結婚指輪をしているこのカウンセラーには、まだ子供がいないのだろう。自分の子が心配でカウンセリングを受けさせて、その結果、「ぼく、ずっとこのまま引きこもったままでいることにしたよ」と言われた親の気持ちなんて、想像もつかないのだろう。

 もしかして、彼は「気づいてくれてよかった。本人の気持ちが一番大事」なんて恐ろしいことを思っているのか。その子が、社会に出ないことを決めたことで、そのあとで背負う本人や周囲の苦労を考えるなんて、この臨床心理士には不可能なのだろう。

 このカウンセラーのおかげで、大学で受けた倫理学の授業を思い出した。先生の名前も講義名までも、すっかり忘れていたのに、ふとすべて記憶が蘇った。

「心理学と社会学を専攻している学生のレポートは、まったく自分とは関係ない対象の分析だけで、他人事な書き方をしているのがイヤなんです」

 その先生の言葉を、カウンセラーに話した。

「そのへんが、心理学を専門にしている私にも、悩みなんです」

 客観性や中立性を保つことの難しさを言っているのかも知れないが、少なくとも他人がどうなっても、本人の意思なら問題ないという姿勢は、他人が悩んでいようがどうでもいいという態度と大差ないと思う。

 問題解決に向かうという方向もなく、ただカウンセリングをしているうちに自己治癒力で何とかなるじゃないかというくらいの認識なのだろう。

 この大学でカウンセリングを受けても、被害者を増やすだけだ。

 妻がカウンセリングを中断したあとで分かったことだが、妻側は女性の臨床心理士が担当していたのだが、実は何も連携が取れていなかったのだ。

 詳細は不明だが、すっかり騙されて、同じ女性として、すっかり妻の肩を持つようになっていた。そのために、カウンセラー同士、話がかみ合わなくなっていた。

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