第45話 私に戻ってきてほしかったら、親を切りなさい!

 十月の終わり。妻が完全に本性を現した四日後。

 心理臨床センターで、妻の状態が悪化していることを伝えた。その話の途中、マナーモードの携帯電話に着信があった。

 カウンセリング後にメッセージを聞くと、法務局からだった。面談の話だったが、メッセージを確認した直後、妻から電話があった。

「法務局のほうは私が断ったから、電話しないでいいから!」

 今は法務局の人も一方的に妻の嘘を聞かされているだけだが、こちらと話す機会を持つと、嘘がバレて不都合が生じてくるからだろう。この時点で、弁護士からの入れ知恵があったのかもしれない。

「私と一緒に帰ると言ったメイちゃんを連れて行ったりして、これは全部嫁いびりなんや。

 他の人も私の知ってる人はみんなが嫁いびりやって言ってる。

 私に戻ってきてほしかったら、親を切りなさい!

 私に戻ってきてほしかったら、親を切りなさい!

 私に戻ってきてほしかったら、親を切りなさい!

 私に戻ってきてほしかったら、親を切りなさい!」

 夏の謝罪は消え、意味の分からない文句を繰り返す。

 ハサミの件や農道での暴走などの話を尋ねると、

「あんたらには私がひどいことをしているように見えても、これは全部しつけなんです!」

 妻は電話の向こうで叫ぶ。

 四月末に、妻が子供に当たって泣かしたことを話すと、

「これからのことを考えるのに、過去の話はしないでください!

 これからのことを考えるのに、過去の話はしないでください!

 周りからひどいことをしているように見えても、あれは全部しつけなんです!!

 あれは全部しつけなんです!!」

 話をすり替え、また同じ文句を繰り返す。

「指が切れてもいいからと言ってハサミを渡したこともしつけなのか」

「しつけです!」

 もう返す言葉もなかった。

 連れて帰らない前提で会わせたのに、連れて帰ろうとするのは、子供の気持ちを揺さぶって不安定にするからよくないと、精神保健福祉センターの担当者が言っていたことを伝えた。

「誰や、その人は。電話するから担当者を教えて!」

「誰や、その人は。私が電話するから担当者を教えなさい!」

「誰や、その人は。今から私が電話するから担当者を教えなさい!!」

 何度もしつこく繰り返すので、名前を伝えた。

「私に戻ってほしかったら、親を切りなさい!」

「私に戻ってほしかったら、親を切りなさい!」

「私に戻ってほしかったら、親を切りなさい!」

「私に戻ってほしかったら、親を切りなさい!」

「私に戻ってほしかったら、親を切りなさい!」

 以前の壊れたレコードに戻り、同じ言葉を繰り返すばかりで、どうすることもできない。

「これからカウンセラーに電話して話したい」

 それだけ伝えて一方的に電話を切った。

 こういう人間と会話をするのは不可能だ。自分の考えを一方的に伝えてくるだけの壊れたレコードプレーヤーであり、心という人間にとって一番大事な部分が損傷した人型故障ロボットでしかない。

 なぜカウンセリングを受けて家庭に戻ってほしかったのか、妻には到底理解できなかった。

 すぐにカウンセラーに電話した。妻から電話があり、すべて嫁いびりで、親を切るように言われたことを話した。

「そんなことはないと思います。来週、もう一度来てもらえませんか」

 カウンセラーの言葉に、わずかにだけ救いを感じながら、翌週に予約を入れた。

 カウンセリングを受けていた当時、結婚生活の実態を知った母が言った言葉。

「毎日、ワーワー文句言われて暮らすなら、自分は一人で老人ホームに入るわ」

 この一言で、実は離婚を覚悟していた。家の中で大声を出し続ける妻と伴に暮らす人生を想像して、母の言う通りだと実感したからだ。

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