第8話 八日月

 その日、政宗は初めて鎧兜を身に纏った。

 初陣---である。その右側に小十郎が、左側には時宗丸---伊達成実がぴたりと付いていた。

 「梵、俺、おかしくないか?」

 何やら収まりの悪そうな成実に、政宗は、笑って応えた。

 「大丈夫だ。立派なもんだ。」

 成実の大きめの口がニヤリと笑った。

 小十郎は、若武者ふたりの初々しい姿に口許を綻ばせた。


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 成実が、元服を果たしたのは、政宗に遅れること二年、十一歳の時だった。

 成実は、烏帽子親である政宗の父、輝宗への挨拶を済ませると一目散に政宗の館に駆け込んできた。

 「梵、見てくれ~!」

 嬉し気に灰青の直垂の袖を拡げて、ぱたぱたと翻えさせて、胸を張ってみせた。

 「今日から俺は、伊達成実だ。藤五郎成実だぜ。」

 「おぅ。頼もしいな。」

 実の弟よりなお親しいこの従兄弟を、政宗はにこやかに迎えた。

 「それでな---」

 成実は嬉しそうに言った。

 「俺は今日から、梵の近習になった。親父に頼んで、お屋形さまの許しをいただいた。」

 政宗は、一瞬、目をしばたたいた。そして、遠慮がちに訊いた。

 「いいのか、我れで---」

 伊達家中には、政宗を嗣子とすることに不満を持つものも多かった。右目のこともある。それ以上に他人に馴染まぬ政宗に国主が務まるのか---弟の小次郎を立てようとする声も少なくなかった。

 「何を言ってるんだ。」

 成実は、からからと笑って言った。

 「伊達を継ぐのは梵だろ?俺は絶対、そう信じてる。だから、俺も一緒に梵と戦に行って、勝って、梵に天下を取らせる!」

 小十郎が用意した餅を頬張りながら、成実はにっこり笑って言いきった。

 「時宗---」

 政宗は、うっすらと涙ぐんでいた。誰もが疎んじる自分に、まっすぐ笑いかけて、まっすぐな気持ちを向けてくれる成実は、唯一無二の『親友』でもあった。


 大森城の様子や、学問の師のこと、剣のこと---ひとしきり語らった後、成実は、ふっ---と真剣な顔になって言った。


 「俺---あそこに行ってみたんだ。」


 「あそこって?」

 「梵が行って、次の日に病になった、あの祠さ。」

 政宗と小十郎は、ぎょっとして、顔を見合わせた。


 成実は、政宗が何かに祟られて病になったのではないかと思った。そこで、意を決して、初めて賜った太刀を握りしめて、あの祠に向かった---という。


「でも、何もいなかった。」


 成実は、完全に口の空いた祠に、恐る恐るだが入ってみた。ただ、ひんやりとした冷気があたりを包み、しん---とした闇が拡がっていた---という。


 「俺が退治してやろうと思ったのにさ---。」


 口を尖らせる成実を、政宗は、思わずぎゅっ---と抱きしめていた。

 「おぃ、梵、どうしたんだよ---。」

 びっくりして目を丸くする成実の耳許で、政宗は何度も何度も呟いた。

―無事で良かった。---無事で---―


 帰り際、成実は、見送りに付いてきた小十郎にひそ---と囁いた。

 祠の奥の壁に、龍の線刻があった---と。そして、足許に小さな鱗のようなものが落ちていた---と。

―梵の首の付け根のアレと同じようなものだった。―

 小十郎には言わなかったが、成実は、それを拾って懐紙に包んで持ち帰っていた。

―誰にも、見せない。―

 成実は、本能的にそう決心した。

 「それじゃ、またな。」

 にこやかに手を振る政宗に手を振り返して、成実は館を後にした。


―梵は、龍だ。―

 成実は密かに確信していた。実を言えば、成実は、あの祠で、声を聞いた。

 美しい、絹の擦れるような柔らかな風のような声。


―あの子を、頼みます---―


 成実は、瞬時にそれが政宗のことだと感じた。


―梵は、俺が守らなきゃ---―


『伊達の双璧』のいま一人が覚醒した瞬間であった。


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 初陣は、大勝利に終わった。意気揚々と引き揚げる政宗は、ふと小十郎の兜の前立てに目を止めた。

―弓張月か?―

と訊くと、

―八日月でございます。―

との言葉が返ってきた。

―何故、八日なんだ?―

 怪訝そうに訊く政宗に、小十郎は、にっこり笑って言った。

―いつでも、政宗さまの敵を射抜けるよう、引いてございますれば---―


 ふうん---と一言残して、政宗は馬の足を早めた。

 父の背中が見えた---からである。

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