第6話 上弦三

 その夜も、小十郎はじっと文机の前で腕組みをして、思案に暮れていた。

 梵天丸つまり政宗は、以前よりもかなり落ち着いてきた。学問にも身が入るようになり、挙動も大人のそれに近いものになった。

 元服して、成人となったことの自覚は大きい。

 だが---実質的な問題には、まだ着手もされていないことは事実だった。


 つまりは---

―龍、がこの先、如何に動くか---―

である。


 剣の稽古と座禅とで、『気』の収め方を徹底的に身に付けた。常に丹田にしっかりと収め、揺らぎを抑える。---人としてのそれについては、はや問題は無い。

 問題は、人外の『それ』である。

 小十郎とて、自らの内なる『それ』を収めきれているわけではない。

 政宗が就寝して後、水を被り身を清めて、自らの内を食い破って飛び出さんと足掻く黒龍の気を鎮め、或いはひたすらに刀を振るって放出する。

 十年を超える対峙のうちに、次第にひとつに折り重なり、融合しつつはあるが、まだ時に暴走しそうになる。


 ましてや、政宗はまだ若い。自身の『気』に安定性は無い。

 その上、その身に負うているものは、小十郎のそれとは桁が違う。位が違う---というべきか。

 時折、城に出仕して不快な事態に逢うと、場合によっては怒りで青白い光の刃を放つ。小さな雷光のようなそれに、気付くものは、殆どいないが、気付いたものは、恐れて二度と近付かない。

 政宗自身はそれには全く気付いてはおらず、

「あ奴らは、我れが醜いと思うて、我れを遠ざけておるのだ。」

と絞り出すように吐き捨てて城から早々に退出し、館の自分の部屋に閉じ籠ることもしばしばだった。


 そうではない---と、小十郎が言葉を尽くして説き伏せ、やっと機嫌を直しても、やはりその顔は暗かった。


 実際のところ、政宗自身は、自身の裡に人外のものが棲まっていることを知らない。


「龍に加護されている。」

「右の目を失ったは、龍が加護を与える替わりとして持ち去った。」


 輝宗も喜多も、そして小十郎も、幼い梵天丸に分かりうる言葉で、受け入れられる範囲でしか、伝えていなかった。


---しかし--―


 政宗の成長に伴い、龍の『気』も強くなっている。―共に成長している。―ことが小十郎にはわかる。

 小十郎の中にいる黒龍は、小十郎より遥かに歳かさらしく、普段は、じっ---と小十郎の在り方を眺めている、といった感があるが、政宗の中のそれは、一緒に泣き笑いしているようにも見える。


―どうしたものか---―


 深く深く溜息をついた。

 この館の内ならば、しっかりと結界を張ってあり、邪なものが入り込む隙は無い。少しでも気配があれば、即座に小十郎が祓う。

 しかし----いずれは戦場に立たねばならぬ。伊達の総大将として、陣頭に立ち、自ら刀を降るって戦わねばならない。それは即ち、幾多の数多の生命を殺める---ということだ。


―武士である限り、穢れから逃れることはできぬ。―


 片倉の家から出て、城に出仕することを決めた時に、小十郎自身が兄から言われたことだった。


―穢れに負けぬ強い意志と高い志が要る。―


 それでも天命拙ければ、身を滅ぼす。人外のものを宿す---というのは、更に厳しい裁定を常に受け続ける--ということでもある。


―如何に、お伝えすべきか---―


 来春には、田村の姫との婚儀も整う。

 これまで以上の「覚悟」が必要とされる。


------


 じじ---と蝋燭が焼ける短い音が耳をかすめ、不意に炎が大きく揺れた。

 はっ---として、廊下に目をやると、障子に見覚えのある影が映っていた。


 「小十郎、入ってよいか。」

 政宗が、答える間もなく、すら---と障子を開け、小十郎の方に近寄ってきた。

「政宗さま、このような夜更けに如何なされました---?また、怖い夢でも見られましたか?」

 小十郎は、政宗の方に向き直り、まずは一礼し、政宗の顔を見た。

 「違う!--いつまでも子ども扱いするでないわ。馬鹿者!」

 政宗は、一瞬、ぷっと頬を膨らませ、だが、大層らしく、小十郎の前に胡座をかいて座った。


「話がある。」


「はて、如何なことで御座いましょうか。」

 小十郎は、姿勢を正し、改めて政宗を見た。


 「まずは、これを取ってくれ。」

 政宗は、右目を覆っていた包帯を指差した。小十郎は、一瞬怯んだ。それは、政宗自身が常に包帯を付けていることを望み、湯に入る時に替えるから外すように---と言いでもしない限り、外すことを拒み、寝む時以外は、決して外すことがなかったからである。


「承知いたしました。」 

 小十郎は、政宗の方に一歩二歩、膝をついたまま、にじり寄り、包帯に手を掛けた。一瞬、政宗はぴくり--と身を震わせたが、意を決したように硬く口を結び、小十郎の手が包帯を外し終わるのを待った。


「お外ししましたが---」

 小十郎は、再び膝で、にじり下がり、政宗の顔を見た。

 普段、隠されている右目が徐に開かれた。左目よりやや突き出た感じで見開かれたその瞳は白濁し、病によって視力を奪われた事実を示していた---が、その中央には、金色の筋が一筋、縦に爛とした光を放っていた。

 普段は敢えて見ないようにしていたが、今確かめると、幼少期よりも、はっきりと、その存在を主張していた。

 「これは、なんだ---?」

 殊更に平静を装おう小十郎に、政宗はかつて無いようなきつい口調で問うた。

 「何---と仰せられますと?」

 まずは、とぼけた。とぼけるより他に思い付かなかった---と言っていい。

 「とぼけるな!そなたは、知っていたであろう。」

 政宗は、顔を真っ赤にして、激昂して、言った。

 そして、ガックリと肩を落とし---呟くように言った。

「今日、母上に会うた---」


 小十郎は、はっ---とした。

 今日、城に上がったさいに、小十郎は鬼庭綱元に呼ばれて席を外した。

 その際に政宗は、母の義姫の元に挨拶に行ったという。館に移ってから一度も訪れて来ない。城に上がっても、挨拶に行った政宗に目もくれない---そんな母親でも会わずにいられない政宗の気持ちが切なかった。

 たまたま、母の居室には、弟も、侍女も誰もいなかった。

 珍しく母は、政宗に、そこに座るように言った。

 そして---意を決したように、告げた。

 「包帯を---取ってごらんなさい。」

 「は---」

 政宗は、母までもが、自分の醜さを嘲笑うのか---と情けなさに胸を詰まらせながら、だが、その言葉に従った。

「こちらを見て---」

 母親の反応は、意外だった。一瞬にして顔が蒼白になり、青ざめた唇を震わせ、呟いた。 

 「何てこと---本当に。」

 「母上、何のことですか。」

 母親の予想外の言葉に、政宗は、一層、両の目を見開いた。

 「あなたは---やはり---もぅ、人の子では、私の子では無いのですね。」

 義姫は、そう言うと、早く包帯をつけ直すように---と言った。そして、自分ではうまく直せず、手間取っている政宗に焦れて、母自ら包帯を巻き直してくれた---。

 「人の子でないなら、母上の子でないなら、私はいったい誰の子どもだと仰せになるのですか---」

 思いもよらぬ母の手の温もりに胸を熱くしながら、しかし、信じられぬ母の言葉に、政宗は声を詰まらせた。

 「龍の---あなたは龍の子になってしまった。その右目---もぅ決して人に見せてはいけません。」

 母は、言外に、ここにも来てはくれるな---と伏せた眼差しで、伝えていた。

 「どういうことですか?」

 詰め寄ろうとする政宗を人が来るから---と指先で制し、義姫は、政宗を下がらせた。

 「詳しきことは、私も知らない。小十郎にお聞きなさい。」

 項垂れて立ち去ろうとする政宗の背中越しに、母は小声で告げた---。


 「いったいどういうことなのか?」

 一通りの経緯を唇を震わせて語った後、政宗は食いつかんばかりに、小十郎ににじり寄って、ぐぃ---とその端正な面を睨み付けた。


 小十郎は、腹を決めた。

「お心当たりが、ございましょう---」

 政宗が、高熱で倒れたあのとき、青い光が右目に飛び込んできたあのとき---蒼龍の宿りとなったのだ---と小十郎は、はっきりと告げた。

「俄には信じがたいと思いますが---」

 それまで感じなかった異界の気配を察し、邪気に怯えるようになったのも、龍の霊力によって扉が開かれた由縁である---と小十郎は伝えた。

「そんな馬鹿な---あれは疱瘡じゃったと、薬師が言うておった。父上も母上も、喜多だって---お主とてそう言うたではないか!」


 一層声を荒げ、掴みかかろうとする手を、ぐぃ---と抑えて、小十郎は言った。

「証が---ございます。右の御耳の後ろ、御髪に隠れた首の付け根に---」

 言われて、政宗は、はっ---と自分の首に手をやった。硬い---己が肌とは違う何か---が生えているのを、自らの指で確かめると、その場に崩れ落ちた。

「龍の鱗---にございます。宿りの証---紛れも無い事実にございます。」

 そう言って、小十郎は、自らの左の耳の後ろを髪を除けて、政宗の眼前に晒した。


 「お前---」

 政宗が息を呑み、目を見開いて、そこを凝視しているのが、わかった。

「触って---いいか?」

 小十郎は、黙って頷いた。

 政宗が、恐る恐る、その硬い部分---自分の鱗に触れ、なぞる。その指先が微かに震えていた。

「我れにも、このようなものが生えているのか---。」

 小十郎は、肯定の証に頷き、続けた。

 「某の内にあるは黒龍にて、黒い色をしておりますが、政宗さまに宿りなさったは蒼龍でございますゆえ、青き色をしております。」

 そして、その位の高さを示すように、虹色に輝いている---。


 「だが、そなたは、目を失っておらぬ。無事なままではないか。」

 「某の時には、口から飛び込んで参りましたゆえ---」

 腹を引き裂かれるように苦しかったこと、やはり高熱を出し、生死の境をさ迷ったこと---を語ると政宗は、目を丸くした。

 「幸いにも、某は神域に住まっておりましたゆえ---」

 兄の必死の祈祷により、黒龍を腹の中に封じ、一命を取り止めた---と小十郎は、自らの腹に手を当てて言った。


 政宗は、小十郎の腹を見、そして、まじまじと小十郎の顔を見た。

 「嘘では無いらしいの---」

 「政宗さま?」

 「そなたの後ろに---いや、そなたに重なって、黒々としたデカイものが、見ゆるわ。おとなしゅうトグロを巻いてはいるが---そなたのように、キツい目でこちらをじっと見ておる。」

 なおも目を凝らして、政宗は言った。


 「お見えになるのですか---政宗さまは。」

 「うむ。お前には見えぬのか。」

 「平素には---」

 よほど潔斎して、気を集中せねば、祝(はふり)とて、異界の者の姿は見えない。それだって、朧気な光の塊、影---そうした姿でしか捉えられない。


―龍の眼---―


 政宗の右目は、まさに伝え聞く『それ』だった。

 龍の眼は、縦に開く。それはあらゆる次元を見、あらゆる時を見るという---。


 小十郎が、茫然と息を呑んでいると、政宗が、ぐっと胸元に包帯を押し付けた。

 「巻いてくれ。」

 「は---」


 小十郎はその突き付けられた拳の感触に我れに返った。政宗の手から包帯を受け取り、恭しく丁寧に巻いていく。


「で---」

 政宗は、小十郎の手が、先ほどまで剥き出しだった右目に慎重に布をあて、覆っていくのを、じっと待ちながら言った。 


 「我れは、どうすればいい?」

 「分かりませぬ。」

 小十郎は率直に応えた。

 「分からぬ---だと?」

 政宗が形の良い眉を寄せ、苛立たし気に口許を歪めた。

 「御身に宿りいたしました龍は、その語るによれば、東海龍王の御子にて---某に降りたような下郎の者とは身分も格も霊力(ちから)も違ごうてございますゆえ---」

 「封ずることは出来ぬ---か。」

 「少なくとも、かような力は某にはございませぬ。」

 包帯を巻き終えた小十郎は、改めて膝を正しい、政宗に向き合った。

 「ただ---敢えて言いますれば---」

 ゴクリ---と唾を呑む音がふたりの喉元から漏れた。 

 「その龍に克つことが出来るのは、その宿り主たるあなた様のみ---にございます。」

「龍に---克つ、だと?」

「はい---」


 小十郎は、政宗の、残された左目をじっと見詰めて言った。

 「その龍は、政宗さまが、天下を望むなら、それを助ける---と申しておりました。---なれば、龍の力に相応しい人物となって、その力を使いこなせるようにならねばなりません。」


 「天下---か。」

 政宗の眼が、キラリと光った。

 「なれば、龍の力を我が物として、我れは天下を取る。」

 政宗は---まだ幼さを残す頬を上気させて、少年はキッパリと言い放った。

 

 「それが良うございます。」

 小十郎はにこやかに微笑んで応えた。

 想像外の衝撃から新たな希望を掴み取った少年は、上機嫌で「寝る」とひとこと言い置いて、自分の居室に戻っていった。


 小十郎は、ふぅ---と大きく息をつき、開けたままの障子を閉めに立ち上がった。

―龍の試練はキツい---。―

 これから、どのような事態が、少年の身に降りかかるか想像すらできない。

―なれど---―

 身命を賭して、守る。守ってみせる---小十郎は頭を上げ、頭上を照らす月を見詰めた。

 やがて弓張月となろうそれは、煌々と光り、夜の闇を押し開こうとしていた。

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