第38話:妹、報告される
こんこん。
「スールお嬢様、よろしいでしょうか?」
「は、はーいっ」
ノックとともにメイドの声が聞こえてきて、ベッドに転がって本を読んでいた私は少し声をどもらせながら返事を返した。
即座に体を起こし、どたばた音を立てないようにしつつドレスの乱れを直す。
この間約十秒。
我ながら手慣れたものである。
「ジャン=ジャック王子がお見えになられました。開けてもよろしいでしょうか?」
私が体裁を整えたところで、メイドさんの二の句が聞こえてくる。
あら、ジャックくんだ。久々。
攻略キャラと悪役令嬢という垣根を越えて仲良くなったお友達の訪問に、突然の来客を不服に思っていた気持ちがあっさり裏返る。手紙でやりとりはしているけど、やっぱり直接話せると嬉しい気持ちになるのよね。
あと手紙を書くのは大変だし……。スマホがあれば楽なのになあ。
「ええ、どうぞ」
そんなことを思いつつ、令嬢モードで受け答え。
ドアが開き、絵に描いたような王子様ことジャン=ジャックくんが顔を見せた。
「いらっしゃいませ、ジャック王子。お久しぶりです」
「ええ。久しぶりですね、スール」
ドレスの裾を軽く持ち上げてお辞儀をすれば、応じるようにジャックくんも笑う。
今日も今日とて、見事なまでのイケメンだった。うーん、さすが乙女ゲームの攻略対象。顔面偏差値が凄い。
「ではジャック王子、どうぞこちらへ。サラ、お茶を用意してちょうだい」
「かしこまりました」
オタク全開な感想はもちろんおくびにも出さない。
ジャックくんを中に招きつつ、メイドさんにもてなしのお願いをした。
本当ならこういうのはお兄ちゃんもといフレールの仕事なんだけど、今はお使いという名の好感度稼ぎのためにお出かけ中なので仕方ない。
攻略キャラクターの性なのか、ジャックくんはお兄ちゃんフレールを意識している。だから不在について聞かれるのかと思ったのだけど、彼は私の部屋にお兄ちゃんフレールがいないことを気にした様子もなく、促されるまま部屋に足を踏み入れた。
メイドさんがいなくなり、部屋には私とジャックくんの二人だけ。
この状況、第二王子の風聞的にはアウトだと思うんだけどどうなんだろう。
少し前まではちゃんと付き人を連れて訪ねに来ていたジャックくんだけど、最近は外で待たせているみたいなのよね。変なことは何もしていませんよっていう証人がいた方が良いと思うんだけど。
私としても、付き人がいると見られている感じがして喋りづらいから(実際王子に変なことしないか見ているんだろうけど)いないならそれに越したことはないんだけどね。
「お茶が来るまで、しばしお待ちを」
そう言いつつ、椅子を引いて座るように促す。
ジャックくんが座ったところで、私も向かいの席に腰をかけた。
「普段はフレールがやってくれるのですけど。あいにくと今日は使いに出していまして。お城に向かわせたのですけど……」
まず切り出すのはそんな話。
この世界は油断すると私を悪役に仕立てようとするので、先んじて身の潔白を証明するのはとても大事なことだった。
何度……!
何度言いがかりみたいに悪認定されたことか……!
「ああ、そのことなんですが」
内心ギリギリしている私には気づかず、ジャックくんは切り出す手間が省けたとばかりに言葉を続けた。
「フレールさんなんですが、その、ちょっと事情があって一晩城で預かることになったんです」
「えっ?」
「私はそのことを伝えに来ました。兄は使者を出すつもりだったようですが、ちょうど手が空いたところだったので任せてもらったんです。……久々にスールに会いたかったので」
そう言ってはにかむイケメン王子様。
に、似合う~~~!
台詞チョイスもそうだし、さすがは乙女ゲームの攻略キャラクター。夢女子の皆さんはこういうのにドキドキするんだろうなあ……って違う違う。感心してどうする私。
なんでお兄ちゃんがお城にお泊りするの!?
「うちのフレールが、何か粗相を?」
問い詰めたいのをぐっと堪えて、お上品に質問する。
そんな私の問いかけに、ジャックくんはどこか気まずそうに顔を逸らした。
えっ、待って?
ちょっと待って?
いつの間にか拉致監禁ルートに行っちゃったの……!?
「な、何があったの!?」
椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がり、身を乗り出してジャックくんの肩を掴む。
なぜかジャックくんは顔を赤くして仰け反った後、冗談ではないですからね、と変な前置きをしてから口を開いた。
「兄が街を視察している時、偶然フレールさんに出会ったのですが」
「う、うん」
「フレールさんの頭に、その、鉢植えが降ってきまして」
「――――はい?」
「それでフレールさんが気を失ってしまったので、手当てもあって城へとお運びしたとか。あ、幸いコブだけで済んだようでお元気そうでしたよ」
「そ、そうですか……」
なにそのコントみたいな出来事。
予想斜め上の事実を突きつけられ、なんというか全身が脱力した。
「嘘みたいな話なので、信じがたいとは思いますけど」
「い、いえ。ジャック王子が嘘をついているだなんて、そんな恐れ多い」
むしろ、なるほどそりゃあ言いよどむわねって納得していますとも。
冗談みたいな話すぎて、逆にあっ本当なんだなって思うわこれ。嘘とかならもっとマシな嘘つくもんね、うん。
「……うちの者が粗相していないようで良かったですわ」
なんとかそれだけ言うと、ジャックくんから離れて椅子に座り直す。そして前髪を整えるふりをして、目尻に浮かんだ涙をそっと拭った。
心臓に悪かったぁ……。
それから少し経った後、メイドさんがお茶とお菓子を運んできた。
今日のおやつはお兄ちゃんお手製のものじゃなく、お抱えの料理長が作ったマドレーヌである。
さすがプロが作っただけはあって、お兄ちゃんが作るやつよりしっとりしているし焼き色も良い。単純なおいしさで言えば断然こっちなんだろうけど、やっぱりお兄ちゃんが作ってくれたやつの方が好きだな、私。
「……あ、あの、スール」
そんなことを思いながらマドレーヌを食べていると、ジャックくんが少しどもった感じで話しかけてきた。
「なんでしょう?」
「そ、その」
問い返せば、落ち着かなさそうに視線が彷徨う。
急かすのも可哀想だからと紅茶で口を湿らせつつ見守っていると、意を決したようにジャックくんは続きを口にした。
「……今度、私と一緒に街に行きませんか?」
「街に?」
思わず聞き返してしまった。
どゆこと?
「最近は多忙で、お恥ずかしながら少々気疲れしていまして。そんな折にまとまった余暇がとれることになりまして」
うんうん。
「どう過ごすか考えた時、その、スールと一緒に街を探訪できたら楽しそうだなと……。無論、これはジャン=ジャック・スペルビアとしての言葉ではありません。ジャン=ジャックという男のわがままとして、気兼ねせず返答してください」
そう言って、ジャックくんは紅茶に口をつけた。
えーっとつまり……買い物のお誘い?かな?
前世とだいぶ街の様子が違うからいまいちピンとこないけど、要は久々の休みだから友達と遊びたいってことなんだと思う。
ゲームの設定だと、ジャン=ジャック・スペルビアには気軽に話せる同年代の友人がいない。だからこそフレールという同年代で心許せそうな少女に惹かれるわけなんだけど、肝心のフレールは第一王子であるクリス王子と仲良くなっている。つまりイレギュラー的に仲良くなった私が、ジャックくんにとっては初めての友達ということになるのだ。
私は……まあ、お話する令嬢仲間がいないわけじゃない。
でも友達って言うほど仲が良いかと言われれば、ちょっと微妙。友人くらいの距離関係だ。同じ意味だろうってお兄ちゃんにはよく突っ込まれるけど、友達と友人は私の中だとニュアンスがちょっと違うのである。
さておき。
今世においては、私にとってもジャックくんは初めてできた友達のようなもの。
そんな友達の誘いを、もちろん断るつもりはない。
「お誘いいただけて嬉しいですわ。ぜひ、一緒に参りましょう」
そう答えれば、パアアッとジャックくんの表情が華やいだ。
うっ、眩しい。
「ありがとうございます、スールっ」
「いえ、私などでよろしければいつでもお付き合いいたしますわ」
「そう言ってもらえると嬉しいですね。……ああ、そうだ」
大事なことだとばかりに、微笑みを引っ込めた真面目な顔をすると。
「一応、お忍びという体でいきたいので、その。……お互い、側仕えの同行はなしということでもよろしいでしょうか?」
ホワイ?
……あ、そっか。傍から見るとデートみたいなことになっちゃうから、王子様としてはそういう風聞は避けないといけないわけね。なるほどなるほど。
「ええ、構いませんよ」
納得したのでそう返事をすれば、ジャックくんはなぜかガッツポーズをした。
「王子?」
「あ、い、いえっ、なんでもありませんよ」
声をかけると、慌てたように拳を引っ込めた。
ホワイ……?
お出かけの日程を詰めた後、ジャックくんは名残惜しそうに帰って行った。
楽しみだな~。
思わぬ予定にわくわくする一方、一人になると不安が首をもたげてくる。
「……お兄ちゃん、大丈夫だよね?」
経過報告を聞く限り、いきなり拉致監禁ルートに入るようなフラグは立っていないはず。ジャックくんもクリス王子から不穏なものは感じていないみたいだし、杞憂だとは思うんだけど……。
うーん……。
「クリス王子に拉致監禁、されなきゃいいんだけど」
かたん
「ん?」
ドアの外から、小さな音が聞こえた。
なんだろう。ノックのし損ないかな?
「誰?」
声をかけてみるけど、反応はない。
しばらく様子を窺うようにドアの方を見ても、特にこれといった変化もなかった。
「なんだ、気のせいか」
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