兄妹で乙女ゲームの世界に転生したけど俺がヒロインで妹が悪役令嬢ってどういうこと?

毒原春生

一部

第1話:兄妹、転生する

「いってきまーす!」

「いってき…まぁふ……」


 月曜日の朝、俺はいつものように二つ年が離れた妹と家を出た。

 あくびを噛み殺す妹が荷台からずり落ちないよう気をつけながら、ママチャリを漕ぐ。

 道路交通法的にアウトなのは目をつぶってほしい。普段は二人乗りなんてしていません。妹の自転車がパンクしているため、今朝はやむをえずというやつだ。

 帰り道のファ○チキで一日限定の専属運転手になった俺は、慣れない二人乗りに神経を使いながら通学路を進んでいた。


「ねむひ……」


 落ちないようしっかりと腰を掴んだ妹が、何度目かわからないあくびをする。


「遅くまでゲームしてるからだろ」

「だってなかなか隠しキャラの攻略ルートが見つからなくて……。セーブアンドロードオアリセットは一度やりだすとやめられないとまらない」

「有名なキャッチフレーズをパクるな。そういうの、攻略サイト見れば一発だろ?発売当日でもあるまいし、なんで苦労して自力で探すんだか」


 攻略サイトを見る派の俺には、そういう試行錯誤がいまいちピンとこない。

 ましてそれで夜更かしである。先人の知恵に頼って早めに寝ればいいのにと思っていると、後ろから耳を引っ張られた。


「いででで」

「愚兄!」


 さっきまでの眠そうな声はどこへやら。ガチトーンで妹は俺を罵った。


「そんな作業みたいに攻略しても達成感皆無!自分の力のみを頼りに攻略ルートやハッピーエンドにこぎつけてこその真の乙女ゲーマーなり!」

「時代錯誤!」

「新しいゲームをプレイする時は常在戦場の気持ちで挑んでいるわ」

「お前は武将か!」


 ぎゃあぎゃあと言い合いをしながら、ママチャリは前進していく。

 軽口を叩き合いながらの登校はいつものことで、だからこそ俺も妹も慣れていない二人乗りだったことをすっかり忘れていた。

 不意にクラクションが聞こえ、二人してハッとなる。

 音がした方に視線を向ければ、大きなトラックがすぐ間近まで迫っていた。

 慌ててハンドルを切るも、荷台の重さでバランスが崩れ、避けられない。


(……あ)


 俺の妹。妹だけでも守らねば。

 最後にそんなことを考えて、俺の意識はブラックアウトした。






「……………………」


 目覚めた時、濁流のように押し寄せてきた十八年分の記憶。

 私――もとい俺は、ベッドの上で呆然としていた。

 そして、しばらくフリーズした後に、部屋に一人きりなのをいいことに思いきり叫んだ。


「死んでんじゃん俺!」


 はい。死んでますねあれ。トラックにはねられたからね。

 二人乗りなんてしたから罰でも当たったのだろうか。確かにいけないことだと承知で妹を乗せましたが、それにしたって天罰の速度が速すぎでは?

 せめて妹は無事でいてほしいのだが。

 そんなことを思いながら、俺は自分の胸元に視線を向けた。


「……」


 ある。大きくはないけど、あっこれおっぱいだって思うくらいの質量のものが。

 思わず手を伸ばし、軽く揉んでみる。柔らかい。むにむにしている。

 家族以外のそれに触ったことなど生まれてこの方ないのだが、さすがに興奮も驚きもしなかった。だって自分の胸についているものだし、触り慣れているし。

 死んでんじゃん!とつい叫んだが、死んだのは今の俺じゃない俺のこと。

 まあ、いわゆる前世というやつだろう。今の俺はフレールという名前の……はい、女の子です。十五才の女の子なのだ。


 フレール。十五才。ファミリーネームはない。

 オリエンス王国という大きな国の貴族、ルクスリア家で下女として働いている。

 物心ついた時から孤児院にいたのだが、人手がほしいとかで十才のころに引き取られたのだ。普通十才の女の子を働かせます?労働基準法をなんだと思ってるんだ。いやここ、日本どころか現代ですらないんだけど。

 まあそんなわけでやってきたルクスリア家。

 俺も前世ではよく家事の手伝いをしていたからなのか、他の下女やメイドに混じってうまいこと仕事をこなしていた。順風満帆ってわけじゃあもちろんないけど、慎ましい平穏ってやつをフレールはこよなく愛していた。

 ……あいつに目をつけられるまでは。


「やっべー……」


 あいつのことを思い出し、頭を抱える。

 あいつというのは、ルクスリア家のご息女ことスール・ルクスリアのことである。

 俺とは二つ年が離れた御年十三才。ルクスリア家の次子だ。

 家督は現在武者修行に出ている兄が継ぐことになっているので、いずれは格上の貴族に嫁入りすることを期待されている。


 こいつが本当に酷いのなんの。

 顔は十三才と思えないくらい美人なんだけど、とにかく性格がよろしくない。

 外面は大変よく、両親やメイド長といった立場のある人にはいい子ちゃんで通している。

 だが、いったん彼らの目が離れると、立場にものを言わせて下女をいじめる悪女と化すのだ。特に俺に対しては当たりがきつく、暇さえあれば俺のことをねちねちねちねちと取り餅かと思うくらい執拗にいびってくる。

 前世の記憶がインストールされていない俺は慈愛の心でそれを許していたが、今の俺はあれに耐えられるかちょっとわからない。まあ、十三才の女の子がやることだと思えば対して気にはならないかもしれないけど。

 俺は長男気質なので年下には基本甘いのだ。いや、今は女だけど。


 いやいや、脱線している場合ではない。

 俺がこうして前世の記憶を取り戻しているのは、元を辿ればスールが原因なのだ。

 階段の掃除をしていたところに現れたスールは、いつものように難癖をつけ始めた。

 やれちゃんと力を入れて拭いていない、やれまだ埃が残っていると。お前は嫁に意地悪な姑か!とツッコミたくなる。だが、その時は虫の居所がよろしくなかったらしい。小言だけではすまず、はい申し訳ありませんと謝っていた俺の頬が思い切りひっぱたかれた。

 繰り返すが、俺は階段の掃除をしていた。

 そんなところで叩かれたらどうなるかはおわかりだろう。俺は見事にバランスを崩し、階段から落ちてしまった。


 前世の記憶が戻ったのも、その時頭を強く打ったからだろう。

 それだけならよかったんだけど、それだけじゃない。

 とっさに掴まれる場所を探した俺の手は、すぐ近くにあった布を引っ張ったのだ。

 階段に布などあるわけがない。俺をひっぱたいた張本人、スールのドレスを掴んだのだと気づいた時は遅く、俺と一緒にスールも階段下までダイブしてしまった。


「なんつーことやらかしてんのフレール…いや俺のことだけど……」


 下女風情が主人の娘を危ない目にあわせるなど、この世界の価値観では言語道断。

 ましてあのお嬢様のことである。仮に自分が足を滑らせていても、これ幸いとばかりに俺のせいにするくらいはやりかねない。今回はバリバリ俺に非があるので、それこそ鬼の首をとったようにそれを主張するだろう。


「追い出される……いや、不敬罪で牢獄行き……?」


 顔から血の気が引いていく。

 追い出されるのも牢獄行きも真剣に困る。特に追い出されるのが本当に困る。

 だって俺、今は十四才の女の子(孤児)ですよ?

 前世に似なくてもいいのに顔は平凡そのもの。それでも十四才の女の子である。加えて身寄りもないときた。放り出されたら誰に何をされるかわからないし、というかそもそも生きる術がない。

 カムバック現代日本!

 こんなことで悩まなくていい治安良き前世の故郷に帰りたい。


「ど、どうすれば……武者修行中の兄に連絡とるか……?」


 ぶつぶつ言いながら、今後の対策を頭の中で練る。

 そんな時、ドアをノックする音が聞こえてきた。


「っ!」


 考え事の最中だったから、思いきりびっくりした。跳ね回る心臓を服の上から押さえつけ、深呼吸して自分を落ち着かせる。


「は、はい?」

「……スールですけど、入ってもよろしくて?」


 返事をすれば、ドアの向こうで聞き覚えのある声が聞き覚えのある名前を名乗った。

 えーっ、ちょっとまだ名案とか閃いてないんですけど!

 心の中で叫ぶが、だからといっていいえ駄目ですなんて言えるわけもない。どうぞとどもりながら言えば、使用人室に不釣り合いなお嬢様が入ってきた。

 ……うーん、本当に顔が良い。十三才とは思えない。

 将来美人になることが約束された顔だ。これで性格がよければなあ。


「……あ、あの」

「はい?」


 現実逃避をしていると、スールが声をかけてきた。この時点で、おや、と思う。

 普段の傲岸不遜な態度はどこへやら。何やら神妙な顔をしている。こんな顔は娘に甘い当主様に叱られて泣き出しそうになっている時以来だ。

 声をかけてきたのに続きも話さず、もじもじと体を揺らしている。

 お腹でも痛いんだろうか。

 そんなことを考えながら見守っていると、意を決したようにこっちを見た。


「……さ、さっきはごめんなさいね?頬をぶったりして」

「…………?」


 しばらく黙った後、自分がものすごく怪訝そうな顔をしたのがわかった。

 例えるならあれだ、SNSでthinkingって打つと表示される絵文字。まさにあんな感じで、首を傾げている。


 だってあのスールが。

 あの性悪スールが!俺に!謝っている!

 天変地異の前触れ?明日世界が滅ぶのでは?

 ついそんなことを考えてしまう俺を後目に、スールは見たこともないしおらしさで話を続けていく。


「階段から落ちてしまったのも私のせいだし……。私も一緒に落ちたのは自業自得だから、お父様にはそう伝えておくわ。だからフレールは安心してうちにいてね」


 頭を打った時に曲がった性根がまっすぐになったのだろうか。

 当主様達の前でしか出さないような優しい声で謝罪されるうちに、驚きが感心になっていく。そしてその感心は、すぐに違和感に変わった。

 いや、なんというかこう、こう……。


「……きもちわる」


 あまりのギャップに、無意識のうちにそんなことを口走ってしまった。

 やばいと思って慌てて口を押えるが、後の祭り。


「…………」


 今まで神妙な顔をしていたスールの顔が凍りついた。というより、引きつった。

 ピキッという音とともに、怒りマークがこめかみに浮かんでいるのが見えるようだった。

 まあそうだよな、真面目に謝っているのに気持ち悪いとか言われたら傷つく通り越して怒るよな、俺だってそう思う。


「ふぅぅぅぅぅ……」


 それでも謝っていた手前か、スールは深呼吸で自分を落ち着かせようとしていた。

 らしくないその姿に、声には出さなかったものの、俺は思いきり引いた。

 だってあれだぞ、こいつ普段は「ごく潰しの貴方がたに仕事を差し上げて生きる意味を与えているのですから地べたに這いつくばって感謝してほしいものですわ」とか言っているんだぞ?そんな子に急に神妙に謝られて神妙なリアクションなんてとれないだろう?

 俺は悪くない。

 悪くないとは思うが、十三才の子相手への対応としては悪かった。


「気持ち悪いって何よ!?」


 案の定、キレたスールが声を荒げた。


「人が申し訳ないと思っているのに何よその態度!ちょっと酷いんじゃない!?」


 そしてその言いように、今度は俺がカチンときた。

 相手は十三才十三才と呪文を唱えてみたが、俺……というかフレールとしても鬱憤自体はたまっていたのだろう。口を押えていた手を離し、ゆっくりとベッドから起き上がる。


「……酷い酷いって、普段の行いを振り返ってから言えよな」

「……は?」

「今までさんざん人のこといじめ抜いてきておいて、ちょっと謝ったくらいで諸手を上げてお慈悲ありがとうございますって言うと思ってんのか?」

「……」


 さあ、どんな反論をしてくる。

 いくらでも相手してやるからかかってこい!

 少し前まで追い出されたらどうしようと考えていたのもすっかり忘れて、俺はファイティングポーズをとった。妹と口げんかする時もこんな感じだったなーと思い出しながら。


(…………ってあれ?)


 しかし、いつまでたってもスールが反論してこなかった。

 わなわなと肩を震わせているが、整った唇を固く引き結んで黙っている。

 思わず首を傾げたのも束の間。


「……うわぁぁぁぁぁん!」


 唇の封がほどけたかと思えば、そこから泣き声が飛び出してきた。


「ス、スール様!?」


 子供みたいなありさまに心底びっくりし、カチンときたのも忘れて慌てて声をかける。

 そして妹にやっていたように、ぽんぽんと落ち着かせるように背中をさすった。しばらくすると泣き声が嗚咽に代わり、音量がマシになる。

 これ誰かに聞かれてないだろうな……。

 そんな心配をしつつ慰めていると、ひぐひぐと泣きながらスールが口を開いた。


「だってしょうがないじゃない。私がいじめてたわけじゃないのに、私がいじめたことになっちゃうんだもの……!」

「……はい?」


 よくわからない言葉に、背中をさする手が止まった。


「そりゃあ私だって虫がいいとは思ってるわよっ。でも、このイベントは回避しないと王子様やお兄様が介入してきちゃうから…っ」


 イベント?介入?

 ますます首を傾げる俺に構わず、またもうわぁーんと大きな泣き声が上がった。


「このままじゃバッドエンドになっちゃう!」


 ――――駄目かあ、これだとバッドエンドルートになっちゃう。

 意味のわからない言葉が、事故前夜、妹の部屋から聞こえてきた声と重なった。


「…………」


 事故で転生した俺。

 そして同じく事故にあった妹。


(……いやいや、そんなまさか)


 浮かんだ仮定を打ち消そうとするが、油汚れのようにこびりついて離れない。


「……あのさ」

「ぐすっ、何よ」


 ええいままよ。電波なことを言っても、今なら多分大丈夫だろう。

 そう決めつけて、俺はある質問をした。


「俺に奢ってくれるの、ファ○チキだったよな?」

「…………」


 スールがぽかんとすること数分。

 涙で美人な顔を台無しにしたスールは、信じられないと言いたげに口を開く。


「えっ、お兄ちゃんなの?」

「二人乗りで事故った方のお兄ちゃんです……」

「うっそぉ……」

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