83話 追撃1-4


 落ち着かないシュレンゲをみたベアトリスはしばらくそれを見ていると、ヴァジムにシュレンゲを逆の方に向けるように頼んだ。ヴァジムが手綱を持ち引っ張るが、ある程度方向をかえるとシュレンゲは頭を再び、群れを方へと向けようとする。ヴァジムがどうにもならんといった顔をしてベアトリスを見るとベアトリスが口を開いた。


「たぶんこれは連絡手段の一種だと思います」


「しかし、俺たちはこんなものみたことがないぞ」


ヴァジムが昨日今日でシュレンゲを見ただけの人間が、そんなことわかるのかと言いたげに口を尖らせて言う。


「これまでは必要なかったんだと思います。さっきこんなに群れをなしたシュレンゲを見たことがないって言ってましたよね。鳴き声や仕草での伝達能力には限界があるんです。だから‥‥」


ベアトリスは半身を翻すとシュレンゲの群れを手で指し示した。


「だからあの子たちは襟巻きを震わせているんです。狼が似たようなことをします。彼らは臭いでお互いが縄張りのどこにいたか、直前の食事はなんだったか、怪我や病気をしているいるのか。これらを彼らは臭いで群れの中で会話します。あの子たちは臭いじゃなくて音でそれをしてるんだと思います」


 ここでエカテリーナがシュレンゲの群れを見るように言った。

全員が群れに目をやると、群れの手前、義清たちの本陣近くのシュレンゲがこちらを向いて襟巻きを震わせている。そしてしばらくすると奥を向いて、また襟巻きを震わせる。するとそれに近い群れの一部が本陣の方を向く、そして襟巻きを震わせしばらくすると奥を向いて、また襟巻きを震わせる。


「たぶん、必要な情報をこの子から得たので群れ全体に伝えてるんです」


エカテリーナはしゃがんでヴァジムのシュレンゲの喉をなでながら言った。必要なことが終わったからかヴァジムのシュレンゲは襟巻きをたたもうとしている。ヴァジムは一連のことを見て恐れ入った、とエカテリーナに敬意と関心の言葉をいった。

和やかな雰囲気でベアトリスとヴァジムが会話しているとシュレンゲが突然、弾かれたように首を高く上げた。左の方をじっと見ている。ベアトリスもこれに反応した。


「どうしたベアトリスよ?」


義清が尋ねる。


「犬がこれと同じ動作をするんです。何か気になる音を聞いた時に、一点を見つめるそれです」


義清が不思議そうにシュレンゲが見つめる方角を見る。


「そういえば、あの方角は‥‥」


「伝令!!」


突然背後からボア族の戦士の声がした。振り向くとアセナに乗ったヴェアヴォルフ族の伝令がこっち走ってくるのが見えた。


「なるほど、ベアトリスよ、そのシュレンゲが何に反応したかわかったぞ」


伝令が義清の元まで来るとアセナから降りて報告する。


「貴族軍はゼノビア様の軍に追われて、まもなくこちらに追い落とされます」


「うむ、その方らに損害は?」


「さしたる損害なく、ただいま追い首の取り合いとなっております。それから‥‥」


「いかがした?」


「ゼノビア様曰く、こちらの戦況から鑑みて必要ありと判断されましたら、ムリをすればヴェアヴォルフだけで貴族軍の殲滅が可能とのことですが」


(ははぁ~ん)


 義清は伝令の言葉の裏を察した。ゼノビアは砂丘の上の正体不明の軍への警戒から、黒母衣衆と本陣がその対応にあたっているときに貴族軍がそこに乱入しては邪魔になるのではないか。それならばヴェアヴォルフ族が乱入前に貴族軍を殲滅しようというのだ。しかしこれにはヴェアヴォルフ族にも多少の犠牲がでる。混乱状態で敗走中とはいえ貴族軍の方がヴェアヴォルフ族より人数は多い。殲滅しようとすれば死にもの狂いで反撃してくる者もいるだろう。

 同時にこれはヴェアヴォルフ族の手柄独占にあたる。いくらボア族がこの世界にきてから手柄を挙げ続けているとはいえ、それはラインハルトとその周りだけだ。今回の黒母衣衆とヴェアヴォルフ族の共同で貴族軍を殲滅するのは、そういった手柄のバランスという意味もある。

 ゼノビアは暗に、ヴェアヴォルフ族だけで手柄を独占してしまってよいかと要求しているのだ。


(ゼノビアめ、先程の追撃命令無視までは言い逃れできるが、今回はワシのお墨付きがほしいとふんだか。かわいいやつよ)


義清がニヤリと笑って伝令に声をかけるより早くベアトリスが声を上げた。

ベアトリスの方を見るとヴァジムのシュレンゲが、また襟巻きを震わせていた。やがてそれは先ほどと同じように群れ全体に広がっていく。先ほどと違ったことは群れ全体が一つの方向を向き、その方向へと集まり始めたことだ。シュレンゲたちが見つめる砂丘のその先には、貴族軍が迫っている。

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