第45話 オーブの共鳴(前)

 西宮神社の目の前にある、阪神高速三号神戸線の西宮出口は、神戸からの上り方面しかないため、京都方面からは、名神高速の西宮インターで降りて、国道四三号線を西へ二キロ、戎前交差点を北へ右折することになる。時刻は十九時十四分、日没まであと二分。

 戎前交差点の信号が黄色から変わる瞬間、アウト側にふくらんだブルバード、その漆黒の巨体を、イン側から蒼いハヤブサが、翼を翻すように抜き去った。

 西宮神社、轟音を引き連れ、表大門である赤門へ一番で到着したのは、武智亜弓を乗せた音塚閃太郎のハヤブサ千五百ターボ。亜弓はヘルメットを脱ごうとするが、オートバイ用のグラブをしていなかったこともあり、振動と風圧に晒された指がしびれて、うまくストラップが外せない。このまま駆け出そうかと思った亜弓だが、さすがに神様に参拝しに行くにはダメだろうと考え直して、さらに焦る。閃太郎の表情は見えないが、亜弓に手を貸そうとはしない。分かってる。最後の最後は、ぶれずに願いを届けてみせる。

 ハヤブサに遅れること二秒。メグこと和邇萌美を乗せた平井のブルバードがなだれ込んでくる。メグはビンディングシューズを脱いだ。そのままソックスで走る気だったが、雨に濡れた参道の石畳が乾いていないのを瞬時に確認し、ソックスも脱ぎ捨てた。ケガはするかもしれないが、裸足の方がまだ滑らない。

 メグの鈍足は、ヴェントエンジェルの自虐ネタにされるほどだが、今日は何かが違う。最後の最後に勝てる気がする。でも平井さんの報酬が、もうけの三十パーセントって、これって、何かもうかるのかな。税込みって言ってたけど、じゃあ、百八万円下さいって、お願いしたら、百八万円がどこからか降ってくるんだろうか。いやいや、わたし、しっかりしなくちゃ。

 さらに橙色のスズメバチのようなエリーゼが、後輪を派手にドリフトさせ、赤門にぶつかる寸前で、かろうじて停まった。アルミ合金を溶接せずに接着剤で成型したバスタブフレームは、軽量かつ高剛性で、エリーゼの驚異的な運動性能の根幹を成しているが、トレードオフとして、乗降性が著しく悪い。

 脇本優は、大型オートバイたちに遅れずに疾走した、ショップのクラブチームのホープである岩田の運転を褒めるどころか、何で一番になられへんのやと怒鳴りつけながら、やっとこさ車から這い出ると、岩田のスニーカーをひったくり、大あわてで履き替える。

 丸瀬紗弥と美津根崇広を乗せた、スーパーチャージャー搭載のハイエース。美津根のクラブチームの若手エースである安井は、一切無駄のない冷静かつ緻密な運転で、エリーゼを先導させて進路を確保し、そのまま西宮神社に着いた。エリーゼの車高が低すぎるため、後に続くワンボックスの方が、オービスに捉えられやすいが、光らなかったのはラッキーだった。

 既に車内で足をもみほぐし、最後のダッシュに向けて準備していた紗弥であるが、米プラザ駐車場で投げつけられた閃太郎のことばを消化しきれずにいた。

 あたしには、まだ、認めなくちゃいけない事実があったんだ。祐二、あんたがもう、帰ってこないということ。本当はそうかもしれないと内心思ってたけど、認めるのが怖くて、認めたら本当にあんたが帰ってこなくなる気がして、いつかきっと会えるって信じようとしてた。

 荻原選手が言ってた。過去は変えられない。変えちゃいけないんだって。その通りだね。前に進むためには、今を認めなくちゃいけない。でも、そんな辛い事実を認めるくらいなら、前になんか進みたくない。そうしたら、祐二はなんて言うだろう。分からない。どっちだろう。

 そんなに辛いなら、動けるようになるまで、じっとしておけよ。そう言うかもしれない。お前の彼氏じゃないけど、待っててやる、離れて見といてやるからさ。そう言うような気もする。

 あるいは、こんなとこで立ち止まってるのは、お前らしくないぜって、突き放したように言うかもしれない。お前はおれより遅かったけど、強いだろ、しぶとい奴じゃないかって。嫌なことなんか全部放り出して、好きなことだけやってたら良いじゃないかって。まあ、おれは手伝わないけどなって、そう言う気もする。

 そうか、どっちにしても、祐二は、あたしと一緒に居るんだ。祐二はどこへも行ったりしてない。こうやって、いつでも話ができる。あたしが、祐二のことを忘れない限り。忘れるわけないじゃない。だって、ずっと一緒に居るんだから。じゃあ、願い事をするとしたら・・・

 米プラザのゴールは、確かにあたしが獲った。亜弓さんには申し訳ないけど、最後のダッシュなら誰にも負けない。このまま、あたしが決めてみせる。

           *

 次期宮司を約束されている、西宮神社権宮司の吉井良和は、本来なら閉門時間を過ぎて、門前を掃除している時間に、暴走族のような爆音と排気ガスをまき散らしながら飛び込んできた、単車と車たちを、門柱の陰から見ながら眉をひそめた。一一〇番通報してしかるべき、大迷惑である。ただ、昼前に来た、赤ん坊連れの女性が残した一言が気になる。

 蝦夷の御神体が、当初の神像から、現在は鏡に替わったという話自体は、一般にも秘密ではない。しかし、その鏡が、実は凹面鏡であることは、歴代宮司の吉井家に伝わる、門外不出の極秘事項のはず。神社内の職員すらも、御簾で隔てられた神壇の奥、神籬(ひもろぎ)に厳封された御神体を、直接確認することはできない。いったいなぜ・・・

           *

「それで君世さん、なんで御神体が凹面鏡だって、分かったんです?」

 ハチケンこと鉢元健一はセレナを飛ばしながら、ハンズフリーマイクから、黄色いN-ONEで付いてきている田中君世に尋ねる。名神の渋滞はそれほどでもなかった。もう高速を降りる。西宮神社まで、もうすぐだ。陽子は疲れ切って、寝てはいないのかもしれないが、ぐったりと目をつぶっている。八代隆康に同乗を勧めたが、子ども好きの八代は、赤ちゃんを抱っこしたいからと言って、君世の車に乗ってしまった。

「ああ、それは当てずっぽう。って言う表現は良くないわね。歴史の細かい周辺事実を積み重ねて、生まれた仮説をぶつけて、権宮司の表情が変わるかどうかで、検証を試みたわけ。そしたらさあ、こういう時の男の人って、かわいいというか、すぐ顔に出ちゃうのね。ハチケンさんも、どうせ陽ちゃんに告るんなら、変に気取らずに、ストレートがいいよ。はは、冗談。ごめんね、心が読めちゃって。

 あ、凹面鏡の話ね。結局あれは、中国の八卦風水の理論を取り入れてるのよ。光と気が同じ性質を持つことを利用してるの。厄除けの目的が主ならば、凸面鏡を玄関から外に向けて掲げておけば、邪気を霧散させてはね返せる。そっちの方が一般的で、使用する側も危険度が少ないわけ。

 一方で、開運の最強、最後の手段、文字通り起死回生っていうか、すごくリスキーなんだけど、凹面鏡を内向きで使えば、邪気をいったん凝縮して、焦点から先を反転させることで、正気(せいき)に変える。

 メビウス・ロード最大の謎が、これで解けるでしょ。アワイチとビワイチは、それぞれが左右対称に向かい合った巨大な凹面鏡の姿。その二つの焦点、まさに気のエネルギーが反転する特異点が、西宮神社なのよ。

 戎神社が謳っている商売繁盛って、結局は自分本位の金銭欲とか物欲でしょ。それを純粋な幸福に転化するのが、この神社の御利益ってわけなの」

「じゃあ、今回奉納する願い事が、個人的な欲望だとしたら?」

「いのちと時間に作用して、現実を変えることは間違いないわ。ただ、その欲望の形そのままじゃ、叶えられないはず」

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