理不尽だが、兄妹は異世界にいる

プロローグ

第1話 プロローグ

未だに雪が降り続く一月のある日。

俺こと、田村 響（たむら ひびき）はいつも通り、通学に使う駅のホームで電車を待ちながら盛大なため息を付き、缶コーヒーを片手に空を見上げていた。

「今日もたくさん降るんだろうな……」

空からは深々と大粒の雪が降り続けている。この調子で振り続ければ間違いなく今日の夜には交通機関がマヒするだろう。大学生の俺にとって振り続ける雪は『迷惑極まりないモノ』でしかない。

「雪はもうたくさんだ」

誰に言うでもなく独りでに言葉を吐く。小さなころは外に出て”妹”と雪ダルマを作ったり、鎌倉を作ったりして大はしゃぎした思い出もある。でも、もう20歳をすぎるとそれは思い出にしか過ぎず、嬉しいと感じる事は無い。むしろ、こんな雪を見ると数年前に亡くなった妹のことが頭を過る。

妹が亡くなったのは今から三年前。

その日も今日みたいな雪降りの日で、俺の妹――千春の中学卒業祝いと高校受験合格のお祝いを兼ねて街へ行こうと誘った日だった。

今だからこそ素直に思えることだが、俺たち兄妹はなんや、かんや仲が良かった。

親は共働きで家に居ない時間が多く、俺たちは小さい頃から二人で遊んだり、勉強をしたり、本当に色んなことをしてきた。年齢が上がってもそれは変わらず、バイトや部活がない日で時間が合えば兄妹で出掛けたり、外食をしたりしていた。

それこそ、端から見ればその関係性は『恋人同士』にも見えていただろう。

故に『シスコン』だの『ブラコンダ』だのと、周囲からの冷やかしも多かったが、俺としては「兄妹ならコレくらい普通ではないか」と思っていた。しかし、美咲は中学に上がってから周囲の目を意識し始めたのか、今回のような買い物へ行くことを嫌がることが多くなった。

「どうせ、お兄ちゃんのことだから今回もケチるでしょ？　それが分かってるのに付いて行くと思う？　絶対に行かないから！」

「…………。」

兄の豆腐並みのメンタルに釘をぶっ刺した妹に何も言い返せず、黙り込む。しかし、俺も今日のためにサプライズを密かに用意していて退くわけには行かなかった。

「た、確かに小学生の時はケチって3000円以下の物にしろとは言ったけど、あの当時は金の稼ぎぶちがお年玉しかなかったんだからしょうがないじゃないか！」

「事実は変えられませんから？」

「で、でもな！　今はバイトしてるから三……いや、二万くらいまでなら何でも買ってあげられるんだぞ？　少しは兄ちゃんのことを信用しろよ！」

「そんな風に妹の前で値をケチる人を信用しろと言われても全然、説得力無いんだけど？」

「……。」

「ん～でも、まぁ……？　ど、どうしてもって言うなら行っても、良いけど？」

千春は最初こそ、嫌だと言っていたものの、最後は明らかに俺の機嫌を取るような態度に変わった。長年一緒に居るのだからそれを俺が見逃すわけがない。

「（何が、「行っても良いけど？」だよ……）」

きっと具体的な金額が出てきたから行ってもいいと言い始めたのだ。中学生ではバイトは出来ないため一万円を越える出費は容易くできるものではない。しかし、買ってもらうのなら話は別だ。その思惑に勘付いた俺は一芝居を打つ。

「やっぱり、行くのは辞めるか。「行かない」って我が妹君は言ってたし、無理に連れて行くのもあれだしな。うん。そうしよう！」

「あっ……いや～その、確かにさ？　そうは言ったけど、言ったけどさ……？　その言葉のアヤというか、なんというか……ええっと……その……！」

「勉強でもするかぁ……」

俺が出て行こうとすると美咲はモジモジしながら、手をいじいじしている。

目には薄っすら涙が浮かんでいる。

「はぁ～……ったく、嘘だよウソ！　早く行くぞ？」

「えっ、嘘！？　ちょっ、ちょっと待ってて！！」

俺がそう促すと美咲はバックを持って部屋を跳び出てきたのだった。しかし、実際に買い物に行くとはいえ、ショッピングモールまでは自宅から一時間以上も離れたところにあるため、俺は近くにあるアーケードに美咲を誘った。

『アーケード』なんて言う横文字だからマトモなように聞こえるが、実際のところは商店街みたいな所だ。でも、美咲はそんな場所でも文句も言わず、服屋を転々と練り歩き、色々と試着を繰り返していた。

「ねぇ、どう？　似合うかな？」

美咲は白色のワンピースを着てみたり、黒色のスカートに白のＴシャツというコーディネートをしてみたり……と着替える度、俺に見せていた。

まるで、ちょっとしたファッションショーだ。

「似合うけど……あんまり肌の露出はするなよ？　変質者に襲われるぞ？」

「も～！　お兄ちゃんは心配性だな～。まぁ、私が可愛すぎるからそんな事を言うんだろうけど！」

「はいはい。可愛い、かわいい……」

「な、なにその冷めた言い方は！」

冷ややかにそう言い返すと千春はプゥーッと顔を膨らませていた。まぁ、シスコンと言われるかもしれないが、兄として妹のファッションセンスはいいと思っている。

黒髪のショートヘアーとしっかりとしたボディーラインがそれを際立てている。

元より俺以上に運動が得意というか、センスがある妹は卓球部でありながらバスケ部の補欠も努めるほどの体育会系だ。それに身長も155㎝近くあることもあって自然とスタイルの良さが際立っているのだと思う。

そんな抜群のスタイルを誇る我が妹も年頃の女子。今は財布の心配をする必要が無いせいか、あーでもない、こーでもないと言いながら服選びに夢中になっている。

「……で？　千春、結局のところ買うものは決めたのか？」

「あ、うん！　コレとコレとコレ……それから……」

『コレでもか！』と言わんばかりに服を手に取る。

「おいおい……。（あ、あの千春さん……？　加減というものをご存知ですかね？　兄ちゃん、値札の額を足すのが怖いんですが？）」

そんな兄の心配を知ってか、知らずか次々と服を笑顔でカゴに入れていく。

俺はその様子を横目で見つつ、スマホの計算機で足していく。

「どうか、二万円で足りますように……」

でも、予想は大外れ。案の定、予算をオーバーしていた。

「……計２万５千円とちょっとか。さすがに千春、これは無理――」

「やっぱり……ダメ、だよね？」

千春は確信犯なのか愉快犯なのか知らないが、上目遣いで俺を見る。

「（そんな目で見るなよ。兄としてちょっと、頑張っちゃいたくなるじゃないか）」

財布の中をチラッと三度見る。お年玉の余りやら何やらも含めると行動資金は5万近くあるし、問題はない。何より我が妹の一度しかないお祝いの品だ。少しは無理をしてもいいだろうと俺の心が重い腰を上げた。

「はぁ～、ったく、わかった、わかった！　買ってやるよ」

「やりぃ！　ありがとう！　お兄ちゃん！」

美咲は大はしゃぎしながら満面の笑みを浮かべていた。確かに予算オーバーだが、喜んでくれたのならそれでいい。最近は受験の緊張で引きつった顔しか見ていなかったから、俺はその笑顔を見たかったのだ。

これぞ、正にいい買い物だと思いつつ、店を出た俺たちはこのまま家に帰ろうという流れになったが、俺は「何か食べに行こう」と強引に話を進め、食事処がある方へ千春の手を引いた。そこまでして強引に話を進めたのには理由がある。

それは例のサプライズのためだ。

実はこの商店街には千春が以前から行きたいと言っていた予約制のパンケーキ店があり、そこを予約してあるのだ。なんでも凄い有名な料理人が考案したパンケーキがおいしいと評判らしい。とにもかくにも、俺の準備＆リサーチには抜かりない。千春が喜ぶ姿が目に浮かぶようだ。

「ねぇ、どこに行くの？　な、なんか企んでる？」

「企むなんて失敬な！　まぁ、いいからいいから。兄ちゃんに任せとけって」

「それ、完全に悪役のセリフじゃん」

「そんな事より洋服が入ってる紙袋、重いだろ？　兄ちゃんがもってやる」

「え……？　あ、うん。ありがと……。う～ん……？」

千春に疑いの目を向けられながらも勘付かれまいと話を逸らしつつ、店を目指している時だった。その場に大声が響き渡った。

「や、やめてぇ！！　きゃぁぁ！！」

劈（つんざ）くような悲鳴がアーケード内に木霊する。後ろを振り返れば人が慌てて走ってくるのが見え、その人数から明らかにただ事ではないのは確かだった。だが、考える間もなくその答えが分かった。

その元凶、ナイフを振り回す『通り魔』が近づいてくるのが見えたのだ。

大柄な男は血の付いた鈍い光を放つナイフを手に持ち、逃げている通行人を一人、また一人と刺していく。俺たちは恐怖の余り、数秒間、身動きが取れなかった。その数秒間で周りにいた人間は刺され、地面に積もる雪が赤く染まっていく。

「や、やばい……やばいぞ！　ち、千春！　逃げろ！」

「うう……そんな……こんなの……」

千春は完全に恐怖に染まり、動けなくなっている。そうこうしているうちに大男は俺たちに気付き、刺し殺そうと迫ってきた。逃げなければ殺される。俺は美咲の手を取り、反対方向に逃げようと歩を進めようとする。

「きゃ！」

しかし、急に引っ張ったこともあって千春が地面にドタッと倒れてしまう。俺は咄嗟に千春を庇う形で前に出て振り下ろされる大男のナイフを受け止めて、あらん限りの大声で叫んだ。

「千春！！　今のうちに逃げろぉ！」

「っ……！　でもっ……！」

「いいから早く、早く逃げろぉぉぉ！！」

千春は俺の声を聞いてオロオロと立ち上がり、泣きながら逃げ始めた。

「（それでいい――逃げろ、千春）」

こんな時くらい兄ちゃんに格好つけさせろ。それにこれしか、活路は無い。俺がこの男を足止めしている間に千春が無事、逃げてくれればそれでいい。万が一、俺が刺されて死んでしまったとしても妹が助かるなら本望だ。そう思っていた。

でも、千春の考えは違っていた。

「お兄ちゃんから離れろぉぉ！！」

千春は俺を助けるために手にハンマーを握って戻ってきたのだ。

恐らく、近くの工具店から持ってきたのだろう。そのハンマーを渾身の力で振り回し、大男に襲い掛かった。その攻撃にはさすがの大男も堪（たま）らず後退したが。今度はその大男は千春に襲い掛かった。

ブスッ――。

鈍い音が聞こえ、千春と通り魔の男が重なって力なくその場に倒れた。

「千春！！　この、千春から離れろぉ！！！」

俺は半ば投げやりで大男にタックルをかまして大男を引き離し、千春の下に駆け寄った。千春の腹部からは大量に出血しており、服がみるみる赤く染まっていく。

「っ……。後ろ……っ……おにぃ……ちゃん……にげてぇ……」

後ろから体勢を立て直した大男がこちらに向かってくる音が聞こえる。

「置いていけるわけねぇだろう！」

俺は決意を決めて振り向く。

そして、牙をむいてくる大男に抵抗しようとした次の瞬間――――。

パンッ！　パンッ！　パンッ！

乾いた音が三回聞こえ、目の前の大男は地面に倒れた。その後方には拳銃を持った警察官が居た。到着した警官は躊躇無く、大男に向けて発砲したのだ。発砲した警官はホルスターに拳銃を入れて慌てて近づいてきた。

「君達、大丈夫か！？」

「妹が！　妹が刺されたんです！　は、早く救急車を！！！」

「わかった！　じっとしてるんだぞ！　210より本部、現在、犯人を制圧。重傷者が多数いるため、直ちに救急車を――」

だが、千春の意識が徐々（じょじょ）に遠のいていく。

「もう、大丈夫だからな？　あと少し、あと少し頑張れ！」

「……もぅ……うるさい……なぁ…………」

「うるさくたって構うもんか……！　ああちきしょう！」

焦りからか涙が目に溜まっていく。本当はこんな予定じゃなかったんだ。二人でパンケーキを食べて高校でも頑張れって鼓舞したかっただけだったんだ。気付けば大粒の涙が溢れていた。

「泣かなぃで……私は笑って……る、おにいちゃんが……好き、だから……」

「何言ってんだよ……？　お、おい……おいおい！　しっかりしろ！　目を開けろ！　千春！　ちはる！！」

千春はゆっくりと目を閉じ、両目から涙を流して二度と目を開ける事はなかった。

兄を思いやる言葉。それが最後の言葉だった。

――そして、現在にまで時間は巻き戻る。

俺は未だに妹の死を乗り越えられずにいる。もし、あの時、俺が『買い物に連れて行かなければ』という思いや『サプライズを用意していなければ』という思いが消えずに残っている。

もし千春が今年、生きていれば今頃、高校三年生で卒業間近だったはずなのだ。

そう思うと悔やんでも悔やんでも悔やみきれない思いが俺にはある。そして、同時に俺は『千春の未来を奪った』ということに変わりはない。

だからこそ、俺は大学で『助けられたはずの命を守るための術』を学んでいる。それを学び、はじめて活用したとき俺はこの呪縛から解放されると信じて。この生きながらえた命の使い道はそれしかない。

もちろん、それが理想論だということも現実から逃げているということもよく分かっている。そんな事をしても千春は決して帰っては来ない。それでも俺は過去を引きずりながらでも、妹の死と将来に向き合って行かなくちゃいけない。

「さて……と、今日も一日、頑張るか……」

気合を入れ直すようにコーヒー缶をゴミ箱に勢いよく投げ入れた時、駅員が苛立つように叫ぶ声が聞こえた。

『貨物列車が通ります！！　黄色い線までお下がりください！！』

その視線の先には制服を着た少女が立っていた。大体、背格好から察するに高校生くらいだろう。その少女は黒髪のツインテールで短めのスカートに黒のニーソックスという何処にでもいそうな子だった。

『そこの女子高校生さん！　危ないから下がって！』

また再度、駅員がそう叫ぶ。その子にも駅員の声は聞こえているはずだが、前へ前へとドンドン進んでいく。よく見れば、靴を履いていなかった。近くには綺麗に揃えられた靴と鞄が置いてあった。

「まさか、あの子――！！」

その一瞬で、俺はこの子は自殺をするつもりだと悟った。

そう思ったのには訳がある。以前、大学で自殺に纏（まつ）わる本を読んだことがあったのだが、その本によれば自殺をする前の人間が靴を脱いで揃えるのは『自分自身の歩みはここで終わり』という考えの下からそうするのだという。

本当に自殺をするつもりなら止めなければならないが、一瞬、行動に移すべきか迷った。そもそも本当に彼女は自殺をする気なのか分からない。勘違いだったら冗談じゃ済まないし、本当に自殺をする気なら助けに入った自分の命も巻き込まれるかもしれない。

「ああ、ちきしょう！！」

それでも数秒後にはすべての迷いを捨てて駅のホームを駆けていた。間違いだったら間違いだったで頭を下げればいい。むしろ、そんな紛らわしい行動を取るのが悪い。それに俺はこの命を誰かのために使うと決めている。

「（助けられる命を見捨てて生きながらえるくらいなら、死んだ方がいい！）」

何より、千春がこの場にいたら同じような行動を取ったはずだ。理由はそれだけで十分だった。俺からその少女までの距離はおよそ50メートルほどだ。もう彼女はホームギリギリの所に居て、飛び降りようとしている。ここからでは到底、間に合わない。

しかし、少女も躊躇していたのと横殴りの風で舞った雪によってホワイトアウトの状態になり、俺が走って近づくの姿が見えなくなったことが功を相し、一気に距離を詰めることができた。

「（これなら間に合う！）」

そう思ったのだが、自殺しようとする少女は迫る俺の存在に気付くと叫んだ。

「……お、お願い！　来ないでぇ！！」

「バカな真似はよせ！！」

俺は最後の力を振り絞り、地を蹴って少女の体を捕まえようとした。しかし、その少女は俺のヘッドスライディングをかわして線路へと転落し、俺はアスファルトの地面に体が叩きつけられた。思ったよりもはるかに強い痛みが俺の体を襲い、数秒間、身動きが取れなかった。

「（くっ、助けなきゃ……！）」　

それでも強い意志が俺を動かした。痛みがある中、すぐさま体を起こして線路へ飛び降り、少女の下に駆け寄る。もちろん、危ないとか、死ぬかもしれないといった恐怖はある。だが、ここで諦めて飛び降りた少女が死んでしまったら、俺はさらに悔やんでしまう。余計なお節介で結構だ。コレは俺の自己満足にしかすぎない。

「……お願い！　死なせて！」

「んなこと、できるわけねぇーだろうが！」

「嫌っ！　いやだ！！」

俺は少女の手を掴んで線路から引きずり出そうとするが、彼女はジタバタと暴れて抵抗する。そんな事をしている間にも警笛の音が近くなってくる。

「（緊急停止装置が在るはずなのに……なんで近づいてきてるんだ！？　機能していないのか！？）」

走行音から察するに減速している様子は無い。それに未だ続くホワイトアウトのせいで俺たちの存在に貨物列車の運転手は気付いていない。もう貨物列車が来るまで時間がない。俺は抵抗する少女の胸ぐらを掴んで叫んだ。

「何があったか知らないが、生きていれば必ず良いことがある！　死んで逃げるな！！」

「何もいいことなんてない！　あんたにあたしの何が分かんのよ！！」

少女がそう言い放ち、抵抗が緩まった一瞬を狙って俺は手に力を込め、線路外へと再度、引きずろうとした。だが、それでも諦めず、線路を手で掴み続ける。

「イヤァァァ！！」

「いい加減にしろ！！」

このままだとヤバいと感じた俺はもうなりふり構っていられないと判断し、最終手段に打って出た。

「痛い！　痛ィィィィ！！」

無理やり彼女の手を線路から剥がすために彼女の手を思いっきり足で踏んだのだ。さすがの少女も痛烈な痛みに堪えられず、手を線路から放しざる終えない。こうしてどうにかこうにか、その子を線路から突き飛ばす事はできた。

――だが、俺が線路から脱出しようとしたときには貨物列車は目の前に居たのだ。

「駄目か……。これが俺の運命なんだな」

俺は直後、劈（つんざ）くような痛みが体を支配され、意識を失ったのだった。