第54話 母子の再会
ブルームバーグ邸に存在するダンスホールは、かなりの広さを誇る。
2、300人の人間が同時に踊っても、まだ余裕があるほどだ。
しかし今はそんなホールが人で埋め尽くされてしまっていた。
それもこれも、ジュナスという、本物ならば第一位の皇位継承権を持つ男が顔見せすることになっているからだ。
「お義父上、実に壮観でございますね」
居並ぶ貴族たちを、ダンスホール正面に設けられたベランダのような形をした演説場の上から眺めているダンテが呟く。
演説場には、ダンテのほかに、フェリド、テレジア侯爵、アンジェリカが並んでいた。
「黙っていろ」
ダンテの声から皮肉げな響きを敏感に察したフェリドは、低い声で脅しつける。
ダンテに対して攻撃的なのは変わっていないが、今はテレジア侯爵の前とあって、より威圧的になっていた。
「では、失礼」
フェリドがテレジア侯爵へと一礼してから前へと進み出る。
そして、朗々とした声であいさつと演説を始めたのだが――。
「早く自称我が従弟どのを出してくれないかね?」
フェリドの話を、高く、中性的な声が遮った。
あまりにも無礼に過ぎる物言いは普通ならば考えられないことだ。
そんな非常識極まる暴言を吐いたのは、フェリド、そしてテレジア侯爵の政敵である、ルドルフ・ギュンター・クロイツェフであった。
「ああ、そこに立っていたのか。あまりに地味な顔つきだから分からなかったよ」
くすくすとルドルフに
これだけの人数が集まっているのだ。
ルドルフの派閥に属する人間も多く居るのだろう。
「あまりに失礼ではありませんことっ」
ダンテを馬鹿にされて我慢ならないのは、本人よりもアンジェリカの方だった。
烈火のごとく怒り、ダンテがなにか言い返すよりも先に食ってかかってしまう。
おかげでダンテは冷静なまま、アンジェリカを諫めることができた。
「アンジェ、今は……」
ダンテはアンジェリカの肩に手を置いて、ゆっくりと頭を左右に振る。
「ですが……」
「お義父上のお話が先だよ」
アンジェリカはフェリドの顔を伺い、再びダンテへと視線を戻してから渋々引き下がった。
それを確認したフェリドは咳ばらいをしてから口を開く。
「……クロイツェフ殿下、他人の話を遮ってはならないと学校で習いませんでしたかな。おお、失礼。貴方様は幼少の折、卑しい孤児院にいらしたのですな」
今度はフェリドが嫌味を言い返すと、フェリド側の貴族たちから失笑が上がる。
ダンテにとっては頭が痛くなるようなやり取りだったが、フェリドやテレジア侯爵の顔を見れば平然としているため、普通のやり取りでしかないことは容易に想像できた。
「では、前置きはこのくらいにして、本題に入らせていただこう」
フェリドの言う本題。
それこそダンテが
「諸君も知っての通り、私の後ろに居……らっしゃるのが、ガルヴァス殿下の御子様であらせられる、ジュナス殿下である」
フェリドの口からダンテへ向けての敬語が飛び出してくるのは、ダンテもいささかむずがゆく感じる。
それはフェリドも同じであったらしく、居心地が悪そうに体をゆすっていた。
「それでは、まず事のあらましから説明させていただく」
フェリドは、さすがやり手とダンテであっても褒めたくなるほど面の皮厚く、
賊により一家が惨殺されたが、その実殺されたのはガルヴァスと乳母及びその娘であり、ジュナスは賊にさらわれ、母とミシェーリは逃げ延びたという内容だ。
その事件の黒幕は貴様だろうがと、フェリドの背中へ怒鳴りつけたい衝動を抑え、ダンテはじっと話に耳を傾け続けた。
「ガルヴァス殿下の肖像画を入り口近くに掲げさせていただいた。ジュナス殿下はそのお顔とよく似てらっしゃる」
「私も、その点は保証しよう。よく似ている」
テレジア侯爵お墨付きとなると、これはただのそっくりな人物、という枠には収まらなくなる。
それほど重いことなのだ。
「似ている、ねえ」
だが、それだけで受け入れられるものではないことは、フェリドも良く分かっていた。
ルドルフの嫌味を片手で払うと、演説を続ける。
「彼がジュナス殿下であることを、もっとも証明するに相応しい人物が居らっしゃる」
フェリドが合図を送ると、演説場の隅に設けられていた扉が開き、そこから一人の女性が衛兵に付き添われて姿を現す。
女性は30代後半くらいで、頬はこけ、病気なのかと思うほど青白い肌をしている。
髪は少し茶色がかった金で、目の色はダンテの右目やベアトリーチェと同じ琥珀色をしており、顔かたちはベアトリーチェとよく似ていた。
「あなたが……」
ダンテはその女性を見て、間違いなくベアトリーチェの母親であることを確信する。
それはダンテ自身の母であることも意味していた。
「ダンテさま」
気づけばダンテは少しよろめいていたらしい。
アンジェリカが心配そうな顔でダンテの腕を取り、ダンテが倒れないよう寄り添ってくれている。
「ありがとう、アンジェ」
「いいえ」
ダンテが礼を口にしている間に、母――エリザベートと思しき女性はフェリドの隣に行き、聴衆である貴族たちの方へと向いていた。
「ガルヴァス殿下の奥方であらせられる、エリザベート・フランソワ・アスターさまだ」
「……母、か」
ダンテはぼそりと呟きつつ、横目で母の姿を見つめる。
エリザベートはダンテがすぐ側に居ることに気づきもしないのか、物憂げな顔でうつむいたまま佇んでいた。
「いくら年月を
ガルヴァスは病弱であったため、公務は基本的に妻であるエリザベートが行っていた。
彼女の顔を覚えている貴族も多いのだろう。
ルドルフの派閥に属している貴族も含め、フェリドの言葉に反論する者はだれ一人として居なかった。
「エリザベート様をブルームバーグ家で保護させていただいていたことは、陛下もご存じである。よって、エリザベートさまに面通しをしていただき、それをもって証拠とする」
「ああ、分かったよ」
ルドルフが首肯し、それに続いて他の貴族たちも受け入れていく。
ここまでは何の問題も無い。
フェリドにとっても予定通りだろう。
ここからだ。
そう意識をすると、ダンテの鼓動は否応なく高まっていく。
色々な相手に詐欺を働いていた時だって、こうはならなかった。
ただし、緊張はほとんどしていない。
ダンテの心を激しく高ぶらせるものは――。
「それでは、エリザベートさま」
フェリドがエリザベートの手を取り、ダンテの前へと誘導する。
エリザベートは意外にしっかりとした足取りでダンテの正面に立つ。
「アンジェ……」
ダンテは一言断ってからアンジェリカの手を自身の腕から外し、エリザベートと正対した。
「…………」
「…………」
すべての人々が息を殺し、身動きひとつしない、凍ったような時の中で、母と息子がまっすぐ互いの瞳を見つめ合う。
生き別れになった二人が出会うのは、実に16年ぶり。
エリザベートは言葉も出ないほど感極まっているのかもしれない。
ダンテも産まれて初めて認識する母という存在に、どうしていいのか分からない。
……そう、誰もが思っていた。
「――誰ですか、あなたはっ」
エリザベートがダンテを差してそう悲鳴をあげるまでは。
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