第49話 ダンテの戦い

「おや、ずいぶんと浮かない顔をしているね。そんなに気落ちするような出来事でもあったのかな」


 小屋へと戻ったダンテを見た途端に飛んできた言葉は、その内容こそダンテを案じるものだったが、裏側にはずいぶんと棘があった。


 恐らくダンテたちのことを調べており、少しは事情を知っているのだろう。


 そして今、確信を得たと言ったところか。


「早く悪だくみを始めるぞ」


 まだ計画は終わっておらず、余分な事で時間を無駄に使いたくはないから、なんていう建前など言っても嘘と見抜かれるだろうと判断し、ダンテはルドルフの言葉を軽く流すとロフトを指差す。


「ふむ、そういうことなら仕方ない」


 まずはルドルフが梯子を上っていき、次にモーリス、アルと続く。


 最後のダンテは、一度作戦を手助けしてくれたモーリスの部下やテッドに礼を言ってから、ロフトへと向かった。






 ロフトの中心には木製のテーブルが設置してあり、その四方には椅子が置いてある。


 その椅子には先に上っていった三人がそれぞれ腰かけており、最後のひとつは引かれた状態になっていた。


 ダンテは礼代わりに軽く手をあげ、席に座ると、すぐさま口火を切る。


「んで、だ。どうだった? これは使い物になるか?」


 アルがごっそり盗み出してきた書類の束は、現在テーブルの真ん中に積み上げられている。


 それがどの程度の武器になるかは精査しなければ分からないだろう。


「少し見た限りだと……そうだな」


 モーリスが上に乗せていた数枚の書類を取り上げて眺める。


「こいつ一枚で金貨5枚って程度だな。それから……」


 他の書類にもざっと目を通していくと、裏金作りの書類だとか脱税の名簿だとかが出て来る。


 どれもこれも、武器にはなるが致命傷ではない程度のものだ。


 強請って金を脅し取るぐらいならば十分な代物だが、潰すとなるとかなり決め手に欠けるだろう。


「……ふむ、書類一枚につき金貨5枚でどうかな?」


 ただ、フェリドの政敵であるルドルフにとってはそれ以上の価値があるのだろう。


 即座に値段を提示してくる。


「ちょいとそれじゃあ安すぎやしませんかね」


 金貨はたった一枚で四人家族が4、5日は食っていけるほどの価値を持つ。


 しかし、大勢の部下を動員し、いろんな仕掛けを施し、ダンテたちは命をかけたのだ。


 書類の正確な枚数は分からないが、確実に足が出るだろう。


「最低でも20だ」


 本当ならば10枚でも十分な額になる。


 しかし、こういう時には出来るだけ吹っ掛けておくものだ。


 ダンテとしてはギリギリで断られるくらいの額を提示したのだが――。


「5で。ただし、ブラウン家の借金を私が肩代わりしよう」


「なっ」


 それ以上に上乗せされてしまい、思わず絶句してしまった。


 ダンテがアルとモーリスに視線を向けると、ふたりも同じように絶句している。


 それだけのとんでもない額なのだ。


「……マジで、言ってやがるのか?」


 これが本気ならば、この時点で全員大金持ちである。


 ブラウン家の借金は、治水工事を行おうとしたため、天文学的な額になっているが、返せないことが決まっているため、債権としての価値はほとんどない。


 だからこそ二束三文で買うことが出来たのだが、借金が全て返ってくるとなると、差額でとんでもない儲けを出すことが出来る。


 恐らくはここで手を引いたとしても、当初の予定より利益が出るだろう。


「ああ、もちろんだとも」


 ルドルフは大したことではないとばかりに軽く頷く。


「私としては、君たち……いや、君が舞台から下りてくれることにそれだけの価値があるんだよ」


「そういう……ことか」


 ダンテは合点がいったとばかりに頷く。


 しかしアルは分からなかったようで、顔をしかめていた。


「どういう意味だよ」


「俺が皇位継承者で、下手すりゃ今の第一位皇位継承者を脅かしかねないからだろ」


 ルドルフは今の第一位皇位継承者を後押ししている。


 しかし、もしダンテ=ジュナスが表舞台に顔を出したのなら、その順位は二位に格下げされてしまうのだ。


 どんな大金を払ってでも追い払ってしまいたいのだろう。


 ただ、金を払ってベアトリーチェたちの安全を確保すれば、ダンテが表舞台に立たないとルドルフが考えているのは、少しばかりおかしかった。


「お前、どこまで知ってる?」


 もしダンテが権力を求める野心家なら、その金を元手に派閥を作り、第一位皇位継承者を名乗ることもありうる。


 だが、それは絶対に無い。


 ダンテは過去にそれを


「どこまでと言われてもね。君が貴族を嫌っているだとか、皇帝になるつもりはないとか……ああ、君の母上が捕らえられている場所なんかも知っているね」


 ダンテですら母親の生死を知ったのは先ほどである。


 だというのに、ダンテの目の前で不敵な笑みを浮かべている美貌の悪魔は、居場所すらも知っているという。


 底の知れない不気味さを感じ、ダンテは思わず鳥肌が立つのを感じる。


「てめぇ……」


 しかも、今この場所で母親の事を話題に出すということは、間接的にではあるものの人質に取っているようなものだった。


「さて、君は何を支払ってくれるのかな? できれば口約束ではなく文書で欲しくはあるね」


 ルドルフの求めているものは明らかだ。


 ダンテが継承権を放棄すること。


 そんなものは元から要らないと言っている、とばかりに叩きつけようとして――気づく。


 これがルドルフのやり方なのだ。


 圧倒して、考える余裕を無くし、自分が望む方へと誘導する。


 今ダンテは、継承権をその場の勢いで売ろうとしてしまっていた。


「……ああ、そうだな」


 深呼吸をして、いったん心を落ち着かせる。


 どのようにすれば、このルドルフからもっとも利益をむしり取れるのかを冷静に考えた。


「俺は、皇帝になるつもりはない。絶対に、な。だからこれを対価にするつもりはない」


「へぇ」


 ルドルフの反応が変わる。


 これまでのものが、子どもがいたずらをしている最中に漏れ出す無邪気な笑いだとすると、今は自身の攻撃性を隠すための仮面だった。


「アル」


「ん、なんだ?」


 名前を呼ばれたアルは、肘をついてダンテに体を寄せる。


 ダンテはそのアルの顔面を指差して、


「こいつが対価だ」


 ぬけぬけと言ってのけた。


「はぁぁっ!?」


 もちろんアルは親友のためなら自身の財産程度なら喜んで差し出すだろう。


 多少の労働や不自由程度でも首を縦に振るはずだ。


 しかし、身柄となると話は別だろう。


 アルは女が好きなのであって、女に見える顔の男は好みの範疇にない。


「おい、ダンテ。いったいぜんたい何を言って――」


「馬鹿、勘違いすんな。お前、マスターキーを見ただろうが」


 あっとアルが声をあげた。


 確かにアルはブルームバーグ伯爵のお屋敷の、全扉を開けられるマスターキーを複製することができる。


 政敵であるルドルフには計り知れないほどの価値があるだろう。


「こいつは今、あの屋敷のどんなカギでも開けられる。それから、金庫の鍵も持ってたろ」


「おう……ってこっちはさすがに換えられるだろうけどな」


 念のためにとアルはポケットから金庫のカギを取り出してテーブルの上に乗せた。


「これでも足りないってんなら……」


 モーリスに目で合図を送ると、ダンテの考えを察したモーリスが席を立ち、ガルヴァスを殺せと書かれた依頼書と人相書きを持ってくる。


 これは、ルドルフがやったことの仕返しだ。


 圧倒的な財で従わせようとしてきたルドルフに、自分たちはそれ以上の価値を持っていると見せつけ返したのだ。


「こういう致命傷を負わせられるだけの証拠も握っている」


 俺たちはお前に使われる立場ではない、その宣言だった。


「ルドルフ。お前はどんな利益を俺にもたらしてくれるんだ?」


 正面から、堂々と、真っ向勝負で睨み返す。


 この国で1、2を争うほどの権力者に、自分も負けてはいないどころかそれ以上だと胸を張った。


 そんなダンテを前に、ルドルフは一瞬目を見開いて――。


「ふっ、あはははははっ!!」


 笑い出した。


「ははははっ。いいね、いいね、君の事気に入ったよ」


「それはどうでもいい。俺の問いに答えろ」


 ダンテがそう詰め寄っても、ルドルフはなお狂的な笑いを止めない。


 心の底からこういった駆け引きを楽しんでいるのだ。


 権謀術数うずまく世界の中に身を置きすぎたからなのか、それとも本気で楽しめる狂った価値観を持っているから平気でいられるのか。


 いずれにせよ、ダンテは顔を引きつらせながらルドルフが笑いをおさめるまで待つしかなかった。


「……ああ、楽しい」


 ルドルフはまだクスクスと笑い声を漏らしながら、モーリスから指示書を受け取る。


「これだけ笑わせてくれたお礼に、私がブルームバーグを排除してあげよう」


「あ?」


「君たちはもう何もしなくてもいい。この小屋に閉じこもって、音楽でも聴いて待っていれば、私が勝手に解決してきてあげるよ」


 これを使ってね、と言いつつひらひらと証拠を顔の横で振って見せた。


 ああ、これもルドルフなりの挑発なのだろう。


 ここで頷けば、きっと宣言通りにしてくれるが、ダンテへの興味を失い、それ以降は路傍の石のような扱いになるに決まっている。


 ルドルフはそういう傲慢な男なのだと、ダンテは確信を覚えた。


「心にもねえこと言ってんじゃねえ」


 ダンテはそう断ずると、ルドルフの手から指示書を奪い返す。


「これは俺の戦いだ、お前のじゃない。だから――」


 ダンテの色違いの双眸と、ルドルフの碧眼が真っ向からぶつかり合う。


「ケリは俺がつける。俺たちがこの手でな」

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