第46話 もしこの時が永遠に続くのなら
ダンテが向かったのは入り口……ではない。
それとは真逆の方向。
会場の隅に設けてあった、飲み物や軽くつまめる食べ物が置いてあるコーナーだった。
真っ白なテーブルクロスをかけられた長机が並ぶ中、ダンテは更に歩を進め、ちょうど料理や机で多くの人から死角になる様に停められている、箱に直接車輪を付けたような形をした
「ちょっと下ろすぞ」
「う、うんっ」
ひと言断ってからベアトリーチェを床に立たせ、ダンテは台車の引き戸をがらりと開けた。
「よ、待たせたな」
中にはダンテくらいの背丈の男と少年が隠れていた。
男の方は、ダンテと同じ服を着て、同じ髪の色と髪形をしており、違うところは目元だけを隠す仮面を着けていることくらいだ。
少年の方は、ベアトリーチェと似たような流行おくれの茶色いドレスを身にまとっている。
これは、ダンテが前もって用意しておいた、屋敷を脱出する手段のひとつだった。
「テッド、出番だぞ」
「任せてくれよ、ダンテ兄ちゃんっ」
のそのそと箱をはい出てきた少年――ストリートチルドレンのテッドとハイタッチを交わす。
次いで男の方にも頼んだぞと言い含め、ダンテは再びベアトリーチェを抱きかかえる。
「ベアトリーチェ、見えてないだろうから説明するが、今から箱の中に隠れる。多少暑苦しくても絶対騒ぐなよ」
「あ、え、う、うん」
気配からしてまだ会場の中に居ることは察しているのだろう。
ベアトリーチェはためらいがちに頷いた。
「よし」
ダンテは少女を抱えたまま、長い手足を器用に折りたたみながら箱の中へと入る。
最終的には、ダンテが体を斜めにして首をすくめて丸まるように座り、足の間にベアトリーチェが納まる形に落ち着いた。
「気を付けてね」
「ああ」
流石に窮屈な状態では自ら扉を閉められないと察してくれたのか、テッドが台車の扉に手をかける。
「あ、アル兄ちゃんがお幸せにって言いながら閉めろって」
「おいっ」
意味を理解しているのかいないのか分からないが、テッドは無邪気な笑みをひとつ見せてから、扉を閉めたのだった。
流石にこれ以上声を出すわけにもいかず、ダンテはため息をひとつつく。
――と。
「ひゃっ」
ダンテの吐息はベアトリーチェの首筋をくすぐってしまったのだろう。
ベアトリーチェが小さく悲鳴を漏らす。
「すまない……」
ダンテはベアトリーチェを抱きしめ――ることは叶わなかったため、指先で彼女の後ろ毛を撫でる。
「いえ……」
ベアトリーチェが小声で返事をする途中で気づいたのか、言葉を止め、ゆっくり少しずつ体をずらしていく。
衣擦れの音がダンテの耳に届き、少女特有の甘い香りが鼻先をくすぐる。
今更ながらに大好きな少女と密着していることに気づいたダンテだったが、今更恥ずかしいから作戦を変える、なんて出来るはずもなかった。
ベアトリーチェの呼吸の音が、だんだんダンテの耳元へと近づいてくる。
重心もダンテの腰元から胸元へと移り、やがてはダンテの体全体に預けられた。
「……おい」
ダンテの鼓動が天井知らずに跳ね上がっていく。
先ほどまでは緊迫感からなんとも思わなかったというのに、今は激しくベアトリーチェの事を意識してしまっていた。
「あの……ごめんね」
ダンテの耳元で、先ほどよりも更に小さなベアトリーチェの声がする。
彼女は体をダンテに預け、顎をダンテの肩に乗っけて、ほとんどダンテの腕の中に納まるような体勢になっていた。
ダンテもベアトリーチェも真っ暗で何も見ることができない。
それ故に彼女はここまで大胆な行動ができるのだろう。
「私のために、ここまでしてくれて」
「お前のためじゃねえよ。俺のためだ」
「ん、やっぱりダンテさんは優しいね」
ベアトリーチェの頬が、ダンテの頬に触れる。
温かくて、柔らかい。
ダンテの胸は壊れそうなくらいドキドキしているのに、不思議とこのまま寝入ってしまいそうなほどの安心感を覚える。
理由は、今更考えるまでもない。
ベアトリーチェが傍にいる。
たったそれだけ。
それだけで、ダンテは至上の幸福を味わっていた。
「あのさ」
「なんだ?」
緊張しているのか、浅い呼吸をなんどか繰り返すと、
「だから大好きって……言っちゃダメなんだよね」
なんて反則行為を仕掛けてくる。
その言葉はもう、言っているも同じだ。
「お前……」
思わずベアトリーチェを抱きしめそうになり、ダンテは全身を硬直させる。
本当ならば自分を殴りつけて冷静になれと大声で叫びたかった。
しかし、こんな状況ではそれも出来ない。
ダンテはゆっくりと、細く長く息を吐き、感情の暴走を抑え込む。
「この前、決めただろ」
ふたりはまだ決定的なことを口にしていない。
行動で、態度で、視線で、言葉以外のありとあらゆる手段で自らの気持ちを伝えているが、それでも最後の一歩は踏み出していなかった。
「……家族ですることなら、いいんだよね」
「まあ、な」
それぐらいなら、と呟いた瞬間。
ダンテの頬に、なにかとてつもなく柔らかく、それでいて熱い塊が一瞬だけ押し付けられた。
それが一体何なのか、その正体を考えることを、ダンテの脳は拒絶する。
考えてはいけない。
考えてしまえば、せっかく先ほど抑え込んだばかりの感情が、またも暴走してしまうからだ。
「ほ、ほっぺにキスは、家族でも普通にする挨拶だよね」
真っ暗闇の中でも、今ベアトリーチェが真っ赤になっていることは、容易に想像できた。
「じ、状況を考えろっ」
ダンテは頭の中で育ての親のひげ面を思い浮かべ、必死にキスの余韻をかき消そうと努める。
しかし、妄想の中のむさい男がすぐそばに居る愛する女性の口づけに叶うはずもなく……。
「お前は……っ!」
結局ダンテはベアトリーチェの背中に両腕を回し、固く抱きしめてしまった。
ダンテは幼少の頃から売春宿に出入りし、売春婦やゴロツキたちに育てられた。
もちろん男女の行為を目撃したことは何度だってあったし、ダンテ自身は経験していないものの、誘われたことだって数えきれないほどだ。
更には女性を誘惑して詐欺を働いたり、仲間の女に乞われ、冗談半分に愛を囁いたりもした。
だからダンテは女性に対して嫌というほど免疫を持っているはずだったのに……。
好き。
愛している。
そんな感情という要素が加わっただけで、子どものように舞い上がってしまっていた。
「……もう、変なことするな。このままじっとしてろ」
「うん」
このままで、ということはつまり、ダンテに抱きしめられたままということ。
どちらかといえば現在進行形で変なことをしているのはダンテの方であったが
、叱られたベアトリーチェも異論はなさそうであった。
そのままふたりは暗闇の中で、じっと迎えが来るのを待ち続けた。
永遠にこの時間が続けばいいと、不謹慎なことを考えながら。
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