第21話 舞踏会は回る

「……ほかの男たちに見せたくはないのです。なんて言ったらあまり男らしくはないですね」


 ダンテはベアトリーチェの事を頭から締め出して言葉を続ける。


 今注力すべきはアンジェリカであって、地味だが純真な少女ではない。


 幸い、ほんの少し間が開いただけで、アンジェリカに不自然だと思われることはなかった。


「いえ……わたくしも同じ想いですの」


 アンジェリカは上目遣いでダンテの言葉に同意してくる。


 彼女はダンテに対し、間違いなく好意を抱いていた。


「ありがとうございます、アンジェリカ」


 これでダンテたちの計画、その第一段階はクリアした。


 次は、アンジェリカが他の人間との婚姻を断るほどダンテに依存させるのだ。


 いや、それ以前に付き人がアンジェリカの父親である、フェリド・マクシム・ブルームバーグ伯爵へ告げ口するかもしれない。


 そうなれば手切れ金としてブラウン家への支援が始まり、より早く金を手に入れられるかもしれなかった。


「それでは、また」


「……ええ、またお会いしましょう」


 ダンテはアンジェリカの手に口づけを落とし、深々と一礼をすると彼女に背を向け、その場を立ち去ったのだった。






「なにしてるんだ」


「ふひゃっ」


 突然話しかけられたことに驚いたのか、ベアトリーチェはビクッと過剰なまでに反応をみせる。


 彼女の態度から察するに、ベアトリーチェは舞踏会でまともにダンスを申し込まれたことなど無いのだろう。


 アンジェリカの不興を買ってまで、この地味で金の匂いのしない少女に関わる理由はなかった。


 そう、ダンテだって、わざわざ帰ったふりをした後で服装をアルと入れ替え、顔を隠しながらベアトリーチェのところに戻ってくる理由はない。


 それなのにも関わらず、ダンテはアンジェリカに見つかる危険を冒してまでこんなことをしでかしてしまっていた。


「大きな声を出すんじゃない」


「ダ、ダンテさん? あれ、帰ったんじゃ? あれ?」


 ベアトリーチェは目をぱちくりさせ、執事服を着ているダンテをジロジロ見る。


「口止め料を支払いに来ただけだ」


 ダンテは、首を傾げるベアトリーチェへそんな言い訳をする。


 しかし、ダンテ自身すら騙せない嘘がベアトリーチェに通じるはずもなく、彼女の右眉がわずかに上昇するだけだった。


「いいから来い」


 苛立ったダンテは、ベアトリーチェの手を掴むとそのまま歩き出してしまう。


 手を引っ張られる形になったベアトリーチェは、なぜ自分がダンテに連れていかれるのかまったく理解していなかった。


 ダンスホールを出たところでダンテは歩を緩め、ベアトリーチェの手を離す。


「こんなところに居たってつまらないだけだろ」


「それは……」


 主催者をおもんばかっているのか、ベアトリーチェは首をすくめて辺りを見回す。


 幸いなことに、廊下にいるメイドたちは自分の仕事で手いっぱいであり、ダンテたちの話を聞いている余裕などなかった。


「本物のダンスパーティーに連れてってやる」


「本物のダンスパーティー?」


 ダンテの言葉をオウム返しに呟くベアトリーチェに、ダンテはにやりと不敵な笑みを浮かべたのだった。






「おら、我がままいっぱいの若旦那さま! お望み通りにしましたよ!!」


 暗い夜道だというのにかなりの速度で走っていた馬車が止まり、御者をしていた茶髪の詐欺師が振り向いて皮肉を飛ばす。


「うむ、ご苦労」


 ダンテは重々しくうなずいてから、こんな暗闇の中、馬車を出してくれたアルに謝意を示した。


 ちなみに服は未だ交換したままなので、傍から見れば主人が御者台に座って馬を操り、執事が後ろで女の子を横に侍らせふんぞり返っているなんて奇妙奇天烈な光景に映るだろう。


「着いたぞ、ベアトリーチェ」


 ダンテはそう言うと、二人乗りの小型馬車から飛び降りる。


「えっ? えっ?」


 着いたと告げられたところでベアトリーチェはどこへ行くとも教えられていない。


 その上周りは夜の闇に包まれており、光源になるものといえば、アルが持つランタンと、ほんの少し離れた扉から薄っすら漏れる光だけ。


 自分が今居る場所がどんなところなのかさえ理解できていなかった。


 もっとも、ダンテから売春宿に行くなどと告げられていれば、即座に目を回してしまうか、大声で叫びながらわたわた暴れたのちに気絶してしたかのどちらかであろう。


「ほら、お嬢様」


 ダンテがベアトリーチェへと手を差し出す。


 彼の顔には、いたずらっ子の様な笑みが浮かんでいた。


「だ、ダンテさん、ここどこなんですか?」


「本物の舞踏会が味わえる場所さ」


 しびれを切らせたダンテは、ためらっているベアトリーチェの手を取り、問答無用で引き寄せる。


 「ふぁっ」なんていう悲鳴を無視し、ダンテは少女の体を抱きとめると、優しく地面に下ろした。


「さて……アルも久しぶりに羽根伸ばせよ」


 ダンテはベアトリーチェの手を掴んだまま、アルをかえりみる。


「そうしたいのはやまやまだがな。お前らふたりを送り返さなきゃなんねえだろうが」


「おや、俺の従僕がここまで忠実だったとはな」


「っせぇ!」


 アルの怒声を背中に受けつつも、ダンテは顔をほころばせる。


 久しぶりに自分の古巣に帰って来たからなのか、珍しくも気分を高揚させていた。


「っと、そうだ。なにかされたら思いっきり頬を引っぱたくか、またぐらを蹴り飛ばせよ」


「な、なにかされるってなんなんですかぁ?」


 ダンテからすればよくある日常における注意事項とその対処法を説明しただけなのだが、ベアトリーチェにとっては恐怖でしかない。


「一応だよ、一応」


 ダンテはそう言い含めると、慌てふためいているベアトリーチェを引きずっていった。


「やってるか、お前ら!」


 ダンテが声を張り上げながら扉を押し開けると、中からおびただしい酒の臭気が漂ってきて、それを追いかけるようにリュートや笛の音と、騒がしくも陽気な男女の歌声が聞こえて来る。


「ふぇっ?」


 扉を開けた先はちょっとしたホールになっていて、そこでは幾人もの男女が笑いながら踊り、はしゃぎまわっていた。


「おーなんだ、ダンテじゃねえか。最近顔を見ねえと思ったら、んな着飾った女連れてきやがって。てーかおめえもなんだその気取った服は」


 ダンスを肴に酒をかっ喰らっていた赤ら顔の男がダンテに気安く声をかける。


 それにダンテは「仕事中だ!」と怒鳴り返すと、呆けているベアトリーチェをホールの中へと引き入れた。


「ベアトリーチェ、踊るぞっ」


「え? え? ちょ、ちょ、ダンテさんっ!?」


 突然のことについて行けず、ベアトリーチェは目を白黒させているのだが、そんなことはお構いなしとばかりにダンテは少女と共に、様々な人々が生み出す騒乱の渦へと飛び込んだ。


「お、踊る? わ、私踊れませんっ」


 ベアトリーチェとて貴族なのだから、ダンスの手ほどきくらいは受けたことがあるだろう。


 しかしそれは貴族の行う礼儀作法に乗っ取った堅苦しいダンスだ。


 こんな狂乱とも評せるようなダンスなど知るはずもなかった。


「いいから適当に回ってろ」


「回る!?」


 ダンテはベアトリーチェの手を取ると、そこを中心にして少女の小柄な体を振り回し始める。


 それは本当にただ回るだけで、ステップを踏むどころか音楽に合わせることすら一切考えていない行動だった。






 ダンテの視界の真ん中では小柄な少女が必死になって足をばたつかせている。


「ダンテさんっ。ま、待って!」


「ほら、しゃべってると転ぶぞ」


「は、速くしな――うひゃぁっ」


「ははははっ」


 始めのうちは転ばないように、手加減をして。


 少女が慣れるのに合わせ、徐々に速度を上げていく。


 そんな風に周囲を気にせずくるくる回るふたりは相当に目立つ。


 しかし、誰もその事を非難することはなく、逆に手を叩いてもっとやれとはやし立てる。


「ダンテじゃない、ひっさしぶりー」


「またおいしい仕事ちょうだい~」


 ダンテに気づいた周囲からは口々に挨拶が飛んできて、ダンテはそのひとつひとつに返事をしながらも回ることを止めはしない。


 そのうちベアトリーチェも慣れてきたのか、だんだん自分から回り始めた。


「もっともっと速くするぞっ」


 ならばとダンテは更に力をこめてベアトリーチェの手を握り締める。


「ダメダメダメッ! もう目がまわっちゃって……!!」


「遠慮するなって」


 ダンテの言う遠慮とは、ベアトリーチェがまだ周りに気を使って楽しもうとしていないことだ。


 この場所はあの舞踏会とは違う。


 ベアトリーチェを排斥して居ないものの様に扱い、そのくせ自分たちの優位性を確認するために彼女を壁際に括りつけていたあの場所とは。


「そらっ」


「ふわぁっ」


 さすがにやりすぎたのか、勢いがつきすぎたベアトリーチェの体が一瞬重力に逆らって宙に浮く。


 バランスを崩したベアトリーチェは、そのまま転倒――、


「っと」


 とはならなかった。


 ダンテが素早くベアトリーチェの小さな体を引き寄せ、腕の中へと納めてしまったからだ。


「はははっ、やりすぎたな、すまん」


「あぅ……」


 笑いながら謝るダンテであったが、ベアトリーチェはそれどころではなかった。


 目が回っている所にこけたかと思ったら、いつの間にかダンテに抱かれているのだ。


 男慣れしていないベアトリーチェは顔を真っ赤に染め、違う意味でも目を回してしまった。


「あ、いいな~。次は私にもしてよ~」


 厚化粧を施し、胸元が大きく開いた無地のドレスを着た娼婦の一人が気軽に声をかける。


 この売春宿を営んでいるのは女性と思えないほどの巨躯を持つ、女主人のミランダであるため、ダンテとは顔見知りであった。


「お前とは何度も踊ったことがあるだろうが。今日は無しだ」


「え~」


 ダンテの身持ちは固く、ダンスはしてもそれ以上の事は決してしない。


 紳士的というより、ダンテが女性とはそういう関係を持たないと決めているからだ。


 だから、ダンテが女性を抱きしめるという行為はとても珍しく、娼婦はその事を言っていたのだが、ダンテはダンスのことだと勘違いしていた。


 ダンテがベアトリーチェ部屋の端まで運んで立たせると、娼婦は二人の間に割って入り、少女の顔を無遠慮に覗き込む。


「…………っぽそうだけど可愛い女の子だね~。こーいう娘がダンテの好みなの?」


「違う」


 ダンテは即座に否定をするが、実際にはそういったことをまじめに考えたことがないだけだった。


 彼は小さいころから盗賊に育てられ、性を売り物にする売春宿に出入りしていたため、そういったことに対してあまり感情が動かないのだ。


 だからこそ、結婚詐欺まがい事も平気で出来るのであろう。


「こいつは仕事仲間だが、ちょいとあってな」


 娼婦にジロジロと見つめられて居心地悪そうにしている少女が貧乏貴族であるとも言えず、ダンテは言葉を濁した。


「ふーん……まいいや。こんばんは、お嬢ちゃんって歳でもないかな」


「あ、はい、ベアトリーチェと言います。よろしくお願いいたしますっ」


 曲がりなりにも貴族であるのに、娼婦相手にも鯱張って何度もお辞儀を繰り返すあたり、ベアトリーチェには選民意識など無いのだろう。


 娼婦はそんな貴族に見えない少女へ「楽しんでってね~」と言いながら手をひらひらと振り、ダンテにウィンクをしてから下がって行った。


「ベアトリーチェ、今ので肩の力も抜けただろう。次いくぞ」


「次って……」


「舞踏会は始まったばかりだからな」


 売春宿が宿として機能し始めるのは、客が大いに酔っ払い、夜も更けてからだ。


 そうなるのは時計の針があと3周はしなければならないだろう。


「それとも楽しくないか?」


 ダンテはそう言ってベアトリーチェに手を差し伸べる。


 ベアトリーチェはその手をじっと見つめたあと、


「まだ少し……よくわかんないです」


 口元を少しだけほころばせながら、自らの手を重ねたのだった。

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