第8話 転入

 ダンテたちが住まうガイザル帝国の首都、ガディスグラードの中心には巨大な宮殿がそびえ立っているのだが、そのおひざ元と言える場所には公立ステート学校スクールが建てられていた。


 この学校は、有名貴族の子弟が通う専用の学校と言えば聞こえはいいが、その実、貴族たちが皇帝へ二心を持たないようにするための人質を集める場所でもあった。


「それで、ブラウン家の若君様はいつまで自室に引きこもっているつもりだ? もう二週間は経つぞ」


 人質が集められた学校ということは、当然閉じ込めるための場所も必要だ。


 うなるほど金があれば学校の近くに別荘を建ててそこから通うことも許されるが、基本的には隣接された寄宿舎から通うことになっている。


 当然、貧乏貴族であるブラウン家の一人息子として転入したダンテもその寄宿舎を使っており、その中でもかなり狭くさびれた部屋を根城にしていたのだった。


「……もう少し勉強してからだな」


 ダンテは3階だということに恐れもせず、開け放たれた窓際に座って頼れる茶髪の相棒に図書館から借りさせた本を熱心に読みふけっていた。


 元来ダンテの血筋は貴族の物であるが、人生はスラムで送って来たのだ。


 この学校で学ぶべきことのほとんどが未知のものである。


 もし無知のまま授業を受ければ、ダンテは顔だけの馬鹿だとの判断をされてしまいかねない。


 中身が無いと見限られれば、口説くどころの話ではなくなってしまうのだ。


「それ、五日前にも聞いたぞ」


「ならあと数日後も言ってるから安心しろ」


「安心できるかっ」


 アルにもそういった事情は分かっているのだが、さすがに2週間も引きこもられては苛立ちも募る一方であった。


「焦るな。なんだったらお前も勉強したらどうだ。存外面白いぞ」


「お前と違って俺は馬鹿なんでね。付き人なんだから文字さえ読めれば構わねえよ」


 ダンテは頭脳でもって闇の世界を渡り歩いてきただけあり、地頭はかなりよい。


 そのうえ貴族を騙すために色々と学んだ下地も相まって、数年がかりで学ぶようなことを、わずか数日で吸収しつつあった。


「アル」


 ダンテはそれまで読んでいた本を閉じると、アルへ向かってその本を投げ渡す。


「そいつを返しておいてくれ」


「へいへい、分かりましたよ~」


「それから次は算術だ」


 アルの顔がこれ以上ないくらいに歪にゆがみ、うへぇ~と悲鳴なんだか文句なんだかわからない声が漏れる。


「ぷっ」


 そんな相棒の滑稽きわまる顔を見て、ダンテは思わず吹き出してしまった。


 ダンテはそのままひとしきり笑った後で、軽く肩をすくめる。


「――お前、そんな顔することねえだろ」


「だってよぉ~。従者なんだから俺もお前に付き合わなきゃなんねえだろ? したらまた部屋にこもりっきりだぜ~」


 ダンテは勉強に夢中だったため気づいていなかったが、アルも一応はダンテにならって勉強をしようと本を開いたりはしたのだ。


 一分としないうちに頭から煙を吹き出して音を上げてしまったのだが。


「もう2週間もまともに外出てねえんだ。いい加減、うんざりなんだよ」


 本という楽しみのあるダンテからすればなんの苦痛でもないのだが、その楽しさが分からないアルからすれば、無味乾燥な時間は拷問以外のなにものでもない。


 もう限界だとでもいうように、アルは両手を上げて天井を仰いだ。


「勝手に行けばいいじゃないか。侍女はいくらでも居るだろう?」


 アルは女性でも気さくに話しかけるタイプで、ダンテと違って日常的によく女の子と遊んでいる。


 この学校という閉鎖的な場所では侍女たちもそういった刺激に飢えているであろう。


 さすがにトラブルを招くほどのことをされては計画の失敗を招いてしまうが、そうでなければ多少なりと羽目を外しても構わなかった。


「出来るか、馬鹿。主がずっと部屋に引きこもっている状況で、従僕だけが女に粉かけて回るなんて、怪しんでくれって言ってるようなもんだろうが」


「……お前、変なところで生真面目だな」


「お前が余裕ありすぎんだ」


 本来この学校は人質を集める場所なのだから、周りには常に監視の目が光っている。


 そんな敵地のど真ん中とも言える場所であるのにもかかわらず、ダンテはそんな監視などどこ吹く風とばかりに自身を貫いているのだ。


 アルからすれば異常なのはダンテの方だと言いたいらしかった。


「どんだけ大金がかかってるかわかってんのか? ついでに命がけどころか国を追われりゃいい方かもしれねえんだぞ。下手な事できるかよ」


 貴族の娘に手を出すのだから、下手な事をすればその強大な力でダンテたちを消しにかかってくるかもしれない。


 そうなれば一族郎党全てが標的になる、なんて可能性だってあった。


「……ったく」


 ダンテは頭の中で己の準備とアルの忍耐力を秤にかけて思案する。


 結論は数秒もしないうちに出た。


「しゃあねえ、外に出るか」


「よし来た」


 アルは待ってましたとばかりに衣装棚からよそ行きを取り出してくると、ダンテの手に押し付けてくる。


「若君様はご自分でお着換えあそばせ」


「なんだその気色の悪い言い方は」


「皮肉だよ皮肉」


 軽口を叩き合いながらダンテたちは体を拭いたり髪をいたりして身支度を整えていく。


 部屋の外は獲物ばかり、即ち戦場である。


 一部の隙を見せることもしてはならなかった。


 そんなふうに忙しくしていると、コーンコーンと授業終了を知らせる鐘の音が聞こえてくる。


 まだ昼飯時というわけではなかったが、次の授業が始まるまではしばらく時間が空く。


 それに気づいたダンテはアルへと視線を走らせた。


「お嬢様たちの移動ルートなら、もちろん調査済みだ」


 アルはダンテの意図を察して必要な情報を出してくる。


 こういった裏方的な仕事は、アルの本領発揮といったところだった。


「なんだ、出歩いてんじゃねえか」


「調査と遊びはちげえんだよ。時間がねえ、急げっ」


 授業は生徒が教師の待つ教室へと移動するため、授業と授業の合間には多少のゆとりを設けてあるのだがそれでも無駄に消費してもいいわけではない。


 獲物が気まぐれに足を速めるだけで逃してしまう可能性もある。


 ダンテたちはなるべく急いで、しかし出来る限り完璧に装いを整えてから部屋を飛び出したのだった。

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