第100話 カン傷、カン情

 槍と刀がぶつかり合う。金属を叩く音が響き、次の瞬間にはまた金属音がなる。素早い動きで槍の間合いにまで近づき、ネームレスを接近させないように連続して槍を突いていく。


 そして合間を縫うように、背後から透明な西洋剣がネームレスに向かって飛んでいった。しかしネームレスは槍で刀が抑えられて動かせない時であろうとも、それに動じることなく身をよじって回避するか、その場から後ろに跳んで避けていく。


「チッ……」


 藤堂の剣で互いに距離をとることになった俺は小さく舌打ちをした。表では相手に悟られないように無表情を保ってはいるが、内心ではかなり焦っている。戦えるとはいえ、藤堂は民間人だ。時間帯は昼間で力も出ない。そして何よりも……。


「……二人とも中々やるね。どうやら一撃で命を絶つことは難しいようだ」


 ……奴の力だ。せめて相手が苦しまぬようにと、ネームレスの一撃は鋭く急所を狙ってくるものが多い。刀の動きは西条さんのものを見ているから対処はしやすいが、その刀を握る力や、斬りかかってきた時の手に来る反動が並ではなかった。少しでも気を抜けば、槍が手元から離れていってしまう。


「唯野さん、今度は俺が前にッ……!!」


「やめておけ。慣れてなきゃ刀が見切れねぇ」


「でも……」


「いいから。あまり記憶を使わねぇように、後ろで的確に剣を投げてろ」


 背後から聞こえる藤堂の声に反応しつつ、息を深く吸い込んでから吐ききる。そして刀を構えたネームレスに向かって……全力で突きにいく。


「速いね」


 余裕そうな声が聞こえた。刀は槍を側面から斬りつけて軌道を逸らす。そしてそのまま刀の切っ先が腹部目がけて突いてくるが……弾かれた槍を刀にぶち当てて呪文を行使した。


「《吹っ飛べ》」


 刀を飛ばすために、ヨグ=ソトースの拳を行使した。頭で思い描いたように、刀が飛んでいくはずなのに……。


「ッ─────」


 刀が飛んでいかず、頭に鋭い痛みが走った。自分に向かってくる刀は進路を変えることはなく、あと少しで身体を貫くだろう。


「唯野さんッ!!」


 飛んできた剣が腹の前で盾となる。刀は剣を貫けず、ここに来てようやく意識がハッキリとした俺はすぐにその場から離れた。


「……一体、何が……」


 確かに、魔術は発動した。だというのに刀は飛んでいかず、頭に生じたのは痛みだ。どういうことなのかわからない。まさか、昼間だと魔術が発動しても確率でスカになるとか、そんな巫山戯た仕様があるのだろうか。


『深淵をのぞく時、深淵もまたお前をのぞいているのだ』


 いつかナイアに言われた言葉を思い出した。魔術を使えば、相手が魔術で対抗してくることもあると。


「……なるほど、君は魔術師か。現代で魔術を使える人間が普通に生きているとはね」


 知ったふうに言ってきたネームレス。だが、奴が魔術を使ったような感覚はなかった。となると……魔術に対する抵抗か。奴はミ=ゴによって造られた生物。ならば魔術を軽減、もしくは対抗するだけの性質があるのかもしれない。そうなると相手に対して使うことになるヨグ=ソトースの拳が使えない。


 いや、魔力を込めるか詠唱するならば使えるかもしれないが……今はそんなことをしていられない。


「……面倒だな」


 呟いている最中にも、ネームレスは走って向かってきている。槍の先端で刀を弾き、また弾き。そうしていると相手との力の差で徐々に間合いの内側に近寄られてきてしまう。


 槍の間合いから刀の間合いに入った途端、剣戟の速さが増す。袈裟斬りを弾けばその反動で刀を引いて薙ぎ払い。それも防ぐとまた反動で刀を持ち上げて上段から斬りかかってくる。反動、反動、反動。決して鍔迫り合いに持ち込むことがない。


 奴の力は強い。だからこそ反動による二激目も速い。そして繰り返せば繰り返すほど、速さと威力が増していく。刀の間合いでは槍は完全に不利だ。防ぐことしかできず、逃げようにも追撃が速すぎる。


「むっ……」


 ネームレスが首を傾ければ、首があった部分を剣が通過していった。その一瞬だけ刀の速度が遅くなり、引くのではなく一気に詰め寄って腹に蹴りを入れた。ネームレスの身体が崩れ、後ずさったところに槍の間合いで追撃をしかける。


 突きを刀で弾かれ、しかしすぐに弾かれた反動を使って上に持ち上げて振り下ろす。それを後ろに下がって回避されたら今度は下から斜め上にかち上げ、それもまた回避されたら槍の中ほどに手を添えて真横に薙ぎ払う。


 当然、その程度の攻撃じゃ届かない。だが、ネームレスが避けた先には既に藤堂が剣を飛ばしていた。剣はネームレスの脇腹を斬りつけて、そのまま後ろにあった建物に突き刺さる。


「ッ………」


 ……ネームレスから流れ出た血液らしきものは、真っ黒だった。決して赤色なんてものではなく、傷をつけた瞬間を見ていなくてはそれが血液だとすらわからないだろう。


 歪んだ顔は、苦痛によって更に歪むなんてことはなく、むしろ流れ出た血を見て虚しそうに呟き始めた。


「……人の身体には赤い血が流れる。しかし俺にはそんなものはない。なんとも、バケモノらしい」


「……言動はまったくもってバケモノらしくないがな」


「そう言ってもらえるのなら嬉しいものだ。けれど……そういうものだと定義されてしまった身としては、それは自分のものではないのだから、変な気分になる」


 人々の願いに歪められた存在。バケモノとして産み落とされたネームレスには、自分で最初から持ちえたものがない。言動も、容姿も、何もかもが奴にとっては誰かに与えられたものなのだ。


 そしてその使命すらも。所詮は誰かに与えられたものでしかない。それは……想像するだけで悲しくなるものだ。


「……俺にはわからない。人の子よ、どうして君達は俺に刃向かうのか」


 流れ出る黒い液体をおさえつけながら、奴は俺達に尋ねてきた。両手に剣を出現させたままの藤堂がその問いに答える。


「明日香が……俺の、大切な人が殺されるのが嫌だからだ」


「……恐怖に立ち向かうだけの理由と、その想いが君にはあるというのか。ならば、唯野 氷兎。君はどうなんだ」


 真っ赤な目が俺に向けられた。決して隙を見せないように、槍を握ったままの状態で俺は答える。


「……お前みたいなバケモノに、理不尽に殺される人が増えないようにするためだ」


「その人が、俺を造り出し……そして今こうして、人々の願いのために殺そうとしていても?」


 ……正直、答えるのには困る質問だった。人々によって造られたのに、なぜネームレスを殺さねばならないのか。悪いのは造り出したミ=ゴと人間達だ。ならば、俺が戦う必要はないのではないか。一瞬そう思ったが……それでも、答えは簡単に出てきた。


「……夢見が悪いだろ。目の前で殺されてる奴見つけて、放置してても」


「君は心にある正義感に従っているのかい?」


「正義感? そんなもんねぇよ。ただ……後悔したくねぇだけだ」


 何もやらないで後悔するより、何かやって後悔した方がいい。俺はそう思っている。


「正義感なんてもん、この世のどこに存在するってんだ。人間の行動基準は、欲望だ。何の見返りもないのに、何も感じることなく全てを終えることができる奴がいるならそれは、聖人君子様だろうよ。そいつはきっと、お前みたいなバケモンだぜ」


「それは、ボランティアの人に言えるのかい?」


「言えるとも。ボランティアだろうがなんだろうが。結局自己満足だろ。これをやって、誰かが笑顔になるんだろうなぁって思った瞬間、それはもう欲望になってんだよ。自分にとって何かしら益がなければ、誰も何もやらん。やるのは心のないロボットぐらいだ」


 暗く冷たい声であろうとも、ネームレスには誰かから与えられた感情だけでなく、自分で得た感情というものがある。悲しげに尋ねてくるその声が、目の前の生物が人間に限りなく近いバケモノであることを感じさせた。


 暴力に訴えるなんてものは猿でもできる。対話で終わらせようとすることが、人間らしさだ。今ネームレスは対話をしようとしている。だからそれを拒むのではなく……受けて返さなくてはならない。この瞬間にでも駆け出して心臓を突くことなんてのは簡単だ。だが、それはしない。俺達は人間であるが故に。


「この世にあるのは偽善と悪意だ。そんな薄汚ぇ人間を理解しようとしたお前達が間違ってんだよ。そうだろ、悪意の塊さんや」


「……理解しようとした事自体が、間違っていたのか。なるほど、それは……」


 ……寒気を感じさせる笑い声が聞こえてくる。ネームレスの身体が細かく振動していて、それが笑いを堪える為に震えているのだと気がつくには時間がかかった。


「フッ……ククッ……なんて、酷い。君は俺の存在自体を、間違いだと言うんだね!」


「……そうだ」


「ハハッ……ハハッ、アッハハハハハハハハッ!!」


 ネームレスが狂ったように笑いだした。その身から流れ出た黒い液体が足元に広がっていき、一定の感覚で波打っている。まるで、どくん、どくん、と脈打つ心臓のように。


「こんなにも……こんなにも、人間の心がわかるのに! こんなにも、人間の嘆きが聞こえるのに! それを助けてあげたいと思うことすら間違いだというのか! あぁ、しょせんは造り物さ! 助けたいと思うことすらも、誰かによって与えられたんだ!」


 アッハッハッハッハッ。低かった声が嫌に高く聞こえてくる。笑い声には狂気が滲んでおり、聞いているだけでも身の毛がよだつ。そして同時に、憐れみをも感じさせられた。目の前のバケモノが、可哀想に思えてくる。それでも……それでも、言わねばならない。


「……お前は、ヒーローでもヴィランでもない。だって、誰でもないんだろ。自分の存在証明ができないやつは……ヒーローにもヴィランにもなれないよ」


「ハハッ、アハハッ、アッハハハハハハッ、ハハッ、アッ、アアァァァァァァッ─────!!」


 どくん、どくん、と脈打つ音が聞こえる。そしてネームレスの足元に広がっていた黒い液体は、ネームレスの身体を覆い尽くすように足をよじ登っていく。下半身が包まれ、やがて手先も染まりきり、頭まで被さる。そして頭の先から溶けるように形がなくなっていき……全てが足元の黒い水溜まりに消えてなくなった。


「アァァァァァァァァァァァァァッ!!」


 水溜まりから悲鳴が聞こえる。そして次の瞬間には水溜まりが爆発したように弾け、飛び散った黒い液体が空中で浮遊するように留まる。それらが互いに液体を伸ばしあっていき、何かの形を象っていく。


 それは巨大な円柱だった。真っ黒な円柱が存在している。やがてその円柱の上の部分から黒い液体が剥がれるようになくなっていく。その下から出てきたのは、銀色の蓋で上下を挟まれた硝子のカプセル。中には薄い水色の液体が満たされ、巨大な脳みそが浮いていた。


 脳みそから伸びている触手のようなものが揺れ動く。呼吸をしているのか、どこからともなく気泡ができて浮かび上がっていく。そして、どくん、どくん、と脳みそが脈動している。


 わからない。なんだ、これは。先程までの理性を残した人型はどこにいった。


 突然の変わりように頭が壊れてしまったかのように働かない。視点は浮かんだ脳みそを注視して動かず、腕はもう槍すら構えていなかった。


『邪魔だし消えてくれないかな』


 目の前の物体から女の子の声が聞こえてきた。


『アイツマジでうざいんだけど』


 今度は男の声が。


『セクハラとかまじウザすぎ』


『退社時間くらい守らせろよ』


『転んだのに手を貸してやったら触るなと叩かれた』


『浮気されてた、許さない』


『金を取られた』


『教室の人全員殺してくれないかな』


 聞こえる。たくさんの声が。それらが全てこの街の住人の声だというのか。


『誰かどうにかしてよ』


『誰か殺してよ』


『誰か代わりにやってよ』


『誰か殺してくれよ』


『誰か、誰か、誰か誰か誰か誰か誰か誰か』


 ……聞いているだけで不快になるような声が聞こえてくる。それに呼応するように脳みその脈動が早まり、カプセルから黒い液体が漏れだしていく。それらは三本の細い腕のように造られていった。カプセルの上部に一本、カプセルの脇に二本だ。


 長く長く伸びていき、上部の一本には何もかもを叩き潰すような槌ができた。右側から伸びた腕の先には斬りつけるための剣ができた。左側からは刺し貫くための槍ができた。


「アァァァァァァァッ!! ミンナ、ミンナガネガウンダ!!」


 目の前の物体から慟哭が響いた。槌が派手に動き回って建物を殴りつけ、剣は辺りの街灯を斬り倒し、槍は地面に穴を開けていく。それは、まるで……産まれたばかりの赤子が、泣き叫んでいるかのように思えた。


「ダケド……ダケド、コノオモイダケハ……カナシイト、カンジタコトダケハ……オレノ、モノナンダァァァァッ!!」


「ッ……まずい、藤堂ッ!!」


「ァ………」


 目の前の存在に圧巻されていた藤堂が狙われた。口を半開きにしたまま虚ろな目で、叩き潰そうとしてくる槌を見上げている。ようやく動くようになった身体で全力で駆け出して、藤堂を突き飛ばした。


「《逸れろッ!!》」


 向かってくる槌を逸らし、なんとか直撃を回避する。だが、地面に槌が着いた瞬間に発生した地震のような揺れに身体を崩してしまった。


 そこを目がけて今度は槍が向かってくる。避けられる訳もなく、今度もまた逸らすしかなかった。


「ゥ……俺、は……ッ!!」


 正気を取り戻した藤堂が、両手にあった剣をカプセルに向かって投げ飛ばした。近づいてくるその剣を、ネームレスの剣が弾いていく。その動きは俊敏だ。手数が三に増えただけでなく、その巨体さも相まって更に戦いにくくなっている。


「チッ……」


 舌打ちをしてその場から駆け出した。狙うはあの脳みそだ。俺達の身長を遥かに超えている高さにあるが、それでもどうにかして攻撃しなくては。


 上部からまた槌が振り下ろされ、それを逸らす。そして地面についているうちに、槍を地面に突き刺して踏み台にし、槌の上に飛び乗った。


「藤堂、剣を寄越せッ!!」


「あぁッ!!」


 藤堂の造り出した剣が俺に向けて射出され、それを受け取って腕の上を走っていく。走る俺を狙って、今度は槍が向かってきた。それを跳んで躱そうとするが、槍の大きさのせいで躱しきれない。


「《逸らすッ!!》」


 向かってくる槍の被害を逸らし、まるで宙に浮いたかのような挙動で避ける。そして今度は槍の腕に着地してカプセルに向かって走り出した。剣が俺を狙うかと思ったが、剣は藤堂の射出する剣の対応で手一杯なようだ。


 好都合だ。このままあのカプセルを叩き斬る。右手に握った西洋剣を両手に持ち替え、その場から一気に跳躍した。そして大きく剣を持ち上げ、全力で振り下ろす。


「なっ……!?」


 しかし剣はカプセルの蓋に傷をつけることなく、砕けてしまった。そのまま重力に従って落ちていく俺に向かって、また槍が突進してくる。


「クソッ……!!」


 何度も何度も突いてくる槍に対して被害を逸らす。まるで空中を自在に動いているのではないかと思うような挙動でその場から飛んでいき、最終的には藤堂の近くまで飛ばされてきた。


「無理だ、硬すぎて俺の剣じゃ……!!」


「手の打ちようがねぇ。こうなったら槍を魔術で飛ばして……」


 次の作戦を考えようとしたところで、ネームレスの異変に気がついた。脳みそに、赤い目が二つ出現している。それが怪しく発光しているのだ。


 何か、とてつもなく嫌な予感がする。咄嗟に藤堂のことを突き飛ばして、俺もその視線の先から逃れようとしたが……。


「─────」


 間に合わなかった。赤い光が放たれ、俺の身体を包み込んでいく。


『死ね』


 脳に直接響くように、声が聞こえた。


『死にたい』


 誰の声なのかもわからない。


『殺してやる』


 酷く、物騒で。


『楽に死にたい』


 悲しく、悲観的な。


『死ね。死にたい。殺して。殺したい。死ね。嫌だ。死にたくない。死ね。殺せ。殺したい。殺せ。嫌だ。殺して。生きたくない。生きていたくない。死にたい。死んでしまいたい。殺して。殺せ。死ね。死んで』


 あァ……聞こ、えル……。声が……蔑ム、声……助ケを求めル、声……聞こエ……。


 あァ……アぁ、聞きたクなイ……。


 耳ヲフサイデも聞こエル……。ダレかの、声……。


 アァ……アァァ……。



「ウア゛ァ゛ァァァァァァァァァァァァァァッ!!」






〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜






 突き飛ばされたのだと感じた時には、耳をつんざくような悲鳴が聞こえていた。さっきまでいた場所には、真っ赤な目で睨まれて赤い光を身体から発してる唯野さんがいる。顔を歪ませ、口を大きく開き、そして目は見開いていた。開きっぱなしの口からは唾液が地面に向かって垂れていき、目からは涙がこぼれおちている。


 早く、助けなくちゃ。でも、どうやって。あの目で睨まれてしまえば、僕も唯野さんのようになってしまう。


「アタエラレタモノナンテ、コンナモノバカリダ……。エガオヒトツ、オレニハツクレナインダァ!!」


「っ……!!」


 立っていることすら出来ないほどの地響きが起きた。あのバケモノは自分の武器で辺りを見境なく壊していく。その度に、頭に鈍い痛みが出てくる。この場所は僕の世界。壊れたものも、元に戻る。けど、壊せば壊すだけ……僕の心に傷がつく。


 早く、しないと。このバケモノをどうにかしないと……。いずれ、僕の世界が壊れて、外に出て行ってしまう。


「ッ……うあぁぁぁッ!!」


 剣を出現させて、あのバケモノに向けて放った。けれど……透明な剣は、容易く破壊されていく。僕の心が感じた記憶を、力に変える能力。それほどまでに僕の記憶は弱いのか。それとも、心が弱いのか。硝子の心なんてもの、僕は持ち合わせてはいない。なら……足りないのは、僕の記憶なのか。


「わからない……どうすればいい……」


 バケモノは蹲る唯野さんには目もくれない。未だに動き回る僕目がけて、その槍を突き刺してきた。その場で跳んで躱し、お返しとばかりに剣をぶん投げる。カプセルに当たった瞬間、また音を立てて割れてしまった。


 今まで、ずっと前線で戦ってくれた唯野さんがいない。率先して動き、相手への対処を考えていたのは彼だ。僕だけで、こんな相手に勝てる気がしなかった。


 迫り来る武器達を躱すのにもそろそろ疲れてくる。一本の剣を創り出して、その上に乗って一気に距離を取った。


「はぁ……っ、クソッ!!」


 荒くなった息を整える余裕すらくれない。カプセルは動かないくせに、その腕は自由自在に伸びてくる。見ているだけで気持ちが悪い。


 下がりながら大きめな剣を創り出し、全力で放つ。しかし剣は、バケモノの剣と槍によって押さえつけられ、ハンマーによって叩き壊された。割れてしまった剣を見ていると、自分の中でまた何かが消えてしまったのだという無力感が湧いてくる。


「どうすんだよ、こんなの……」


 なんでもできると思っていた。誰も自分には勝てないのだと思っていた。けれど、事実は全然違っていて。僕よりも強い奴なんてのは、案外簡単に出てきてしまった。これでも、毎日筋トレは欠かしてないし、走って体力だってつけてる。それなのに、努力をしているというのに……。


 ……現実は、あまりにも酷かった。神様がいるのなら、目の前で悪態をついてやりたい。僕はこれだけ頑張ってきたというのに、どうして……こんなにも、酷い仕打ちをするのか。


 好きな子には告白もできぬまま彼氏ができて、大切な記憶も忘れてしまっていて。そのうえ今度は、こんなバケモノに殺されかけてる。


「ミンナガノゾムンダ……コロセ、コロセッテ!!」


 ……嫌なものを、多く見てきた。自分の都合しか考えないような奴を見た。自分の非力を恨み、誰かに頼ることしかできなかった奴を見た。それを助けたのは、正しい事だったのか。今でも答えは出ない。


 半ば諦めの気持ちで満たされながら、暴れているバケモノを見ていると……その後ろ側に、人が見えた。


「ッ─────」


 隔絶された世界の向こうに、君が見えた。外の世界は止まっているわけじゃない。ゆっくりと時間が進んでいる。だから、君がそこにいることは不思議じゃない。でも……なんで、来たんだ。そんなまともに歩けない状態で。僕は逃げろと言ったのに。


『コウ君ッ!!』


 遠くて、君の顔はよく見えない。それでも君が叫んでいる気がした。僕の名前を、呼んでいる気がした。


 ……一瞬だけ世界を元に戻して、明日香と一緒に僕の世界に引きこもる。そういうこともできる。願った市民達は死ぬだろう。自業自得とも言える。


 でも……それは、とても……格好悪い。


『私のヒーローになってね、コウ君』


 約束。君を守る、約束。あぁ、そうだ……。僕は君の、ヒーローになるんだ。


 どんな障害も物ともせず、どれだけ傷ついても戦い続ける。決して辛いと漏らさず、前だけを見て進み続ける。昨日の夜に出会った、一人のヒーローのように。


「……また、忘れてたよ」


 もう逃げない。諦めもしない。後ろは振り向かない。


「……お前を、倒さなきゃいけない理由があったんだ」


 君はきっと怒るだろう。僕を殴ってくるかもしれない。それに……悲しませてしまうかも。だけど、決めたんだ。あの時、あの公園で……君を守るって。


「例え……君との記憶を全て失っても……」


 ……心の中を埋めつくしていた君との記憶が、薄れていく。それでも、僕は念じ続ける。


 もっと強い剣を。もっと強い記憶を。もっと……大切な記憶を。


「……僕が、君を守るよ」


 両手に現れた剣はズシリと重く。その透明さはより透き通り。陽の光を浴びて君は輝いている。


「カナシイ……オレニハ、コンナカンジョウシカ、アタエラレテコナカッタンダァ!!」


 ……まだだ。こんなものじゃないだろう。君との記憶は、それこそ数え切れないほどあるはずなんだから。


 もっと剣を。君との思い出を。全て、ここに。


「っ……ぐ、うぅ……」


 が、痛い。それでも剣を増やすのをやめない。出現させた多くの剣を、一斉にバケモノに向けて放つ。


「ウアァァァァァッ!!」


 狂ったように叫びだしたバケモノは、一心不乱にその武器達を振り回した。その大きさは、僕の剣を逸らすのには十分だった。足りない。いや違う。


「うっ……あぁ……ッ!!」


 自由自在に動かせるのは、ひとつだけ。そんなもの……知ったことか。例え脳が壊れようとも、絶対に……お前は、ここで倒すッ!!


「ぐっ、あぁぁぁぁぁぁッ!!」


 君との記憶が空を埋め尽くす。現れた剣が次々と軌跡を描いて飛んでいき、バケモノを囲むように浮遊している。


 あぁ……頭が痛い。でも、君を失うことの方が、もっと痛い。


「これでッ……」


 一斉に……君の記憶が、消えていく。降り注ぐ剣は蓋を破壊し、横から射出された剣は腕を破壊する。そして……一際輝く、大きな剣を創り出した。


『───────────────』


 夕暮れ時。君との約束。あぁ、もう思い出すことはないんだろう。君がどんな想いでいたのかも。僕がどんなふうに想っていたのかも。


 でも、これでいいんだ。だから……さようなら、明日香。


「終われぇぇぇぇッ!!」


 浮かんでいるに向けて……全力で投げ飛ばした。


「アァ、アアァァァァ───────!!」


 ……脳に突き刺さった剣が、音を立てて砕け散る。バケモノは黒い灰のようになって、散るように消えていく。


「アァ……イイ、カンジョウダ……」


 消えていくバケモノはそう言い残した。あのバケモノが何を感じたのか、何を見たのか。わからない。悲しげな声音はなく、そこには暖かみが感じられた。


 あぁ……酷く、頭が痛む。視界の端がだんだんと暗くなってきて……でも、不思議といい気分だった。


「うっ……ぐぅ……」


 身体が倒れていく最中、蹲っていた男の人が立ち上がるのが見えた。


 なんだろう。とても他人事のように思える。きっとそれは自分にとって大切なことなのかもしれないのに。


「………」


 遠くの方で、誰かがフラフラと歩いている。誰だろうなぁ。


 ……痛みが痛みだとわからなくなってくる。自分は今どうなっているんだろう。何をしてこうなっているのだろう。


 わからない。わからない、けど……。


 ……間違ったことはしていない。そんな気がした。


「─────」


 意識が途絶える直前に、誰かの笑顔が見えた気がする。






To be continued……

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