第84話 冷めた心を溶かしたもの

 陳列されたカプセルをなるべく見ないように、俺と西条さんは先輩達のいる場所にまで歩いていく。道中これといった会話はなかった。いや……できなかった。自分で決めた事とはいえ、後悔がないとは言い切れない。


 心配をかけないように、無表情を取り繕ってあの場所に戻ってきた。車椅子に戻った海音さんの膝の上には白菊君が乗っていて、その身体を彼女に預けていた。浮かんでいるのは笑顔で、彼女自身も涙ぐんではいたが……憑き物が落ちたような顔つきであった。


 戻ってきた俺に気がついた先輩と七草さんが近寄ってくる。とりあえず、もう帰ろうと俺は提案した。ここに残っていても、何もやることはない。それに……些か疲れた。心身共に、もうクタクタだ。


「……なぁ、お前ら何しに行ったんだ?」


「ちょっと気になることがあっただけですよ。もう問題ないですし、早いとこ帰りましょう」


「そうか……いや、待て。この眠ってる連中はどうするんだ?」


「……本部の連中に任せます。今俺らができることは、何もないですよ」


 何もない。そうだ、何もなかった。そう思わせるように俺は自分の心を偽った。申し訳ないとは思うが……こんなことを考える必要はない。知っているのは西条さんと俺だけで充分だ。


 左腕が痛いということを理由に、先輩を急かすように帰ることを促した。どこか納得いかないような顔ではあったが、先輩は何も聞かずに海音さんの車椅子を押して外に向かって歩いていった。西条さんもその後を続いていく。


「……ねぇ、氷兎君。私が荷物を持つよ」


 残っていたのは俺と七草さんだけ。心配そうに俺の左腕を見ていた彼女は、奪うように背中に括りつけた槍を取っていった。ありがたいけど……あまり荷物を持たせたくはないな。少しは男らしいところを見せたいものだ。


 怪我人が一丁前に何を言っているんだと言われそうなもんだが……とりあえず彼女にお礼を言って、二人で先輩達の後を追いかけていく。


「……あのね」


 隣を歩いている彼女の表情は、いつもの無垢な顔ではなかった。曇っているその顔は、見ているだけでも俺が何か悪いことをしたのではないかと思えてしまう。


「さっきの氷兎君がね、ちょっと怖かったんだ」


「……そりゃ、悪かった。でも、あぁでもしないと海音さんは気がつかなかったから」


「うん……わかってる。でもね、私……なんとなく、嫌なんだ。氷兎君は本当は優しいのに、怖いとか、嫌な奴だとか思われそうで……」


 ……困ったな。まさか俺がそう思われることを嫌がるとは思っていなかった。けれど、誰かがやらなきゃいけなかったことだし、やったことを後悔はしていない。むしろ今の彼女達の姿を見てみれば、やってよかったと思えるのだから。


「……氷兎君は、自分が傷つくのは嫌じゃないの?」


 目を見てまっすぐ尋ねてきた彼女の言葉は、しかし難しい質問であった。すぐには答えられなくて少し悩んだが……俺は思ったことを彼女に伝えた。


「嫌だよ。痛いのも嫌だし、誰かに嫌われるってのも嫌だ。自分が進んで傷つくのなんて、馬鹿らしいとさえ思うよ」


「……そうなの?」


「……そうだな。それでも、やっちまうんだよ。それで自分が傷つくんだってわかってても、気がつけば自分で傷つきに行くんだ。その結果で、誰かの笑顔とか、救われる人が見れるのだとしたら……それはそれで、いいんじゃないかって」


 偽善を振りまく子供のように。それを大人の社会でやったら、いとも容易く食い潰されるんだろう。 そんなに俺は強くはない。だからこそ、強く見せようとしているのかもしれない。もしかしたら、そうすることで自分に酔っているのかもしれない。


 答えなんてものは曖昧だ。でも、簡潔に言うとするのならば……それが、最善だと思ったから。その一言に尽きる。


「……私も、傷つくのは嫌だよ。でもね……なんとなく、氷兎君の言いたいこと、わかる気がする。私はきっと……氷兎君の為なら、傷ついてもいいかなって思えるの。誰でもじゃなくて……氷兎君だけ。これって、変なのかな」


「……えっ、いや、変じゃ……ないと、思うよ」


 ……何これは。不安そうに見上げてくる彼女の口から漏れた言葉は、あまりにも勘違いしてしまいそうなものだった。深呼吸して、心を落ち着かせる。そう、彼女にとって俺というのは……友達だ。彼女が心を許せていたのは、俺と菜沙だけ。だから、そう思うのも仕方のないことなんだろう。


「そう、かな? それなら、よかった。でも、私は氷兎君だけ。けど氷兎君は、色々な人の為に頑張れる。やっぱり、氷兎君って優しいんだね」


「……どうだか。俺はきっと七草さんが思うよりも優しくないよ」


 自分の右手を何度か握っては開くを繰り返す。洗っても落ちない汚れがついている気がして、俺は右手をポケットに突っ込んだ。


「……優しさって、難しいね」


「そりゃそうだ。誰かを助けることも、ちゃんと叱ってやることも、優しさだ」


「……なら、私は氷兎君を叱らなくちゃね」


「えっ」


「……メッだよ」


 急に七草さんが近寄ってきて、人差し指で額をコツンッと強めに押された。なんだってこんなことをしようと思ったのか……。見れば、彼女はいつもの無垢な顔に戻って笑っていた。


「あんまり、自分から傷つこうとしないで欲しい。私だって心配するから。だから……もっと相談して。氷兎君っていつも自分の中で完結させちゃうし、話すにしても翔平さんとかに話すし……。私って、そんなに頼りないかな」


「い、いやいや……頼りにしてるよ。ただ、やっぱり七草さんって女の子だしさ。あんまり心配かけたくないっていうか……」


「もうたくさん心配かけてるよ。私は隣にいて氷兎君を守るって決めてるんだから。それに、女の子だからとか、男の子だからとか……そうやって考えないで。お願いだから……もっと、私を……七草 桜華を頼って欲しい」


 見つめてくる彼女の視線から逸らせない。困ったように俺は頭を掻いた。彼女はきっと何を言っても折れないだろう。ここは、俺が折れるしかなさそうだ。仕方がないといったふうに俺は息を吐いてから、彼女に言った。


「……わかったよ」


「なら……頼りにするって証拠に、私のこと名前で呼んで欲しい……かな」


「……名前?」


 ……なんだか見ていた夢と重なる。けどここは現実だ。流石に彼女の事を名前で呼ぶのは恥ずかしい。それに、提案した本人も気がついてないんだろうけど顔がまっかっかだ。恥ずかしいのに、名前を呼ばせるのか……。


 ……まぁ、いいか。


「桜華……これでいいか?」


「………っ!?」


 頬を薄く染めていた彼女の顔が、一気に赤くなっていく。何か変なことをしただろうか。


 ……あっ。


「─────ッ!?」


 あぁぁぁぁッ!? 呼び捨てにしてるじゃないかッ!? 夢の中で呼び捨てにしたせいで、現実でも勝手に呼び捨てが定着しちゃってるじゃないか!?


 あまりの恥ずかしさに彼女同様に顔が熱くなって頭を抱える羽目になった。もうやだ穴があるなら入りたい……。


「あ……ぅ……な、なんか……恥ずかしい、ね?」


「……頼むから今は見ないでくれ。盛大にやらかした気がするから」


 赤くなって軽く俯いている七草さんから、俺は顔を逸らした。こんなにみっともない姿を見られたくない。


「……置いていかれる前に、帰ろうか」


「……うん、そうだね」


 彼女よりも少し早く、俺は歩き出した。なんとなくこの場で二人っきりというのは精神的にキツい。女の子と二人っきりとか、今までの人生で……。


 ……いや、いつも菜沙がいたわ。あの冷ややかな目を思い出したら、なんだか急に熱が冷めるどころか寒気すら感じてきた。一気にクールダウンできた気がする。


「……ねぇ、氷兎君」


「なに?」


「……手、繋いでいい?」


「っ……いいよ」


 隣まで来て見上げるように頼んできた彼女の願いを一体誰が払いのけられるというのか。決してやましい気持ちはない。そう、断じてない。ポケットから右手を出すと、少しして柔らかな手が重ねられた。


「……暖かいね」


 そう笑った君の手が暖かいのか。それとも、俺の体温が上がってるのか。それは終始わからなかったが……繋いだ手は、確かに暖かかった。


 指を絡めるわけでもなく、ただお互いの手を握っていただけだったが……不思議と幸福感が満ちていく。さっきまで嫌なことばかり考えていたのに、今はそんなことを考える余地もない。


 握ると、ちょっと強く握り返してきたりだとか。ふとした揺れで少しでも掌が離れると、すぐにくっつけようとしてくる。女の子らしい細い指に、手入れがしっかりとされた肌。


 なんてことはない、握手をずっと続けているようなものだというのに、浅はかな心は卑しいことを考えついてしまう。その考えを振り払うべく無心になろうとする度に、どうしても彼女と握った手の暖かさがより伝わってくるのだ。


「……今度は、綺麗な景色を見ながら……ずっと、ずっと歩いていきたいな。こうやって、手を繋いだまま……」


 嬉しそうな声音で呟いた彼女の言葉は、静かな空間によく響いて聞こえてきた。小さく頷いて、そうだねと返すと……より強く、握られた気がした。


 先輩達の元へと帰ってからも、彼女はずっと手を離さなかった。時折繋ぎ目を見ては……彼女は幸せそうに微笑んだ。無垢な少女の幸福を、誰が阻めるというのだろう。少なくとも、俺にはできなかった。





〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜





 海音さんの家に着いた時には、既に空は暗くなっていた。幸いにも西条さんが飛行機を手配してくれてるようだったので、俺の腕の怪我のことも考えて今日のうちに帰ることにした。


 怪我の簡単な治療をして荷物を整え、玄関を出る。俺達を見送るために海音さんと白菊君も外に出てきた。彼女は車椅子に乗ったまま深々と頭を下げて、謝ってきた。


「皆さんには本当に迷惑をおかけしました……」


「いやいや、気にすることないっすよ。それに……今笑えてるなら、俺たちゃ満足っす。所詮は自己満足気味た事だったけど……海音さんと白菊君が笑ってくれてるなら、それが俺達の報酬っすから」


 なぁ、と同意を求めるように聞いてきた先輩の言葉に頷いて返した。正直少し気まずいんだが……その態度を俺が出してしまっては、相手にも気まずさをより与えてしまう。俺は何も気にしていないといったふうに表情を固めていた。


「本当に、ありがとうございました……。私、自分のことばっかりで、アキくんのこと全然見えてなかった……。ごめんね、アキくん」


「大丈夫だよ! 僕ね、将来は医者になっておねえちゃんの足を治すって決めたんだ!」


「おぉおぉ、立派だなぁ白菊君は。医者になるのは難しいから、今のうちに沢山勉強しないとな!」


「うんっ!」


 白菊君の医者になるという目標を聞いた海音さんは、感極まって目尻に涙を溜めていた。どこまでもまっすぐで、お姉ちゃんを助けようとする弟の姿。彼ならきっと医者になれるだろう。彼女の足を治せるのかはわからないが……それでも、彼はきっと諦めないはずだ。


 そんな彼らを見ていると、先輩が焦ったようにポケットから紙を取り出した。それを海音さんに手渡すと、頭を掻きながら照れくさそうに笑った。


「あの、これは……」


「海音さん、これから大変でしょう。やっぱ足が自由に動かせないってのは辛いことだし、ましてその……親もいないし。だから俺なりに調べたんすよ。海音さんでも働ける近場の場所を」


「っ……鈴華さん……」


 とうとう涙を堪えきれなくなり、海音さんは泣き崩れてしまった。そんな彼女の身体をさする白菊君と、それを見て笑っている先輩。なんともまぁ、あんなことがあったにしては綺麗な終わり方だ。


「……唯野。夜中にアイツが頼み込んできて俺も手伝ったことは口に出さん方がいいか」


「……言わぬが花ってもんでしょう」


 軽く近寄ってきて小声で尋ねてきた西条さん。今そんなこと言ったら余韻が台無しだ。流石に西条さんも空気を読んで黙ることにしたらしい。


「……鈴華さん。その、お願いがあるんです」


「なんすか?」


「……一緒に、少しだけ歩いてくれませんか?」


 海音さんの頼み事を、先輩は笑顔で頷き返した。屈んで肩を貸し、彼女と一緒に一歩一歩ゆっくりと歩いていく。唇を噛み締め、大地を踏みしめ。そうして十数歩程度進むと……彼女は崩れ落ちてしまった。先輩がすぐに彼女の身体を支える。


 ここからでは、彼女の顔は見えない。だがきっと笑いながら泣いているだろう。俺達が手を出す必要も無い。


「……ありがとう、ございました。やっぱり……歩くって、いいですね」


「海音さん……」


「自分の足で、地面を踏むのって……気持ちがいいです。だから……私、もうちょっと頑張ってみます。またいつか……こうやって、私の足で地面を歩けるように」


 見れば彼女の足は裸足であった。家の中でも車椅子とはいえ、靴を履くこともなかったからだろう。そのまま外に出たのだから、裸足なのは当然のことだった。


 しかし、裸足で直に地面を踏み、小石が皮膚に刺さる。例え感覚の麻痺した彼女でも、少しはそれがわかったのだろう。俺達では痛いとしか思わないその感覚も……彼女にとってはかけがえのない感覚だったに違いない。


「……アイツは、どうしてあそこまで他人に入れ込めるんだ?」


 隣で見ていた西条さんが尋ねてくる。そんなもの、答えは明白だった。


「……先輩は馬鹿ですからね。自分のこと差し置いて誰かを助けようとする底抜けの馬鹿に、優しい心を合わせたら、あぁなるんですよ」


「……なるほど」


「先輩らしいっちゃ、先輩らしいというか……まぁ、うん。あれが鈴華 翔平って男の在り方ですよ」


 なんだか目の前で笑ってる馬鹿な天パが誇らしく見える。そうやって言った俺の頬は自然に上がっていた。普段の行動はあれだが……彼は俺にとって、誇れる先輩だ。


「……翔平さんも、優しいよね。氷兎君とはまた違った優しさ。ひとえに優しさって言っても、色々あるんだね」


 七……いや、桜華も、先輩とその隣にいる海音さんを見てにこやかに笑っていた。彼女の言葉に、俺はそりゃそうだと返した。


「優しさってのは、丁寧に教えたりとか、ちゃんと叱ったりとか、色々ある。俺は自分で言うのもなんだけど、人の背中を押すタイプだ。自力で何かを掴ませ、前に進ませる。けど先輩は寄り添うタイプだ。何かと手を貸してやり、一緒に前に進んでいく優しさ。どっちがいいとも言えない。だけど……先輩のやり方は、多くの人にとって喜ばれることなんじゃないかな」


「……寄り添うだけでは怠ける者もいる。アイツだけではやはりダメだ。貴様ら二人でようやく一人前だな」


「……西条さんもいれば、もっと多くの人を喜ばせられるかもしれませんが?」


「突き放された怒りで追いかけてくる奴なんぞ、そうそういまい」


 ……ちょっと驚いた。西条さんが自嘲するように笑ったのだ。笑顔とまではいかなくとも、それでも笑っていた。なんだか意外な一面を見れた気がする。


「……飛行機に乗り遅れるぞ。そろそろあの馬鹿を連れ戻してこい」


「アイアイサー」


 笑っていたのはほんの数秒。すぐに仏頂面に戻ってしまったが……それでも、今回の任務を通して西条さんとの仲はそれなりに深まった気がする。


 別れを名残惜しむ海音さん達に笑顔で別れを告げ、俺達は飛行機で関東へと飛び立っていった。





〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜





 飛行機に乗り、今回は窓際ではなく真ん中の列に座ることになった。右端から、桜華、俺、先輩。そして……西条さんだ。


「いやぁー、まさかお前がこっちに乗ってくるとはな。ファーストクラスはもういいのか?」


「ふん……上に立つ者として、庶民の生活というのも体験しておかなければな」


「上に立つより、下にいる方がよっぽど楽だぜ?」


「抜かせ。俺は……お前達とは考え方が違うのだからな」


「かぁー、気難しい奴……ん? 今お前って言った?」


「気のせいではないか?」


「いや言った、絶対言った! 西条のデレ期が来たぞ氷兎!」


「飛行機の中なんで静かにしてください」


 隣ではしゃいでる先輩と、先輩を見て頭が痛そうに抑えている西条さん。その表情は苦々しいが、若干口元が笑っているような気がする。


「……帰るまでコイツの隣で延々と話を聞いてなきゃならんのか」


「おっすお願いしまーす」


「ウザったらしい。窓から放り投げるぞ」


 ニヤニヤと笑っている先輩を見た西条さんのこめかみに青筋が浮かんでいるような気がしてきた。飛行機の中だから暴れるなよ……暴れるなよ……っと念を送っておく。


 アホらしい光景を横目で見ていると、ふと右手に手が重ねられた。右側を見てみれば、桜華が微笑みながら俺のことを見ていた。どうやら飛行機の中でも手を繋いでおきたいらしい。


 ……西条さんと仲は深まったと思うが、それ以上に桜華との仲が深まった気がする。嫌なことばかりの任務だったが……得られた報酬で報われた気がした。冷めた心を暖めたのは、間違いなく彼女の温もりであったことだろう。






To be continued……

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