第75話 それでも手を伸ばすのか

 窓の外を見ても、どこまでも続くような闇が広がるばかり。こんなに暗い場所では、この子の教育にも悪いんじゃないかと最近思うようになった。


 俺のベッドの上で眠っているあの子は、安らかな顔で寝息を立てている。母親とは似ても似つかない、かわいらしい子だ。最近話せるようになったし、自分のことも色々とできるようになった。叶うことなら、学校にでも連れて行って友達をたくさん作ってほしい。


 ……こんなところに産まれさせてしまってごめんよ。そう言って俺は娘の頭を数度撫でた。かわいい声を出して身じろいだ彼女を見ていると、とても幸せな気持ちになる。


 そうして時間を過ごしていると、ふと誰かの気配を感じた。アイツじゃない、別の誰か。この空間にはそう簡単に入ってこれないはずだが。そう思って周りを見回すと、窓の縁に座っている女性がいた。


「やっほ、初めまして。君が彼……いや、今は彼女か。彼女と契約した人だよね?」


 やけにグラマラスな女性であった。胸元の大きく開いた服を着ていて、背中には蝙蝠こうもりを彷彿とさせる翼が生えていた。否応なしに綺麗な女性であった。


 ……先輩が見たら、きっと喜んだんだろうな。


「そこにいるのが、君達の子供? 半神半人が今の世の中に産まれるってなかなかないよね。いや、神というよりは精霊みたいなものなんだけどさ」


 ……貴方は誰だ。俺は目の前の女性から娘を守るように立ちはだかった。片手でいつでも魔術を使えるように準備をしておく。


 そんな俺を見た女性は薄らと笑いながら答えた。


「君達人間の言葉で言うなら……彼女の従姉妹、かな」


 ……従姉妹? 冗談だろう? 全然別物だ。俺は訝しげに女性を睨みつけた。しかし女性は態度を崩さずに、ゆっくりと俺に向かって歩いてくる。


「やめておきなよ。従姉妹ってだけでわかるでしょ。私……こう見えても強いから」


 一瞬だった。気がつけばその女性が俺の目の前に立っていた。それだけで実力差というものを知らしめられた。やはりアイツの関係者は化物しかいない。どいつもこいつも……次元が違いすぎる。俺は抵抗することを諦めた。女性に、娘だけには手を出すな、と忠告をしておく。それを聞いた女性はゆっくりと頷いた。


「安心しなさいよ。私は君に危害を加えに来たわけじゃないし。そもそも暇だったからここに来ただけ。それに……従姉妹とはいえ、そこまで仲が良いわけじゃないしね。邪魔だと思われたら多分殺されるよ、私」


 ……身内にすら容赦なしか。アイツの嘲笑わらう姿を思い浮かべながら、俺は毒づいた。そんな俺の態度にどこか共感を覚えたのか、女性はベッドの縁に座り込みながら俺に言ってきた。


「暇つぶしの相手をしてよ。君が知ってることとか、体験したこととかでいいから話して。そしたら、そうだな……少しだけ手を貸してあげるよ」


 その言葉に俺は驚愕した。アイツ関連の連中がまさかそんなことで力を貸すとは思っていなかったからだ。いつも何か巫山戯たことを要求してくるというのに。そう呟いた言葉が聞こえたのか、女性は額に手を当てながら言った。


「あのね、私は彼女とは違って、感性は人間よりなの。それに、手を貸すって言ったって、君には貸せないよ。やったら絶対に殺される」


 女性は自分の頬に指を当てながら天井を見上げて何かを考え始め、そのまま流れるような動きで眠っている娘を見て言った。


「この子の子守りしてあげるよ。それと、暇つぶしに私が君のところにちょくちょく来てあげるよ。どう?」


 ……俺はその要望を飲み込み、俺が今まで体験してきたことや、趣味などについて話し始めた。終始、女性は興味深げにその話を聞いていたのが印象に残っている。





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 ……気がつけばもう外はほんのりと明るくなっていた。身体は睡眠不足を訴えていて、瞼は重いし頭痛もする。明らかな体調不良だ。けれど起きなくてはならない。身体に喝を入れて布団から起き上がった。


 西条さんは椅子に座って腕を組んだまま眠っており、先輩は置いてあったソファでだらしなく口を開けて寝ていた。七草さんは海音さんと白菊君と一緒に寝ているようだ。


「……飯、準備しねぇとな」


 やる気が起きない。そもそもこうなったのも全部西条さんのせいだ。夜中に聞き込みなんてしようとするから……。追いついたところであの人帰る気がないし、道行く人に招待状について尋ねては、その高圧的な態度で反感を買っていた。なまじ夜で酒の入ってる連中が多かったのも喧嘩を買われた理由のひとつだ。おかげで俺にまで飛び火しやがった。


「……菜沙を呼び出す召喚魔法とかねぇのかな」


 あまりに疲れているせいか突拍子もないことを俺は呟き始めた。もう限界なのかもしれない。それに無性に腹が立ってきた。先輩のご飯は白飯ではなく赤飯にしよう。着色料はデスソースだ。


 簡素な朝飯の準備をしていると、車椅子が移動する音が聞こえてきた。キッチンへと続く扉を開けておくと、寝巻き姿の海音さんがやってきた。彼女はキッチンを見た途端目を見開いて驚いていた。どうやら俺がこんな朝早くにいることに驚いていたらしい。


「朝ごはんまでやって貰わなくても大丈夫でしたのに……。誰もいないと思っていたから、こんな格好で来てしまいましたし……」


「いえいえ、泊めてもらう立場ですから。朝の準備はしておきますので、着替えてきてもらって大丈夫ですよ。手伝いが必要でしたら、もう少ししたら七草さんが起きると思うので、彼女に言ってください」


 七草さんは健康的だ。毎朝しっかりと食べるし、朝もちゃんとした時間に起きて、欠かさず挨拶もしてくる。たまに寝ぼけ眼の時はあるが、それはそれで愛嬌があっていい。つくづく完成された女の子だと実感する。惜しむらくは、まだ家事がそこまでできないことか。周りのこと、大体は俺と菜沙がやってしまうからね。


 ……そろそろ先輩に節約術を叩き込むべきかと考えていると、海音さんは頭を下げてからキッチンを出て着替えに行った。朝飯の準備もあと少しだ。これが終わったら……少しだけ仮眠をとろう。俺はソファでぐっすりと眠っている先輩にデスソースをぶん投げる妄想をしながら、調理する手を早めていった。





〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜





 昼になり、俺達は北海道を適当に歩いて回ることにした。昨日西条さんと調査をした結果、ネットに書き込まれている以上のことは何も得られなかったからだ。


 まず、招待状は無差別に送られているらしい。裕福な人や、貧しい人関係なく送られていて、その人達に関連性が見られないからだ。


 次に、招待状はそれ自体が入場パスとなるようなものである、ということだ。現物を誰かから見せてもらったということ以外、その招待状を見た人がいないからだ。持っていかなければならないものなんだろう。


 そして……聞く話によれば、北海道では連絡の取れなくなった人が大勢おり、行方不明者が続出しているようだ。ようするに、招待状を受け取って帰ってこなかった人達が大勢いるとのこと。警察も動いているらしいが、足取りは掴めないのが現状なようだ。


 車もない俺達は、仕方なく徒歩で辺りを散策している。今いる場所は住宅街のような場所だからいいが、少し外れれば完全な田舎風景に早変わりだ。田圃がそこら辺にあり、車がなくてはどこへも行けない。隣にいる先輩に聞こえるようなため息をつきながら、俺はボヤいた。


「北海道って、もうちょっと都会なイメージがありました」


「あぁ、俺もそう思ってたが、まさかここまで田舎だとはな……」


「貴様らがそう思うのも仕方のないことだ。テレビで映る北海道は栄えている場所か民家の多い住宅街だからな。実際は広大な土地を活用して稲作をするド田舎だ」


「なるほどねぇ……」


 西条さんの言う通り、確かにテレビではこんな田舎風景を北海道だと報道することは少ないような気がする。というか見たことがない。おそらく北海道に足を運んだことの無い人の多くは、ちょっとは栄えた場所だと思っているのではないだろうか。


 例えば千葉県もそうだ。有名なテーマパークである夢の国ドリームランド付近は栄えているものの、下の方に行けば電車は一時間に一本だ。最悪ない時間もある。案外俺達は自分の住んでいない場所を誤解したまま生活しているようだ。


 そんなことを考えながら歩いていると、不意に七草さんに袖を引っ張られた。何かと思って見てみれば、彼女はどこか物悲しそうな顔をしていた。 最初はどこか迷っていた彼女は、次第に決意したのか表情を引き締めて俺に伝えてきた。


「あのね、氷兎君。海音さんなんだけど……昨日の夜ね、一人で泣いてたの」


「……泣いてた?」


「うん。それに、やっぱり足が動かせないから、着替えも大変だし、白菊君にも手伝ってもらってたの。私も手伝ったんだけどね……」


「……申し訳なくて泣いていた、なんてことじゃないよなぁ」


「……うん」


 七草さんはそれを話すべきなのか迷っていたようだ。彼女は伝え終えると顔を俯かせてしまった。俺はそんな彼女に、伝えてくれてありがとうと言った。軽く首を縦に振って答えた彼女だが、その表情はまだ浮かばれない。


 話を聞いていた先輩も、難しそうに顔を歪めて悩んでいた。


「足の神経が麻痺しちまってるんだったか。生まれつきなんだっけ」


「確かそう言っていましたね。けど、一応手すりを使えば立って少しだけ歩くとかならできるみたいですね。完全に動かせない、という訳ではなさそうですが……それでも、日常生活は辛いでしょうね」


「こういうのってリハビリじゃどうにもなんねぇの?」


「……生まれつきのものだ。そう簡単にはいかないだろう」


 俺達よりも知識のある西条さんが言うからには、そうなんだろう。俺達には医学の知識はないからなんとも言えないが、本人もきっと治る見込みがないと思っているのだろう。


 ……それなのに両親もいない。加えて、面倒を見なくてはならない弟までいる。彼女の日頃の苦労がありありと浮かんできた。せめて俺達がいる間だけでも楽にさせてあげた方がいいのかもしれない。


「……そういえば、海音さんってどうやって生活してるんでしょうか」


「あっ、確かに。どうやって金稼いでるんだ?」


 ……一瞬やましい想像が浮かんできたので、俺は軽く首を振ってその想像を捨て去った。流石にお世話になってる人に対してそんな事考えてはいけないだろう。自分を叱責するように、俺は片手で額を抑えた。


 先輩もどこか変な想像をしている傍らで、西条さんだけは真面目に回答を返してきた。


「国からの援助金だろう。もっとも、そこまで多い訳じゃない。ひとりで食いつなぐのが精一杯なはずだ。なんらかの稼ぎ口は確保しているのだろうよ」


「封筒貼りのバイトとか、鶴を折るバイトとか、そういうのか……」


「そんなバイト実在するんですかね」


「知らん。地方に行けばあるかもしれんがな」


 西条さんの言う通り、自宅で出来るようなバイトか、そこまで身体を使わないような仕事をやっているのだろう。でなければ、これからお金のかかる白菊君を育てていくなんてのは無理な話だ。


「……海音さん、大変だよね。私は孤児だったけど、それでも育ててくれた人はいたから。けど、海音さんは違う。海音さんは育てる側の人になってるから……きっと、辛いんだよね。だから、泣いちゃったのかな」


 ……七草さんも、不遇な生まれの子だった。そんな彼女がこんな純真無垢な女の子に育ったのは奇跡と言っていいだろう。だが、そんな彼女だからこそ、きっと海音さんのことが気になってしまうのかもしれない。いや、彼女は優しい。自分の境遇がなくとも、彼女は海音さんを心配しているに違いない。


 優しい心を持った彼女の頭を数度撫でると、彼女の表情は少しだけ和らいだ。


「……ありがとう、氷兎君」


「いいんだよ。優しいな、七草さんは」


「そんなこと、ないよ。私はただ、辛そうな人がいたから助けたいなって思っただけで……」


「……そういうところだよ、七草さん」


 俺はそう言って笑いかけた。七草さんもつられて微笑んだ。そう、そういうことを考えられるから、七草さんは優しいんだ。だから、そんな優しい彼女にはやっぱり笑顔でいてほしい。その笑顔を曇らせないでいてほしいのだ。


 そんな俺達をずっと見ていた西条さんが、どこか苛立ちを孕んだ言葉で言ってきた。


「……俺達の任務を忘れるな。ただ寝場所を借りるだけの関係だ。そこまで肩入れする必要があるのか?」


「……いや、あるだろ」


「理解に苦しむな。所詮は他人だ。こういった機会がなければ出会うこともなかった奴だろう。なのにあの家族のことを悩まねばならんのか?」


 先輩の返事にも、西条さんはバッサリと斬り捨てるようにそう言い返した。だが……それは違うだろう。俺は西条さんの鋭い目に反抗するようにしっかりと見据えた。


「こういった機会があったから出会ったんですよ。そりゃもう、他人じゃないでしょう。任務に関係あるなしに関わらず、出会った縁は大事にしなくてはいけません。どうでもいいと切り捨てるのは、少なくとも俺にはできませんよ」


「……俺もできねぇよ。だってそうだろ。目の前で困ってる人がいんだよ。手を貸してやりたくなるのが、人情ってもんじゃねぇの」


「……偽善では人を救えん。それでも貴様らは手を差し伸ばすというのか?」


 西条さんの言葉に、俺と先輩、そして七草さんも頷いた。その行動に呆れたような顔をした西条さんは、少し顔を逸らした。そして俺達にしか聞こえないくらいの声で言った。


「……人間とは独善的な生き物だ。自分がよければ全ていい。自分こそが正義であり善である、と。世界中の人は貴様らを見て笑い、偽善者だと指をさして嘲るぞ」


「だからなんだよ。独善? 自己中? 上等だろ。だったら、俺が助けてぇと思うからそれこそが正義だ。偽善者だと笑われようがなぁ、助けてもらったやつが笑顔になってくれるんなら、やっぱやって良かったって思うだろ。俺はそうやって生きてぇんだよ」


「……俺も同じくですよ。第一、俺も偽善者だと思ってますからね。結局後で助けときゃよかったって後悔したくないから、俺は今やってるんですよ」


「……私は、助けてもらってばかりだったから。だから今度は私が助けたい。氷兎君が守りたいと言うなら、私もそれを守る。それが私の……考え、です」


「………」


 西条さんは黙って俺達三人をじっと見つめていた。しかし少しするとまた口を開き、俺達に言ってきた。


「……俺は何も考えない馬鹿が嫌いだ。自分のことだけを考えるような馬鹿が。今の世の中は、そんな馬鹿で溢れている。救いようのないそんな奴らを助けようと、貴様らは言うのか?」


「……西条さん。それは貴方も同じですよ。そう言って自分の用事だけを済ませて、誰も助けようとしない貴方は……紛れもなく、自分のことだけを考えるような馬鹿だ……違いますか?」


「………ッ」


 鋭かった目が開かれる。その眼鏡の奥から突き刺すような目つきは、今となってはただただ驚愕する一般人のそれだ。自分の額に手を当てて、彼は悔しそうに地面を見下ろしていた。


「……今日はもう帰りましょう。収穫は何もなさそうですしね……いいですよね、西条さん」


「……好きにしろ」


 またひとり離れて歩き出した西条さん。俺達は特にそれを咎めることもなく、海音さんの家に帰ることにした。きっと今は話しかけない方がいい。なんとなく、そう思ったのだ。


 ……少しだけ、西条さんのことがわかったような気がした。もっとも、何がわかったのかと説明しろと言われたら何も言えないが。なんとなく、そう、感覚的なものなのだ。彼もまた、卓越した新人類などではなく、俺達と同じような悩みを持つ人間だったのだ、と。





To be continued……

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