第15話 夜の帳が下りて


 夜の帳が降りた。田舎の夜というものはより一掃静まり返り、風の音や虫のさざめき、空を飛ぶ飛行機の音すらも雑音となる。それぐらい、この場所は静かだった。騒ぎ立てる輩も居ない。物騒なバケモノもいない。平和で、のどかな場所だった。老後は、こんな場所で静かに暮らしたい。


「………」


 民宿の外で一人、夜風に当たりながら涼んでいた。ここの風呂は暖かく、夜飯も豪華だった。先輩とたわいのない話をして、部屋にやってきた加藤さんと今日の進捗について話をした。死体は見つからなかったらしい。


 情報交換の末、わかったことを上げていくとする。一つ目、この集落の人々はよそ者を拒む。二つ目、この集落には古くから伝わる神を祀る祠がある。三つ目、この集落には巫女である花巫さんを除いた高校生から上の年齢の若者がいない。


 一つ目二つ目はともかく、三つ目。これは致し方のないことでもあるだろう。なにせ、何も無いのだから。コンビニ、バス、電車……あまりに、ここは不便すぎるのだ。住めば都とは言うものの、現代の子供は情報に触れ、未知に触れ、そして田舎を拒み都会を目指す。あまりにも、ここは子供にとって狭すぎた。


「………」


 ポケットから携帯を取り出して、電話をかけた。相手はもちろん菜沙だ。出発する前に不安だから毎日電話をかけろと約束させられたのだ。破ると帰った時が怖い。なにより……。


 ……恥ずかしいが、彼女の声を聞くと落ち着くのだ。昔から一緒にいたからなのもしれない。変わらない日常を共に過ごした、自身が現実の証明とまで彼女に伝えたのだから、彼女への信頼と安心は大きいのだろう。


『───もしもし?』


 三コールもしない内に、彼女は電話に出た。携帯を片手に、まだかまだかと待ち望む彼女の姿がありありと浮かんできて、少しだけ笑いをこぼした。


『な、なに笑ってるのひーくん』


「いやなに……ちょっとね。それより、そっちはどう? 何か変わったこととかあった?」


『そうね……特にはないかな。そんなことより、私が聞きたいのは貴方の事。怪我とかしてない? 虐められたりしてない?』


「母親かお前は……大丈夫だよ。何も無い。至って健康体だ」


 良かった……と彼女の安堵する声が聞こえる。俺も少しだけ胸をなで下ろした。見ていないところで、何か起こるのはこの上なく恐ろしいことだ。流石に本部は安全だと思うが、見ていないところで菜沙が襲われたりしたら流石に困る。いや、困るどころの問題ではない。


『……ねぇ、そっちはどんな感じ?』


「こっちか? そうだなぁ……」


 空が綺麗だ。星が爛々と光って、それを遮るものがない。月は半月。されど美しい。風で草が靡いて、雑音にも聞こえるその音が嫌に心地いい。あぁ、なんと例えるべきか。


 ……風情がある、と答えるのが正しいのか。いやまぁ、そんなものを感じ取れるほど生きてはいないわけだけど。


『ふふっ……詩人みたいね。安心した、いつものひーくんだ』


「いつもの俺は、こんな詩人みたいなことをうわ言のように呟くのかね?」


『えぇ。だってひーくんのいつも語っていた理論は、聞くだけなら支離滅裂のようだし、けどどこか美しさを感じる。ほら、まるで詩みたいじゃない』


「……やめてくれ。そんな上等なものじゃない」


 気恥ずかしさを感じて、頬を指で掻いた。夏の夜は少し蒸し暑いが、それを涼しくさせる夜風がある。


 ……だというのに、昼間には及ばないが中々に暑い。


『……あっ、桜華ちゃんも話したいって。変わるね』


 彼女は七草さんのことを桜華ちゃん、と言ったか。名前で呼び合う程度には仲良くなれているようだ。良かった。時折菜沙は意味もなく七草さんを威嚇するから、実は内心仲が悪いのではと思っていたのだ。


『───氷兎君?』


「あぁ。こんばんは、七草さん」


『えへへ、こんばんは』


 菜沙とは違った、軽快で明るい声に菜沙の時とは別な意味で心が軽くなった気がする。返事を返してきた七草さんは、その後携帯の向こうで、うーんっ、んーっ、等と唸っていた。


「……どうかしたのか?」


『んー、なんか話すことなくなっちゃったな……って。だって、安全で健康だってこともわかって、何をしたのか、こっちはどうだったのかも話しちゃった。それに、氷兎君の声も聞けた。だから、話すこと聞くこと、なくなっちゃったな……って』


「……七草さんらしい悩みだな」


 彼女のそんな言葉に笑って返した。今どき、そんなことで悩む人がいたのか。基本、話すこともなくなったら互いに通話を終わらせるものだ。だから、彼女も切ってしまえばいいのだ。話した言葉数は確かに少ない。けれど、彼女の声の様子だともう十分に満ち足りたように聞こえる。


『切っちゃうの、なんだかもったいない気がするの。氷兎君の声は聞けたけど、まだもう少し色々な話をしたいなって』


「……そ、そうか……」


 あぁ、また暑くなってきた。夜風は仕事をしているのに、なんでこうも体温調節機能は働かないのか。このもどかしさと恥ずかしさはどこにも捨てられず、ただ自分の身の内に保存するだけとなった。


 ……そういえば、互いに電話をしていて切らない関係もあったか。互いにまだもう少し、と通話を続けたがる関係。互いの声をもっと長く聞いていたい関係。すなわち……。


 ……まぁ、もっとも彼女とはそんな関係ではないのだが。


『こっちに来てから、楽しいことは沢山あったよ。それでも、隣に氷兎君と菜沙ちゃんがいないと楽しめないことも沢山あると思う。だって、私を助けてくれたのは二人だから。だから……早く、帰ってきてね』


「……わかってるよ」


 いや、もっとこう……返す言葉は多くあるだろう? なのに、そんな一言で済ましてしまうのか。感謝の言葉とか、彼女の言葉に賛同する言葉だとか、色々とあるだろう?


 何を女子相手に手間取っているのか。さんざん女子と会話しているくせに……。


「……あっ……」


 ……そうか。俺はいつも菜沙と過ごしていた。そのせいか、菜沙以外の女子と親しくなったことは無かった。だから、彼女は初めて、それなりに親しくなれた女子なのだ。


 菜沙に対してなら言える言葉も、彼女に対しては言えそうにない。それほどまでに気恥ずかしかった。なんだ、まるで盛った中学生みたいだ。滑稽すぎてむしろ笑えてくる。


『……氷兎君?』


「……あぁ、いやなんでもない。とりあえずもう遅くなってきた。そろそろ終わりにしよう」


『あっ……わかった。それじゃあ、おやすみ氷兎君』


 そう言って、彼女の声は聞こえなくなった。代わりに、菜沙の声が向こう側から聞こえてくる。どうやら電話を変わったらしい。


『……楽しそうね?』


「開口一番にそれか。そう見えるのか?」


『傍から見ればね。健気よ、彼女。わかる? 頬が緩んで貴方と話す姿』


「はぁ……お前さんたちは仲がいいのか悪いのか。どっちなんだかね」


 はぁ、っとため息を吐くと、菜沙もため息で返してきた。彼女の声にはどこか怒気が含まれている気がした。何に対して彼女は怒っているのか、皆目見当もつかない。


 ……もしや、なでおろす胸がないのが原因か。逆恨みにも程がある。


『帰ってきたら一発ぶん殴るよ?』


「勘弁だ。それより、お前さんも早く寝なよ。寝不足はお肌の天敵だぞ?」


『っ、くぅ……』


 流石の菜沙もお肌は保ちたいご様子。それに、俺ももうそろそろ部屋の中に戻りたい。布団で横になって眠りたいのだ。なにしろ、足は歩き回ったせいでパンパンになっているのだから。


『……わかった。また明日電話かけてくるのよ?』


「わかってるよ。それじゃ、おやすみ」


『……おやすみ、ひーくん』


 ……まだ、私もう少し話していたかったのに……。っと、小さく聞こえた気がして、答える前に電話は切れてしまった。


「……なんだ、寂しいだけか、アイツは」


 幼い頃から変わらない幼馴染を思い描いた。何をするにも隣にいた彼女を、気がつけば普通とした。学校に行くのも、高校を選ぶのも、帰るのも。それが俺達にとって普通だった。


 ……それは、他者から見れば普通ではないだろうに。


 結局、慣れてしまえば普通になってしまうのだ。極寒の中で一年も過ごせばそれが普通になる。そんな人が普通の生活に戻った時、その人が防寒具を着込んでいて周りの人は私服でいる。そんなものだ。当人にとっては当たり前でも、周りから見ればそれは異質なものとして映ることもある。


「……ん?」


 携帯の着信音が鳴り響いた。画面を見てみると、どうやら花巫さんからのメールのようだ。メールの内容は、明日の夕方会えますか、とのこと。


「……そういえば、花巫さんのこと伝えるの忘れてたな」


 まぁ、そんなこと菜沙が気にすることもないだろう、と頭の隅に追いやって、良いですよと返事を送った。


 ……先程の話を掘り返すが、やはり彼女はその手の類なのかもしれない。本人にとっては、その目は最早普通のものだ。しかし、それは普通から逸している。だから彼女は普通ではないことが、いけないことなのかと聞いたのだろう。


「……まぁ、俺は俺のできることをやるだけだ」


 できることをやるだけ。なんと都合のいい言葉か。やれないことはやらなくていいのだから。


 ……しかし、やらなくてはならないことと、それをやれないことは違うだろう。そこら辺はしっかり分かっているつもりだ。


 そんな事を考えながら自身が寝泊まりする部屋に辿り着くやいなや、顔面目掛けて固い枕が飛んできた。突然のことで避けることもままならず、直撃した。鼻の頭が痛い。


「ひひっ、大成功」


 ニヤリと笑う先輩が嫌に腹立たしかった。とりあえず投げ返すと、先輩はそれをキャッチして今度は二つ同時に投げつけてきた。正確に投げられたそれは片方が顔面に、もう片方は腹に直撃した。


「いっつぅ……いきなりなんなんですか……」


「うっせぇ。美少女と幼馴染を侍らせる男の敵め」


「侍らせてませんって前も言ったじゃないですか!」


「煩わしい……こいつを喰らってとっとと眠れぇ!!」


 『射撃』の起源フル活用の先輩の高速枕投げに対処する術もなく、全てが命中するという悲惨な結果となった。こんなところで起源を使わないでいただきたい……。必中、ダメージ増加、連射とか、なんて鬼畜ゲームだ……。


「うるさいぞお前ら。さっさと寝ろ!」


『は、はい……!!』


 その後、やけに可愛らしい寝間着を着た加藤さんが止めに入るまで俺と先輩は(一方的な)枕投げをして、眠りにつくこととなった。



To be continued……

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